思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

入院から二週間がすぎました

2018年01月30日 | 日記
よく1月行く・2月逃げる・3月去るといいますが、私にとってはこの1月は本当に長かったです。

でも娘が帰ってきた19日からは、一人であれこれ思い悩むことも少なくなって楽でした。

娘は勤務先が2月から変わるので、その事務手続きと、現在の家の処分と、新しい勤務地周辺での家の購入などで多忙な時期なので、無理して帰ってこなくてもいいと伝えていましたが、やはりFの容態と手術後が心配なのか、19日に帰ってきてくれました。

私も帰らなくてもいいと言ったものの、家に一人でいれば頭の中はのことばかり。

ほとんど寝られない夜が続いていたので、空港で顔を見たらやはりほっとしました。

その娘も、今日の朝、イギリスに戻っていきました。

でも現在は、一応一般病棟に移り、容態も安定してきたので、あとはどれだけリハビリで身体機能を確保できるかが焦点なので、また一人になっても十分やっていけそうです。

とはいえ、病院の面会開始時間の12時までに家事や雑事を済ませようと、食事の準備や洗濯、掃除などをしていると、不意にの記憶がよみがえってきたりするので辛いですが。

が倒れた翌日に壊れたガス給湯暖房機の交換が、今日の午前中にやっと終わりました。

やはりシャワーでは寒かったので助かりますが、前に書いたように周期的に壊れるのはいかがなものかと思いますね。

(壊れたといえば、23日にはのベッド近くで使っていた石油ファンヒーターも壊れて、買い替えが必要となったり。)


話は変わりますが、この二週間の間に、ガッカリしたことと、うれしいことがありました。

ガッカリは、が「ありがとう」とか「痛い」と言ったという理学療法士さんからの「朗報」でした。

1月23日にその話を聞いた時、到底信じられず、何度も確かめました。

でも、ちゃんとパソコンに記録されていますというので、信じないわけにはいきません。

でも、どう考えても、眼前のの状態との落差が大き過ぎて、半信半疑どころか二信八疑。

その日は「うれしいけど信じられないなあ」と娘と話しながら帰宅しましたが、翌日病院に行ったら、やはりガセでした。

いつものようにのベッドに行くと、昨日とは別の理学療法士が近づいてきて、私たちの顔を見るなり「会話したというのは他の患者さんの間違いでした。申し訳ありません」と平謝り。

その後も看護師さんが来て謝罪されたので、こちらも怒る気にもなれず。

娘も「やっぱりね。おかしいと思った」と行っていましたが、一時はひょっとしてとも思ったので、本当にガックリ。


一方うれしいことは、私たち夫婦の古くからの知人である某大学病院勤務の看護師さんが見舞いに来てくれたこと。

脳外科にも13年いたという彼女は、さすがに手慣れた感じでに接してくれ、やさしく呼びかけたり、手や指をほぐしながら何度も呼びかけてくれました。普段見ることのないプロの姿になっていました。

見舞いのあと談話室で、さんはきっとリハビリでよくなりますよと言ってくれ、またこの病院は体制がきちんとしていて、よく見守ってくれているので安心ですよとも言ってくれました。

プロの目で病院をチェックしてくれたのがなによりでした。


30日の夕方看護師が来て、もう点滴は外して、今後は鼻からチューブで腸での栄養補給を始めるといってくれたので、また一歩前進となりました。

でも、私の呼びかけにあまり反応してくれないの様子を見ていると、まだまだ道は険しいと思わざるを得ません。

担当の先生も、まだ手足は動かないし、目や耳も機能していないので、厳しい状況ですと言っていました。



その夜、帰宅するため駐車場に行き、ふと空を見上げたら、十三夜のきれいな月が輝いていました。

も月を見るのが好きで、私がきれいな月が出ているよというと、窓辺に来てよく見上げていました。

またいつの日か、肩を並べて月を眺められる日が戻ってくるだろうかと思いながら、帰途につきました。


帰宅したら、売りに出していた2月の3公演のチケットすべてに買い手がついたとのメールが入っていました。

翌日朝発送するため、準備をしましたが、これまた辛い作業でした。

でも、3月の1公演と5月の2公演のチケットは、まだ売らずに手元に置いておきます。

がまだいけなくても、私だけでも行ってみようかと思っているからです。


もう2月になります。

にとって、少しでも希望の見える月になってくれればと願うばかりです。



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ヨメさんが病院に緊急搬送されました その4

2018年01月19日 | 日記

1月19日(金) 気温は12度の予報 晴れ

やはりまだ気持ちが高ぶっているせいか、午前3時過ぎに目が覚めてしまいました。
寝られないので、の古いhpのノートパソコンの置き換え用に購入しながら、彼女がまだ使えるから勿体ないと言って使っていなかったDellの新パソコンをベッドでのメールチェックに使うため、4時ごろまでWindows10の更新作業。

そのうち眠くなってきてベッドに入り、6時半ごろまた目が覚め、その後もウトウトしていたら、結局いつもの時間になりました。

今日も寒波が緩んで暖かな朝で助かりました。

娘はなんとか定刻通りにグラスゴーを飛び立ったようです。
ドバイ経由と大回りですが、今日の夕方には着くとのこと。

朝食後、大阪ガスに電話して、給湯器交換の見積もりと契約のため午後1~2時の間に来てもらうことにしました。

その後病院に行きましたが、HCUの面会時間は12時から21時までと言われ、また家に戻る羽目に。
これまで、手術やその事前説明で午前9時とか10時に病院に行っていたので、てっきり面会時間も10時からと思い込んでいました。

すごすごと帰って、時間つぶしも兼ねてアドレスに割ピンを付けていると、阪急・キッチンエールの宅配便が来ました。
先週の水曜日にと二人でカタログを見ながら注文した品物です。

おかげで食料品のストックは豊富になりましたが、の好物のきんつばを見てまた悲しくなったり。

それにしても、家中のあらゆるものにの元気な時の記憶が張り付いていて、何を見ても辛くなります。

居間の、元気に16日朝出かけた時そのままのベッドや、ベッド脇にかかった服、倒れた時に身に着けていたバッグや装具を見るたびに、涙が出そうになります。

今は前のようには動けなくても、意思疎通さえできればと願うばかりです。

1時半に、ガス工事の見積もりのため担当者がやって来ました。工事費込みで39万円!出費が痛いです。
来週ぐらいに工事予定で、午前中には済ませるとのこと。

そのあと、病院に行き、に会いました。麻酔は切られていましたが、血圧は正常とのことでした。


昨日に比べて眼の周りが黒ずんで見えるのが気になりましたが、看護師の話では疲れでしょうとのことでした。

最初の10分間はに声をかけても反応がなく、心拍数(100程度)や血圧(130ぐらい)も変わらなかったのですが、ずっと耳元で名前を呼び続けていたら、突然パッと眼を開けて、心拍数は150、血圧も170ぐらいに跳ね上がってアラームが鳴りました。

(娘です)が帰ってくるから」とか「さん(訪問マッサージの先生です)も電話をくれたよ」とか言ったのでわかったのでしょうか。

明らかに反応しているように思えましたが、興奮させると悪影響があるのではと心配になり、来合わせた看護師さんに声をかけました。

彼女も、反応はいいけど、確かに心拍数や血圧が上がるのも心配ですねといいながら笑っていたので、それほど心配しなくてもいいのかと思ったり。

とにかく反応してくれたように見えたのがうれしかったですね。

しばらくいた後、娘を迎えに、2時50分に関空に向かいました。
阪和道はガラ空きで、3時40分に到着、駐車場は混んでいて、5Fにようやく駐車。

飛行機の到着時間は16:55の予定がすでに7分遅れの表示に変わっていました。

待つ間にパソコンで記録を書いたりしていましたが、結局5時19分に到着し、同40分ぐらいにようやく娘が出てきました。
ドバイ経由で16時間ぐらいかかったそうですが元気そうでした。

空港から帰宅途中、病院に立ち寄りました。

は寝ていて、今回は呼びかけにはまったく反応せず。手術の影響で右の顔面が腫れて、痛々しい姿でした。

10分ぐらいいたあと、帰宅。

新聞受けには、が、タカラヅカの無料Web予約サービスが無くなったのを契機に入った宝塚web会員カードの不在連絡票が入っていました。

運命の皮肉を感じながら再配達日時の変更手続きをしました。

このカードが役に立ちますようにと願わざるを得ませんでした。

そのあと、娘が、イギリスから持ち帰った野菜を、今日届いたキッチンエールの長崎チャンポンに足してくれたのを食べました。
満腹です。

空港で待っている間にも、久しぶりに空腹を感じてうれしくなりました。

娘は10時過ぎにベッドに行きました。

今日も長い1日でしたが、手術後の経過も安定していて、が少し反応してくれたのが大きな励みになりました。

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ヨメさんが病院に緊急搬送されました その3

2018年01月18日 | 日記
1月18日(木) 晴れ まだ気温は高め。

今日も、いつもより1時間早く目が覚めました。ベッドサイドのパソコンでメールチェックしたら、娘から帰国便の詳細が送られてきていました。

グラスゴー発のKLMで明日午前に到着とのこと。

ゴミ出しのあと、が毎日作ってくれていたものと同じ朝食を作って食べました。

この日はしっかり食べられたので、一安心。

Mavic Proのバッテリーがモバイル電源として使えることを思い出して充電し、それとデジカメとパソコン、モバイルルーターを持参して、アドレスで病院に向かいました。

8時50分に病院に着き、手術前のの傍に行きました。写真も撮り、声をかけて励ましても依然反応はありません。

心拍数と血圧は安定していました。何度か薄目を開けたので、また声をかけたり眼の前に手をかざしたりしましたが、やはり反応してくれません。

9時30分ジャストに、は手術室に移送されていきました。

それまでHCUで見かけた看護師とは別格の、いかにも経験豊富そうな年配の看護師2人と、それより若いがこれまたベテランらしく落ち着いた雰囲気の看護師が4人、そして担当の先生というものものしい体制でした。あと麻酔医もついて全身麻酔での手術です。

出ていく際に、看護師さんや先生がこちらに軽く会釈してくれたのが、心に沁みました。

その後、待合室で待機。

所要時間は2時間と聞いていました。

その間に、これまでの経過を整理してメモすることにしましたが、わずか2日前のことなのに、もう忘れていることや、記憶が前後していることが多いのに気づかされました。

の弟夫婦にもメールして、午後2時に病院に来てもらうことにしましたが、手術の経過を11時半にメールしたら、これから出るとの返事。HCUの待合室にいることを伝えました。

12時半を過ぎてもはまだ手術中で、少し不安になってきましたが、それから10分過ぎた12時40分に看護師から、「手術は終わりました。まもなく戻ってきます」と告げられました。

一気に脱力。


しばらくして先生が出てきて、待合室で手術中の写真を使いながら手術内容を説明してくれました。

血腫を取り除いたので、それが圧迫していた周辺の脳の盛り上がりもなくなっている様子がよくわかりました。

止血剤も1種類だけで済んだとのこと。

でも急に麻酔を切ると血圧が急上昇する危険があるので、今日は麻酔は続けて、明日CTで確認しながら徐々に麻酔を切っていくとのことです。
[↓人工呼吸システムでした 1月27日訂正]


は、麻酔の影響で心拍数も血圧も低くなっていました。


でも手術前のゼイゼイという呼吸音は消えたので、こちらも気が楽になりました。

説明が終わってすぐに、弟夫婦も到着し、初めて病室で見舞ってもらいました。

そして院内の食堂に移動して、先生から聞いた手術内容を伝えました。

軽く昼食を取った後、少し話をして二人と別れました。その後私もいったん帰宅し、ガレージで走行中気になった前ブレーキの鳴きを点検して、パッドピン固定用のダルマピンが抜けているのに気づき、ゾッとしました。

でも道具箱やパーツボックスを探してもピンの在庫がないので、とりあえず釘をまげて固定。異状なく作動することを確認してから、帰国する娘のベッドを整えて、4時すぎにまたアドレスで病院に向かいました。

途中病院近くの、前にアドレスの後輪タイヤを交換したショップで前輪タイヤの交換も依頼し、ついでにパッドピン固定用に割ピンを分けてもらい、病院へ。


病室で様子を見ましたが、の様子に変化はなく、麻酔がきいてよく寝ていました。本当にほっとしました。

でも、右側頭部の開頭跡のホッチキスが痛々しいです。

それらをデジカメに収めたあと、帰途につきました。途中病院横のスーパーにより、夕食用に寿司と安かったマウントレーニアや茶漬けを買って帰宅。

寿司は久しぶりでおいしかったです。味がわかる余裕が出てきたことがうれしかった。

でも、いつも二人であれこれ話しながら夕食を取っていたことに比べたらあまりにも寂しく、また涙がこぼれそうになって必死にこらえました。

食べ終えて、手術が無事終わったので気が緩み、やっと気持ちにも余裕が出てきました。


しかしメールをチェックしたら、娘が乗る予定のKLM便が、アムステルダム付近の嵐でキャンセルになったとのこと。

でも続いてエミレーツ航空のドバイ経由便に振り替えとなって、明日の夕方5:45には帰国できるとのメールが来ました。

これならを見舞ってから関空に迎えに行けそうです。

夜、いつもが利用していた訪問マッサージのUさんから電話。

これまでの経過を説明したら本当に驚いていました。

当然ですね。

倒れる前日にも来てくれて、タカラヅカ情報や最近観た公演の感想などを楽しそうに二人で話し合っていましたからね。

その場で、月組公演を代わりに観に行ってくれるよう頼んだら、快諾してくれました。


それにしても、今日も長い1日でした。昨夜と違って少しおそめの11時に就寝しました。

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ヨメさんが病院に緊急搬送されました その2

2018年01月17日 | 日記
1月17日(水)

Fの緊急入院から2日目です。

殆ど寝ていなくても、気持ちが高ぶっているのか眠くなく、毎朝Fが作ってくれていたのと同じ朝食を作って食べ(思い出してまた辛いですが)、とりあえず近く会う予定だった友人たちに会えない旨の簡単なメールを送りました。

イギリスにいる娘から、メールの返事がきました。驚いていましたが、まだ帰らなくてもいいと返事しました。

危篤状態というわけではないし、彼女も近く職場が変わることになり、何かと多忙なことが分かっていたからです。

そのあと、前日交わした約束どおり、朝10時に病棟に行きました。

担当医の先生はもう待ってくれていて、2回目のCTスキャンの結果、まだ出血が止まっていない!ので、明日18日の朝9時30分から開頭手術をするといわれました。

大ショックでした。

そして手術の概要の説明を受け、必要な同意書と申告書を書きました。


その後ベッドサイドに行っても、前回14年前と違ってFの意識の状態は芳しくありません。前回はこの時点でもう話せていました。

でも声をかけると心拍数と血圧が跳ね上がり、目の前にかざした手を追うような眼の動きもあるので、わかっているのかなとも思ったり。

時々目頭に涙が溜まったりするので、悲しいという感情が湧いてきているのか、それとも状態がよほどきついのかなとも思って、また辛くなります。

しばらく声をかけたり見守ってから、いったん帰宅することにしました。

途中Fが倒れたデイケア施設に寄って、預かってもらっていた電動アシスト車椅子と洗面道具などを受け取り、自宅近くのコンビニで昼食用の菓子パンとサンドイッチ、夕食用の麻婆丼を買って自宅へ。

お昼ですが、全然食欲はありません。それでも、なんとか菓子パンを牛乳で流し込むように食べて昼食としました。

この時点で、ガス給湯機が壊れている!ことに気づきました。

何度かON・OFFを繰り返しても治らないので、すぐ業者に連絡。

夕方5時ごろ点検に来てもらうことになりました。

まさに泣きっ面にハチ。

その後、2月に予定していた兵庫芸文センターでの2回の観劇のため事前予約していた、例の車椅子昇降機をキャンセル。

続いて、同じく2月の梅芸での黒蜥蜴観劇のため確保していた車いす席もキャンセル。

宝塚も、月組公演のチケットを買っていましたが、これはFの知人に譲り、代わりに観てもらうことにしました。

「2月は久しぶりに観劇月間やね」とうれしそうに話していたので、本当に悲しいです。

残ったチケットは仲介サイトで売却することにして、本人確認の更新手続きをしました。

それと、今週木曜日に開催される月一の花アレンジ講習も出席できない旨先生にメールしました。

詳しい容態を知らせなかったので、単なる体調不良と思ったのか、先生から「もう材料を手配済みなので、引き取ってほしい」といわれ、「材料代はお支払いするので、花は処分してほしい」と伝えました。

そのあと、朝持っていくのを忘れていたFの服用中の薬の現物をもって病院へ行きました。

しかしFは依然として反応はあまりありません。

見ているとますます辛くなるので、1時間足らず話しかけたり手足に触れたりした後、帰宅しました。

夕食に、コンビニの麻婆丼を温めて食べ始めましたが、まったく味がわかりません。でもなんとか食べ終えたら、大阪ガスの代理店のサービス担当者が来てくれました。

しばらく点検していましたが、給湯はできるが再加熱用のボイラーが壊れているので取り換えが必要とのことです。

前回の交換から15年ぐらい使ったかなというタイミングの故障。

やはりタイマーが設定されているような気がします。

とりあえず給湯機能は使えるので、なんとか風呂は入れるし、洗面や調理はできるが、やはり追い炊きできないと困るので、見積もりを依頼しました。

そのあと、どうしてもFが気になるので、7時過ぎにまた病院へ。

8時までベッドサイドから、Fに声をかけたり体に触れたりしていました。

声をかけるとすぐ心拍数と血圧が高くなるので、何らかの形で反応しているようでうれしいのですが、数値が高くなるのは気になるし、痰がたまりやすくなっているのか、ゼイゼイと苦しそうなので、安静させようと一時間で切り上げて帰宅しました。

自動給湯できないので不便ですが、とりあえず風呂に入ることにしました。西洋式のバスのように、その都度湯を抜くことになりますが、3日ぶりの風呂で、体は休まりました。

風呂を出てから、明日のゴミ回収に出すため、家中のゴミを集めましたが、そんな日常の雑事でさえ、Fと交わしていた会話が思い出されて辛くなります。

寝る前に牛乳を温めて飲み、洗濯機から洗濯物を出していつもの通り干してから、ファンヒーターのタイマーをセットしてベッドに。

明日の手術が無事に終わるようにと願いながら寝ました。


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ヨメさんが病院に緊急搬送されました その1

2018年01月17日 | 日記


ヨメさんが14年ぶりに脳卒中を再発してしまいました。


2018年1月16日(火)の朝、私はいつものとおり、ヨメさん(以下とします)の乗ったデイケアサービスの送迎車を見送って、久しぶりの好天なので、新年初のドローン空撮に出かけて、正午丁度に帰宅しました。

家に入ると同時に電話が鳴り、また何かの勧誘かと思っていると「さまがデイケアサービス中に呂律が回らなくなって倒れ、こちらに緊急搬送されました。」という連絡。


青天の霹靂とはこのことです。


すぐ病院に駆けつけました。14年前と同じ病院です。

はHCUのベッドに横たわって目を閉じていました。

でも声をかけると薄目を開け、同時に心拍数と血圧が跳ね上がったので、聞こえているようにも見えました。

担当医の説明では、脳内出血の再発で、今回は右側の出血なので、健全だった左半身側も麻痺する恐れが高いということでした。

聞いているうちにどっと絶望感が押し寄せてきて、何も考えられなくなりました。


14年間頑張って、杖歩行で市内循環バスに乗って近くの駅に行ったり、右手が使えなくなっても、左手で絵手紙がきれいに描けるようになったり、言語機能もまったく障害が感じられない状態になっていたでした。


でも、そんな努力がいっぺんにご破算になってしまったかと思うと、一挙に涙腺がゆるんできました。


それを必死にこらえて、藁をもつかむような気持で、担当医の説明を受けました。

担当医の先生は驚くほど若く、でも丁寧にわかりやすく答えてくれて、信頼できそうで一安心でした。

パソコン内のCTの画像を使っての説明で、今後の手術としては二つあり、一つは前回同様、出血を外から吸引するもので、もう一つは頭蓋骨を開けて出血を除去し、止血処理をするというもの。

出血が止まっていたら前者、続いていたら後者になるということで、とりあえず明日再度CTを撮り、出血の状態を見て判断するということでした。

14年前で電子カルテのデータがないというので、私が前回は24cc出血したうち、21ccを吸引してもらったと言ったら、そうだとすると出血の量は現段階でも前回より多いとのこと。

とにかくすぐにでもCTを撮って、出血の状態を確認してほしいところですが、見極めにはある程度時間の経過が必要なので、明日撮るということなのでしょうね。

そのほかいろいろ説明を受けてから、入院に必要なものを提供してもらうため「手ぶらで入院」サービスの契約をしてから、とりあえずデイケアの荷物や衣類を持っていったん帰宅しました。

自宅で、の一番の近親者である弟夫婦に電話して概要を知らせた後、病院から依頼された、現在処方されている薬の明細と「お薬手帳」を探しました。

がいつも使っているバッグを見たらすぐ見つかりましたが、バッグの中のいろんなものを見ているだけでまた涙です。


夕方、明細と薬の手帳をもって再度病院へ行きましたが、薬の現物も必要とのことで、明日それは届けることにしました。

そのあとの様子を見ましたが、呼びかけてもあまり反応がないのが気がかりでした。



まあ倒れた直後で、鎮静剤も投与されているし、出血の影響もあるのだろうと自分に言い聞かせながら帰宅。

ようやく、朝食以外何も口にしていなかったことに気づいて、冷ごはんと冷凍のおかずをレンジで温めて食べようとしても、まったく食欲なし。

かくてはならじと、なんとかお茶漬けで流し込みました。

そのおかずもFが観劇とかで帰宅が遅くなったときのために買ってあったものなので、それを見たらまた辛くなってきます。

なんとかすべて片付けてから、の衣類と私の着替えたもの等を洗濯機に入れ、朝仕上がるようにタイマーをセット。

イギリスにいる娘にとりあえず状況をメールで知らせて、慌ただしかった1日の終わり。

いつもより早くベッドに入りましたが、やはり寝られず。

いろんなことがとりとめもなく浮かび、長い長い夜になってしまいました。

でももっとつらいのはです。


さん、また前のように、私もがんばるからね。   (続く)


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今年最初の観劇は『不滅の棘』でした。 よかったです!!

2018年01月13日 | 宝塚
昨年最後の観劇は兵庫芸文センターでの『ペールギュント』。その翌日、一人で大掃除を頑張ったのが祟ったのか、正月早々から風邪を引き、2・3・4・5日まで絶不調。
ようやく6日ごろからなんとかましになって、8日のシアタードラマシティでの「不滅の棘」は無事観劇できて、やっと新年らしいスタートとなりました。
ということで、大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。m(__)m

今年も気まぐれ更新なブログになると思いますが(殴)、お暇なときにご覧いただければ幸いです。

で、いきなりですが、『不滅の棘』の感想です。いつものとおり敬称略。
(画像はスカステのニュース画像をキャプチャーしたものです)
15年前の初演は観ていませんが、ヨメさんは以前にスカステで放映されたのを見ていて、春野寿美礼がピッタリの役で、舞台装置も衣装も斬新、なにより木村信司の脚本・演出を絶賛していました。
でも私はそれも見ていないので(^^;、今回は(今回もか)、全く予備知識のないままでの観劇でした。

結論としては、何と言っても主演の愛月ひかるが光って(殴)いました。
舞台映えのする大柄な立ち姿に、真っ白な衣装が良く似合っていて、絵にかいたような偉丈夫。(笑)
白いマントを翻してさっそうとカレル橋に登場すると、それだけで絵になります。




しかし、彼女にはいい意味で裏切られっぱなしですね。

最初の衝撃はルキーニ。
それまでスカステのナウオンとかで話している様子を見て感じていた、色白でおっとりと話す控えめな印象から、彼女にはとてもじゃないが、ルキーニみたいなルナティックでファナティックで、エキセントリックでパセティックな((殴)しつこい!)テロリスト&アナーキストな役は無理で、これは大ミスキャストだろうと思っていました。

ところが、終わってみれば近年ではベスト!なルキーニ(あくまで個人の感想です)。本当に驚かされました。

そして去年のラスプーチン。鬼気迫る怪僧ぶりで、こんな役ができるのかとまたまた驚かされました。

そして止めが今回の『不滅の棘』。

不老不死の主人公・エリイ/エロール・マックスウェルを演じたことで、また新たな魅力が見られました。もともと春野寿美礼の宛書みたいな感じの役なので、これの再演は難しいだろうと思っていたのに、またまた独自の魅力ある役作りがされていて、感心しました。


初演では、かなり魔界の住人みたいな人間離れした主人公でしたが(ヨメさん談)、今回の愛月バージョンのような、人間臭い主人公も、意に反して永遠の命を与えられてしまった苦悩と絶望、虚無がよく体現されていて、よかったと思いました。




でもこの後、11日に「ポーの一族」を観て、今年のタカラヅカは「不老不死」特集かと笑ってしまいましたが。
ともあれ、今回の観劇で私たちは愛月ひかるを再々再評価で、今後に大いに期待したいです。

スカステのインタビューでは「歌が苦手なので、歌が課題です」とか言っていましたが、実際に観てみたら十分な歌で破綻がなく、これもうれしい驚きでした。まあルキーニでもラスプーチンでも歌が弱いとは思わなかったのですが。

その相手役・フリーダ・プルス/フリーダ・ムハを演じるのは遥羽らら

今回初めてお目にかかりましたが、二人のフリーダをうまく演じていて、愛月とのバランスも良く、いい組み合わせでした。





歌も力がありましたが、フリーダがカレル橋で「私は~あなたを~愛しています~」と歌うところはまるでアムネリス。(笑)
と思って調べたら、実際に2015年の「王家に‥」の新公でアムネリスをやっていましたね。それで今回の登用となったのでしょうか。
役としては1933年のフリーダ・プルスのショートカットが印象的で、カッコ良かった。今後注目したい人です。


弁護士アルベルトは澄輝さやとが演じていますが、初演では瀬奈じゅんで、アルベルトは初演のほうが存在感があったとヨメさんの談。でも頑張っていました。

プルス男爵未亡人タチアナ(純矢ちとせ)の息子ハンスは留依蒔世です。初演ではこの役を彩吹真央が演じていたとのことで、初演は豪華メンバーですね。どちらかというと童顔ですが、劇中ではアルコール依存症で常軌を逸した人物を力の入った演技で演じ切っていました。


ハンスの妹クリスティーナは華妃まいあ。初演が東野あすかというのも納得の、よく伸びる美声で聴かせてくれました。


未亡人タチアナの純矢ちとせはベテランらしい余裕の舞台。

ただ私たちが見たときは少し台詞をかんだ場面がありましたが、まあまだ2回目だったので無理もないかな。それより今回は少しほっそりした感じが気になりました。
もう少しふくよかな方がいいのにと思ったり。
でもこの人や、カメリア役の美風舞良が出てくるとグッと舞台が安定しますね。

舞台装置はシンボリックな形で、シンプルかつ斬新で洗練されていました。


何度も使われるカレル橋もよく出来ていて、多数の引き出しのある傾いた壁のようなセットも面白い。


死なない・死ねない・終わりのない生を生きねばならない、ということが如何に残酷なことかという主題を浮かび上がらせる印象的な舞台でした。それと、甲斐正人の音楽も耳になじむいい曲ばかりで、この才能がのちの『王家に‥』の大成功に結実したというのもよくわかりました。

あとインパクトがあったのは第6場の巨大な卵のセット

どういう風に割れるのか興味津々でした。(笑)
中から現れた美女!もインパクトありで、演出家の遊び心全開ですね。でも卵、本当によく出来ていたなあ。


先に触れたように、次に大劇場で観た『ポーの一族』も同じようなテーマですが、考えさせるということでは『不滅の棘』のほうがストレートで分かりやすかったと思います。

というわけで、いい作品からスタートを切れてラッキーでした。次は『ポーの一族』ですが、それまでにアップしなければいけないネタが溜まりすぎているので、頑張らないと‥。(^^;



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