思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

宝塚花組公演『ラスト・タイクーン ―ハリウッドの帝王、不滅の愛― 』 を観て

2014年02月26日 | 宝塚
今回の体調不良、風邪or花粉症なのか不明ですが、咳が止まらず目はショボショボ、鼻はグズる悲惨な状態で、食欲もなくなり久しぶりに寝込む始末。なんとか一昨日ぐらいから回復してきたので感想をまとめ始めましたが、肝心の公演が、どちらも少々期待はずれ。さっぱり感想を書こうというテンションが上がらない状態になっていました。
なのでいつにもまして薄い感想ですが、よろしければどうぞご笑覧ください。m(__)m

今回のタカラヅカ観劇、新人脚本/演出家の大劇場デビューとあって、かなり期待していました。
当日も楽しみにしながら劇場に向かったのですが、トップの退団公演なのに劇場内の土産物売り場とかホールとか見てもそれほどのにぎわいもなく、あまり活気が感じられなかったのは意外でした。これが人気の舞台だったらもっと勢いが感じられるのですが、平日ということを考えても少々さびしい感じ。

開場時間となって席に着きました。見渡せば1階席はほぼ満席だったので一安心。

で芝居の感想ですが、私としてはかなり不満な出来。
でもヨメさんの感想は「まあまあやったね」。えっ、よかった?と私が聞き返すと「とりあえず話は破綻してないから」。
まあ「破綻していない」というのは彼女の評価ランクでは「ギリギリ合格点」という意味ですが。

でも私としてはとても合格点は無理でした。
出かける前に見た公式ホームページの[解説]では、「大物プロデューサーの栄光と挫折」とか、「亡き先妻と瓜二つの未亡人とのロマンスを描いた」とか書いてますが、そのどれも描かれていなかったですね。大体始まってすぐにいきなり結婚というのも唐突すぎ。

でもそれよりなにより結末が不満。強引でもワンマンでもいい映画ができたのならそれで納得ですが、完成する前に死んでしまうとは。何のために社長と張り合ったり映画スタッフとすったもんだしたりのか意味ないですね。

原作がどこまで書かれていたのか知りませんが、どうせ未完の原作なんだし、結末は自由に作ったらよかったのにと残念。
例えばモンロー・スターと映画スタッフの組合連中が苦労して機材と資金を集めて、会社の妨害をはねのけて自主上映したら一挙に人気沸騰、映画会社を見返して、その勢いで次の映画製作に奔走するさなかに事故で死ぬとかやったらまだ意味があるけどね。
どんな映画を作ったのか作ろうとしてきたのか、肝心の栄光と挫折が描かれていないのが致命的。
ただの手が早く傲慢で、横暴で身勝手な男でしかなかったのが残念。「不滅の愛」っていわれても、そもそも愛らしい愛がどこにもなかったと思います。

蘭寿とむは頑張っていたけど、脚本の人物描写が弱いから持ち味が出せずかわいそうでした。

スーツ姿はやはりよく似合っていたけど、どんな役にも誠実さが付きまとう彼女のキャラクターなのに、今回は脚本がその味を引き出せないまま、類型的な「やり手」で終わっていたのが気の毒でした。





「真面目キャラ」でもオーシャンズ11ではまた星組とは違った別の味を出していたから、やはり脚本の不出来がすべてでしょうね。

明日海りおのヒゲは意外に違和感なかったですね。(笑)ただきれいな容貌なので老けるのは難しい。

若々しさがどうしても出てしまって、とても大学生の娘がいるとは思えない。(笑)スーツはちゃんと着こなしていましたが、年齢相応の落ち着きとか貫禄というのはなかなか出せないものですね。
そして彼女もどんな人物か、モンロー・スターと目指す映画観の違いなどで対立するとかが描かれていたらまた話に説得力があったと思いますが。ただ会社を守りたいだけに見えました。
歌はよかったです。モンロー・スターが歌いだすと反射的に身構えてしまったりしましたが、それが明日海りおと望海風斗の歌が弛緩させてくれました。

その望海風斗、あまりいい役ではないけど(笑)、骨太の演技で存在感がありました。

リーダーシップがあります。


ただ、今回の配役は、明日海りおと望海風斗の役を入れ替えたほうが良かったと思いますね。
望海風斗はオーシャンズ11でも濃いあくの強い演技ができるから、社長にぴったりだったと思う。逆に明日海りおはモンロー・スターといろいろ衝突するが、最後には意気投合して映画スタッフとして一緒に映画を作って、スターの死後もその映画作りの情熱を受け継いでいくとかにした方がつながったのではないかと妄想したり。

鳳真由は出番が少なくてもやはりうまかった。華形ひかるの小説家で脚本担当もまだ書き込まれていていい役のほうで、他の生徒たちは役名はあってもあまりしどころがなくかわいそうでした。


キャサリン・ムーア/ミナ・デービスの二役・蘭乃はなですが、大体話がラブロマンスというより「カリスマプロデューサー」に色を添えるだけの存在なのでしどころがない役。


でも何度も言いますが、そのカリスマ性が話の中で浮き彫りにならないのが致命的でした。

あと場面転換とかがんばっていましたが、こちらが話に入り込めないままなので、いくら盆を回したり、セリを多用しても効果は感じられなかったですね。このあたりは『アンドレア‥』の場面転換のうまさとは大違い。セットは大道具さんががんばって良くできていたとは思いますが。

ということで、脚本/演出家が大劇場デビューするのはやはり格段のパワーがいるということがよくわかりました。それと歌でつなぐのは限界があるので、しっかりとしたセリフを丁寧に積み重ねて話を深めていってほしかったと思いました。

つぎにショーのほう。
「夢眩」と無限のマークを重ねたカーテンを見てちょっと期待しましたが、騒がしい場面が多くてがっかり。
これも公式ホームページでは「洒落たセンスを織り込んだ」とか、「新たな形式を提示する意欲的なステージ」とか書かれていますが、全体にどこかで見たような場面とか振付で、なにが「夢眩」なんやろと二人で疑問。
私はショーで使われていたVACATIONに拒否反応で、ああいう古いポピュラーソングを使ったら逆に新鮮で面白いだろうみたいな古臭い発想が陳腐すぎてガックリ。

星組の「ジャポニスム序破急」でサクラサクラをボレロで踊らせる発想の底の浅さと似ていて情けなかったです。

ここでも蘭トムは頑張っていました。






蘭乃はな↓


明日海りおです

中盤のスパニッシュになってやっとなんとか観られる感じになってきましたが、やはり全体に古臭いです。



でもスパニッシュももっとしっとり見せられると思いますね。雪組公演の『Shining Rhythm!』のスパニッシュがわすれられないです。

最後はお約束の黒燕尾。
この人はこれでキマリですね。




観終わればトップ退団公演というにはいささかさびしい出来で、『アンドレア‥』がサヨナラ公演だったらとか思ってしまいました。
なかなかうまくいかないものです。

さて、演出家にはこれにめげず、次を期待したいですね。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

余談ですが、お隣の男性はトップのファンなのか爆竹のような拍手を連発されていました。なので今回の公演も観る人が観ればよかったのかもと思ったりしました。

(2014.3.8)


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今年のこまつ座初観劇は『太鼓たたいて笛ふいて』です

2014年02月26日 | 観劇メモ
自慢にならないことですが、私は林芙美子の作品は全く読んでいません。
なので彼女の作品がどんなものか、そもそもどんな作家なのか全く知りませんでした。林芙美子と聞いて想い浮かべるのは森光子がでんぐり返る「放浪記」ぐらい。(笑)

でも、「太鼓たたいて笛ふいて」はなんといっても井上ひさしだし、主演は大竹しのぶだし、脇を固めるのも芸達者ぞろいと来ては、観ないわけにはいかないと、かな~り以前(最近は各劇場とも青田刈りというか、チケットの売り出しが本当に早いですね)にチケット確保。それから二人で心待ちにしていた舞台です。

劇場はシアターブラバ。
大阪城ホールの対岸にあるかなり安普請な施設です。駐車場はもちろんなし。
隣接するタイムズに停めるしかないので、当日は対岸にある大阪城ホールのイベント情報をチェック。
というのは以前、ウィルヴィルの三姉妹を観たとき大阪城ホールでのイベントの影響で駐車場が満車になり入庫がかなり待たされて焦ったことがあったので。
しかしこの日も某グループのコンサートがあるとの情報でしたが、午後6時開演とのことでまあ大丈夫かなと。
でも、正午過ぎに駐車場に到着したらすでに車の列。対岸を見ると同じくビックリの長蛇の列でした。焦りまくりましたが、なんとか開場前に劇場に入れました。なんでこんなに重なるのでしょうかね。

開演のかなり前には劇場内は満席。こまつ座公演ということで男性客も多く全般的に年齢層も高め。

1時を少し過ぎてから、ピアノ演奏の朴勝哲が客席から登場して幕が上がりました。
やはり電鉄会社ならではの時間厳守なタカラヅカを観なれていると、開始が少しでも遅れると気になります。(笑)

芝居の始まりはお約束の出演者紹介タイムから。6人の顔ぶれがすごいです。


舞台装置はいたってシンプルで、舞台の背景として原稿用紙のマス目が描かれているだけ。家を表すものはこれまた原稿用紙に似た格子の障子+欄間みたいセットが一対。あとは畳とか卓袱台などの小道具。はじめはちょっと寂しいなと思ったりしましたが、話の面白さでそんなことは霧消。音楽はさきほどのピアノ演奏のみ。でもそれで充分でした。何しろ出演者の歌が素晴らしい!聴きごたえ大有りの耳福でした。
ちなみに最後の場面で使われる絵は芙美子の描いた自画像で、その絵の顔の部分だけ大竹しのぶに替えたものが上掲のパンフ表紙の絵だそうです。夫の影響で芙美子は絵もよく描いていたようですね。

話は『放浪記』で一躍有名になった女流作家・林芙美子が、創作活動に行き詰まり、やり手のプロデューサー・三木孝の「戦争はもうかる」という説得に応じて、従軍記者としての体験を活かして作家活動の巻き返しを図ろうとします。

ちなみに、劇中でこの「戦争がもうかる」という話の例で挙げられている日清戦争で得た賠償金がすごいです。日清戦争前の国家予算の4年分を上回る金を得たのですから。これに味を占めて、以後日本は戦争に明け暮れるようになります。
そして今、政府・自民党が現在の憲法を「押しつけ憲法」として否定し、過去の軍国主義憲法を「取り戻す」ために、治安維持法顔負けの悪法「特定秘密保護法」を強行制定し、「集団的自衛権容認」で昔のように戦争に明け暮れる国にしようというのはとんでもない話です。

開戦前の1893年(明治26年)度国家予算 8,458万円(軍事費27.0%、国債費23.1%)
清の賠償金と還付報奨金による収入総額が3億6,451万円(イギリス金貨(ポンド)で受領する)


三木孝の勧めで芙美子は内閣情報部と陸軍の肝煎りの『ペン部隊』の紅一点として、南京攻略戦から始まってシンガポールやジャワ、ボルネオと各地を従軍。
初めは国威発揚・戦意高揚の国策に沿った提灯記事を書いていたものの、やがて「聖戦」・「大東亜戦争」の実態が日本軍による東アジア侵略であり、戦場が悲惨極まりない状態にあることを現地で目のあたりにします。6年間の従軍体験の後は夫の実家のある信州に疎開。芙美子は敗戦が不可避なのを知って「こうなったらきれいに負けるしかない」と発言して、逆に当局の監視下に置かれたりします。
戦後林芙美子は、騙されたとはいえ「太鼓たたいて笛吹いて」軍国主義をあおってしまった自身の贖罪のように、『浮雲』や『めし』など、庶民の生活に密着した作品を書きつづけます。舞台はそんな作家・林芙美子を音楽評伝劇として描いています。

観ていてわかってきたのは、林芙美子の大らかさと好奇心の強さ、そしてフットワークの軽さ。
公表されている彼女の年譜などを見ても、本当にあちこち飛び回っています。奔放で大らかな性格は、母親キク譲りのものであることがこの芝居でもよくわかります。母性の系譜ですね。
軍国主義の片棒を担いだかと思うと、その前には共産党に寄付したとかの行為で特高警察に調べられたりという林芙美子。しかし別に一貫した信念とか信条があるわけではなくて、その時々の世相に庶民的な興味からかかわってしまうという感じでしょうか。
今回の観劇を契機に実像を少し調べてみたりしましたが、本当に自分に正直な愛すべき人物みたいですね。
そういった芙美子の人となりについては、劇場で買ったこまつ座のパンフレット「the座 No.77」に掲載された太田治子の「心やさしき女親分」によく描かれていました。

予想通り、大竹しのぶはお化けでした。最近見たテレビの大竹しのぶのインタビュー番組などではフワーっとした雰囲気で、ちょっと舌足らずな喋り方でつかみどころのない印象ですが、舞台に立つとそんな印象は一変、完全に林芙美子になりきっています。もう演じているというより、舞台の魔物が彼女に憑依して、その体を勝手に動かしているという感じです。

初めて彼女の舞台を観たのは「グレイ・ガーデンズ」でした。所詮タレントの余芸だろうとタカをくくっていた私が浅はかでした。(笑) 観終わってもう茫然自失、完全にギブアップでした。
しかも演技のみならず歌もびっくりのド迫力の歌唱力。余談の余談ですが、この「グレイ・ガーデンズ」で大竹しのぶの役の若い時を演じたのが彩乃かなみ。初めはこの歌ウマ誰かな?と思っていましたが、すぐわかりました。久しぶりに彼女の元気な姿と歌が聞けてうれしかったですね。

さて「太鼓たたいて‥」に戻ると、大竹しのぶは満身で怒って・笑って・泣いて林芙美子の半生を演じきって、終わってみれば2人とも感動のスタンディングオベーション。
陳腐な表現ですが、顔の表情の変化はまるで万華鏡。感情表現がすごいです。素のときと違って(笑)セリフも明瞭で、よく伝わってきます。パンフレットではいろんな思いを込めて演じていることがよくわかります。
-以下画像はこまつ座「the座 N0.77」の舞台写真の部分です-




そんな大竹しのぶとガップリ組んでいたのが、商売上手で機を見るに敏なプロデューサー・「三木孝」役の木場勝己。彼も大竹しのぶ同様初演から演じています。彼の歌を初めて聞きましたが、これがまた絶品でした。聴きホレました。うまいですね。
ヨメさんも終了後しばらく絶賛モードでした。パンフレットで本人が書いていますが、役の上での「とても積極的でエネルギッシュで、ちょっと調子のいい人」の裏に潜むさまざまな隠れた部分の存在まで想像させる深い演技でした。


この二人に続くのが母・「林キク」役の梅沢昌代と「島崎こま子」役の神野三鈴
梅沢昌代は井上ひさしが役を宛書したとのことで、もう天衣無縫・軽妙洒脱・緩急自在、余裕の名演技です。「余人をもって代え難い」とはこのことですね。「the座」によればこの人も今の社会状況に対して強い危機感を抱いていて、そんな思いを持ってこの作品と向かい合っていることがよくわかりました。


こま子の神野三鈴も負けず劣らず良かったです。

彼女は「組曲虐殺」でもいい演技を見せてくれましたが、今回のこま子もハマリ役。
純粋で、人を疑うことを知らず、一途にやさしくて、人の心の中の良いところだけを一身に凝縮したような役ですが、本当にこんなだっただろうなと思わせる演技。説得力があります。感情移入しやすい役でした。
井上ひさしの作品にはこういう女性がよく登場しますね。どこか『頭痛肩こり‥』の妹「樋口邦子」(深谷美歩)に通じるところも感じました。

「加賀四郎」役の山崎一も『組曲虐殺』で観ていますが、この人だけ今回の出演が2回目だそうです。
『組曲虐殺』での特高刑事と通じる役ですが、時流に乗っているようで、実は流されている当時の庶民の一典型のような姿を演じていて、いろいろ考えさせられます。誰しも持っている愚かしさとたくましさをよく演じていました。

「土沢時男」役の阿南健治も初演時から出ているとのことです。時流に乗るというよりは、一生懸命に生きようとしているのに流されっぱなしの不器用でまっすぐなどこにでもいる庶民。そんな姿をよく表していましたが、後半の東北弁はリアルすぎてかなり聞き取りにくいのでネイティブでない観客は苦労します。


そういえば今回は全般的に音響に難アリで、聞こえない場面が結構ありました。私だけかと思ったらヨメさんも「聞こえにくかった」とのこと。ちょっと残念でした。

観終わってまず感じたのは、作者がこの作品を今の時代に宛書していたのではということ。
10数年前に書いていながら、今のキナ臭い世相が鋭く描かれています。何度同じ間違いを繰り返すのかという作者の声が伝わってきます。
同時に、林芙美子に対する井上ひさしの温かいまなざしも感じられました。実際に愛すべき人物だったようで、未読な私も読んでみようという気になりました。

今回も浮かんできたのは「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」でした。
未見の方は、機会があればぜひご覧ください。私のつたない感想などよりはるかに多くのものが得られると思います。おすすめです。

今月は、明日27日も大劇場での観劇。物忘れが激しいので更新が大変です(笑)。忘れないうちになんとかアップしたいと思いますが、その折にはまたご覧いただければと思います。


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宝塚宙組公演「翼ある人びと-ブラームスとクララ・シューマン-」を観て

2014年02月19日 | 宝塚
観劇前日に、大阪では近年にないほどの降雪があり、当日でも融けず、車に乗り込むために雪かきが必要でした。劇場への経路も途中通行止め等があって、いつもと違うコースで向かいました。でも逆に都心部はいつもより車が少なくて快調に走り、予定時間に劇場地下の駐車場へ。
障害者の指定場所に停車してエレベーターを待っていたら、二人の女性がやってきました。一人はかなりの長身でファッショナブルです。まもなくエレベーター(かなり狭いです)が来たので乗り込み、ふとその女性たちを見たら何と仰天のハプニング!
ええ、驚きましたよ。誰あろう、みーちゃん、春風弥里さんでした!

車椅子のヨメさんもすぐわかって、「がんばってください、応援しています」とか「辞められたのですね」とか、不躾なのも顧みず話しかけていました。ても春風さんは全く気取らずに「ありがとうございます。そうなんです」と微笑みながら答えてくれました。

「これから観られるのですか」とヨメさんの立て続けの質問に私はハラハラでしたが、春風さんは「ええ、観たあとはトークショーにも出ます」と答えてくれました。やさしいですねぇ。普通春風さんのような立場になると、見ず知らずのものにこういう対応をしない方が多いのですが、全く自然に応じてくれました。そうこうしている間にエレベーターのドアが開きました。

でもほんの短時間でも温かい春風さんの人柄に接することができ、本当にラッキーでした。
彼女は「キャパ」や(これはスカステで観たのですが)



アンドレア・シェニェ」でもいい歌と演技を見せてくれましたが、



私たちにとってはミュージックパレットにゲスト出演した際↓の見事な歌声が強く印象に残っています。

あとになってその感想も伝えればよかったねとか話しながら、つかの間の至福のときを惜しみました。彼女の退団は本当に残念でしたが、今後の活躍に期待しましょう。

というハプニングのご報告はこのくらい(でも長すぎですね)にして、いつもの塩分控えめ・超薄味の観劇感想です。以下敬称をすべて省略しています。

でいきなり結論ですが、とにかく脚本・演出が良すぎる!
担当したのは、なんと2006年入団の新進作家・上田久美子。若いです。でもいい仕事しています。

↓スカイステージ「演出家プリズム」より

(↑しかしこのカメラアングルは気の毒ですね。まるで被疑者扱いです。(殴))
こんな脚本を書かれてしまったら、並み居るベテラン座付センセーたち顔色なしですね。まったく何をやっているんだといいたくなります。

というわけで、まだ2月ですが、今年の宝塚新人脚本・演出家賞はこれで決まりですね。何の賞かって?もちろん「思いつくまま演劇大賞」(殴)。

大筋の話としては、2008年の映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」などとダブるところもなくはないですが、大体史実を踏まえたら同じような話になるのは当然で、そう考えてもはるかに今回の舞台の方がいいですね。

とにかく当時の音楽界とそれぞれの音楽家に対する演出家の深い造詣が投影された脚本になっていました。
19世紀のドイツロマン派の作曲家ロベルト・シューマンが、場末の酒場のピアノ弾きだったブラームスの才能を見込んで、自宅に住み込ませて才能を育てていく過程、そしてロベルトが精神疾患で入院し、困窮したシューマン家を、ブラームスが献身的に支えるという話です。
それをロベルトとブラームスの固い師弟の絆と、ブラームスとクララの許されない恋という二つの話を軸に、複雑に絡み合った当時の音楽界の人間関係を鮮やかに描き出しています。

生き生きとした人物描写、話の展開に全く無理がなく、極めて自然に話に引き込まれていきました。台詞がいいですね。宝塚らしくない(笑)自然な台詞のやり取りがリアル。殆どストレートプレイといっていい。

この芝居のモチーフとなったのは、冒頭に流れる交響曲第3番 第3楽章でしょうね。この曲があってこの脚本になったのだろうと思わせるぐらい、よくマッチしていました。舞台はその旋律を通奏低音に、ブラームスも、クララも、ロベルトも、リストも、ヴェラも、ルイーゼも、伯爵夫人も、ヘルマン博士も、ワーグナーも、そして書ききれないそれ以外の役みんな(笑)も、それぞれの人生を生きていました。それらすべてに、華やかであってもどこか悲しい影が終始付きまとっています。うまいです。

あっという間の観劇タイム。観終わったあとは文豪の名作小説を読み切ったような余韻のある充実感。本当に大したものです。この人の作品をもっと観たいと思いました。今後が楽しみです。

当日の場内放送ではリピーターチケットがあるとかのアナウンスがありましたが、日程的にリピートできなかったのが本当に残念でした。もっと前に観劇していればと悔やまれました。

~配役です~
ヨハネス・ブラームス‥‥‥‥‥‥‥‥朝夏まなと
ロベルト・シューマン‥‥‥‥‥‥‥‥緒月遠麻
クララ・シューマン‥‥‥‥‥‥‥‥‥伶美うらら
イーダ・フォン・ホーエンタール‥‥‥‥純矢ちとせ【音楽界の御意見番。通称「伯爵夫人」】
ヴェラ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥花音舞【ハンブルクの酒場の女将】
ヘルマン博士‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥風羽玲亜【ロベルトの主治医】
カタリーナ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 花里まな【晩年のブラームスの家政婦】
ヨーゼフ・ヨアヒム‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 澄輝さやと【名ヴァイオリニスト。シューマン家の友人】
ルイーゼ・ヤーファ‥‥‥‥‥‥‥‥‥すみれ乃麗【実在の女性に名を借りた架空の人物。クララのピアノの生徒】
ベートーヴェン?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥凛城きら【ベートーヴェン?】
オットー・ヴェーゼンドンク‥‥‥‥‥‥ 松風輝【ジュネーブの銀行家。音楽の有力なパトロン】
フランツ・リスト‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥愛月ひかる【ロマン派のピアニスト、作曲家。「ピアノの魔術師」の異名をもつ】
レオノーラ・ゼンフ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥結乃かなり 【ライプツィヒの音楽出版社の社長夫人】
マティルデ・ヴェーゼンドンク‥‥‥‥‥夢涼りあん 【ジュネーブの銀行家夫人】
ユリウス・グリム‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 美月悠【作曲家志望の青年。シューマン家の友人】
リヒャルト・ワーグナ‥‥‥‥‥‥‥‥ 春瀬央季【ロマン派オペラの頂点に立つ作曲家。「楽劇王」と呼ばれる】
カロリーネ・フォン・ヴィトゲンシュタイン‥真みや涼子【ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人。リストの愛人】
エミール・シューマン‥‥‥‥‥‥‥‥ 秋音光【シューマン家の長男】
フェリックス・シューマン‥‥‥‥‥‥‥ 花菱りず 【シューマン家の次男】
ユリー・シューマン‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 遥羽らら【シューマン家の長女】

で、それぞれの配役ごとに。

まずブラームスの朝夏まなと。もういうことなしの演技と歌でしたね。

最近観た「銀河宇宙伝説」とか「モンテクリスト」とか、あの恐怖の化石脚本/演出(笑)の「風と共に‥」で受けた印象とはまったく別人のような今回の演技、脱帽でした。
演技の隅々に細やかな心理描写が込められていて、抑制のきいた演技でしたが、光っていました。もうしょっぱなから感情移入しまくりです。







クララと本当はどうだったんだとかの下司の勘繰り(笑)が入る余地のないほど、芸術にひたむきな朝夏ブラームスです。
この人については、これまでの舞台印象は完全にリセット。ブラームスが夫妻の子供たちと遊ぶ姿など、本当に子供好きだろうなと思うほど。繊細で多感で芸術に賭ける純粋な魂を持った青年ぶりが見事でした。
説得力のある演技と歌、そして容貌、それらすべてが完璧にブラームスしていました。

対するクララ役の伶美 うらら

この人もぴったりの役どころ。もう「肖像画にあるクララのイメージそのもの」(プログラム・上田久美子「翼ある人々」より)でした。クラシックな髪型に細面がよくマッチしていて、しかも豪華だが上品で趣味のいい色合いの衣装。しっとりとした中に情熱を秘めた演技。ハマリ役でした。キャパで見た演技よりもこちらのほうが数段よかったです。




ロベルトを支え、自らも芸術に対して期するところがありながら、一家の中心として生活のやりくりに追われる気丈な人妻を演じて見事でした。今のタカラヅカでクララ役はこの人以外には考えられないと思いました。台詞も立ち居振る舞いも言うことなし。
ただ惜しむらくは歌。さらに精進してほしいですね。

そしてロベルト・シューマン緒月遠麻です。

人格者で、懐の深い、誠実そのものなロベルト。ぴったりでした。
ただ彼の内面はというと、創造力の衰えを自覚し始めていて、新たな才能の台頭に焦りながら、自身どう進むべきかを模索しつつ、音楽界のさまざまな抗争や葛藤に巻き込まれて苦悩しています。さらに妻に言えない持病にも苦しめられています。その姿には、こちらのほうも辛くなりますね。
彼女は最近こういう陰影のある役が多い感じですが、今回も複雑な人間像を味のある演技でこなしていてさすがでした。
Good Job!です。




儲け役といえるのがヨーゼフ・ヨアヒム澄輝さやと。おいしい役ですね。いち早くブラームスの才能を見抜き、シューマン家に紹介する役です。晩年にも登場するなど、出番も多かったです。
名ヴァイオリニストとのことですが、なかなか演奏ぶりも板についています。(笑)



遊び人でもクララに師事している令嬢ルイーゼ(すみれ乃麗)にはぞっこんなのが面白いですね。

力まず自然な演技でブラームスやシューマン一家に気を配るところなど、良かったですね。

もう一人シューマン家にからむ役がルイーゼ・ヤーファ役のすみれ乃麗。実在の女性に名を借りた架空の人物だそうですが、芝居ではクララのピアノの生徒でブラームスに恋心を抱く令嬢です。この人もヨーゼフと一緒に最後にも登場します。ブラームスを慕う乙女心をよく演じていました。衣装も令嬢らしく豪華で典雅。老け役もぴったり決まってよかったです。再評価です。




何度も言いますが、今回の舞台衣装は演出家の趣味でしょうが、色あいが素晴らしい。「風と共に‥」などとくらべたら月とスッポンの出来です。ただ、子供たちの服だけは最後まで着たきり雀でかわいそうですが。^^;

ブラームスとは対極に位置しているのが愛月ひかるフランツ・リスト
キザで奇を衒ったアクロバティックな演奏ぶり、自信満々で鼻持ちならないスノッブ。そんな嫌なヤツですが、話が進むにつれて結構影があったり、やさしいところも垣間見られたりで、存在感のある演技が光っていました。濃い役が似合っていました。
画像がなくてすみません。m(__)m

今回の舞台で一番のツボだったのが、リヒャルト・ワーグナー春瀬央季。(余談ですが、今のタカラヅカの芸名、「央」とか「愛」とか「舞」とか「羽」などの漢字や、「ラ」行の平仮名が多いですねぇ。)
さておき、ワーグナーが登場したとき、長身と目立つ容貌にびっくり。おおっという感じで目立っていました。
口数が少なく(セリフが少ないからですが^^;)出番もあまりありませんが、舞台に出てきただけでそのインパクトはすごいです。黙って立っているだけでも雄弁。今後の舞台、要チェックですね。


笑いを誘っていたのは「ベートーヴェン?」の凛城きら。「偽作曲家」が話題になっている時だけに、なかなか微妙なタイミングですね。今回の狂言回しともいえる役ですが、なかなかの楽聖ぶり(笑)で、楽しませてくれました。
当時の音楽家たちが直面していたポスト・ベートーヴェンという課題を体現していていい演出だと思いました。

あと、さすがの歌と演技だったのが音楽界の御意見番で通称「伯爵夫人」のイーダ・フォン・ホーエンタール役の純矢ちとせ
貫禄ありまくりの存在で、さもありなんというところです。歌も言うまでもない出来ですが、もっと歌ってほしかったですね。
そういえば今回の舞台は歌が少なかったですが、その分セリフで話が掘り下げられていたのでよしとしましょう。

これ↓はスカイステージの突撃レポートの司会の画像です


その他の役もみんな頑張っていましたが、中でもヨメさんは晩年の家政婦カタリーナ役の花里まなを誉めていましたね。若いのによくやっていると感心しきり。この人も要チェックだそうです。

フィナーレのダンスシーンも落ち着いたいい雰囲気で、この舞台の締めくくりにふさわしいものでした。


本当に今回は、登場人物の造型が的確で見事です。それぞれの人となりがリアルによく伝わってきました。加えてセリフがよく練り上げられていて無駄がなく、幕が上がってすぐに話に引き込まれていきました。こういう舞台はなかなかありませんね。

とても新人演出家のデビュー作と思えないほどの完成度で、素晴らしい出来でした。私たちの予想をはるかに超えるいい舞台で、満足の一日となりました。絶対お勧めです!






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バイク用バッテリーのナゾ なぜ5年で寿命?

2014年02月11日 | バイク
何度かブログで取り上げているスパーダですが、1月になってコンディション維持のためにエンジンをかけようとセルモーターを回したら、スターターリレーがジィーッいうだけで回りません。普通ならここで、ああバッテリーが寿命かと判断しますが、私はリレーが故障と思い込んで、分解するわ中古部品をオークションで手に入れようとするわの騒ぎでした。
なぜそんな間違いをしたかというと、バッテリーはまだ5年程度しか使用していないからです。

「普通5年だととっくに交換していても当然だろ」と思われるかもしれませんが、我が家のバイクバッテリーでは「短命」です。

というのは、AF34・Dio50ccのバッテリーは6年使い続けてまだまだ絶好調。

アドレス110に至っては、新車時に搭載されていた2005年3月製造刻印のあるバッテリーがまだ現役です。
たなみにこのバッテリーは、最終生産型のみに装着されていた型番が少し特殊なものです。でも要はちょっと容量が増えただけ。もちろん従来型とも互換性あり。
なので、スパーダに搭載の2008年5月製造のバッテリーが使えなくなるわけがないと思い込んでいたのです。

ところで以前にも書きましたが、我が家の車両用補機バッテリーはすべてサルフェーション対策でバッテリーパルサーを装着しています。もちろんプリウスにも。
Dioはこんなふうに




アドレス110はこんなふうに








スパーダはこんな形です


バイク用パルサーはこの商品を使っています。選んだ理由は近くの代理店で購入できるから。


これでバッテリー劣化の原因である極板への硫酸鉛結晶の付着を防止しているので、寿命が延びるというわけですね。
ただし、パルス発生のための電気が必要なので、フロート充電機能付き充電器と並列に常時接続して消費分を補っています。
これで万全のはずでした。

というわけで、5年で寿命はあり得ない!と頭から思い込んで、スターターリレーの不良と即断。
その結果、悪くもないスターターリレーの分解とか、某オクでゲットした中古品と交換という愚行の数々。(泣)
元のリレーの方がきれいです。^^;


それとバッテリーの見かけの電圧が高かったというのも判断ミスの一因ですね。

バッテリーの状態は高価なバッテリーテスターを使えばすぐ診断できますが、何せ高いです。診断できても治療はできないのでコスパ悪いし。
もっと簡便で、かつ正確な方法としては、電解液の比重を図ることですね。一目瞭然です。
でも昔の開放型のバッテリーならいざ知らず、今はほとんどがメンテ不要のシールドタイプ。このタイプは開放型バッテリーと構造が大きく違い、流動可能な電解液が少ないです。
電解液はゲル状にセパレータに含浸されていて、また外部の大気と遮断するためにゴムの制御弁がついていたりする密閉構造なので、私のような低スキルな者では電解液の比重測定などまず無理。

結局、リレーを交換しても同じジジジという症状だったのでようやくバッテリー不良を疑うようになりました。早速同型式のバッテリー(TX7L-BS)を手配することにしました。
↓旧バッテリー


でも、普通に店頭で買えばこのバッテリーだと12K円程度しますね。で、いろいろネットで探していたら、輸入品では4K円程度で入手できることがわかりました。メーカーは同じユアサでした。

1月9日に発注し、翌日には届きました。上記のとおり一応メーカーはユアサになっていますが、真偽は不明。でもバッテリーの外観上は印刷されたロゴなどがピンクから白になっている程度で形状などは同じでした。

そして後日、暇を見つけて補充電してから新バッテリーを装着しました。もちろんパルサーも。そして少しドキドキで、やっぱりリレー不良だったらどうしようとか考えながらセルボタンを押すと、びっくりするほどの勢いでセルモーターが回り、間髪を入れずエンジンがかかりました。
ほっとすると同時に、無用なスターターリレーの分解(リレーケースは分解などは想定外の固定方法でした)とか交換を心底後悔しましたね。フロート充電状態でのバッテリー端子電圧は14Vと大幅にアップしていました。

現在、中古リレーのままですが、元のリレーも置いてあるので、当分はこのままにしておきます。リレーを分解してわかったのですが、単純明快な構造なので、まず壊れることはない構造でした。外車ではソレノイドが引っかかったりするという例があるようですが、国産車の場合はまあ考えにくいです。

で、問題は、アドレス110のバッテリーがもうすぐ製造後満9年経過となるのに、なぜスパーダは5年程度しか持たなかったのかということ。
もう1台のDioのほうも、製造後満6年が過ぎても元気で、今朝も前日乗った後充電器の接続忘れのまま放置していたのですが、いつもと同様にエンジンがかかりました。

同じ充電器で同じパルサーなのにこの差は何か?

考えられることは、乗車頻度の違いですね。スパーダは年間で春から秋にかけて数回程度しか乗りません。それに比べるとアドレスとDioは日常使用です。晴れたときはアドレス、天気が悪そうなときはDioと使い分けて(笑)週2~3回は乗っています。
これがバッテリーにどう影響するのかまだわかりませんが、常時微弱なフロート充電で放置状態を続けるだけではバッテリーの劣化防止には不十分で、定期的に乗って発電機から13.5~14.5V程度の電圧をかけてやることが必要なのかもしれません。

というわけで、今後はもっと頻繁にスパーダも連れ出してやろうという、あまり意味のない結論になりました。^^;
それと、ときどきシールドバッテリー対応充電器で数時間14V程度のカツ入れ充電をするのもいいかもしれません。

それで早速1月31日に近くの周回コースを走ってみました。



コースの大阪と奈良との府県境の里山では、早くもオオイヌノフグリが可愛らしい花を咲かせていました。


その傍らにはホトケノザのつぼみも色づいていました。


その後は降雪があったりしてまだまだ寒いですが、我が家の紅梅もやっと咲き出して、春の気配も確実に感じられます。


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神戸市立博物館「ターナー展」を観て

2014年02月06日 | 美術館を訪ねて
今年2回目の展覧会として、2月1日に、神戸市立博物館で「ターナー」展に行ってきました。

ターナー展開催のニュースなどを聞いても当初余り気乗りしなかったのですが、それは画家だけでなく、神戸周辺は道路の渋滞とか、前回の「マウリッツハイス美術館展」みたいな入館待ちの長蛇の列だったらとか、周辺の駐車場探しも難儀しそうとか、行きたくない理由も多々ありました。

でもヨメさんは観たそうにしていたし、当日朝、途中の高速道路や博物館周辺道路の状況をチェックしたらそれほど大した渋滞もなかったので、思い切って行くことにしました。

ところが道路は渋滞ゼロ、あっけないほどよく流れていて、50分程度で神戸に到着。10時の開館時間を少し過ぎたぐらいに博物館につきました。駐車場も最短距離のタイムズに停められたうえ、博物館前にも誰も並んでいません。去年とはえらい違いでした。ちょうど今頃が中だるみなのでしょうか。

駐車場から車椅子を押して博物館前に行き、看板の前で写真を交代で撮っていたら、近くで荷物を車から下ろしていた若い女性がニコニコしながら近づいてこられて、「一緒にお撮りしましょうか」とありがたいお申し出。自然な親切が身に染みました。お言葉に甘えて撮ってもらってから館内へ。


この博物館はまだ2度目ですが、館内の施設のレイアウトがわかりやすく、サインも各所に表示されているので迷うことはありません。その上親切なスタッフが大勢配置されているので快適に移動できます。エレベーターの配置もわかりやすいです。
この辺は、兵庫県立美術館の迷路のような不便さとは対極にあります。

チケット売り場に行って障害者手帳を提示したら、本人と付添1名は無料とのことでちょっとびっくり。
公共施設の場合ではこれは普通のことですが、上記の兵庫県立美術館では割引はあっても無料ではなかったので、神戸の施設はどこも同じだろうと思い込んでいたのです。温かい印象がさらに強くなってホッコリ気分で会場へ。
入口で音声ガイド@500円を借りて、鑑賞開始です。

博物館内で配布されていた子供用の鑑賞ガイドですが、よくできています。


展示作品はロンドンのテート美術館所蔵のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851年)の油彩画・水彩画・スケッチなど計113点。
展示会場は「初期」「「崇高」の追及」「戦時下の牧歌的風景」「イタリア」「英国における新たな平和」「ヨーロッパ大陸への旅行」「ヴェネツィア」「色彩と雰囲気を巡る実験」「後期の海景画」「晩年の作品」の9つのセクションに分けられていました。

今回は観客はそれほど多くなく、車椅子でもよく観ることが出来ました。

以下の絵は私たちの印象深かった作品です。
当日購入した絵葉書からスキャンしました。
「セント・ジョン村からハモウズの入江を望む、コーンウォール」(油彩)

(セント・ジョン村はコーンウォールのプリマスの近くに位置しています。)

河畔の家、木立と羊の群れ」(油彩)↓


田舎の鍛冶屋」(油彩)↓風景画の多いターナーですが、こんな民衆の生活を描いた絵も描いていたのですね


スピツトヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」↓
これは上の「子供のための鑑賞ガイド」からの画像なので小さいです^^;


スカボロー」(水彩)

(このスカボローは行ってないですが、近くのウィットビーはたまたまバンクホリデーの時に行ってえらい目にあったことがあります。(^^;)


こうやってみると「戦時下の牧歌的風景」に気に入った絵が多かったですね。

イタリア」コーナーでは、「ヴァティカンから望むローマ」(油彩)に人気が集中していました。ラファエロが描かれていたりします↓



ヴェネツィア」コーナーでは「ヴェネツィア、嘆きの橋」がよかったです。ただ、今回観た限りでは、ターナーは余り人物のデッサンが上手くない感じでした。


観て回って感じたことですが、やはりターナーの絵は予期した通りでした。
一目見た印象は、デジカメ画像で例えればコントラスト・彩度・ガンマ値が低くてくすんで眠い感じが強い(笑)のと、絵そのものもあまり魅力的な題材でないのが多いと思いました。
でもすべてがそうではなくて、例えば「レグルス」は画面からあふれ出てくる光が眼を引いてインパクトがありますね。
レグルス」↓


ただ、今回の感想としては、油彩の大作よりも画集のために描かれた水彩の原画群などのほうが魅力的な作品が多かったです。でも小品のせいか絵葉書がなかったのが本当に残念。

油彩では風景画より帆船や海を描いたもののほうが好みでした。
でもその帆船、上記の拿捕されたデンマーク船の絵は船の形が正確ですが、「トラファルガー海戦のための第二スケッチ」の戦艦は当時も批判された通り子供の絵みたいな出来。この落差には驚きでした。

風景を描いてきたターナーも、晩年の絵になると何が描かれているかわからないほど形が朦朧としてきています。
これは晩年に属する「平和-水葬」という絵です。帆ははっきり描かれていますが、他はかなり輪郭がぼやけてきて代わりに光の表現が強くなってきています。


そして最晩年のこれなどは、一応「湖に沈む夕陽」とされていますが、実際のところターナー本人が何を描いたのかははさだかではないとか。

まるでルノワールみたいで、ほとんど別人の絵になっていますね。
こういう変化をたどってみるのもまた面白いかもしれません。
もうひとつ興味深かったのが、ターナーの人間臭いところ。パトロンの意向に沿うべく苦心して絵を描いていたのがわかって親しみを感じました。早い話、彼の絵画制作動機にはかなり打算的で俗っぽいところがあります。

今回の展覧会、油彩画が少ないのが物足りない感じでしたが、これでもかなり大規模な回顧展だそうです。
まあ昔観たレンブラントとかドラクロア、モディリアーニクラスの展覧会になると観終えてかなり疲れたりしますが、今回は幸か不幸かそれほど疲れなくて(殴)よかったです。
まあ会場が空いていて、観やすかったことも多分に影響していますが。

会場の出口のショップで絵葉書@150円を6枚買ってからトイレへ。そして前回同様また昼食のために館内のカフェ「エトワール」に行きました。
前回の超混雑の展覧会でも空いていた所なので、安心して店内へ。

期待した通りの落ち着いたレトロな雰囲気の店内で、ゆったりくつろげました。


私はミックスサンドウィンナコーヒー(久しぶりでした)を注文しましたが、どちらもおいしかったです。


駐車場に戻って道路に出るときも相変わらず周辺道路は空いていました。
阪神高速も全く渋滞はなく、往路と同じ所要時間で帰宅できました。いつもこうあってほしいのですが。

出発前のプリウスの燃費表示は24.9km/lでしたが、帰ってガレージに入れた時点では26.2km/l。冬では望外の好燃費でちょっと満足。




コメント (2)
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万葉文化館 「絵画で綴る大和古道」を観て

2014年02月03日 | 美術館を訪ねて
ここ数年、正月の美術館詣では西宮市立大谷記念美術館と決めていたのですが、あいにく昨年9月からの改装工事で現在閉館中。
しかたなく(殴)、今年は万葉文化館「絵画で綴る大和古道」展を観に行くことにしました。


ただ、これまで何度か万葉文化館について書いてきたとおり、この施設もご多聞に漏れず、予算削減で以前のような気鋭の画家による企画展が大幅に減って、代わりに館蔵品による展覧会が開催される状況になっています。今回の展覧会もその流れで、館蔵品展なので、私たちもあまり期待せずに出かけました。第一、展覧会のテーマが道。道がテーマの展覧会となるとどうなるか、あまりいいイメージがわいてきませんでした。

自宅から飛鳥までの道は正月明けでいつもより車も少なく、50分程度で到着。駐車場も通常よりさらに車が少なく閑散としていました。


人気がないのは館蔵品だけの展示なのでみなさんも二の足を踏んでいるのだろうと思いながら入り口に向かいました。
館前の庭園も冬枯れで、わずかにウメモドキだけが色を添えていました。


冷え込みも強かったので早々に館内へ。会場入り口でいつものようにアリバイ写真を撮ってから(笑)観覧開始です。
ところが、展覧会場に入ってチラ見しただけでよさげな作品が目に入り、期待が一挙に高まりました。うれしい誤算みたいです。
展示会場の床には大和古道を描いた古地図「大和國細見圖」の拡大コピーが貼られているなど、いろいろ工夫されていました。

今回の展覧会では上記の「絵画で綴る大和古道」をテーマに、これまで館が蒐集した「万葉日本画」と、別に寄贈を受けた絵画や展示資料も公開されていました。また、会期中の前期と後期で展示を入れ替え、合わせて計100点余りの館蔵品を陳列展示する予定とのことです。


入り口に最も近いところに展示されていたのは平山郁夫の「額田王」。この絵の制作過程は館内のミニシアターで見ることができます。
ただ、この絵は余り好みではありません。(笑)

以下の画像は館内のショップで買った絵葉書をスキャンしたもので色調も正確ではありません。掲載も実際の展示順ではありません。
良かったのはまず「夢想」です。作者は市原義之。以前にも観ていますが、いい絵は何度見ても飽きませんね。


明日香川夕照」(作・奥田元宋)も何度か観たことがありますが、印象に残る絵です。


それ以外では、「早蕨」(作・平岩洋彦)とか


似たテーマですが、「山川の瀬音」(作・岡 信孝)もわかりやすい絵(笑)でした。


この絵も好みです。「秋風」(作・林 潤一)です。


でも、今回の展覧会で一番良かったのは、「曽爾冬静」(作・久保嶺爾)です。遠目でも真っ先に目に入ってきました。で、帰宅する際に館内ショップで絵葉書を探したのですが、残念なことに絵葉書化されていませんでした。

描かれている曽爾(そに)高原は、私のホームグラウンドみたいなもので、学生時代は四季折々に十数回通っていました。
ただ近年、観光開発の影響か、現地は私が行っていたころとはかなり違う雰囲気になっていて足が遠のいています。
でも今回のこの絵では、私の記憶している曽爾高原がそのまま描かれていて、懐かしくて足を止めて見入ってしまいました。
ただ絵に描かれているような馬の放牧はなかったですが、これはあくまで画家の心象風景ですからね。でもよく似合っていました。

この画家の絵はもう一点、「神の池」が展示されていて、深みのある色彩のいい絵です。


もう一つ、今回の展覧会での収穫は「多武峯遠望」(作・上田勝也)でした。こんな作品があったのかとびっくりのいい絵でした。ですが、これも絵葉書は作られていないので、ぜひ並んで展示されている「曽爾冬静」とともに直接会場でご覧ください。万葉文化館さん、ぜひ絵葉書作成をお願いします。m(__)m
後でわかったのですが、この作者の回顧展が2006年にここで開催されていますね。このころから明日香に通い始めたはずなので、私たちも観ていると思うのですが記憶がありません。本当に物忘れがひどいです。

最初に書きましたが、今回の展覧会、上記以外も館蔵品選りすぐりのいい絵ばかりで、観終わって結構時間がたっていたのに気づくほど堪能できました。
でも何しろ観客が少ない!車椅子を押しての鑑賞には見やすくてありがたいのですが、少なすぎるのもいささかさびしいですね。
現在(2月3日)前期展示分から20点入れ替えられていますので、わたしたちもまた観に行くつもりです。

3月2日まで開催されていますので、みなさんも飛鳥に来られた際はぜひお立ち寄りください。
周辺にも名所旧跡が点在しているし、ゆったりいい絵が鑑賞できるのでお勧めです。


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