思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

🔷 久しぶりに青山高原へ 🔷

2019年11月04日 | 日記
先日納車されたプリウスPHV GRsport。まだ慣れないので、午後から突然思い立って、青山高原に行ってきました。

早く車に慣れたいのと、少し遠出したら燃費はどうかなと思って。

なぜ30プリウスからPHVに乗り換えたかというと、高齢者の事故が相次いでいることから、高齢者の免許更新には安全運転アシスト装備の車が必須となりそうな雲行きになってきているから。来年、後期高齢者目前で免許更新をしなくてはならないので、9年乗って愛着のある30プリウスですが、乗り換えることにしました。

自宅から青山高原までは往復180kmでした。


往復とも所要時間は1時間20分ほど。距離から考えるとかなり速いペースで往復できました。

青山高原には3年前からドローンを飛ばしに計4回行っていましたが、今回ナビが案内してくれた道がベストでした。

こんな道がいつの間に?と思うほど快適なコース。

車の安定性の劇的な向上とも相まって、以前に比べたら大幅に疲れが減少しました。ただ少し路面の荒れた田舎道ではやはり硬さを感じましたが。

前に青山高原に行ったのはすべて平日、Fがデイケアサービスに行っている時間内でした。その時は他に客もおらず閑散としていて、ここはもう枯れた観光地なのかと思っていたら、今日は盛況。ビックリでした。

高原は帽子が飛びそうになるほどの強風で、そのせいで発電用風車がビュンビュン回転していて、これまでゆっくり回っている光景しか見ていなかったので、近くで見ると大迫力。

快晴で、強風のおかげで空気も澄んでいて、駐車場から伊勢湾も見えました。写真をよく見ると対岸の知多半島の山々らしいシルエットも。スマホのカメラ、すごいです。

また高原への途中の車窓からは、懐かしい室生火山群の個性的な山容や、伊勢・局ヶ岳の鋭鋒がよく見えました。

それらを見ながら走っていると、若き日の山歩きの記憶が甦ってきました。でももう伊賀には誰も住んでいません。
まさに「思還故里閭 欲歸道無因」となりました。

3連休帰りの渋滞が気になり、2時過ぎに帰途に就き、3時半には帰宅。

燃費ですが、往路の名阪国道の友生ICを出たあたりからエンジンが回りだして、普通のハイブリッド車になりました。(笑)
帰宅時は32km/lの表示でした。

そして走行用バッテリーはほぼ空の状態。充電するようアナウンスされました。
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🔷 今日の出来心は‥ 🔷

2019年11月02日 | 買物メモ
スマホを換えて、それに付いてきたイヤホンでHUAWEI NMカード(128GB!)に入れたMP3を聴いていました。

でも音がやはり物足りない。で、調べたらさすがに今時は便利なものがありますね。


フルワイヤレスで音質もよく、おまけにケースごとスマホ同様ワイヤレス充電できて、電話がかかってきたらハンズフリーで電話の応答ができるイヤホン!



Bluetoothも距離が離れてもよく飛んで(これはスマホのBluetoothチップがいいからかな)、全く途切れない。

それで5,000円しないというから恐れ入ります。

更に、聴き始めたら、スマホの音楽再生アプリが自動的にカシオのプロトレックでコントロールできるようになるというのも、便利というか、めんどくさいというか。(殴)

Bluetoothのデイジーチェーンです。


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🔶 公立福生病院透析中止事件のこと 🔶

2019年11月01日 | 日記

雨宮処凛さんが公立福生病院透析中止事件についてわかりやすく書いていると友人が教えてくれました。

確かに書かれていることは論理的で明快でした。でも、それでもなお、何かモヤモヤとしたものが残っていました。

そのモヤモヤは、どうして担当医が、途中から患者が透析再開を望むようになったのに、その声を無視し続けられたのか、苦しむのを見ながら頑として透析再開を拒否し続けられたのはなぜか。

彼の「確信」はどこからきているのか。

担当看護師も、医師の指示に従ったとはいえ、ありえないほど大量の鎮静剤を投与し、その結果患者の死を早めたのに、その後も平然と自分の行為を正当化できているのはなぜか。

ここが理解できなかったのです。

今日もずっとこれまでに入手したいろんな資料を見ながら考えていて、ようやくひとつ答えらしいものが見えてきました。

担当した医師と看護師は、「人工透析患者は助からない終末期の患者。人工透析は患者の負担になるだけで、無意味で無駄。ただ延命しているだけ」と考えていた。人工透析は治療などではなく、いずれ来る死を先送りしているだけだと。
だから今回患者が人工透析をやめると「意志表示」した(実は誘導した)のは極めて合理的で理性的な判断で正しい、これは最大限「尊重」しよう、そうするのが自分たちの唯一無二の使命だと彼らは考えた。

この「確信」に支えられていたからこそ、透析中止で苦しみ喘ぐ患者が必死で透析再開を訴えても、せっかくの「賢明な判断・意思表示」が呼吸困難や苦しさなどで揺らぐことがあってはならない、だから鎮静剤で楽にしてあげようと大量投与して、死に至らしめた。

これらはあくまで「人道的」で正しい行為だった。

根本的に間違っている「確信」ですが、こう思っていたから最後までブレずにあんな酷いことができたのでしょう。

つまり「地獄への道は『善意』で敷き詰められていた」。

さらに恐ろしいのは、学会がそれを追認し合理化し、普遍化しようとしていることです。「生」を切り捨て、「死」を美化する風潮があらゆるところに存在している今の日本社会を象徴する事件だと思います。
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