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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] 気になるニュース 2010/03/15

2010-03-15 20:29:37 | ブログ情報(News Release)
どうでもいいエントリを[つぶやき]シリーズ化

気になるニュース。

石川県知事が5選。
さすが保守地盤の石川。
県民自らが変革を選ぶことはない。

米国でのトヨタ問題。
アメリカのトヨタ叩きがやりすぎになってきた。
所詮アメリカという国はどこまでいってもアメリカン・スタンダードな国なのだが、それにしても日本政府はトヨタがどれだけ税収と雇用をもたらせているかに関係なく、トヨタの擁護をしないつもりなのか。
そんな国、一体誰が好きになるのだろう。
トヨタ労組出身の経済産業大臣は何をしている。

核密約問題。
たいした問題ではない。
岡田大臣が明らかにする前から、密約があったことは日本人の誰もがわかっていたし、密約があったからって何か方針を変えることでもないことはわかっていた。
我々が知りたいのはもっと大きな観点からの安全保障政策だ。

鳩山邦夫が自民を離党。
個人的な鳩山邦夫に対する感情はよくなかったが、「かんぽの宿」問題で徹底的に悪化した。
これは非常にローカルな話だが、私は麻生政権発足時、中川昭一、鳩山邦夫、与謝野馨の3人は即刻大臣から更迭させなければならない閣僚と主張していた。
事実、その後の顛末はというと、その3人は麻生政権崩壊の引き金になった。
(そもそも麻生太郎が総理になることにも反対ではあったのだが)
「正義が」なんてことを声を大にして言える者に坂本龍馬をやれるわけがない。

そして極めつけはこれ。
(小幡績氏のブログで見つけたのだが)

素っ裸健康術
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=21327&from=yolsp

私に足りないものはこれだったのか。

河村名古屋市長の減税思想に感激する

2010-03-15 12:33:20 | 政治
最近「つぶやき」レベルのエントリが急増中です・・

河村名古屋市長の主張が素晴らしすぎる。

日本で数少ない民主主義論者で、彼の「減税」思想は鋭く本質的。

日本人が思考停止している「税」の問題を直視している。

国会議員時代の彼には全く興味がなかったが、名古屋市長就任後は俄然注目が高まります。

みんなの党のヨッシーよりも、河村たけし氏の方が本質的な行政改革ができそうだ。

市長の部屋
http://www.city.nagoya.jp/mayor/

↑リンク先は全く関係ないけど・・

自分を語ることの難しさ

2010-03-15 11:43:59 | 恋愛
昨日は子供が深夜に体調を壊してしまったので寝不足だ。

昼間は絶好調だったのに。

それが予兆だったのか、今日は朝からおかしい。

諦めかけていた物事がうまく進みすぎている。

季節の変わり目の影響なのだろうか。

人の心の移ろいを肌身で感じている。

卒業シーズンは何が起こるかわからない。

一つの物事だけがうまくいくならまだしも、3つ同時である。

偶然が重なるとしても、事故も奇跡的な確率で起きるとはいえ、

これは明らかにおかしい。

ここから読み取れるメッセージはなにか?

これは「バブル」か。

「バブル」には自然均衡点に戻ろうとする力が働く

上がって、落ちて、また上がって、また落ちる

今がピークで、これは罠か?


人生が難しいのは、自分の予測が最も難しいからだ。
達観した仙人レベルでないと自分のことは客観的に見ることができない。

だめだ。
気持ちが盛り上がれば盛り上がるほど、客観を離れていく。
客観には楽しさはないからだ。
ちくしょう。
どうすりゃいいんだ。

「ムラ社会」と「マッチョ起業」

2010-03-14 21:30:28 | ビジネス
どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。(My Life in MIT Sloan
)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/bc5334feeac78f36c238c20608c92325

激しく同意ですよこれ。
ほんっとマッチョさ求めてくる人に嫌気がさします。
マッチョ求める人っていつも偉そうに上から目線ですよ。
自分が賢いと勘違いしている人々が多いのも特徴ですね。
今度から当Blogでは上から目線で新しいことを見下す人を「マッチョマン」と呼ぶことにします。
(マンはジェンダー的に問題ありなのか・・マッチョパーソン?マッチョ?)

まぁ感想はそれはそれとして。

既定の路線とちょっと違うことやろうとすると、ものすごいコストを求める国なんですよ。
日本という国は。

「場の親密性」を共有することを求めるのです。
共有できる関係の中だけで考えれば、安定して安全だからね。
だから、強制する。
「ムラ」を創るわけ。
安定を壊すやつは「村八分」にするわけです。

「ムラ」だけで生活できる分にはいいですが、残念ながらグローバル化はそれを許してくれないのです。
だが、未だに「ムラ」を強要する文化は日本のいたるところに溢れています。
犯罪の抑止など必ずしもデメリットばかりではないので、うまく「ムラ」が進化できるといいのですが、「新しい公共」なんかもその一つなんかだと思いますが、まぁうまくもいかないみたいです。

とりあえず、私は小さい頃から「ムラ」社会が大嫌いだったので、うまいところ考えていけたらいいなと考えている次第です。

未来

2010-03-13 02:01:15 | スピリチュアル

宇宙に強いも弱いもないけれど

なんとなく人は弱いと思う

少なくてもそう感じることは多い

ほんとかどうかもわからないし

弱さを説明する言葉も知らないけれど


自分にできることといえば

語ることぐらいだ

語ったところで何かを表せるとは思わないけれど

今日も馬鹿みたいに繰り返して

それでもただ黙っているより

その方がずっと気持ちがいいから


何にどれだけ価値があるかなんてことは

結局誰にもわからないんだけど

絶望しなくていいんじゃないかな

希望がある

未来があるから


何が正しいかなんてことに一生懸命になるから

人は自分の間違いから逃げたくなるのさ

でも逃げることができなくて誰かのせいにする

人は本当に不思議だ

今日悲しみに打ちひしがれながら

明日に希望を持ちたがる

わがままさ


いいじゃないか

正しくなくたって

弱さを語ればいいのさ

気が向くままに

歌えばいいのさ

力の限り声を張り上げて

それが他の誰でもなく

自分を感じる唯一の手段さ


絶望するしかなかった世界を

未来が照らしてくれる

ほらすごいじゃないか

全てを突き動かす奇跡さ


「暇」と「宗教」どちらが先?

2010-03-12 19:14:58 | 哲学・思想
ギョベクリ・テぺ(Gobekli Tepe)遺跡のこと(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/03/gbekli-tepe-c82.html

ネットで有名な文科系の知識リソースの一つに「世界史講義録」(参照)があり、はてなブックマークでは5000近いブックマークがされている。

私も楽しませていただきました(笑)
http://www.geocities.jp/timeway/歴史を読むのは下手な小説を読むよりずっと面白いのです。

さて、極東ブログのエントリ内でfinalvent氏が述べているのは「農耕と宗教と、どっちが先か?」というものです。

世界史講義録の説明は「農耕が先」になっているが、これはfinalvent氏がいうように唯物史観なわけである。
マルクス『経済学批判』の序文にはこうある。
(「宗教的大変革の時代」でも述べてることだが)


私が到達し、かつ、それ以降において、私の研究を導く原則になった一般的な結論は次のようにまとめられる。自分自身の生存を社会的に生産するために、人間は彼らの意思からは独立した、さだめられたさまざまな関係にはいらざるをえない。つまり、それは、さまざまな物質的な生産力の発達段階に対応しているさまざまな生産関係である。これらの生産関係の全体は社会の経済的な構造をなし、その上に法的・政治的な上部構造を生じさせ、社会的意識の特定のかたちが対応する現実的な土台である。物質的な生命を生産する様式は社会的・政治的・知的生活の一般的なみちすじを規制する。彼らのありかたを決定するのは意識ではなく、彼らの意識を決定するのは彼らの社会的なありかたなのだ


それに対して、finalvent氏はギョベクリ・テぺ遺跡の発見により、農耕より先に宗教があったとする説が有力ということを説明するわけだが、私なんかからすると、農耕より先に宗教があったことは考えてみれば当り前なのだが。

「余剰生産物が大きな文明を生んだ」という漠然とした捉え方には同意するのだが、「余剰生産物が宗教」を生んだって説明するには無理がある。
というのも「農耕」と「宗教」ではレベルが違いすぎる。
程度問題なのだけれども。

議論を深堀りするためには「農耕」は「暇」にしないとだめ。
(ここでいう「暇」は労働生産性の向上によってできる時間的余暇の意味)

「宗教が先か、暇が先か」というのは面白い問いだ。

人類の生活は狩猟/採取型から農耕革命によって労働生産性が飛躍的向上したわけだが、生産性が向上して「暇」が拡大したことによって「宗教」も拡大した。
という説明が正しいのか誤っているのかは、議論の余地があるだろう。

要は、「宗教」の元となる精神性のようなものが先天的に人間にビルドインされているものなのか、それとも人間に考える時間ができたから宗教が生まれたのか。

[トヨタ]フェイルセーフは難しい

2010-03-12 12:31:53 | ビジネス
最近のエントリは質が・・

フェイルセイフ(ある女子大教授のつぶやき)
http://iiaoki.jugem.jp/?eid=3459

近年改善が見られるものの、日本の自動車、電機産業におけるソフトウェアの立場というのは総じて低い。
どの企業の経営者もソフトウェアの重要性について語るものの、いかんせん社内に占める技術者の割合は圧倒的にメカトロニクスや電気系が多いし、また平均年齢もソフトウェア関係者の方が低いため、社内の論理としてはどうしてもソフトウェアの地位は高まらない。

マイクロソフトのビルゲイツは、ソニーに対してこういった。
(ソニーは脅威にあらずという意味で)
「ソニーはソフトウェアが作れない。」と。
それは、ソニーのソフトウェアエンジニアの能力が低いということではなく、ソニーという会社としてのソフト開発力は低いという意味であった。

また、少し前であるが、私はトヨタのソフトウェア担当役員の話を聞く機会があったので、少しこの件について感想を述べたいと思う。
トヨタも例外ではなく、ソフトウェアの立場が低かったようで、近年組織的な改変によって改善が行われてきたようである。
やはり、自動車技術の花形と言われたエンジンなどを長年やってきた人からすれば、「ソフトウェアなんて付加価値でしょ?」という認識しかなく、ソフトウェアが商品やサービスの価値を決めるという発想が希薄なのである。

これまで日本輸出製造業が世界に誇ってきたのはハードウェアの力であり、ソフトウェアの力ではなかった。
その視点に立てば、「ソフトウェアなんて付加価値でしょ?」と思うのも当然かもしれない。
「商品」をつくる「事業部」からすれば、ソフトウェアも「部品」の一つなのであり、「部品」のくせに「商品」の価値を決するかごとき論理は、彼らにとってみれば暴論なのである。


実はそれだけではなくて、新しい技術への心理的抵抗がある。
人間は「わからないこと」について寛容ではない。
知らないことを認められる人は、それほど多くなく、たいていは「よくわからない=嫌い」と情緒的判断を下してしまうのだ。
これは、ヒトが生きていくために備えた機能でもある。
人間は知らないことについて合理的に判断できない。
しかし、生きていくためには、その時々の環境に応じて判断しなければならない。
知らない食べ物、未開の土地、未知な他民族、などなどだ。
滅亡リスクを考慮にいれると、漸進的にしか行動様式を変えることはできない。
新しいものについては、少しずつ、恐れながら取り入れていくということだ。

まぁ、なんにせよ日本企業でソフトウェアの重要性が認知されてきたのは、ほんと最近のことであり、ソフトウェアに対する認識が広がるのはこれからなのである。
これは外部要因による強制的構造変化になるだろう。
幕末の黒船は、今は新興国である。

で、トヨタのフェイルセイフがどうなっているのかだ。
詳細を知っているわけではないが、思うところを述べてみる。

まず、ソフトウェアについて知っている人なら誰もが認めることであるが、「不具合ゼロは有り得ない」である。
どんなに優秀なエンジニアと、十分な資金とスケジュールを確保したとしても、不具合はゼロにはできない。
いや、これはソフトウェアに限ったことではないが、人間が作ったものに完璧など存在しない。

もちろん、ソフトウェアにも品質があって、不具合の質と量の違いは出てくる。
単に不具合が存在するといっても、致命的な不具合と些細な不具合との差はある。

当然、トヨタがつくる車に搭載されているソフトウェアにも不具合が多数入り込む。
これは、誰もが認める事実である。
だが、重要なことは「最終的に車の走行に影響がないこと」であり、不具合の有無ではない。
なので、ソフトウェアを開発するにあたっての方針としては、「不具合も想定して、最終的に走行に支障が出ないこと」であるはずだ。

例えば、これは単純すぎる例だが、
「ブレーキ制御システムに不具合がみられる場合は強制的に油圧ブレーキを効かせる。」とか。
しかし、
「Aというエラーが起きたら安全策としてA-Aという方向に倒す。」
「そうすると他のデバイスとの状況矛盾が起きるので、そちらも初期化する。」
などとやっているとその初期化処理に不具合が発生したりする。
そう、不具合処理が不具合に起こる可能性も想定しなければならない。

また、
「Aというエラーが起きたら安全策としてA-Aという方向に倒す。」
「しかし、A-Aが動かない場合はどうするのか。」
という問題も想定されるわけである。

つまり、
「じゃA-Aが動かない場合はA-Bでいきましょう。」
「でも、A-Bも動かない場合は?」
などという無限ループにはまるのである。

さらにいえば、
「AとBというエラーは想定していたが、まさかCエラーが起きるとは・・」
という話も往々にしてあるわけあ。


ソフトウェアを設計する際には「何を問題として想定するか。」ということが非常に重要となるが、これは結局「どこまでを問題として想定するか。」という問題に置き換わる。

実はこれ、当Blogで繰り返し述べている「科学」についてのお話全く同じである。
カール・ポパーの「反証できなきゃ科学じゃない。」、転じて「科学的理論はどこかに必ず反証可能性がある=完全理論は存在しない」なのである。

不具合が存在しないシステムは存在しない。
だから、システムを開発するためには、どこまでの不具合を想定するかという設計が重要である。
システムの品質の良し悪しは、その設計段階で決まるといってよく、その設計段階で失敗するとどれだけ完璧に近いプログラムコードを記述できても不具合は発生する。

ゆえに、ソフトウェア開発は知的産業なのであって、誰にでもできるわけではない。
本当に優秀なソフトウェア設計者は数が少なく、シリコンバレーなどいけば給料も高いのである。
優秀なプログラマーが優秀な設計者とはならないのである。

話がそれてしまった。
トヨタでも同様に、考えられる不具合を想定して、その場合の処理が定められている。
なので、基本的に"考えられる"不具合に対して最低限の対応はできているのである。
特に、車の場合は、どんな不具合でも、つまり想定仕切れていない不具合に対しても、システムがどう転んでも安全方向に倒すように設計してある。

たまに、その対応の仕方が、一般消費者とズレていることもある。
技術者からよく聞くのが「それは不具合ではありません、(設計通りの)仕様です。」
技術者からしてみれば、「それがいいと思ってやったのに」という思いもあるだろうが、何がいいかを決めるのは技術者だけではないので言い訳にしかならないのだろう。

最も危険なのは「想定仕切れない不具合」の、さらに想定漏れなのだが、もう話が長くなってきたのでおわり・・。

[就職]権威主義を排すると人気職業はこうなる

2010-03-12 10:01:35 | ビジネス
あくまでもアメリカの話だけど、面白い。
「権威主義」を排すると、ランキングがこうなるのか。

シリコンバレーで今最も優位な職業はソフトウェアエンジニアだそうです。
ITバブルがはじけてから、コンピュータ・サイエンスの人気は低下傾向だったようですが、最近はCSの学位を持つ人は待遇がいいそうです。

アメリカの職業別勝ち組ランキング(GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100311_best_job_in_usa/

The Best Jobs In America(http://www.focus.com/)
http://www.focus.com/images/view/7362/


柔軟性やストレス、将来性・満足度などを総合したランキングになっており、必ずしも収入が多い職業が上位にランクインしているわけではないようです。

1位はシステムエンジニアで、年収の中央値は8万7100ドル(約790万円)、最大年収は13万ドル(約1200万円)になっています。
システムエンジニア以上に収入が多い職種があるにもかかわらず、1位になるということは、最もバランスがよい職種とされているからなのかもしれません。

2位:医師助手、医師よりも助手の方がランクが上なのが意外。
3位:大学教授、
4位:ナース・プラクティショナー、
5位:ITプロジェクトマネージャー
6位:公認会計士(Certified Public Accountant)、
7位:理学療法士(Physical Therapist)、
8位:コンピューターネットワーク・セキュリティー・コンサルタント(Computer / Network Security Consultant)、
9位:情報アナリスト(Intelligence Analyst)

10位:セールス・ディレクター(Sales Director)
11位:麻酔専門医(Anesthesiologist)
12位:ソフトウェア開発者(software Developer)
13位:薬剤師(Pharmacist)
14位:作業療法士(Occupational Therapist)
15位:麻酔専門看護師(Nurse Anesthetist)
16位:ソフトウェア・プロダクト・マネージャー(Software Product Manager)
17位:IT企業アナリスト(Business Analyst , IT)
18位:弁護士(Attorney / Lawyer)
19位:内科医/一般診療(Physician / General Practice)
20位:人事部長(Human Resources Manager)
21位:上級証券アナリスト(Senior Financial Analyst)
22位:内科医/産科医/婦人科医(Physician / Obstetrician / Gynecologist)
23位:臨床心理士(Clinical Psychologist)
24位:精神病医(Psychiatrist)
25位:獣医(Veterinarian)
30位:テレコミュニケーション・ネットワーク・エンジニア(Telecommunications Network Engineer)
33位:有価証券トレーダー(Securities Trader)
34位:記載無し
35位:教育/トレーニング・コンサルタント(Education / Training Consultant)

グーグルが日本で生まれない理由 まえがきのみ

2010-03-11 13:40:58 | 経済
少し前の記事だが、こういう記事を読むと日本との違いが出ていて面白い。

グーグルの最新のデータセンターは非常識なほど進化している(Publickey)
http://www.publickey.jp/blog/09/post_36.html


記事によると、これまでのデータセンターでは、通常は外気と水冷を組み合わせて冷却し、外気温が高いときには冷房装置をさらに稼働させていたそうですが、その冷却装置を持たないデータセンターをグーグルがベルギーで運用開始したとのこと。

この記事では「でももし気候が変わって気温が上がってきたらどうするのか?」と突っ込んだ質問をしていますが、それに対するグーグルの回答はまさに非常識なものでした。データセンターにまたがって負荷を切り替える、というのです。

Google says it will turn off equipment as needed in Belgium and shift computing load to other data centers. This approach is made possible by the scope of the company's global network of data centers,

グーグルの回答は、そのときにはデータセンターの機器をオフにして、負荷をほかのデータセンターに切り替える、というものでした。これは、グローバルにデータセンターをネットワーク化しているグーグルだから可能なことです。

つまりサーバが熱くなったら冷房で冷やすのではなくて、単にスイッチを切って冷めるのを待つというのです。そこまでして冷房を節約することにグーグルはこだわっているのですね。

グーグルは5月に「The Datacenter as a Computer: An Introduction to the Design of Warehouse-Scale Machines (PDF)」という論文を発表していますが、この表題のように、まるで故障時にサーバを切り替えるようにデータセンターを切り替える、というスケールの大きさには圧倒されそうです。

しかもこの話には続きがあり、この記事ではさらに驚くべき考えが紹介されています。それは「月を追いかける(follow the moon)データセンター」というコンセプトです。

夜間は外気温も低く、また電気料金も安くなっています。そこで、世界中のデータセンターのうち、夜になっている地域のデータセンターだけを稼働させれば、低い外気温を活用でき、しかも夜間の安い電気料金を利用できます。これはクラウド技術者のあいだで議論されている構想ですが、グローバルにデータセンターを展開し、その負荷をダイナミックに切り替えられるグーグルであればそれを実現可能かもしれない


普通、データセンターには大量のサーバが設置されているので大規模な冷却システムを備えるものだが、工夫を凝らせば冷却システムを整えなくても済む。という話。
当然、データセンター毎切り替えるとなると、その分、処理能力に余剰が必要となるので、冷却システムにかかるコストと、データセンターを余分に持つコストと、どちらの費用対効果が勝るのかという話になる。
グーグルが後者を取るということは、冷却システムの方がコスト高だということなのだろう。

それともう一つの視点として、データセンターは大規模になると必要な電力量が大きくて、その電力需要を満たせる地域でないと建設できない問題がある。
安定した大規模な電力供給が必要なのだ。
その点、データセンター毎切り替える方式であれば、建設地の自由度が広がる。

だが、これが日本の場合、ちょっと変わる。
まず、データセンターは十分な耐震強度や冷却能力が備わっていなければならないと考える。
抜けのない管理体制もだ。
データを格納する「データセンター」の管理が万全でなければならないと考えるので、コストが高まり、それに従って料金も高くなり、顧客は増えない。
顧客が増えないとサービスの質は高まらず、またビジネス規模も発展しない。

一方、グーグル的観点に立つと、管理が万全であればよいのは「システム」全体であって、「データセンター」ではない。
システム全体でサービスが保証されればよいのであって、そのためのコストが低い方法を選べばいいのだ。
このあたりの発想の違いになんとも日米の差がわかりやすく出ている。

ただ、日本の場合、何か問題があると「データセンターの管理を怠った」などといって叩かれるため、経営者としてはコスト高だとわかっていても、データセンターに重きを置かずにはいられない。
前に当Blogでも述べたが、日本は入力ばかりが重要視されて、出力についてあまり目が行かないのである。
入力を揃えるということが重要で、出力がどうであったかは評価されない。
形式主義もこの一環なのである。
(それが最適であった環境があったからなのだが、ここでは説明は繰り返さない。)

で、ここまでは過去にも述べたことであるが、続きを少し語りたい。
入力と出力の認識に関する違いがどういうところに表れるかというと、「プロセスの創造性」に表れる。

どういうことかというと、入力偏重主義というのは、出力を入力によって制御しようとする試みである。
それに対して、出力に比重を置くと、入力だけでなくプロセスによって制御しようとするのだ。
入力を整えることではなく、プロセスを変える、既存のプロセスではない新しいプロセスを開発するという動きの違いになって表れる。
「プロセスの創造」である。
常識を変え、ルールを変え、やり方を変えるということだ。

組織論を語る上では、この柔軟性が非常に重要になる。
なぜ日本的組織がこの罠にはまり込んでしまうかであるが、それは日本的組織があまりにも環境に適応しようとしてしまうから、適応できてしまうからである。

日本的組織は適応能力が非常に高いが、構造変化に弱い。
適応し切ると組織は硬直化して柔軟性を失う。
だから、組織を進化させたいと思うなら、常に組織を適応しきらない状況に置かねばならない。ありがちな方法は、常に危機感を植えつけることであるが、より本質的な方法は、常に組織をオープンにすることである。

ちょっと時間がないのでここまで。
続きはまた今度。

[結婚] 「結婚」について語ろう

2010-03-10 16:44:59 | 恋愛
昨年末に恋愛ブログ宣言をしたものの、形だけで終わってしまった。
今思えば「恋愛」という枠組みが漠然としすぎていることが問題であった。

そこで、次の議論ネタを決めました。
ずばり「結婚」だ。

数回にわたり結婚について議論していきたい。
コメント求む!

余談だが、私も「恋愛工学」の学者になりたいな~。

不合理と知りながら男はなぜ結婚するのか(森川 友義)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2914

結婚のメリットは4つだという。

1、相手の独占的保有とセックス
2、自分の遺伝子を後世に遺す
3、シナジー効果による資本の増強
4、社会的ステータス

一方、デメリットも4つあるという。

1、恋愛感情の喪失
2、セックス欲の減退
3、視覚的価値の急減
4、不倫コストの大幅上昇


以上のことから、魅力ある男性が女性に対してプロポーズするというのは、かなり非合理的な意思決定なのかもしれません。男性にとっては、同棲・半同棲などの方法によって、結婚に伴うメリットだけを享受して、視覚的、性格的劣化が生じた時点で次の異性に乗り換えるというのが合理的判断と言えるかもしれません。

 女性側がそれを阻止する、つまり結婚に持ち込むには、男性が女性に欲しているものを提供することが重要となります。就職活動では「want」より「can」をアピールすることが内定に持ち込む重要な要素ですが、婚活においても「want」より「can」です。

 女性も男性に何を求めるかと考える時、私に何をしてくれるの?という要素、つまり「can」が重要と感じているはずですから、全く同じことです。


これまで私は「結婚観」を巡る議論で多くの女性の不快を買ってまいりました。
(もちろん、一般化できるほどサンプリング数が多いわけではありません)
女性にとって「結婚を分析しようとする行為」そのものが不快なのです。
(もちろん、そうではない人もいます)
しかし、このブログでは「結婚」について多いに語っていきたいと考えています。
(多分、読者のほとんどは男性と思われますし・・。)
腕がうなります。

ではまた次回

世に正義が存在すると信じる偽善、だがそれは人間の性

2010-03-10 11:12:38 | 哲学・思想
まず、最初に明確にしておくが、「何を信じるか」は個人の自由だ。
(ここでの「個人」に特に意味はない。「ひとりの人」と置き換えてもらってもよい。)

なぜ自由か?

答えは簡単だ。
厳密に言って、人に何かを信じ込ませることはできないからだ。

洗脳や強制はできるが、それでも最後に何を信じるかを決めるのはその人自身である。
このあたりを話として知りたい人は、フランクルの名著「夜と霧」を読んで欲しい。
彼はアウシュビッツの極限状態においても、最終決定権は他者にはないことを説明している。

人は、人に対して財産を剥奪し、尊厳を喪失させ、命を奪うことも、人に過酷な環境を与えることはできるが、しかし、その環境の中で、その場でどうふるまうか、という最終意思決定について強制することはできない。

「信教の自由」の権利があるとかないとか、そんなレベルの話ではない。
単純に、人に信じ込ませることはできないのだから、「何を信じるかは個人の自由」なのである。

秀吉がキリシタンに対して行った踏み絵にしてもだ。
踏むか、踏まずに死を選ぶかという選択は、本人にしかできないのである。

時の権力者が、絶世の美女の心を奪えるとは限らない。
いかに富と地位と名誉と名声があったとしても、人の心を奪うことはできない。

どのような説得力ある合理的説明を持ってしても、人を止められないことは腐るほどある。

重要なことは、「人は人にわからせること、理解させること、信じさせること、これらはできない。」ということを理解することだ。

権利章典や何かで、「信教の自由」を宣言するのはいい。
だが、その本来の意味は、「そもそも不可能だから強制すべきではない。」なのである。


さてさて、いつも通り前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題に入ろう。

当Blog開設初期にかなりこの辺りを攻め込んだが、再度ここで私見を述べる。
まず、この2つを読んで欲しい。大抵のことは理解できるだろう。

エコロジーという自民族中心主義(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51388955.html

これは偽善だ!(映画『オーシャンズ』を観て)(俺の邪悪なメモ)
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100214/p1

池田信夫氏が述べているように、キリスト教では人間の長年の悩みに一つの答えを与えている。
「あらゆるものが人間のためにある。」と。
博愛主義とは、所詮人間同士の話で、その他動物が含まれるわけではない。

そもそも、なぜ宗教がこのようなことを定義する必要があったのか考えてみよう。
(説明するまでもないが)
誰もが子供時代に考えたことであろうし、大人になれば子供に聞かれることが次だ。

例えば「なんで人を殺してはダメなのに、豚はいいの?」と。
仏教の寺では殺生はダメなので精進料理に肉は使われないから、余計に気になるはずだ。

「犬や猫が虐待されていると大問題になるのに、なんで保健所で何十万頭と犬が殺されているの?」と。

もし、この問いに答えられるなら、あなたはキリスト教のお世話になる必要がない。
だが、この問いに答えられない人はどうすればいいだろう。
困るだろう。

「なんで?なんで?」と子供が聞いてくる。

あなたは困る。
この問いに答えなければ、しかも「動物は必要なら殺してもいいんだよ。」と答えなければ、あなたはとんでもない罪を犯していることになる。
殺人ならぬ、殺動物犯だ。

ここに便利なツールがある。
「宗教」である。

宗教は教えてくれる。
「神は人間のために必要な動物や植物を用意してくれたのだよ。」と。
「だから、人間が生きるためには殺してもいいのだ。」と。

あなたは救われる。
これで何も悩まなくていいのだ。
なぜなら、神様がお墨付きを与えてくれたのだから。
子供に胸を張って言えばいい。
「それがこの世なんだよ。神様のおかげで我々は生きれるんだ。聖書のどこどこに書いてある。感謝しなきゃね。」と。

同じ宗教を信じている限り、その宗教内では悩まなくていいことが増える。
この宇宙にはわからないことばかりだ。
我々が知っている世界はほんの限られた宇宙の一部だけでしかない。
そんなわからないことだらけの世界で生きるのはとても不安なことだ。
知らないことだらけの世界に生きるのは、暗闇の中を歩くのと同じで、恐ろしいことだ。

神様が善悪を決めてくれて、それを共有している限り、同じ価値観を共有して、安定した社会に住むことができる。
宗教(に限らずあらゆる主義思想も同じだが)を信じれば、わからないことだらけの宇宙が、非常に見通しのよいものになる。
これほど力強いものはない。

「信じることはあなたの道を照らす灯火」なのである。
(「信じること」を「信仰」に置き換えてみれば、それが宗教なのがわかるだろう。)


人間が全知全能なら、何かを信じる必要がない。
全てがわかるから。

何かを信じる(信じたい)のは、人間が本態的な意味で弱いからである。
(ここでいう「弱さ」は不完全な知性しか持っていないという意味)

ただ、弱くないなら、そもそも我々人間は存在しない。
ここにいる必要がないし、存在価値がないのである。
(ここは高度に形而上学的なので細かい議論は避けるが)
不完全知で「全知全能」は想像できないと思うので、こう考えたらわかる。

まず、全てがわかるなら、死なない。
怪我しない。
困らない。
悩まない。
考える必要もない。
何かをする必要もない。

つまり、存在しない。
存在する必要がないから。

我々は、不完全ゆえに、今ここに存在する。
だから、我々が「何かを信じること」は避けられない。
そして、それは罪などでもない。


そこで、当ブログの主張に繋がる。

我々は不完全だ。
それを認めよう。
そして、その上で、信じよう。

「もっと自覚的に信じよう」

信じることは悪いことではない。
誰かと信じていることが違うからといって、それに善悪はない。
重要なことは「自分も相手も信じている」ということを自覚することだ。

「自分は信じている」という発想から、新しい知見への柔軟性が生まれる。

私は、そう信じている。

民主党の自民党化

2010-03-09 20:47:54 | 政治
アゴラにもコメントしたのだけれども、次の展開は「民主党の自民党化」と思う。
派閥政治のはじまりだ。
マスコミによって作られたシナリオに見事に乗ってしまうのが民主党のアマチュアなところであり、悲しいところでもある。
支持率だって世論だって街角インタビューだって、マスコミ次第でなんとでもなるものである。
なのにも関わらず、それに乗っかって選挙に勝てないとかそういう理由で派閥争いに飲み込まれてしまうのが情けない。

自民党やみんなの党が、民主党への大きな対抗力にならない以上、民主党の分裂が最も話として面白いのである。
「小沢派vs反小沢派」の構図はいかにもマスコミが好きそうなネタである。
しかも相手は悪玉の小沢一郎と、若手の反逆児達という漫画みたいな話になる。

そもそも、小沢一郎は自民党の派閥政治(裏調整型政治)に嫌気がさして自民党を出た政治家だ。
その小沢が派閥政治を阻止させるためにも描いたのが、政府与党一元化による「権力の一元化」である。
しかし、権力を一元化しようと思えば、当然、権力の中枢から漏れる政治家が出てくる。
今であれば、民主党内で政調会を復活させようと騒いでいる人達だ。

小沢が恐れるのは、政調会のようなものが復活した場合に、そこに必ず利権が絡んでくるということだ。
小沢は、利権欲しさに幹事長室に権力を集めているわけではない。
今の民主党では、利権に飲み込まれることが火を見るより明らかなので、権力を分散することができないのだ。

これはトレードオフで、解決のしようがない。
(一つある、行政機関の仕事をリストラし、権力を小さくすることである)

ただ、緩和のしようはある。
(当ブログのいつもの繰り返しだが)
政治家の数を減らし、選挙区を拡大し、国会議員を「地域の代表」から「国民の代表」にすることだ。
行政機関の長を大統領制で選ぶでもいい。
とにかく、国の政策が地域の論理に左右されるようでは、いつになっても「国家天下を語る政治家」は生まれてこない。
地域で選ばれる政治家が、その地域に貢献することなしに選挙で勝つのは論理的に考えて異常である。
(そういう意味で、今の政治家が個別最適派なのは当り前なのである)

そうしないと、二院制の意味も出てこない。
このまま議院内閣制を維持したいなら、地域の代表の参議院と、国民の代表の衆議院に分けよう。
でなかったら大統領制にすべきである。

続きは明日・・きっと

総合力で勝る日本が、なぜ、韓国に負けるのか

2010-03-09 16:56:29 | ビジネス
最近見直しもしない、文章校正もしない適当ネタが増えてきました・・更新をいそぐあまり

ソニー・ウオッチャーとして、久しぶりにソニーネタを。

日経ビジネス2010年3月1日号
「ソニーのジレンマ アップル・サムスン包囲網を崩せるか」

週刊ダイヤモンド2010年2月27日号
「ソニー・パナソニックvsサムスン」

を読んだ。

まず、日経ビジネスの記事について。
ソニーの経営幹部に直接インタビューをするための交換条件だと思うが、特に偏ってはいないが基本的にソニーに好意的な記事。
経営幹部の発言についての評価を避けており、雑誌としての格調というか、体裁を整えるために無駄なインタビューをつけた感じすらある。
読んでも薬にも毒にもならない内容で、ここから得るものは何もない。
(日経ビジネスがつまらないのは、何の役にも立たない情報が多すぎるからだ。)

日経ビジネスは発行部数30万超で経済誌として国内断トツ1位であるが、たった30万である。
優良顧客であるであろうソニーグループを礼賛するのは仕方もないのであろう。

あと、私が愕然とするのは、ソニーの経営幹部から主張される戦略がここ10年以上進歩していない点だ。

「ネットワーク化によってアップルのような専門店に対して、総合百貨店の強みが出せる。」

こういうフレーズを聞き続けて10年は経つが、その強みが何なのか、いい加減説明してくれないだろうか。
結局、時代に振り回されているような印象しか受けない。

週刊ダイヤモンドの方は、サムスンを礼賛して日本人の危機感を煽る内容。
(終盤にアップルを持ってきて、少し中長期的な観点も述べているのでサムスン礼賛とまではいえないかもしれないが)
記事を書くにあたって事実ベースに成らざるを得ないから、どうしても統計などの数値をベースとした内容に偏り勝ちになる。
専門的に研究する余裕があるわけではないので、公開情報の垂れ流し気味になるのも仕方がない。
ただ、もう少し企業研究の専門家(がどこにいる?という問いもあるが・・)の意見を載せるなりすればよかった。
当Blogでも紹介した「ソニーvsサムスン」の内容を超えるものは特になく、単に新しい情報が掲載されているというだけに過ぎない。

TV事業だけがやたらクローズアップされているのだが、今日ソニーから新製品がプレスリリースされたのでリンクする。

臨場感あふれる3Dに対応した機種やシンプルで美しいモノリシックデザインを採用した機種など
液晶テレビ〈ブラビア〉新シリーズ発売 (プレスリリース)
http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/201003/10-0309/


液晶テレビ〈ブラビア〉などホームエンタテインメント機器に共通の新たなデザインテーマであるモノリシックデザインを採用。華美な装飾を省いたシンプルなデザインの機器を組み合わせることで、美しい空間を演出します。


サムスンにデザインで圧倒的に負けて、今更デザインで勝負してきた感もあるが、少しやり方を変えてきたところは評価できると思う。
しかし、出井政権末期からそうであったが、最近のソニーは小手先の技術で奇をてらうものばかりになった。
ちょこちょこ早すぎる中途半端な商品やサービスをやっては引っ込めやって引っ込める。
少しソニー視点に立ってみれば、「他との違いを出さねばならぬ」というジレンマに苦しめられている。
他と同じことをやっても「ソニーらしくない」といわれてしまうからだ。

ただ、そういう後ろ向きな発想では新しいコンセプトを導き出すことは難しいだろう。
他者との違いを出そうとすると、他者を動静に注意がいき、視点が狭まり、自ずと後追いになる。
他者をフォローすることを自ずと課してしまうので、独自の方向性を打ち出しても、他者が打ち出した他の方向性に分がありそうになるとすぐ諦める。
もちろん、逆に行き過ぎると問題で、これはトレードオフなのだが、最近のソニーはあまりにも業界動向や他社動向を気にしすぎて、完全に振り回されているように見える。
もはや市場を牽引するプレーヤーとして見なされなくなってしまった。

大きな組織を維持するためには、どうしても官僚的組織が効率がよいから、官僚的構造に蝕まれてしまう。
そうなると、組織が硬直化して新しい発想を育てにくくなるのだ。

では、サムスンはどうか。
まず、サムスンと日系企業を単純比較してはいけない。
事業ポートフォリオが違うとか、そういうことは前にも述べたが、今日は違う視点から述べる。
まず、韓国の名目GDPが約100兆円で、サムスンの売上高、時価総額ともに10兆円程度。
サムスンの時価総額が韓国株式市場全体に占める割合は約10%。

日本のGDPが約500兆円だとすると、韓国の経済規模の大きさは1/5。
二乗で効いてくるかもしれないが、単純に倍数で考えると、韓国におけるサムスンのプレゼンスは、日本に換算するとその5倍になる。
最近落ちたがトヨタ自動車の時価総額が高いときで30兆円程度だから、それよりも大きいことになる。
単純比較はできないが、GDP100兆円の国で売上高10兆規模の会社ということは、日本にとってみると売上高50兆円規模の前人未到の領域になるわけ。

それでもって、サムスンはすごいドメスティック経営の会社なので、彼らは韓国を代表しているといっていいくらいの規模の企業なのである。
日本で換算すると、日本の総合電機企業を全て集めたくらい、それ以上のプレゼンスがある。

これは少し戦略論的な話になるが、韓国は「敵の弱いところに戦力を集中して戦う」を実践しているのである。
日系総合電機だってもっと集約して「ヒト、モノ、カネ」を集中すれば、サムスンと余裕で戦えると思うけれど、そうできないところが「日本としての弱さ」なわけだ。
要は、「日本という国は総合力では勝るが、戦闘ではことごとく負ける」のである。
「政策」もなければ「戦略」もないからである。
日系企業は個別の戦闘で苦心して、それこそ素晴らしいパフォーマンスを発揮するが、いかんせん全体の戦略がないものだから、戦争には負ける。
同様の理由でスポーツも負け続けているのだ。

これは、太平洋戦争で見られた日本軍と同じである。
精神論は取り払えないし、陸軍と海軍の組織の壁は埋まらないし、とにかく場当たり的戦闘が繰り返されるばかりである。
陸軍と海軍を統合するために大本営本部を作っても機能せず、大局を見誤って泥沼化、最後は行くところまで負けを認めなかったために、負け過ぎる結末を招いた。

私にはこれと同じに見える。
メンツや既得権に縛られて企業合併は進まず、ヒト、モノ、カネを集中できない。
負け戦なのにも関わらず、それを認識せずに無駄に戦力を浪費し続け、多くのヒトやモノを犠牲にするのだ。

「総合力で勝る日本が、なぜ、韓国に負けるのか」、それは日本人の精神性に深く起因している。

というところは内田樹の「日本辺境論」を基に私的日本論で繰り返し述べてきたので、ここでは繰り返さない。

後日またまとめたい。


[追記]

[経済]「世界に躍進する韓国企業に学ぼう」(日経社説)に反論する~韓国経済の抱えている大きな問題点に触れていない(木走日記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100309/1268116441


いかん、日経と内容がカブってしまったらしい。
しかし当Blogでは「韓国企業に学ぼう」などというつもりは全くない。
韓国企業にしても、韓国という国にしても、学べないところは多い。
当Blogの問題意識は、日本論であって、韓国にあるのではない。

内田樹リスペクト

2010-03-09 12:14:08 | 哲学・思想
当ブログで内田樹を持ち上げつつ散々叩いておきながらいうのもなんですが、私は内田樹ファンです。
ただし、彼の主張の全てに同意しているわけではありません。
話が面白いし、彼の書籍を読むと美輪明宏氏の本を読んでいるような気分になるからです(笑)
一部では知的詐欺師と呼ばれておりますが、膝突き詰めて話し合えば分かり合えることもあるのではないかと考えますよ。

私以外にはどうでもいいことだが、内田樹がただの文学者ではないと改めて思わされた。
特に新しい知見ではないが、このソフトさが彼の凄さかなと思う。

グーグルの存在する世界にて(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2010/03/05_1307.php


ビジネスというのは本質的に「ものがぐるぐる回ること」である。
「もの」の流通を加速する要素には「磁力」のごときものがあり、それを中心にビジネスは展開する。
逆に、流れを阻止する要素があれば、ビジネスはそこから離れてゆく。
「退蔵」とか「私物化」とか「抱え込み」というふるまいは、それが短期的にはどれほど有利に見えても、長期的スパンをとればビジネスとして絶対に失敗する。
ビジネスの要諦は「気分よくパスが通るように環境を整備すること」それだけである。


おぉ・・
意外に、社会学者ではなくて経済学者と仲良くできそうな気がする。
是非、今後は「贈与経済」なんてワーディングにこだわらず、経済学との融合を目指していただきたい。

本文中に触れられている著作権の議論ですが、下記参照していただけるとなおよろしいかと思います。

「共有経済」と「商業経済」は共存できるか - 『REMIX』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/950521.html

「数(量)」と「率」は使い分けよう

2010-03-09 11:42:08 | 社会
就職氷河期 サイコー!(Chikirin)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/comment?date=20100309

↑内容には同意するが、ちょっと違う視点を。

まず、新卒採用率は減っているが、新卒採用数がそれほど減っているわけではない。
「数」はさほど変わっていないが、受ける大学生が増えているもんだから「率」は下がる。
だから採用「率」を使って時系列的なトレンドを説明するのはミス・リーディングになりやすい。

また、学生の質が落ちたというが、これも基本的に間違い。
少子化で子供の「数」が減っているのだから、優秀層の「率」は変わらなくても「数」は減る。
前にも述べたが「最近の若者は~」議論は5000年前から繰り返されている大人の嘘。
いかに社会が情報化しても世代間学習の難しさが見て取れる。

(これは違う話題だが)
「インド工科大学に入れるのは東大工学部に入れるうちのの10人に1人。」って、人口が10倍なんだから当り前。
インド人が日本人より優秀なわけではない。
これは「数」ばかりに着目して「率」を忘れているからこうなる。

インド式教育法が話題らしい。
2桁の掛け算を暗記するか計算に強い?
(そればかりじゃないけど、そこばかりクローズアップされるから)
馬鹿もほどほどにしろといいたい。
たぶん、こんな教育法を話題にするのは計算の出来ない連中の親なのだろう。

日本には最強の暗算技術「そろばん」があるだろう。
これで4桁5桁の掛け算も割り算も余裕。
(子供の頃、先生にそろばんで頭叩かれながら覚えたものだ・・今じゃ有り得ないな)
私が高校生だった時、仲の良かった友人は、暗算のかなり高い段を持っていて、高等式を一瞬で解いてしまう荒業を見せていた。
私が答えを求めて数通りの方法で計算している時に、彼は圧倒的なスピードで総当り計算をして一瞬で問題を解いてしまうのである。
(そんな彼が人間的に私より優れていたかというと、単に数学が他の人よりできるだけのただの人だった)
だが、そんな彼も、安いPCにも勝てない。
この時代、暗算能力がそれほど重要とも思えない。
論理的思考能力としての数学力はいくらでも役に立つが。

って話になる。