進化する魂

フリートーク
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中国は情報鎖国を目指す無駄な努力をしているのか

2010-03-24 14:52:33 | 政治
題名と内容に隔たりが・・気合の問題です。
内田樹は冴えてるな~

グーグルのない世界(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2010/03/24_0728.php


「グーグルが存在しない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノベーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、いまの段階で予測することはむずかしい。


としながらも、


だが、この「事件」のよって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。
中国の経済成長はいずれ停滞する。
それは不可避である。
これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。
その成長をブロックする主因は、「知的イノベーション」の重要性を見誤ったことにある。


と中国の対応を切って捨てる。


中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。
ご存じのようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。
それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。
国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。
けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には大きな国家的損失をもたらすことになると私は思う。
それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったからである。
誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。
国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。
これは論理的には当然のことである。
「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネンや剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報償も与えられない。それが「ふつう」という社会においては、「オリジナルなアイディア」を生みだし、育てようという「意欲」そのものが枯死する。
みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないものが何もない」社会になる。
「オリジネイターに対する敬意」を持たない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノベーション」は起こらない。
イノヴェーティヴな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいてもしかたがない」と考えるだろう。
オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に彼らは出て行ってしまう。
中国は欧米先進国のテクノロジー水準に「キャッチアップ」する過程で、緊急避難的に「オリジネイターに対する敬意」を不要とみなした。
そのことは「緊急避難」的には合理的な選択だったかもしれない。
けれども、それは社会生活の質がある程度のレベルに達したところで公的に放棄されなければならない過渡的施策であった。
中国政府はこの「過渡的施策」を公式に放棄し、人間の創造性に対する敬意を改めて表する機会を適切にとらえるべきだったと思う。
けれども、中国政府はすでにそのタイミングを逸したようである。
創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。
グーグルの撤退も同じ文脈で理解すべきことだろう。


中国は今は先進国をキャッチアップすれば成長できる段階にあるので、オリジネイターに対して敬意を持たずに済むが、いずれ近代化が終われば「知的イノベーション」の創発を望むはずである。
しかし、オリジネイターを育む環境がない中国には「知的イノベーション」は起きぬという。


世界は情報を「中枢的に占有する」のでもなく、「非中枢的に私有する」のでもなく、「非中枢的に共有する」モデルに移行しつつある。
これは私たちがかつて経験したことのない情報の様態である。
そして、これが世界標準になること、つまり私たちの思考がこの情報管理モデルに基づいて作動するようなることは「時間の問題」である。
中国政府は近代化の代償として、情報の「中枢的独占」を断念し、市民たちが情報を「非中枢的に私有する」ことまでは認めた。
けれども、そのさらに先の「非中枢的に共有する」ことまでは認めることができなかった


中国共産党による統治システムを揺るがすと思われるものを排除したと。


グーグルの撤退が意味するのは、一情報産業の国内市場からの撤退ではない。
そうではなくて、ある種の統治モデルと情報テクノロジーの進化が共存不可能になったという歴史的「事件」なのである。
情報テクノロジーの「進化」と切断することがどれほどの政治的・経済的・文化的ダメージを中国にもたらすことになるのかは計測不能である。


内田樹の主張としては2点あるのかなと思う。
一つは「相応のコストを負担せずに利益を得る」ことの短期的利益と長期的損失。
もう一つは、権威とは情報であるということ。
前者もさることながら、後者は今後中国共産党がどういう態度で望もうとしているのか個人的に関心の強いところである。

グーグルを追い出して国内の情報通信インフラを全て抑えたところで情報鎖国が可能なのか。
(追い出すという表現は適切ではなくて、Googleを特別扱いしないということだが)
中国企業はビジネスはグローバルで行っているし、一般の中国人も海外に出ているわけだから、まず無理だろう。
共産党指導部とてどのみち不可避なことに取り組んでいることを自覚しているはずで、どのようにソフトランディングしようとしているか、そこが不確実性の高いところで予想が難しい。

衆議院を100人にすれば政局一辺倒も少しは緩和されるだろう

2010-03-24 10:56:52 | 政治
はてさて事態はどちらの方向へ傾くのか・・

小沢氏副幹事長解任撤回で梯子を外された小沢支持者達(木走日記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100323/1269324953

この上記のブログは意味不明ですね。
小沢支持者だからといって、生方氏の解任を支持していると考える時点でおかしい。

当Blogでは一貫して小沢イズム支持(小沢一郎を支持しているわけではない)を貫いておりますが、私などは前回のエントリ「民主党の自民党化への流れは止められないのか」で述べたように、今回の事件は馬鹿な部下の暴走だと考えております。
そして、私は小沢一郎のすべきだった行動として「むしろ高嶋良充筆頭副幹事長を解任して、生方氏の解任を取り消すべきだった。」と考えております。


私としては、高嶋氏の気持ちもわからなくもない。
一生懸命に民主党をまとめていこうと奮闘しているところに、しかもただでさえ民主党は多くの問題を抱え頭が痛いところなのに、自分から民主党に貢献することなく、ダダをこねるばかりの無責任の輩が多く、いろんなものが積もってプッツンきちゃったんでしょう。
しかし、小沢は、筆頭副幹事長という立場に立つ者の振る舞いとして、そういう私情を優先した判断を許すわけにはいかないと考えるべきだった。
「泣いて馬謖を斬る」だけの覚悟が小沢にはなかった。
いや、たぶん、報告をしにきた高嶋氏の様相に鬼気迫るものがあって、あの小沢ですらその場では撤回させることはできなかったのだと思う。
小沢は流れに乗ってしまった。

これが上に立つ者としての失敗。
小沢の危機管理能力のなさ、人情を優先した結果だ。
そう、これはまるで太平洋戦争で、部下の暴走を止められなかった参謀達のようだ。
論理ではなく、人情で結論を決めてしまうと、最悪の結果を招く可能性が高い。
(その代わり人情で成功すると神格化され伝説となる。)
昔も今も、日本人のあり方は変わっていないなと再確認した。

小沢からすれば、もともと生方氏を解任する合理的理由などないのだから、この問題を収拾するために生方氏の留任を決めることは無茶ではない。
唯一の問題は高嶋氏にどう対応するかだけだが、しかし、この問題もたいしたことではない。

「ありがとう。党のためを考えてやってくれたことだとわかっている。私はあなたが党のために全身全霊働いてくれていることを理解しているよ。ただ今回は我慢してくれ。最初に報告してくれた時に適切な対応をとらなかった私の責任だ。もし、私のこの決断に納得ができず、あなたが職を辞するというなら私も辞める。一緒にやってくれないか。」
と言えばよいだけだ。
情には情である。

ただ、今回の事件は、このままでは民主党にとってマイナスにしかならないだろうね。

では、どうすべきか、当Blogの意見を述べようと思う。
まず、最悪なのが今回の一件が理由で政調会のような談合利権構造ができることと、小沢を幹事長から解任することだ。
マスコミが小沢解任世論をせっせと扇動しているが、小沢が幹事長を辞めて民意が戻るかといえば、そうはならない。
なぜなら、小沢が幹事長を辞めたら民主党が崩壊するからだ。
民主党のようなアマチュア集団が政権与党という座にありながら、魑魅魍魎に食い殺されなくて済むのは小沢がいるからだ。
小沢が権力の一元化を頑なに守るから、瓦解せずに済んでいるのだ。

ここは誤解せずに冷静に考えて欲しいのだが、今、民主党内も外も小沢一極支配に対する批判が渦巻いている。
政府に入っていない政治家の政策を反映する仕組みがないと、政調会を作れという人々は言う。
しかし、そういう人達が反映した政策というのは何だろうか?
政調会のような仕組みの話ばかりが出てくるが、こと政策の話は一切出てこない。
小沢を批判する人々はいても、小沢の政策を批判する人々は少ない。
いや、ほとんどいない。
そもそも理念なき政治家ばかりの民主党において、小沢に意見を言える政治家が少ないのは当り前である。
言うことがないのだから。

彼らがいうのは「議論する場をつくれ」である。
なぜか?
やるべきことがわからないからに他ならない。
やるべきことが見えている人は、既にものをいっているはずだ。
今文句を言っているのは、とりあえず政治家にはなってみたもののやるべきことがわからない人々という他ない。
彼らが持っているのは政策構想ではなく、単なる政治的配慮、いわば単なる陳情処理だけである。
(失礼極まりない記述で申し訳ない)

この「政策なき政党」の本筋を認識せずに、小沢批判をするのは筋違いもいいところだ。


民主党の今のあり方がベストだなんていうつもりは全くないが、「何を問題視していて、それが解決されるとどうなるの?」というところが全くもって議論から抜け落ちている。

今回の民主党のいざこざから見える本質的なことは、前回も書いたが政治家の数がそんなにいらないってことだ。
「国会が議論して決める場」なのには同意するが、もう少し生産的な議論をする場にする必要がある。
まず、衆議院の議員数を減らそう。
数に根拠はないが100人にしてみよう。
少なくても数の獲得競争にかけるコストを減らす意味はあると思う。

そういう意味で小沢はまず比例区の200を削って300くらいにすると言っていたので、やはり当Blogと同じ方向を向いていると思われる。
比例を削るより、選挙区を拡大する方が効果があると私は思うのだが。

[追記]
見方によっては「解任などされていない」という意見もありそうです。
なんにせよ、今回の騒動は小沢を批判したい人達のこじつけですな。
どの世界でもそうなのだが、批判される人ってのは理解されない人なんですよ。
マスコミは小沢について知らなすぎるのだなぁ・・

生方副幹事長解任という“誤報”で得をしたのは誰か?(上杉隆)
http://diamond.jp/series/uesugi/10119/