ろくに検証もしていませんが、部分的強調により危機感を煽るのはやめましょう。リンク先と後半の内容は関係がありません。リンク先の問題提起を否定しているわけでもありません。題名を変えました。
[ゴーログ]日本は韓国に30年遅れている(木村剛)
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/30-81ca.html
最近多いのですが、スポーツや企業の躍進だけをみて韓国の方が優れているかのごとき論説はミスリーディングだと個人的には思います。
私には外国人だとか日本以外のアジア諸国だとかなどを差別するつもりは毛頭ありませんが、総合的に見れば、明らかに韓国より日本の方が洗練された国だと思います。
両国の違いは、先進国とポスト新興国の違いなのです。
これはあくまでも日本と韓国を相対評価した場合の話ですが、日本の方が文化にずっと多様性がありますし、表現の自由もありますし、野蛮な闘争も少ないですし、総じて社会に様々な価値観が共生できています。
平たくいいますと、様々な人達が様々な価値観を追求する自由が日本の方が担保されております。
何か明確な基準があるわけではないのでイメージとして考えて欲しいのですが、日本は先進国で、韓国は先進国の仲間入りをしていないレベルです。
「ポスト近代」の問題に直面している国を先進国と呼ぶでもいいかもしれません。
そういう意味では日本はポスト近代国家を進む国であり、韓国はまだ近代国家を歩む国です。
(決して韓国を陥れている表現ではなく、韓国の方が政治的要因で近代化が遅かったというに過ぎない)
韓国にスポーツで負けているような印象を受けますが、スポーツ人口や国民全体でのスポーツ幸福度からして、日本が韓国に負けているとは到底思えません。
以前にも当Blogで問題提起を行いましたが、「スポーツの目的を何に置くのか?」という問題意識がないままに、スポーツに関して勝敗などつきようがないのです。
あくまでも国際大会で韓国選手に日本人選手が勝てないということでしかなく、スポーツで負けているかどうかは全く次元の異なる問題です。
(差別発言をしたいのではないのですが)
仮に北朝鮮の選手に日本人選手が負けたとしてください。
「北朝鮮のように少数英才教育を施せ!」って言いますか?
考えないですよねそんなこと。
「勝つ」ことがスポーツの目的に成り得るのは「ポスト近代国家」に到達していない、近代国家と新興国においてだけです。
「ポスト近代国家」における国家の役割は、「勝つことを目的として生きる自由を担保すること」であって「勝つこと」ではないのです。
このあたりの意見を聞く度に、国家観に対する問題意識の違いが如実に表れていて面白いと思います。
多くの日本人が未だに時代の流れを掴めていないことが読み取れるのです。
日本人の多くは日本が未だに「近代国家」だと考えており、バブル以降、失われた20年の間で、日本が構造的変化に飲み込まれていて、その対応が遅れていることを理解していないのです。
「この宇宙にいる限り、常に変化の波にさらされる脅威(つまり相対性)から逃れることはできない」という根本的原理を忘れいてるのです。
日本人は自分達の考えが普遍的な価値観であるかのように勘違いしてしまった。
この辺りは内田樹の「日本辺境論」に詳しいのですが「日本人の強さは世界の中心が自分とは違うほかのところにあると考える辺境意識にあった」のに、日本人はうちにこもって世界の中心を自分達の中に作ったのです。
世界標準を創るということがよくわかっていないのに、自分達が世界標準であるかのように誤解してしまった。
これでは、時代の流れから取り残されて当然です。
この傲慢さこそが、日本の構造変化を阻む根本的問題です。
「世界と対峙していく必要性がどこにある?」
「自分達の幸せを築いていくことこそが大事」
「比べるところから不幸が始まる」
とおっしゃる人もいるでしょう。
私は、その考えを否定しません。
高尚な考え方だとも思います。
しかし、そうおっしゃるなら「韓国に負けて」などと思わぬことです。
私などは、辺境意識を捨て切れぬまま、世界の中心になろうとしている現在の状況は最悪だと思います。
彼を知り己を知れば百戦危うからず
彼を知らずして己を知るは一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし
(孫氏)
まず、日本人は傲慢にならず、己をよく知ろうとすることです。
己を知り尽くすことはできませんが、それでも知ろうとすることには非常に価値があります。
今の日本は孫氏曰く「彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし」な状態かと思います。
日本の問題については経産省が作成した「日本の産業を巡る現状と課題」がよくまとまっておりますので、是非ご一読いただけるとよいかと思います。
ただ、私には次の言葉が似合うようです(笑)
知る者は言わず、言う者は知らず (老子)
老子師匠には勝てません。
おっと、話がそれてしまった。
もともと主張したかったのは↓です。
部分的劣位を強調して、部分的にマッチョになろうとすると、全体のバランスを崩して生態系を破壊されるリスクが高まります。
[ゴーログ]日本は韓国に30年遅れている(木村剛)
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/30-81ca.html
最近多いのですが、スポーツや企業の躍進だけをみて韓国の方が優れているかのごとき論説はミスリーディングだと個人的には思います。
私には外国人だとか日本以外のアジア諸国だとかなどを差別するつもりは毛頭ありませんが、総合的に見れば、明らかに韓国より日本の方が洗練された国だと思います。
両国の違いは、先進国とポスト新興国の違いなのです。
これはあくまでも日本と韓国を相対評価した場合の話ですが、日本の方が文化にずっと多様性がありますし、表現の自由もありますし、野蛮な闘争も少ないですし、総じて社会に様々な価値観が共生できています。
平たくいいますと、様々な人達が様々な価値観を追求する自由が日本の方が担保されております。
何か明確な基準があるわけではないのでイメージとして考えて欲しいのですが、日本は先進国で、韓国は先進国の仲間入りをしていないレベルです。
「ポスト近代」の問題に直面している国を先進国と呼ぶでもいいかもしれません。
そういう意味では日本はポスト近代国家を進む国であり、韓国はまだ近代国家を歩む国です。
(決して韓国を陥れている表現ではなく、韓国の方が政治的要因で近代化が遅かったというに過ぎない)
韓国にスポーツで負けているような印象を受けますが、スポーツ人口や国民全体でのスポーツ幸福度からして、日本が韓国に負けているとは到底思えません。
以前にも当Blogで問題提起を行いましたが、「スポーツの目的を何に置くのか?」という問題意識がないままに、スポーツに関して勝敗などつきようがないのです。
あくまでも国際大会で韓国選手に日本人選手が勝てないということでしかなく、スポーツで負けているかどうかは全く次元の異なる問題です。
(差別発言をしたいのではないのですが)
仮に北朝鮮の選手に日本人選手が負けたとしてください。
「北朝鮮のように少数英才教育を施せ!」って言いますか?
考えないですよねそんなこと。
「勝つ」ことがスポーツの目的に成り得るのは「ポスト近代国家」に到達していない、近代国家と新興国においてだけです。
「ポスト近代国家」における国家の役割は、「勝つことを目的として生きる自由を担保すること」であって「勝つこと」ではないのです。
このあたりの意見を聞く度に、国家観に対する問題意識の違いが如実に表れていて面白いと思います。
多くの日本人が未だに時代の流れを掴めていないことが読み取れるのです。
日本人の多くは日本が未だに「近代国家」だと考えており、バブル以降、失われた20年の間で、日本が構造的変化に飲み込まれていて、その対応が遅れていることを理解していないのです。
「この宇宙にいる限り、常に変化の波にさらされる脅威(つまり相対性)から逃れることはできない」という根本的原理を忘れいてるのです。
日本人は自分達の考えが普遍的な価値観であるかのように勘違いしてしまった。
この辺りは内田樹の「日本辺境論」に詳しいのですが「日本人の強さは世界の中心が自分とは違うほかのところにあると考える辺境意識にあった」のに、日本人はうちにこもって世界の中心を自分達の中に作ったのです。
世界標準を創るということがよくわかっていないのに、自分達が世界標準であるかのように誤解してしまった。
これでは、時代の流れから取り残されて当然です。
この傲慢さこそが、日本の構造変化を阻む根本的問題です。
「世界と対峙していく必要性がどこにある?」
「自分達の幸せを築いていくことこそが大事」
「比べるところから不幸が始まる」
とおっしゃる人もいるでしょう。
私は、その考えを否定しません。
高尚な考え方だとも思います。
しかし、そうおっしゃるなら「韓国に負けて」などと思わぬことです。
私などは、辺境意識を捨て切れぬまま、世界の中心になろうとしている現在の状況は最悪だと思います。
彼を知り己を知れば百戦危うからず
彼を知らずして己を知るは一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし
(孫氏)
まず、日本人は傲慢にならず、己をよく知ろうとすることです。
己を知り尽くすことはできませんが、それでも知ろうとすることには非常に価値があります。
今の日本は孫氏曰く「彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし」な状態かと思います。
日本の問題については経産省が作成した「日本の産業を巡る現状と課題」がよくまとまっておりますので、是非ご一読いただけるとよいかと思います。
ただ、私には次の言葉が似合うようです(笑)
知る者は言わず、言う者は知らず (老子)
老子師匠には勝てません。
おっと、話がそれてしまった。
もともと主張したかったのは↓です。
部分的劣位を強調して、部分的にマッチョになろうとすると、全体のバランスを崩して生態系を破壊されるリスクが高まります。