一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「有漏」と「無漏」

2010年07月19日 | Weblog
 仏教では、「有漏(うろ)」と「無漏(むろ)」という言葉があります。「有漏」が「迷い」で「無漏」が「悟り」です。

 福岡伸一氏の本を読んでいたら、これこそが「無漏」だという文がありました。

 「細胞が全く無駄のないやり方でATPを配置し消費する。」

 ATPとは、アデノシン三リン酸の略号である。ATPは細胞内でエネルギーを蓄えている基本的な、そして一番重要な化学物質である。細胞は、酸素を使ってブドウ糖を燃やす。それは酸素を使って灯油を燃やすのと同じ反応である。燃やされた灯油は、熱エネルギーを放出する。燃やされた糖も、熱エネルギーを放出する。しかし、このままだと細胞はいっときあたためられるだけで、熱はやがて拡散していってします。細胞はエネルギーをもっと多面的な用途に、時宜に応じて使いたい。そこで、細胞は、糖をもっとゆっくり燃やしながら、一時、エネルギーを別の形態で備蓄している。それがATPという物質なのだ。
 一方、作られたATPは、エネルギーをその内部に閉じ込めながら、細胞内に貯められ、時に細胞内外を移動する。輸送と分配。そして必要なときに、ATPは分解される。このときエネルギーは放出され、そのエネルギーが細胞内のさまざまな仕事に利用される。

 細胞が全く無駄のないやり方でATPを配置し消費する。(註1)
 
 そのエネルギーがする仕事とは、細胞膜の内外にナトリウムイオンの不均衡、つまり濃度勾配を常に作り出して、この不均衡によって細胞の形態維持、神経インパルスの発生、筋肉の運動さまざまな活動を生み出すことです。

 つまりナトリウムイオンの不均衡こそが生命現象の源泉になっているのだと書かれています。

 だから生命現象の源泉となる筋肉をつかって身体を動かしたり、何かを考えたり、本来あるべき感情がでてくるのは、保存されているエネルギーが必要なときに必要な場所に運ばれてきてなされているということです。

 私たちは力を心をも用いず、無礙自在にして、自然の法にかなった自然法爾の智慧が備わっているはずなのです。どんなコンピューターよりも有能に、全く無駄のないやり方でエネルギーをつかう「無漏」の智慧です。

 それにもかかわらず、私たちははからいをすることや、工作をすることで「無漏」の智慧がみえなくなってしまい「有漏」の迷いの世界の中を輪廻し続けています。


註1:福岡伸一「世界は分けてもわからない」講談社現代新書 172P~173P
註2:  同上 209P

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