一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

ちからに焦点のこころ

2016年09月28日 | Weblog
 うちの猫をみていると、これぞと思うところとつながろうとします。それが日だまりであったり、なでなでしてくれる私であったりです。これとつながっていると気持ちいいと思わせるこころが猫はあるからだと思うのです。そのこころも、ちからがあるのではないかな。その気持ち良いところへ猫を導いていくのだから。

猫を気持ち良いところへ導くこころとねこがこれぞと思うところとは、同質のものであると思うのです。「類は友を呼ぶ。」ではないけれども、異質のものは反発しあうけれども、同質のものであるから引きつけあうと思うのです。

今日ニーチェを読んでいたら、こういう文がありました。「兄弟たちよ、わたしはあなたがたに切望する、大地に忠実なれと。あなたがたは天上の希望を説く人々を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である、かれらがそれを知っていてもいなくても。」

 「大地に忠実なれ、」というのは、ねこが日だまりに導かれていくようなことを言っているのではないか、と私流に解釈してしまいました。

 こうしてみると、猫のこころは単独では有り得ず、大地と繋がってはじめて、ちからをもつこころとなるのではないかとまた「縁起」と関連させて考えてしまいます。