一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

カーネーションの花びらが束ねられている一点(お茶)

2021年01月15日 | Weblog




 ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。

 この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという出来事が今日ありました。

 (なしとげた 仕事後のお茶は おいしいな)

 昨年の終わり頃に急ぎの仕事がはいってしまいました。その仕事のめどがようやくつきました。成し遂げた満足感とともに飲むお茶は格別です。それまでは、仕事のことが気になってなにをやっていてもうわの空でした。

 仕事を成し遂げてなんでこんなに満足感があるのかと考えてしまいました。おいしいものを食べたとかだれかとおしゃべりをしたときの楽しさとは別物のような気がするのです。

 私は人間の基本的在り方と関係するような気がします。人間はこの酸素のある空気のなかでしか生きることはできません。酸素がなければ死んでしまいます。でも酸素というのは私たちを酸化して破壊していきます。それで、人間は酸素を逆手にとってエネルギーをつくりだし、そのエネルギーをつかって酸素に壊されるまえに自らを壊しそして再構築をするメカニズムをつくって生き延びる方法をみつけたのです。

 刹那生滅です。一瞬一瞬滅しては生まれることです。私たちはやらなければならないことをやらないでいるということは、滅したまんまの状態ということです。やらなければならないことはやり遂げてもとの状態に戻ります。毎日お風呂にはいらなければ臭くなるし汚くなるからお風呂に入ってもとの状態に戻すことのようです。

 私たちのなかになにをしたら元に戻すことになるのか本能的にインプットされていてそれを成し遂げたときに満足するように作られているように思います。だからあんなに達成感があるのでしょう。

 仕事を成し遂げた後というのは、なんかシューッとした次につなげる力を感じます。それって、カーネーションの花びらが一点に束ねられているのを見て感じる感情、茎から花びらにシューッつながるのをみた感情と重なるかもです。

 

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