一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

カーネーションの花びらが束ねられている一点(おしるこ)

2021年01月13日 | Weblog


 ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。

 この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという出来事が今日ありました。

  (あずき煮て やさしいかおり 包まれる)

 今日ユーチューブでお汁粉を作る動画を見ていたら私も作りたくなって作りました。そうしたら、小豆を煮ているあいだとてもやさしい香りに包まれました。香りを期待して作った訳ではないのに思いがけず気持ちよいひとときが味わえました。

 その日は寂しくてなんかつまんないなと思っていました。そうしたら小豆の香りで癒やされて、ふと思いました。

 つまんないとか、寂しいとか、これってエゴがはいってる感情ではないかと。自分の望むようにならないとマイナーな気持ちになってるだけではないかと。

 そんなこころに矛先を向けていたら、これからもずっと満足することはないのではないかと思いました。これからは、エゴの入らない感情、たとえば小豆の香りでやさしい気持ちになるとか、朝日の春の気配になんとなく外にでてみたくなるとか、そういう気持ちに矛先をむけてみようと思いました。

 あずきの香りでいやされて、「こんな時間がもててわたしってラッキーだな」と、そう思ったら、バカかもしれないけれども、なんとなくハッピーになってしまいました。

 チューリップの花びらが束ねられている一点というのは、エゴが入らない周波数とチャンネルを合わすことのできる一点ではないかと思うのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。