一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

カーネーションの花びらが束ねられている一点(小鳥)

2021年01月12日 | Weblog


 ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。

 この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという出来事が今朝ありました。

 (白黒のことり  プレゼントかな  窓辺の訪問)

 今朝なにげに窓辺を見ていたら白黒のつがいの小鳥がいました。それを見て気持ちがパーッと明るくなりました。それに似た小鳥が2・3年前につがいでうちの近くの電信柱の穴ぼこに巣をつくって雛を育てていました。

 何分かおきに代わる代わる雛に餌を運んでいました。一日明るいうちに何十回と餌を運ぶのですからすごい労働です。だんだん雛の鳴き声も大きくなりだいぶ大きくなったんだなと思っていました。

  そうしているうちにベランダのあたりで親鳥のけたたましい鳴き声がしたのでベランダに出てみると, なんと雛がうちのベランダにいました。親鳥のいないあいだに飛んできたのでしょう。私もどうしていいかわからずとっさに手のひらにのせて外に飛ばしてあげました。そしたら、前の家の屋根に飛んでいきました。

 まだきちんと飛べなかったのに、飛び出してしまったのかもしれません。親鳥がずっとついてましたが、低空飛行をしていたのでその後どうなったかわかりません。

 それを見て、あんなに必死に雛を育てたのに巣立つタイミングが悪いといままでの労力が無駄になって雛もかわいそうだなと、自然の掟というのは非情なもんだなと落ち込んでいました。

 そうしたら、今朝あの小鳥たちに似たつがいが生き生きと生命観あふれて目の前で枝に戯れていました。

 私は、カーネーションの花びらが束ねられている一点というのはエネルギーだと思います。花びらを一点に束ねられているのをみて心地よいと感じるのは、あの小鳥たちの生き生きとした絶え間ない再生のエネルギーと重なると思います。

 私たちを取り巻くエネルギーというのは厳しくはあるけれどもそこで終わりではない未来に続く温かいものだと思うのです。


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