一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「相互の影響力」

2014年06月13日 | Weblog
 紀元四百年頃世親によって書かれた『唯識二十論』に次のように書かれています。

 「相互の影響力によって、表識の相互の決定がある。(18ab)

 何となれば、すべての衆生たちの相互の影響力によって互いに表識の決定がそれ相応にある。「相互に」とは互いにということである。それ故に、他の相続中の特殊な表識より、他の相続中に特殊な表識が起こるも、特殊な外界の対象物ではない。」

 上記でいっている「表識の決定」とは、見聞等の向かう対象が決まる、ということです。そして、見聞等の向かう対象は、自分と自分以外の誰かの相互の影響力で決まる、と書いてあります。
 
 上記の文からすると、私が今見ていたり考えたりしているものは、誰か自分以外の人からのエネルギーの影響を受けて見ていることです。

 私は、インターネットのオークションにはまっていたことがあります。上記の『唯識二十論』の文からすると、オークションの画面を見ているということは、オークションで品物を売りたいと思っている人やオークションの組織を運営している人たちのエネルギーを受けて私がその画面をみていることです。私の品物を少しでも安く手に入れたいというせこい根性の波長とそのせこい根性を利用して儲けてやろうと思っているオークション関係の人の根性の波長が相互に感応して私にオークションの画面を見させているのでしょう。

 オークションをしばらくやっていくうちに、だんだん嫌になってきました。上記の文からすると、この嫌な気分は、私のせこい根性がそうさせるものですが、もう一方オークション関係者のエネルギーの影響もあることになります。

 このオークション関係者のエネルギーを受けないためには、「相互の影響力によって見聞等の対象が決まる」といっているのだから、逆に、見聞等の対象を変えればいいことになります。オークションの画面をみるのをやめて、自分のこころがおだやかな気持ちになれるようなものを見るか想像すればいいのです。


 この逆手にとる考え方は、仏教の根本的なやり方のような気がします。上記の『唯識二十論』の文に、「それ故に、他の相続中の特殊な表識より、他の相続中に特殊な表識が起こるも、特殊な外界の対象物ではない。」と書かれています。ここで言っていることは、私たちが言葉のバーチャルな世界をつくることで蓄積された負のエネルギーが目の前にあるとおもって見てるものを見させているということです。これを逆手にとればこの負のエネルギーが原因で真実の世界がみえるようにすればいいことになります。煩悩即涅槃です。考えてみれば、こっちに煩悩があって、あっちに涅槃の世界があるわけではありません。自分のこころ次第で同じ世界でも、煩悩の世界にも涅槃の世界にもなるのですから。氷が水に変わり、水が水蒸気に変化するように、負のエネルギーが原因で涅槃の世界につながっているのかもしれません。

 この逆手にとる考え方は、生物が生き延びた方法に関係していると思います。もともと酸素は生物を酸化することで生物にとっては最大の敵でした。逆にこの最大の敵の酸素を呼吸でエネルギーに変えること酸化から逃れて生き延びる方法にしたのですから。この逆手にとる考え方に問題解決の糸口があるような気がするのです。