一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「自転車」

2012年02月15日 | Weblog
 普通「涅槃」と呼ばれる安らかな心を得るためには、「煩悩」を滅すればいいと単純に考えます。

「涅槃」とは心が清く澄んでいる濁ってないこと、「煩悩」とは逆に心が濁ってどろどろした状態で心が苦悩している状態。だから心が澄んで濁ってないさわやかな心の状態のためには、心を濁らしている原因を排除すればいいと単純に考えます。

 『涅槃」を得るためには、「煩悩」を滅すればいいというように、好きなものはくっつけ嫌いなものは離す考え方です。

 面白くないなと思えば音楽を聴こうとかテレビを見ようと何か面白いものをくっつけようとします。前のブログで書いたけれども、幸せな老後を送ろうとすると、お金を貯めて健康であるように努力してみじめな老いを離そうとします。

 クラス会でみんな何の疑いもなく幸せな老後にはお金と健康と話していましたが、仏教には好き嫌いの基準ではない基準があります。。

 それは無漏です。エネルギーを漏らさないことです。

 自転車は十分な力があれば、まっすぐに走りますが、力が足りないと、左右にぶれて走ります。

 「涅槃」を得るためには、「煩悩」を滅すればいいという好きはくっつけたり嫌いは離すという好き嫌い基準の考え方は自転車でいえば力不足で左右にぶれて走っている状態です。左右にぶれてバランスをとっているのですから、左に傾いたのを右に戻していかないと左に行ったままになって倒れてしまいます。右が「涅槃」だとすると、左の「煩悩」を滅してしまうとバランスがとれなくなって倒れてしまいます。

 だから「涅槃」を得るためには、「煩悩」を滅しようとするのではなく、自転車がまっすぐに走るだけの力に焦点を合わせます。幸せな老後のためにはお金と健康と心のなかでこうでああでと考えることがそもそもエネルギーの無駄遣いになってしまいます。

 なにも考えないで坐禅や仏教の教えを聞くこと等で自分のなかのエネルギーを高めていくことが仏教だと思うのです。