一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』第4章色(物質)を考察)

2020年06月14日 | Weblog

 ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。

 この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという内容が、龍樹の『中論』の「集合体(五蘊)の考察」と名づけられる第四章のなかにありました。
五蘊というのは、物質・精神を五類に分けたもので、この章のなかでは代表として色(物質)をとりあげて書かれています。

 そして、この色(物質)を因果関係から考察して、果のない因だけの色(物質)はない、因だけの果のない色(物質)はないといって、どんな色(物質)も因果関係が成立してなくては存在しないと いっています。

 そしてさらに、この因果関係は、空(くう)によってなされなければならない、となっています。

 これはまさに「般若心経」の《色即是空・空即是色》のところです。

 《色(物質)が空(くう)になり、空(くう)が色(物質)になる。》ということは、そこにある一つの貫いているものがあって、その貫いている一つのものが因になったり、果になったりして私たちには見えているということではないでしょうか。

 その貫いている一つものがあって、私たちも生まれてきたのかもしれません。

 上述のカーネーションの花びらがシューッと束ねられている一点をみて気持ちいいなと感じるのは、たんに ものが少ない部屋にあこがれる次元ではなく、DNAの次元で私に そう感じさせるなにかがあるのだなと思いました。