一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「壊される前に先回り」

2015年02月18日 | Weblog
 150年から250年のあいだにナーガルジュナに書かれた『中論』の注釈書の『プラサンナパダー』に次のように書かれています。

 「他人を覚醒させるために悲みんをもって論を著作するにいたった。」、と。

 他人を覚醒させるためというのは、顚倒して、要するに逆さまにものを見ている私たちを目ざめさせて、逆さまでない非顚倒にものの見方をできるようにさせるために、この『中論』を書いたと書かれています。

 逆さまなものの見方というのは、常楽我浄といって、この世の中は常にある、という見方と、この世の中は楽しい、という見方と、私という我はある、という見方と、この世の中はきれいだ、清らかだという見方です。

 ということは、「常」だけとりあえず取り出してみると、この世の中を「常」だととらえている私たちを「刹那生滅」だと捉える見方をさせるためにこの本を書いたことになります。
 
 そして、この本を書くにいたった理由を述べた後に、この本の内容は「縁起」だと書かれています。ということは「「縁起」と「刹那生滅」が密接な関係にあることがわかります。

 縁起の最も一般的な表現定式の1つとしてあまりにも有名なものは次のようなものです。「此あれば彼あり、此生ずるがゆえに彼生ず、此なければ彼なし、此滅するがゆえに彼滅す」

 上記の文をみると、「縁起」というのは2つのものを必ずセットにしてとらえることのようです。この2つのものをセットでとらえるというのと、「刹那生滅」とはどう関係するのでしょうか。

 ここで「縁起」と「刹那生滅」の関係を考えたときに、私たち生物の根源的なあり方が関係していると思われます。仏教が勝手に詭弁的に「縁起」と「刹那生滅」を無理矢理関係つけてしまおうとしているのではありません。

 福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』のなかに次のような文章があります。
「自己タンパク質の内部には、自己の情報が蓄えられている。生命現象という秩序を保つための情報がそこにある。しかい、宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則は、情け容赦なくその秩序を、その情報をなきものにしようと触手を伸ばしている。タンパク質は、絶えず酸化され、変性され、分解されようとしている。細胞は必死になって、その魔の手に先回りしようとしているのだ。先回りして、エントロピー増大の法則が秩序を破壊する前に、エネルギーを駆使してまで自ら率先して自らを破壊する。その上ですぐにタンパク質を再合成し、秩序を再構築する。」

 上記の文をみると、「縁起」と「刹那生滅」とが、関係づけられそうです。「細胞が必死になって、その魔の手に先回りしようとして、自らを壊してその上ですぐにタンパク質を再合成している」と書かれています。私たちは、その魔の手すなわち酸化され情報をなきものにしようとしている宇宙の法則があるがために、「刹那生滅(一瞬一瞬壊してはまた生じさせる)」をして生き延びてきたのです。その魔の手と私たちはセットなのです。その魔の手より先回りしなくてはいけない、遅れてしまってはやられてしまうのだから、魔の手を前提に私たちはあることになります。

 オギャーと生まれてきたときには、みんな本当に愛らしい表情をしています。でも、魔の手を無視することによって、「縁起」や「刹那生滅」を無視することによって、心身ともに酸化され、だんだん愛らしい表情から遠ざかってしまいます。でも「縁起」や「刹那生滅」を考えていくことで魔の手に向き合うことで、逆に、あたたかくていとおしいものが見えてくるような気がするのです。