ある本に『「ジブン」についての話はそれがたとえどんな内容でも、相手にとっては基本的にツマラナイ。誰もが自分のジブンのことに精一杯で、他人のクダラナイ「ジブン」のことなど聞きたくない。』(注1)というのが書かれていました。
誰も自分のことに精一杯で他人のことなんかそんなに考えてないよと言われても、名前を間違えられただけでも私なんかどうでもいい存在なんだと悲しくなります。でも竜樹尊者の「中論」を勉強していたら、名前を間違えられた位で悲しんでいる自分が間違っていたのではないかと思いはじめました。
「中論」による何が実在で何が実在でないのかによれば、現に眼の前に展開されているこの世の中が、実は真実そのものであるのです。思考である言葉は実在ではないのです。
猫を見てると言葉は実在ではないということがよくわかります。猫にかわいいね、とか賢いねとかいっても、まったくとりあわず、そんなことを言う暇があったら餌くれという顔をしています。言葉なんていう食べることもできず触ることもできないようなものにとりあっていたのでは敵に襲われてしまうし、獲物も逃がしてしまうくらい自然界は厳しい
ものなのでしょう。そうすると私たちはもともと自分の眼の前の現象に重心をおいて他人の言葉はとりあわなくてもよいことになります。ましてや他人の「ジブン」という思考で考えた自分という思考のかたまりなんて実在論からすれば偽物なので猫のようにツマラナイと感じるように人間もできていることになります。
私は「人に思いやりをもちましょう。」とか「人の話をきちんと聞きましょう。」「人を大切にしましょう。」とか他人の話しをきちんと聞かないのは悪いことのような価値基準がインプットされています。だから人の話を聞いてもクダラナイと感じてしまう私のほうが悪いのかしら、と自分を責めたり、きちんと相手の話しに対応しなければと一生懸命反論したりしていました。でも眼の前の現実そのものに重心をおいて言葉は実在ではないという仏教からすれば他人の話しをきちんと聞かないのがよいということになります。とはいっても他人のはなしにそっぽむいてるのも自然に反することのようで良心がとがめるので、相手を傷つけない程度の相づちはうって後は曖昧にほほえんでいるくらいの聞き方ということになります。
また逆の立場にたてば、自分が適当に扱われてるなと感づいてもみんな自分の眼の前の現象をみることに精一杯なのが自然の姿なのだと思えば腹も立たなくなります。
注:小池竜之介「「自分」から自由になる沈黙入門 」幻冬社 9頁
誰も自分のことに精一杯で他人のことなんかそんなに考えてないよと言われても、名前を間違えられただけでも私なんかどうでもいい存在なんだと悲しくなります。でも竜樹尊者の「中論」を勉強していたら、名前を間違えられた位で悲しんでいる自分が間違っていたのではないかと思いはじめました。
「中論」による何が実在で何が実在でないのかによれば、現に眼の前に展開されているこの世の中が、実は真実そのものであるのです。思考である言葉は実在ではないのです。
猫を見てると言葉は実在ではないということがよくわかります。猫にかわいいね、とか賢いねとかいっても、まったくとりあわず、そんなことを言う暇があったら餌くれという顔をしています。言葉なんていう食べることもできず触ることもできないようなものにとりあっていたのでは敵に襲われてしまうし、獲物も逃がしてしまうくらい自然界は厳しい
ものなのでしょう。そうすると私たちはもともと自分の眼の前の現象に重心をおいて他人の言葉はとりあわなくてもよいことになります。ましてや他人の「ジブン」という思考で考えた自分という思考のかたまりなんて実在論からすれば偽物なので猫のようにツマラナイと感じるように人間もできていることになります。
私は「人に思いやりをもちましょう。」とか「人の話をきちんと聞きましょう。」「人を大切にしましょう。」とか他人の話しをきちんと聞かないのは悪いことのような価値基準がインプットされています。だから人の話を聞いてもクダラナイと感じてしまう私のほうが悪いのかしら、と自分を責めたり、きちんと相手の話しに対応しなければと一生懸命反論したりしていました。でも眼の前の現実そのものに重心をおいて言葉は実在ではないという仏教からすれば他人の話しをきちんと聞かないのがよいということになります。とはいっても他人のはなしにそっぽむいてるのも自然に反することのようで良心がとがめるので、相手を傷つけない程度の相づちはうって後は曖昧にほほえんでいるくらいの聞き方ということになります。
また逆の立場にたてば、自分が適当に扱われてるなと感づいてもみんな自分の眼の前の現象をみることに精一杯なのが自然の姿なのだと思えば腹も立たなくなります。
注:小池竜之介「「自分」から自由になる沈黙入門 」幻冬社 9頁
「自分」から自由になる沈黙入門は読んでみたいですね。
いつかお会いしましょうね。(^_-)-☆
コメントしてくださった日は、私の誕生日でした。
ありがとう。☆彡