一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

遍一切一味

2009年07月26日 | Weblog
 私たちは普通刀を以て刀を切ることができないように、目が目をみることができないと考えます。

 でも猫がジーッとしているのをみていると、目が目をみているようです。

 私たちは実在的なる主観客観の関係において見る(実在視)とするから、目が目をみることができないと考えますが、猫は遍く行き渡っている味と同じ味になることで一枚の絵のパズルのなかで自分のおさまるべきピースの形を知るようです。

 主観客観の関係では、こっちサイドあっちサイドと味が分裂してしまっていて、自分のおさまるべきピースの形を知ることはできません。
 
 私は昔は時間があったらパートにでもでて、小銭を稼いでいるほうがいいと思ってました。では小銭を稼いでそれを何に遣うのかと云えば、旅行に行くため、おいしいものを食べるため、あくまで主観客観の関係の発想しか浮かんできませんでした。主観客観の関係の発想では、自分の目以外のものはみることができても、自分の目は見ることができないように、自分を知ることができない。

 猫は昔の私みたいにせかせかしてません。ジーッとして遍く行き渡っている味と同じ味になることで自分の形を知ることを優先順位の一番としています。

 私も主観客観の関係の発想を卒業したい。