昨日ベローチェで隣のカップルの会話が耳に入ってきてしまいました。
20代の女の人がいやに理屈っぽくてひんやりする喋り方をしているので、ちょっとおかしいなと思って何気なく聞いていたら、だんだんその彼女のいやなオーラに取り込まれてしまって、最後には関係のない私までが怒ってベローチェから出てくることになりました。
話を聞いていると、彼女は自分が悲劇のヒロインで、彼女の期待する答えが返ってこないと相手をなじっているのです。相手の男の人はそんなにいい加減に答えているわけでもなく普通なのですが、彼女はねちねち絡んでいます。
彼女は数日前に会おうといって会えなかったことをくどくどと文句をいっています。そして次には、私がこんなに落ち込んでいるのにあなたって何でそんなに明るいの、その明るさがいや、とか言っています。彼は、おれまで暗い顔してたらどうにもなんないだろうとか、戸惑いながら言っています。そして何か薬のことを必要以上に説明していて、彼が症状が良くなって楽になればいいじゃない的なことをいったら、私の話をきちんと聞いてない、あなたは私の話を壁をつくって聞いていると相手をなじっています。
彼はどう答えても責められるのでびくびくしなくてはならない。また彼女も彼のそういう顔を見ていたら自分のせいだと心のどこかで知っているので、余計からまなくてはいけなくなる。
多分彼女の不安をうち消してくれる答えが欲しいのでしょうけれども、彼が彼女の不安を和らげてあげようとあれこれ彼女の話にとりあっていても、結局は自分も愁・悲・苦・憂・悩を感じ共倒れになるか、耐えきれなくなって彼女を捨てるしかないでしょう。
彼女は言葉の世界でしか生きてない。自分の頭のなかだけで、自分の過去の後悔や未来の不安を消そうとして言葉を操って自分の言葉だけでは足りず、誰かにそのような言葉を言わせてどうにか自分の頭の世界を納得させようとしています。でも言葉では不安はなくなりません。
言葉だけで自分を納得させることを無明(12縁起)といいます。無知であって、仏教の根本思想としての世界観や人生観に通じないことを無明といいます。
だから彼女の言葉に同じ無明の世界の言葉を返しても彼女は救えません。救える方法は自分が無明の世界から正見の世界にいくしかありません。
正見の世界とは、無我・空の世界です。無我や空は無自性とされます。自己として固定した本体や性質がないことです。固定してないとは他と関係なしに孤立して独自に存在できないことです。昨日墓地で弁当を食べているとカラスが近くに寄ってきました。私はこれがあらゆるものが関係している無自性の世界だなと思いました。
無明の世界の言葉というのはエネルギーを消費するものです。エネルギーが無くなります。言葉というのはエネルギーを外からとりいれないで自分の頭のなかだけでつくりだすのでエネルギーが無くなっていきます。だから彼女の話を無明の世界の言葉でとりあおうとすると、とりあっている人のエネルギーも少なくなります。
正見の人は、彼女の話は聞いていても自分のなかに‘空’を保っています。彼女の話を聞きながら同時に外のカラスも無意識のうちにきちんと捉えています。‘空’は二重構造です。カラスをとらえていることはエネルギーを充電していることです。外の世界もきちんととらえることによってエネルギーは外から入っているので自分のエネルギーがなくなることはありません。
私はベローチェで隣のカップルの会話で、彼が彼女の自分のかたまりのような話にどっぷり巻き込まれていってしまってエネルギーが吸い取られているのが歯がゆくて、ちょっと自分なりの救出方法はないだろうかと思って書いてみました。
20代の女の人がいやに理屈っぽくてひんやりする喋り方をしているので、ちょっとおかしいなと思って何気なく聞いていたら、だんだんその彼女のいやなオーラに取り込まれてしまって、最後には関係のない私までが怒ってベローチェから出てくることになりました。
話を聞いていると、彼女は自分が悲劇のヒロインで、彼女の期待する答えが返ってこないと相手をなじっているのです。相手の男の人はそんなにいい加減に答えているわけでもなく普通なのですが、彼女はねちねち絡んでいます。
彼女は数日前に会おうといって会えなかったことをくどくどと文句をいっています。そして次には、私がこんなに落ち込んでいるのにあなたって何でそんなに明るいの、その明るさがいや、とか言っています。彼は、おれまで暗い顔してたらどうにもなんないだろうとか、戸惑いながら言っています。そして何か薬のことを必要以上に説明していて、彼が症状が良くなって楽になればいいじゃない的なことをいったら、私の話をきちんと聞いてない、あなたは私の話を壁をつくって聞いていると相手をなじっています。
彼はどう答えても責められるのでびくびくしなくてはならない。また彼女も彼のそういう顔を見ていたら自分のせいだと心のどこかで知っているので、余計からまなくてはいけなくなる。
多分彼女の不安をうち消してくれる答えが欲しいのでしょうけれども、彼が彼女の不安を和らげてあげようとあれこれ彼女の話にとりあっていても、結局は自分も愁・悲・苦・憂・悩を感じ共倒れになるか、耐えきれなくなって彼女を捨てるしかないでしょう。
彼女は言葉の世界でしか生きてない。自分の頭のなかだけで、自分の過去の後悔や未来の不安を消そうとして言葉を操って自分の言葉だけでは足りず、誰かにそのような言葉を言わせてどうにか自分の頭の世界を納得させようとしています。でも言葉では不安はなくなりません。
言葉だけで自分を納得させることを無明(12縁起)といいます。無知であって、仏教の根本思想としての世界観や人生観に通じないことを無明といいます。
だから彼女の言葉に同じ無明の世界の言葉を返しても彼女は救えません。救える方法は自分が無明の世界から正見の世界にいくしかありません。
正見の世界とは、無我・空の世界です。無我や空は無自性とされます。自己として固定した本体や性質がないことです。固定してないとは他と関係なしに孤立して独自に存在できないことです。昨日墓地で弁当を食べているとカラスが近くに寄ってきました。私はこれがあらゆるものが関係している無自性の世界だなと思いました。
無明の世界の言葉というのはエネルギーを消費するものです。エネルギーが無くなります。言葉というのはエネルギーを外からとりいれないで自分の頭のなかだけでつくりだすのでエネルギーが無くなっていきます。だから彼女の話を無明の世界の言葉でとりあおうとすると、とりあっている人のエネルギーも少なくなります。
正見の人は、彼女の話は聞いていても自分のなかに‘空’を保っています。彼女の話を聞きながら同時に外のカラスも無意識のうちにきちんと捉えています。‘空’は二重構造です。カラスをとらえていることはエネルギーを充電していることです。外の世界もきちんととらえることによってエネルギーは外から入っているので自分のエネルギーがなくなることはありません。
私はベローチェで隣のカップルの会話で、彼が彼女の自分のかたまりのような話にどっぷり巻き込まれていってしまってエネルギーが吸い取られているのが歯がゆくて、ちょっと自分なりの救出方法はないだろうかと思って書いてみました。