明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

神経根ブロック前夜。

2017年08月30日 | すべり症
月曜日、早速ケアマネさんに、日曜日に話し合えたことを報告した。


10月から、特別養護老人ホームへの入所が可能だという事。

入所でなくても、そこのショートなら、ロングショートでも構わないらしい事。


でも、私が術後何ヶ月で今の生活に戻れるか分からない以上、いっそ入所した方が、金銭的な面も含めて、良いかもしれないと話してくれた事。



私の頭の髄膜腫が、この先どうなるのか分からない以上、、、今のうちに特別養護老人ホームに入ってくれた方が、安心だとも思っている。

今回、下半身の激痛で病院へ行って、直ぐに入院しろと言われた。
だけど、それは出来なかったから、、、次にそういう事が無いとも限らない。

それでなくても、私は二度も急性胃腸炎でぶっ倒れていて、その都度、娘や旦那に仕事を休ませている。
それが家族、、、当たり前のことかもしれないけど、、、

見掛け倒しで、あまり丈夫でも無くなってる我が身。
これ以上、分かっている事で、家族に負担を増やしたくはない。

多分、娘もいつか嫁に行く。
旦那だって、実はオーバーワークで、実はヨレヨレだ。
父の介護まで、出来るはずもない。




今回、なんとか自力で交渉して、力になって貰える場所を見つけられたけど、次回も、、、とは、限らない。

今、父を預かってくれる特別養護老人ホームを見つけられたことは、神様がくれた答えなのかもしれないし。

だから、私としては、ロングショートでなく、特別養護老人ホーム入所としたいと思っている。


父も、了解してくれた。

それをケアマネさんに、話した。



とりあえず、暫くショートを使っていなかったその施設には、再体験の意味も含めて
9月に、二泊三日のショートを取って貰えたから、ケアマネさんに改めて申請して貰わなくてはいけない。





父には、生活の拠点を特別養護老人ホームにして貰うけれど、月に何度かは帰宅して貰う。
もちろん、私も通うつもりだ。
病院の通院もあるし、父も書類整理とかしたいだろうし。

我が家の父の部屋は、そのままにするから、帰宅した時に困らないように、ベッドとか、玄関ポールとか、今のレンタル品は買い取れたら買い取る。
ダメなら、他で買う。

入所すれば、介護保険は全て入所費用になり、一切のサービスは打ち切りとなるから、一割負担の枠も関係なく、必要ならばケアマネ関係なく、実費で対応して貰うって事だ。

だから、帰宅した父の、入浴介助も、私がするようになるかなぁ。
もしくは、入浴だけは、自宅は諦めて貰うのも致し方ないかな。



医療については、どうなるかは、これから話し合う。
医療に関しては、基本、主治医は特別養護老人ホームの指定医になるけれど、私が通院介助するならば、今の医師にかかるのも可能らしい。

但し、訪問医療は、在宅の場合。

特別養護老人ホームに入ると、今の訪問医師や看護師が、特別養護老人ホームに来る事は出来ない。




特別養護老人ホームには、指定医師がいるから、何かあれば、、、その医師が診てくれる。
24時間看護師さんもいるらしい。

往診も、内科医のみならず、歯科、眼科、皮膚科、精神科の医師が月に何度かくるらしい。


今までずーっとお世話になっていた訪問看護師や、ヘルパーさんとも、特別養護老人ホームに入ると、契約が終了になる。


仕方ないけど、、、
本当に、力になって貰ったから。

皆んな、特別養護老人ホームに入れるなら、チャンスだと思うと言ってくれた。

そう、、、なかなか入れ無いことを、みんな知っているから。


いろいろ一人で考えたから、間違いもあるかもしれないけど、そこは、お世話になる特別養護老人ホームの相談員さんと、決まり次第詰めて行く事にしたい。




ケアマネさんは、どうやらそこまでは介入しないものみたいだからね。


でも、ケアマネさんにもまだして頂か無いといけない事が沢山ある。

介護度が上がってから、初めて使う場所と言う事もあり、また担当者会議を開かなければならないらしい。

決まりだから、仕方ないらしい。
当然、介護サービスを提供して頂いてる事業所、全員が来られる日はなく、ケアマネさんに、それぞれの場所に出向いて説明して頂かねばならないらしい。


報告をして、、、




「良かったわね〜」と、とても喜んでくださったわけだけど、、、、
かなりびっくりしていた。


その施設で、ロングショートを使える事も、まさか、特別養護老人ホームに入れるなんて思いもしていなかったようだ。

私の術後、、、いつも使っているショートと、ダブルで、、、という話はしていたけど、結局、問い合わせてはくれていなかったからね。

多分、いつも使っているショートが、何日くらい使えるかによって、問い合わせをしてくれるつもりだったんだろうな。


私が、せっかちで、待ちきれなくて直談判しちゃったからね。
もちろん、直接話すことは、ケアマネさんにも言っておいたけど。
特に、ケアマネを通してくれとは言われなかったから、問題は無いんだろな。





それから、こんな事も言われた。


今、独居の人の特別養護老人ホームを探しているんだけど、私も聞いてみようかしら、、、


私が何か頼むと、いつも独居の方の話になり、、、そちらで手が離せなくてごめんなさいね、、、と、おっしゃるケアマネさん。

確かに、一人暮らしの方には、ケアマネさんしか頼れないのだろうな、、、とは、思う。


独居の方を何人も抱えてるから、家族がいる利用者は、家族でなんとかしなきゃいけないんだよね。

仕方ない。

でもさ、、、でも、、、



訪問医療の医師を始めた時もそうだった。


そんないい先生がいるなら、私もお願いしたい人がいるのよ。
頼んでみよう!

ってさ。


私が必死に探したんです!!

って、言いたくなる。
もちろん、言わないけど。


私は、ケアマネさんの同業者じゃないんだけどな。

他の人のこと、頼んでみよう!
って思っても、私に言わなくていいよ。
口に出さないで、欲しいかな。

私が、ケアマネの仕事をしているならば、そんな風には思わないけど、、、





前に、今のケアマネさんの所に、新しくケアマネになった方が、来て、、、少しの間、うちのケアマネをする事になった。


私に、いろいろ教えてくださいね、、、とか、勉強させて下さいね、、、とか、言ったの。

そりゃ、誰にでも最初はあるけど、、、私は悲しかった。

勉強は、自分でして下さいって思ってしまった。
何故、私がケアマネさんに教えなきゃいけないの?って思ってしまった。

私は、利用者なんだけどな。
私は、仕事じゃなく、、、
父の為、自分のために、必死なんだよな。
教えて欲しいのは、こっちなんだ!って、、、思ってしまったの。

クタクタになってるときに、いつも元気そうですね!って、、、言われた時は、ガックリした。

私は、出来ない、無理、、、じゃ、済まないから、、、無い知恵絞って、とにかくクタクタでも、いろいろ実行しているんだよ。

いろいろ調べて、やっと辿り着いたりもしている。

それを、ケアマネさんに、私が教えるの?

なんか、変じゃない?

逆なんじゃない?


友人や近所のおじちゃん、おばちゃんになら、良いことがあれば、バンバン教えちゃうよ。
立ち話は、得意だからね。
ブログにも書くしね。







あれ?

なんかさ、、、私って、意地悪だね。



ケアマネさん、いい人なんだよ。
沢山、お世話にもなってる。
いろいろ感謝もしている。
本当に。

父の、週に一度のディサービスだって、ケアマネさんが立ち上げた場所に行ってるし。
ワーカーさんも、皆んな素晴らしい方ばかりだ。


しかし、、、ケアマネさん、ディサービスを立ち上げる前は、本当によく来てくれてたなぁ〜。



きっと、私の心が狭いんだろな。


我が家が、いつも独居の人の次で、後回しな気がして、ひがんでるのか、、、

そうだね〜
私って、ワガママだからなぁ。


情けないったら、ありゃしない。





私ができる事を考えて、行動して、良かったら共有すれば良いのだ。


いーじゃない。
それで良いのだよなぁ。

私の労力が、父以外の人のためにもなっているのなら。

そうだ!
そうなんだ。

私も、チョットは、社会貢献できているのかもしれない。


ほんの少しは、、、

人の為になっているのかもだ。






だから、、、神様、、、


明日の神経根ブロックの注射、あんまり痛くありませんように!


と。


多分、生きてる中で、一番痛い注射らしい。



日頃の、私の悪い心のお仕置きだと思って、謹んで受けてくるね〜〜



どんくらい痛いか、、、楽しみだ。





うそ、、、怖すぎ〜。・°°・(>_<)・°°























特別養護老人ホーム

2017年08月27日 | 私。
おばぁちゃん、、、
ママ、、、

いーかなぁ?
おじぃちゃんを、特養に預けても、、、

大丈夫かな、、、
これで、いいのかなぁ?


写真の母は、笑っているけど、やっぱり哀しい顔に見えてしまう。



迷う。





今日、日曜日だけど、、、
三年前にショートスティを使わせて頂いていた施設の相談員さんが、我が家に来てくださった。

そして、9月に二泊三日の再体験をして、父が良ければ、、、

10月から、そちらの施設にお世話になれる事になった。


ロングショートスティ扱いをしても構わないが、先の事を考えるなら、入所する事も可能だそうだと。

特別養護老人ホームへの、入所。


私のすべり症の手術予定の11月と、術後何ヶ月かの、期間限定にするかは、まだ考えなくても良いと言ってくださった。

そのまま、特別養護老人ホームのお世話になるも良し、、、在宅に戻るも良し。

少なくても、私の身体が普通に動けるまでは、入所させてくださると申し出てくださった。

私の場合、今回の手術だけでなく、頭の中の髄膜腫もあるから、、、
今後のことを、焦って決めなくても大丈夫だと言ってくださったのだ。


特別養護老人ホームに入所しても、外出、外泊は自由らしい。
出来れば月に六泊七日程度にって話だったけれど、、、

もしかしたら、、、一人暮らしのような部屋の作りの我が家より、一人でいる時間が減るかもしれない。
引き篭もりのような生活を、改善できるかもしれない。

と、、、それは、あくまでも、私の良いように考えた事なんだけどね。



我が家に勝る場所は無い、、、
多分、きっと、、、いや、絶対そう。


特別養護老人ホームに入ると、一気に動けなくなるような気もしていた。
母が、そうだったから、、、

でも、母の様に寝たきりに近い状態ではないから、いろいろな行事に参加したり、軽いリハビリもしてくれるらしい。

参加するかしないかは、父次第だけれど。
それも、自由らしい。

いろいろな話を聞いて、私はそうして欲しいと思った。

父は、もう、納得し、、、
諦めてくれているから、それで良いと言ってくれた。







24日、先週の木曜日、、、。

父がディサービスに行ったあと、カレンダーを眺めながら、一人でいろいろな事を考えていた。

私の手術後に、父をどうしたら良いか決まらず、宙に浮いていた11月。
手術日を挟んだ二週間位ならば、今のショートスティ先を使えるにしても、その後、どうするか、全く決まらないままだった。

多分、直ぐには普通に動けないだろうと思う。
って言うか、普通の生活に戻り、キロ単位の重いものを持てるようになるまで、半年はかかるらしい。

例えば、父のポータブルトイレの中身だって、運べない?
着替えの最中、父がヨロけたら、一緒に倒れる?
はたまた、、、身を交わす?
なんてね。



今使っているショートスティだけでは、ままならないと分かって、、、最悪、手術は、出来ないかなぁ〜とか思ったり、、、
なるようになるか?!と、開き直ったり。


ケアマネさんも、我が家に来て、一緒に考えてはくれていたけど、、、
手術後どうするか、決まらない。

まだ、先の話でもあるが故に、逆にどうにもならなくて、、、


いつもなら、早すぎて予定が経たないショートも、早すぎて確定出来ないのだから、なんともはや。

でも、こればかりは、ダメなら次を、、、と探せるものでもない。
何故なら、どこも大概が一斉予約だから。


本当のところ、日が経つにつれて、手術に対する怖さも湧くから、いっそ、痛いのは我慢して、日々を過ごすのもアリかなぁ〜とか、思ったりもしていた。
術後の痛みも、半端ないらしいし、、、


介護だけの日々。
痛いから、寝てばかりになるかなぁ。
孫が出来ても、抱けない。
一緒に散歩も出来ない。

痛いから、家族に八つ当たりもするかな?
しかも、何処へも行けない。
歩けない、自転車にも乗れない。
当然、旦那とのタンデムツーリングも行かれない。
結婚30周年乗れない記念日旅行だって、行かれないだろな。
旦那が、浮気をしても咎められないとかもあるかも、、、なんて。

そんな人生を、選ぶ?

今、手術すれば、富士山でさえ、登れるようになるかもしれないのに、、、







あと二ヶ月。
二ヶ月しかないから、焦ってしまった私。



先が決まらなければ、手術出来ない事実。

ケアマネさんにも、多分、出来ることの限界があるのだろな。

ある意味、家族で、、、家庭で考えなくてはいけない事なんだろな。
介護者の病気にまで対応していたら、ケアマネさんも休む暇がないだろうし。

独居で単身で暮らす要介護者の方を、放って置けない場合も、あるだろう。

我が家だけのケアマネじゃないのだから。



私が、出来る事、、、やはり、するべきなんだよな。
ケアマネにばかり頼らず、、、

私が動かなくてどーする?
自分のことなんだぞ!!


てな訳で、、、

三年前に使わせて頂いたショートスティの相談員さんへ電話をしたのだ。

今回の、私の手術の話、術後、長期に父を預かってくれないものか、、、と。

もう一つのショートスティ先と併用して、月の半分を、数ヶ月間、お願いできないものかと。

ロングショートスティは、いろいろ問題があるようだから、望めないけれど、、、
なんとか二つのショートスティ場所を使って、術後安定するまで、なんとかしのぎたいこと。



三年前に利用していた。
ただ、それだけの関係。

もしかしたら覚えてくれているかもしれない。
あの時の相談員さんは、優しい方だった。

ただ、それだけの気持ちで、その方へ電話をした私。

長く利用しているショートでも、特別養護老人ホーム申し込みを12年前にしてあっても、ダメなものは、ダメなんだから、、、
実際、ダメなら仕方ないくらいの気持ちだった。

いざとなったら、民間の老人ホームを探すしかないか、、、
お金、大丈夫かなぁ〜


もう、一人で考えてたら、頭が痛くなって、顔の痺れが激しい。


いつも使っているショートスティのある施設も、電話をしたショートスティのある施設も、母体は特別養護老人ホームだ。



いつも使っているショートのある特別養護老人ホームには、12年前に、母と共に父も申し込みをしてある。

数年前に、要介護3以上でなくては特別養護老人ホームの利用は出来なくなっていたから、要介護2だった父は論外だった。

毎年、現状や意思確認の通知は来ていたけれど、私としても、まだ特別養護老人ホームの世話になるつもりは無かったから、その旨、毎年返信してた。

父の場合、気持ち的には、保険のような申し込みであったわけだ。
介護保険を使う為に、一番最初に付いてくれた当時のケアマネさん(今は、三人目のケアマネさんになる)が、申し込みを勧めてくれた故の、申し込みだった。

その場合、順位はどうなっているのか、よく分からないけれど、1日でも早い入所 をと願う人は、百人単位いる。
急に利用したいと言ったところで、要介護3でしかない父を、直ぐに受け入られるはずもない、、、。


いろいろな事を、考えてた。

でも、私の知らないところで、今回お世話になる特別養護老人ホームの方達は、より深く考えていてくださってた。

そして今日、対応策を持って来てくださったわけだ。


既に10月には、いつものショート先に、一週間に一度、検査日や診察に合わせ、ショートスティを入れて頂いているから、早く結論を出して、キャンセルしなきゃいけない。

特別養護老人ホームに入れる事になったから、キャンセルします。と。

なんだか、不義理な気もするけど、致し方ない。

私も、必死なのだ。

術後も、術前の痛みも、私は自分のペースで生活していられる事になる。

父も、二つのショートの併用しながらの、バタバタした、落ち着かない生活をしなくて済むのではないか?


頭の中は、まだグチャグチャだけと、もしかしたら、今、父が特別養護老人ホームに入所してくれるならば、、、
これから先の、ずっと先かもしれないけど、ありとあらゆる一人娘の介護に、不安を持たずに済むんじゃないだろうか、、、



少なくても、もしもの時に、、、慌てなくて済む。

私がではなく、私の娘達や旦那が、父の事で頭を悩ませる事も無くなるだろう。

もちろん、多分、取り越し苦労かとも思うけど。
いつなん時、何が起こるか分からないのが人生だから。



まだ早いとは思うけど、ポンコツな身体の私の、、、、最大の終活でもあるのだ。




縁起でもない!

冗談じゃないわ!


私は、手術をして復活したら、第二の人生をはじめるのだ。



富士山に、登るの。
まぁ、途中一泊してね。

九州にも行くのよ。
ブロ友さんにも、会いに行こう!
へそくりは、貯まってるから大丈夫。


やりたい事を、まづやって、、、
父を迎えに行くのも、アリかなぁ。





うん、そうだ!



それが、いい。

ライン

2017年08月24日 | 私。
今から、40数年前、、、

花の中学三年生。

F組。




仲のいいクラスだったんだよな。

学生時代は、何度かクラス会もしていたような気がする。


年を重ね、それぞれに歩く道が大きく変わり、住む場所も変わり、、、苗字も変わり。
新しい仲間や友達も増えて、いつの間にか疎遠になっていった。

皆んな、振り返らずに歩いていた。

皆んな、いろんなことがあったろな。



そんな中、年賀状では、繋がっている友が二人いた。

なかなか会えなかったけど、それでも40年以上、確かに繋がっていた。

そのおかげで、今さっきまで、そのクラスメイト達と、ラインで再会することが出来たのだ。


秋には、クラス会をするんだって。

もう既に、何人かは再会を果たしている。


私は、、、まづ、腰の手術してからだな。
今の腰じゃ、駅の階段も上れない。




皆んなに、励まして貰っちゃった。

頑張れって、やっぱり、いい言葉だなぁ。


素直に、、、
嬉しかったなぁ。

頑張らなきゃな。




年賀状、、、年に一枚だけの友とのハガキが、ラインで、また何人かと繋がれた。






15歳、、、

あの頃、ラインどころか、パソコンも、携帯も無い時代。
ポケベルすら、無かったんだよな。

電話か、手紙、、、長電話したし、手紙もよく書いたなぁ。


今は、長電話もしないし、すぐメール。

最近は、ライン。


便利なものが出来たよね〜
いつか、、、タケコプターか、どこでもドアが出来たらいいね。



でも、まさか、こんな風に、懐かしい友達とラインで話すことが出来るなんてね。

海外にいる友達とも、久しぶり!って話せるんだから、ビックリだわ。





15歳。

私は、どんな中学三年生だったかな?


元気な明るく、チョロチョロしていたような気もするし、、、
大人しかった気もするし、、、
忘れちゃったな。


でも、久しぶりに、あだ名で呼ばれて、、、
なんだか楽しかったなぁ〜



彼女のおかげだなぁ。
オケイ、ありがとうね〜(*^^*)

また暫くは会えないけど、、、
頑張って動けるようにしなきゃな。


今日は、泣いたり笑ったり、忙しかった。


でも、生きてさえいれば、、、だね。



今日の最後に、、、
同級生で、50代で亡くなってしまった友へ、今更だけど、、、

ご冥福をお祈りします。


考える

2017年08月24日 | 私。
今日は、坐骨神経が激しく痛み、足首に傷があるみたいな感じだ。

歩いていても、自転車に乗っても、痛みがあって、長く外にもいられない。
身体を横にすると、楽になる。

ナマケモノ?

私が痛みに弱いのかなぁ。
激痛じゃないし。
大した痛みじゃないような気もするし。
動けないわけじゃないんだ。


でも、いつか、突然、本当に動けなくなったら、どうするか、、、

私は、何処かの病院に運ばれて、それでいいけど、、、
父は、どうなる?



もう、やっぱり、手術しないとダメだよなぁ〜

しかし、、、
術後、父をどうするかさえ、まだ、決まらない。

今行っているショートで、何日かは預かってもらえるだろうけれど、ずーっとって訳にはいかない。

手術して、退院しても、私が直ぐに、今まで通り動けるわけもなく。
暫くは、自分自身の身体に、気を使わなくてはいけないらしい。


こんなんで、父の介護をしていけるか?


今、私は、大した介護をしているわけではない、、、
沢山の方に関わってもらって、単に一緒に暮らしているだけだし。

私のしている事、、、
病院の通院介助をし、三食を運び、洗濯をして、綺麗好きな父のシャツにアイロンをかける。
着替えを手伝い、ポータブルトイレやポットの準備、必要な物を揃える。
人の手配や、たまに夜中の介助。

大した事は、していない。

父の楽しみや、生き甲斐とか、、、考えてあげる余裕もなく。
自分が休んだり、出掛ける事ばっかり考えてるのは、私だ。

結局、50歳過ぎても、親に甘えているのは、私だな。

父には、多分、旦那より遠慮がない。
旦那は優しいけど、大好きだけど、親じゃないもんね。


父は、やはり、親なんだと、今日はしみじみ思った。
おかしな話だけどね。


結局、最期まで、一緒に暮らしたいのは、私なんだな。

自分の事ばっかり考えてる私だけど、特養や老人ホームに預けるつもりは、無かった。
無理だと思ってた。

きっと、父も、それだけは拒否すると思っていた。


でも、、、違った。


父は、もう、覚悟をしていたし、諦めていた。


私の事を、ちゃんと考えてくれていた。





それが、逆に、悲しいくらいに。



だから、私、真剣に、考えよう。

なるようにしかならないじゃなくて、一番良い方法を。



お陰様で、ロングショートを頼めそうな場所が見つかった。

父が、何度か利用していたショートだ。


ダメ元で、直に電話してみた。


ケアマネさんは、忙しいから。



私は、必死過ぎて、言わなくても良いことまで、話したかもしれない。

けど、、、

一緒に考えてくださるそうだ。




有難い。




日曜日、面談に来てくださるそうだ。


特養も併設しているから、一応、申し込むことにした。


父は、気持ちよく、同意してくれた。





なのに、私が泣いてしまう。



父は、泣かないのに。



泣いてる場合じゃない。




父と、私の為、私の家族の為に、一番良い方法を、考えよう。






帰省。

2017年08月21日 | 私。
私は、、、

母が69歳の時に、脳動脈瘤のコイル塞栓術中に脳梗塞を発症した時から、仕事を辞めて専業主婦になり、両親の在宅介護を始めた。

当時、44歳。
今は、56歳だから、、、

もう12年になる。
まだ、12年か?




母は、要介護4で、在宅介護を始めた。
亡くなったのは、80歳になったばかりの時。
約10年、本当に頑張ってた。

私みたいに文句も言わず、一生懸命に生きていた。
時には荒れたりもしたけど、それは当たり前だと思う。



父も、母と同時期に介護申請をした。
当時、父は75歳。
心臓弁置換手術をしていたし、胃腸やら、なんやら、身体は丈夫ではなく、変な話だけど、母の方が元気で長生きすると思っていた。

まさか、妻の介護をするなんて、父も思っていなかったろな。
もちろん、私も思ってなかった。


当時、要支援2だったかなぁ。
母の在宅介護を始めるにあたって、父の身体も心配だったし、何しろ病的に几帳面な父だから、私一人ではダブル介護は出来ないと思ったから。
認定されて、訪問看護師さんと、ヘルパーさんに、父の部屋の掃除を頼めた。
でも、まだ、一人で病院へも行けたし、母の介護を力仕事以外は出来ないまでも、一緒にしてくれていた。

母には、出来る範囲の支援を受けて、何とかダブル介護が始まった。

私もまだ元気で、丈夫だけが取り柄みたいなもんだったから、必死で両親の介護をしていた。

パソコンで、いろんな事を調べた。
夜中に、介護ブログで知り合った友人と、活字だけど話をしたり、、、情報交換したり。
それが、どれだけ救いになったか分からない。
もう介護を終えて、疎遠になってしまった友人もいるけど、、、本当に、楽しかったよ。

今は、その時間は寝てしまう。
やはり、若かったし、元気だったんだと思うのだ。
まだ50代で、何を言っているのやら、だけどね。



何より、旦那のおかげだな。
感謝しかない。
本人は、そんなつもりも無いかもだけど、私の全てを、支えてくれている。
いつも、私の好きにさせてくれて、側にいてくれている。
たまにイラっとするけど、それはお互い様で、、、
多分、私がイラっとすることは、単なる我儘なんだろな、、、とも思う。





一人娘の私と両親の為に、両親の住んでいた土地に、同居出来る、三階建で新居を建ててくれた旦那。

自分の両親は、スイカ農家で、義兄家族と住んでいて、年に一度しか会えないのにね。

これがさ、本当に優しい義両親で、私の両親の介護にも、絶対的に理解を示してくれて、文句どころか、今現在も、父を大事にしなさいと言ってくれている。
仏様みたいな、義両親なのだ。
もちろん、義兄夫婦も、とても優しい人達だ。



そんな義母も、一年半の入院を経て、今年自宅に帰ってこれた。

田舎の農家で、本家の嫁である義姉は、本当に大変だったと思う。
今だって、大変だ。
何にも出来ない、愚嫁の私は、いつもいつも感謝しかない。

義姉には、弟さんがいて、父親が他界した今は、一緒に暮らしているらしい。


義母は、、、

皆んな、一人じゃないから大丈夫!


いつも、そう言ってくれていた。


高校を卒業して、大学からはずっと両親と離れて暮らす次男である旦那。
県外とはいえ、近い所に就職したのに、まさかの転勤で東京へ。

そこで出会った私と、結婚して、、、
親と滅多に会えない場所で暮らすとはね。


義両親は、寂しかったろうな。


寂しい、、、
けど、子供が元気なら、幸せなら、離れていても何も変わらないのが、親子なはずだよね。

もちろん、一緒に暮らせていられるなら、それはそれで、とても幸せな事。

今、私の年子の娘達も、まだ結婚はしていないものの、二人ともに彼氏がいて幸せそうだ。

少しづつ離れていく娘達を見ながら、淋しいなぁ〜とも、思ってしまう私。
多分、義両親も、、、そうだったんだろな。



何を書いているのかよく分からなくなったなぁ。

ま、いいか。


今年も、義両親に会いに行けた。
二人とも、確かに歳は重ねたし、不自由な事も抱えているけど、お元気そうで安心した。



しかも、久々に娘二人も一緒に行けたから、次男の孫にも会わせられて、本当に良かった。


私は腰が心配で、帰省をギリギリまで迷ってだったけど。
クルマもノアからパッソになって、どうなる事やらだったけど。

行けて、凄く楽しくて、痛いのも忘れて結構歩いちゃった。





帰りは一泊して、、、
念願の場所へも行けた。






伊勢神宮。
内宮、外宮。



松坂牛の串焼き食べたり、伊勢うどんも食べてこれたよ。



夫婦岩の近くで一泊して、川の字プラスワンで寝てさ。


アドレナリン出まくりで、あまり痛くなかったのかしら。

やはり、病は気からか?
実は、大した事ないのか?


今は、、、やっぱり痛いんだから、笑えちゃう。



これからまだいろんな事があるだろうけど、私は間違いなく幸せだから、、、

笑いながら頑張ろ。


それに、いつも、ギリギリのところで、大逆転をして、更に幸せになっている。



だから、きっと大丈夫。

いや、絶対に大丈夫。



頑張ろっ!




















なんとか、、、

2017年08月19日 | 私。
先日、ケアマネさんが来てくださった。

私の手術を諦めずに済むように、一緒に考えてくださると。
それから、ロングショートの、使い方についても、会って話したいということだった。

まづ、ショートスティの使い方のルールを、改めて説明して貰った。

今更?
何故?

母の介護中にも、目一杯使わせて貰っていた。

介護者が、介護できないとき、、、病気や冠婚葬祭など、預かってもらえる場所でしょ?
二ヶ月前に、予定をケアマネさんを通して、ショート先に予約する。


今、父は三泊四日を、大体、月二回ショートスティを、お願いしている。
月に泊まるのは6日、カウントは8日だ。
他には、一週間に一度のディサービス。
月に3回の訪問看護。
週に3日、ヘルパーさんの入浴と掃除。
レンタルは、ベッドと玄関にポール。

要介護3の父は、まだ、少し余力はあるらしい。

269,310円
(1割26,931円)使えるわけだ。


私が元気ならば、何とか在宅介護をしていけた。

元気ならば、、、ね。





私の変性すべり症、痛みが日々続いている。
最終的には、第四腰椎は、固定手術をした方がいいとのことだ。
困っだことに、グラグラと、かなり動いているらしい。

固定さえすれば、神経に触れることもなく、痛みも治るらしい。

沢山歩けて、バイクのツーリングに行っても大丈夫なんだって。

やりたい事を、諦めなくても良いんだって。



すべり症からの、坐骨神経痛が、毎日続く。
腰が痛いと言うより、足が痛い。
酷い時は、お尻全体が痛くて、座ってもいられない。
足首から、足の裏まで痛くなり、痺れる。
ふくらはぎは、ずっとつってるみたい。
寝ていても、痛い。

重く、ズシンとくるような痛み。

何をするにも、椅子に座って休憩する。

料理も、、、掃除機をかけるのも。
洗濯を干す時は、腰を曲げて伸ばす時に、ゆっくりでないと怖い感覚。

最近は、自転車に乗るのも痛くなってきた。
当然、長く歩けない。
自宅の中の階段を降りるときも、手摺じゃなく、壁に背中をくっ付けて、降りている始末。

朝起きた時は、身体中が痛い感じがする。

もう、早く手術して、楽になりたい、、、
手術すれば、痛みが無くなる、、、

らしいから。

そう思い、大学病院の先生に診て貰ったわけだ。


手術日は、11月に予約した。
今、大学病院で予約出来る、最短の手術日。

でもその前に、二回レントゲンを撮りながらの、神経に直接アタックするブロック注射を試してみる事になっている。
神経根ブロック注射。
何回か受けた、硬膜外ブロック注射の次なる手?

なんかさ、、、痛そうで怖いけど、医師が言うには、やってみる価値はあるらしい。

うまく効けば、手術回避も出来るかもしれないらしい。
その時は、手術はキャンセル出来るから、とにかくやってみようって。
専門の医師がやるから、僕より上手だよ、、、と、先生がおっしゃった。

マジか?!

手術しないに越した事は無い。
この痛みさえ無くなればね。

すべり症でも、命に関わる訳では無いし、痛くなければいいのだ。

痛いから、手術する。

他にも、術前検査やら、説明やら、、、何回か大学病院に行かなきゃいけない。



私の場合、九月は、脳外科のCTや、MRIも、診察もある。

こちらも、最近、舌が痺れ、目玉も痺れている時がある。
顔面神経痛がかなりあって、辛い。

こちらは手術は、難しい場所。

でも、、、大きくなるようであれば、何らかは、するかもしれない。


てなわけで、、、もう、本当は、父の在宅介護をしている場合じゃない、、、

とは言え、、、やめれない。


やめれないのだ、、、、

やめたくない、、、

やめさせてくれない、、、

全部だ。




でも、少し介護負担を減らす為と、病院へ行きやすくしたい為に、ショートを増やして貰いたい事を、ケアマネさんに頼んでいた。

手術前後も、出来るだけ預かって欲しい。
出来たら、半年くらい、何とかならないか、、、。



よく聞く、ロングショートを使えないかと頼んでみた。



父も、自分一人では暮らせない事を分かっている。
着替えの介助、何より、三食の食事の用意、家事一般、病院介助もある。

だからこそ、父も私の身体も案じてくれているけれど、自分の暮らしも案じている。

私が手術をする為には、父が暮らせる場所を探す事が第一なのだ。

いくら鬼娘の私でも、放って行くわけにはいかない。

誰がなんと言ってくれても、、、在宅介護を止める事が、本当に、むずかしいのだ。


とりあえず、ショートスティのソーシャルワーカーさんが、ケアマネさんと相談してくださり、9月、10月は、ショートを増やしてもらえた。
検査の前後や、週末を絡めて、ショートと在宅を、ハーフハーフくらいにして貰った。

実際、夜中に着替えたいと起こされたり、なんだかんだ、呼ばれるし。
痛みが強くて、痛み止が効かない時は、辛い。

三食の準備も、、、簡単な事が、苦になる。


なので、9月、10月は楽になる、、、かな。




が、まだ先がある、、、手術して、入院中をどうするかだ。

入院がどの位になるかは、まだ分からないけど、1日や2日で帰れるわけじゃない。

まだ、詳しい話は分からないのだけど、医師に、11月は誕生日月だと話したら、うまくいけば、それまでに帰れるかもしれないと言っていた。
つまり、10日位の入院。
経過や、内容にもよるから、何とも分からないのだけど。

帰宅してからも、当分は、1キロ以上の物を持ってはダメだとか、いろいろ規制はあるらしい。

だから、半年は、私自身も、気をつけつつ生活する事が肝心のようだ。

だけど、、、介護をしながら、出来るのかな?







その為に、ケアマネさんと、あーだこーだと話し合った。


簡単に、ロングショートを使えると思っていたけど、そうじゃないらしい事が、詳しく話を聞いて、やっと理解できた。


ロングショート、、、
そもそも、そんなものは、無いのだ。

特養が空かないから、特養が空くまでショートを使うしか無い。
そんな方達が、便宜上、使っている言葉らしい。

認知症があれば、グループホーム。
薬が少ない方は、リハビリをしたい方は、老人保険施設。
お金があれば、民間の老人ホーム。

いろいろ、ある訳で、、、認知症でも無く、値段の高い薬を飲んでいる父は、既にアチコチで入所を断られている。


だから、、、ショートしかない訳で、ショートならば慣れた場所で頼めないか、と、思っていた私。

しかし、甘く考えて過ぎていた、、、





15日ルール。

介護保険の、認定年数の、半分の時間をショートに当てる事ができるらしい。
普通二年だから、365日はショートを使える。
200日ならば、100日使えるってこと。

つまり、簡単に計算して、一ヶ月、15日くらいなら、問題はないらしい。



一ヶ月に、それ以上使う方法も、あるにはあるけど、、、
それは、ショート先に迷惑が掛かるらしい。

例えば続けてニヶ月を跨いで、どうしてもショートを使いたい場合。
29日、介護保険を使える。
そして、30日目は全額自己負担にして、帰宅したことにする。


しかし、利用者の為に良かれと思ってしてくださった事で、ショート先自体は次回、31日目から、国から返してもらえる金額が減るというのだから、ビックリだ。
減額、、、

なんじゃそりゃ?
だよね。

しかも、行政からの評価が下がるという。

何故??だよなぁ。

ショートスティの方の、お給料にも影響するかもしれない、、、

そんな、、、バカな?

でも、、、、、


皆んな、我が家と同じ、サラリーマンなのだ。





特養は一杯で、入れない。
国は在宅を勧める。

でも、在宅で看れない時もある。




みんな、、、

どーしているんだろ。



どーしたら良いのか、まだ結論が出ない。


特養入所待ちの、意思を伝える。

今の私の健康状態なら、可能。



しかし、、、、、父は、やっぱり嫌だろな。












難しい。

2017年08月10日 | 私。
いろいろ、、、ありましたが、、、


昨日、腰のMRIを撮り、大学病院の医師とも、会うことが出来ました。

ちゃんと、主治医だと思っていてくださったようでした(笑)

旦那の実家に帰省しなくてはいけないと話したら、ブロック注射、、、痛いやつ、してくれました。
麻酔をして、薬を注入するわけですが、痛いのよね〜〜ホント。
途中、針が曲がったか、折れたかで、、、涙ちょちょぎれ。
が、あまり変わらず、、、

大学病院で手術をしてくださるそうで、ご自身宛に紹介状を書いてくださり、今日、大学病院へ行き、再び診察。

レントゲンも6枚追加撮影。
レントゲン技師さんの、乱暴さに、痛みが増し、ちょっとムカつきました。
仕方ないかもしれないけど、口より先に手が出るのって、どーかと思ってしまいました。

「痛いから、撮るんだから、仕方ない」


そりゃ、そーです。

仕方ないけど、、、痛いんです。
もう少し、優しく出来ないもんですかね。

患者の、我儘ですかね、、、


医師は、やはり優しい方でした。

いろいろ、聞いてくださる。
理解しようとしてくださる。

それが、やはり一番。

大学病院の、准教授。
いろいろな資格もある方です。
お任せ出来そうです。




手術日も決まりました。

第四腰椎の、変性滑り症。

グラグラと、かなり骨が動いているらしいです。


大丈夫!
痛みを取って、生活レベルをあげよう。
また、バイクでツーリングに行けるようにしてあげる。
何かあっても、最後まで責任持つから。


そう、言ってくださいました。


その前に、レントゲンを撮りながらの、ブロック注射を二回する事になりました。

それ、痛いらしい、、、けど、仕方ないかなぁ〜

それをしてみて、やはり痛みが減らなければ、手術予定は、決定になります。




が、、、しかし



長期に、父を預かってくれる場所が、なかなか決まらないのが現状。

入院、出来ません。


日帰り手術では、ないわけです。


どのくらい入院するのかは、医師にも分からないらしいです。


そりゃ、そうですよね〜


一か月、父を頼みたいと、ロングショートを申し入れましたが、、、


難しいらしいです。



簡単に、考えていました。




検査、治療、手術前のいろいろ。



難しい。




帰宅してから、電話しっぱなし。



もう、疲れてしまいした。




自分の身体が一番よ!
頼りなさい!
一人じゃないわよ!


口で言うのは簡単、、、

ごめんなさい。


つい、、、





介護する側は、病気にもなれない。

まして、入院なんて、、、


ですかね。



要介護3だから、難しい。

要介護4や、5なら、難しくない?らしいです。




なるほど、、、



介護者は、病気にはなれませんね。


特に、私みたいに一人っ子で、親戚一同、遠くにいるような家庭では、、、

入院は、難しい。


私の旦那や、娘達がいるじゃない?


、、、。



無理。

どう考えても、無理ですよ。



共倒れどころか、、、

家族倒れに成りかねません。




どうなるかは、ケアマネさん次第?


そうなんですか?



誰にも、頼れない気がしてきました。






手術、やめよっかなぁ。



なんか、めんどくさくなってきた。






なんとかなる!


と、思ったんだけど、、、


甘かった。








在宅介護を勧める行政の方は、みんな、お金があって、不倫もする元気もあって。

ホント、羨ましいです。


嘘、全然羨ましくないですけど。



身体が不自由な老人を抱えている家族の事を、もう少し考えては貰えませんかね。



今更ですが、、、




いろいろ、難しい。



すべり症②

2017年08月04日 | すべり症

結論から。

来週、MRIを撮ることになった。

どうなるかは、とりあえずそれからで、鳥取帰省に、行っても大丈夫だって言って貰えた。

「そんな簡単に悪化する事は無いから、行っても大丈夫だよ。
ただ、痛みに、耐えられるかどうかだね」

耐えるしか、無い。

一応、痛み止めの座薬を20個貰って来た。


でも、、、下剤も、だんだん効かなくなってる気がする。
それに、入れた後は、なんだかお腹が痛くなるし、しみるのだよなぁ〜。

ロキソニン1日3回、ドラムセット1日4回、座薬のボルタレン50を1日2回、、、

こんなんじゃ、どうしょうもないよなぁ。


もう、この痛みとは、サヨナラしたい。

これじゃあ、バイクどころか、何処にも行けない。


キングジーからも、どんどん笑顔が消えていく。



この痛みが無くなるなら、もう、手術してもらいたい。


それくらい、痛かった。


その話を聞いてくれたのは、前記事にも書いたように、主治医ではなかった。



2日前に、急に休診になったらしい。
大学病院で、急な手術でも入ったのかもしれない。



さて、、、どうする?

もう、本当に諦めて、国立病院の脊柱センターに行くか、、、

携帯で、病院のホームページや、他には良さそうな整形外科が無いものかと探してみた。

大学病院の、整形外科、、、医師の紹介ページをふと見たら、、、

あれ?
この先生、、、整形外科病院に来ている!!

大学病院の、整形外科の一番偉い人、教授だ。

チョット変わった名前だったから、直ぐに分かった。
脊柱外科医で、指導医でもある。


私は、ついている!!

しかも教授が、来る日なのだ。


念のために、もう一度、整形外科病院に電話をして、本当に来るのか確認した。

何時に来るかは、分からないけど、来ることは来るらしい。

多分、大学病院で手術をした方が、逆紹介でこちらに来て、教授に診てもらっているんだと思う。

私も、脳神経外科の経過観察は、他の病院で教授にして貰ってるからね。



こりゃ、何とかなるかも?!


主治医に会えないなら、上司に直談判!
てのも変かな?

主治医に診察して欲しいから、大学病院に紹介して欲しいと、頼んでみよーっと。
もう、こうなったら、自分が納得できるように動くしかない

主治医と話せなきゃ、どう進んでいったら良いか、分かんないし


って事で、教授目指して整形外科に行って来た。


受け付けで、教授を指名した。
有難いことに、医師は、ご指名が出来る。

教授は、何時に来るか分からないらしかった。

待ちます!いくらでも、待ちますとも



そ、それがさ、一時間程して、まだ教授が来た気配が無いのに、名前を呼ばれちゃったのだ。

先週、入院勧告された、あの副院長に!


行かない!呼ばれたけど、行かない!

受付に行き、〇〇先生にお願いしたいって言ったんですけど、呼ばれちゃって、困るんですって言った。

だって、嫌なんだもーん。
もう、怒られたくない。
また入院しろって言われたら、困る。
いくら私のためでも、やっぱり無理なんだよ。


すると、、、別の人が、呼び直された。


こーは書いても、ノミの心臓。
バクバクドキドキよ、、、副院長を拒否したんだから、、、私、怖すぎる


直ぐに看護師さんが私の所に飛んで来て、どうしたの?って言ってきた。

顔見知りの看護師さんだったから、先週からの経緯を話して、主治医に会いたいから、大学病院の医師と話がしたいってお願いした。
出来たら、紹介状を書いて欲しいとも話した。
もちろん、柔らかく、切実に

看護師さん、承知してくれて、待つように言ってくださった。


11時で午前の受け付けは終わる。

待合室には、まだ沢山の患者さん。
教授を待っている方もいるんだろな。

が、教授は、なかなか来ない。
足も腰も痛すぎて、座ってらんない。
待合室が暑いのか、私がカーッとしているのか、汗が止まらない。

なんでクーラーかけないのかなぁ。
教授先生、まだかなぁ〜〜
まさか?来れない??
と、不安になり始めた頃、突然私の名前が呼ばれた。

教授先生が来た!!
私を一番に呼んでくれたみたいだ。

単純に、二時間待ちしてるから、教授を一番に待ってたのかな?

もしかしたら、、、看護師さん、カルテを一番上に乗せてくれた?

とりあえず、会えた(涙)




とっても優しい先生だった。
穏やかで、物静かで。
かなり長い時間、話したような気がする。

私の話をさえぎる事なく、言いたい事全部、ちゃんと最後まで聞いてくれて、バカな私でも分かるように、いろいろ話してくれた。

主治医に会えないこと、一週間前に入院勧告されたこと、無理なこと、、、
とにかく、今、座ってられないくらいに痛い事を伝えた。

大学病院に、主治医に診て欲しいから、紹介状を書いてはくれないかとも言ってみた。



大学病院の予約は、大概が二、三ヶ月待ちになる。
MRIも、ナカナカ予約が取れない。
それは私も知ってる。

脳外科も、本当に診察予約が取れず、主治医が別の病院に出向している時に診て貰っている。
MRIも二ヶ月先までいっぱいだったし、検査結果は、自宅に送って貰って、別の病院で診てもらう事にもなっている。

そっか、整形外科も、、、同じか、、、。


それならば、この整形外科病院で主治医として診て貰った方が早く診てもらえると。

既に、主治医に会いたくて二週間待っているけどね、、、
大学病院で、また二ヶ月待つよりは、マシかぁ。

とりあえず、検査はこちらで受けた方が早いと言われた。

本当は、本当はね、、、
主治医じゃなくても、教授先生が主治医になってくれても良いなぁ〜なんて思ったけど、、、それは、グッと堪えた。



そして、今度こそ来るだろう来週の水曜日に、一番でMRIの手配をしてくれて、そのまま診察も出来るようにしてくれた。

良かった。

ホントに、今度こそ来れば、、、だけどね〜
まだまだ不安。

もし、万が一また会えなかったら、別の病院に行こう。
紹介状を書いて貰えなかったら、、、また、一から検査して貰おう。


きっと、コレも、縁てもんがあるのだろうから。


う、、、しかし、また大嫌いな、怖いMRIだ。
仕方ないけど。

有難いことに、この整形外科病院には、オープン式の最先端の機械が入っているらしい。
だから、怖さは少ないかな?
ま、目をつぶりながら入るけどね〜

考えたら、私が初めてMRIに入ったのは、この整形外科病院。
初めてだから、ワクワクして、ドームの中でキョロキョロしちゃったのだ。

結果、、、突然、怖くなり、大変だった。
それからずっと、閉所恐怖症。

新しい機械の入る、数日前でさ、本当についていなかった。

二度とMRIはしないと決めたのに、あれから何回入ったかなぁ〜
何十回、、、かな(笑)

今でも恐怖で、、、毎回、MRIの部屋に入るなり目をつぶる。
目を開けないように、タオルを乗せて貰い、持参したCDを流して貰ってる。

九月上旬には、大学病院で頭のMRIの予約も入ってる。

毎月MRI、、、嫌になる。


旦那は、私の医療費のために働いてるみたいだなぁ。

なんだか申し訳ない( i _ i )



手術なんてしたくない。

でも、万が一、歩けなくなるような事になったら、、、


キングジーには申し訳ないけれど、自分の身体を一番に、考えなきゃいけないと思う。


しかし、、、キングジー、、、

どうしたら良いのかだ。



ケアマネさんに事の顛末を話したけど、、、


何かあったら、相談に乗ります、、、でも、月末月初は、忙しいのよね、、、


だった。



頼った私が、甘かったのだなぁ。


やはり、介護は孤独だと、、、思ってしまう。



が、、、しかし、、、


今日、思い掛けない電話が!!


この話は、また後日。


長々と、ありがとう。









すべり症

2017年08月03日 | すべり症



去年より、すべってる。
紛れも無い、すべり症。
脊柱管狭窄症にも、なってるらしい。


丁度一週間前、キングジーの耳鼻科に付き添った帰りだった。

大学病院から我が家までは、タクシーで10分くらいなんだけど、、、もう、腰から下が痛くて痛くて。
座っているのが辛かった。

突然の、激痛ってわけではないのだけど、ジワジワと嫌な痛み。
ふくらはぎは、両足共に、ずーっと攣ってる感じ。
いつもは、右足だけなのに、お尻、両足が痛かった。

これは、いつもと違う。

翌日、丁度主治医の医師が、近くの整形外科に出向している曜日だったから、キングジーをヘルパーさんに任せて行く事にした。

が、しかし、、、私がいった時間が遅過ぎたのか、大学病院から来ている主治医は、急患があったのか、レントゲンを撮ってる間に、大学病院に帰ってしまった、、、

代りに、レントゲン結果を副院長が診てくれたんだけど、、、

怒られた。


入院するか。



そんな、急に言われても、無理です。


キングジーの事、話した。




介護なんて、してる場合じゃ無いでしょ!


って、、、。


そんな事言われたって、キングジーをほっとくわけには行かない。

介護なんて、、、じゃないのだ。


自分の身体が一番なんてこと、言われなくても分かってる。
イザって時は、そうしなきゃいけない事も、分かってる。

でも、それには準備が必要なのだ。

簡単に、キングジーを預かってくれるとこなど、無いのだ。

仮にあったとしても、それなりに、いろいろ用意も必要だ。

私の代わりがいないのだから、帰らないわけには、いかないのだ。



医師の言ってることは分かるけど、ならば、先生がキングジーを、預かってくれ〜〜

とは、言えない。


入院出来ないなら、どうしようもないでしょ、、、


と、完全に見放された感じ。


何を言っても、冷たい感じ。


泣きそうになったよ。


痛くて病院に行き、直ぐに入院勧告されて、無理だと言ったら、見放され、、、

ホントは、あんたなんかに診てもらいたくなかったよ、、、
とも、言えず。


入院しないなら、どうすることもできないでしょ?

まぁ、そうなのか。

痛み止めの座薬十個と、コルセットするように言われて、あとは主治医と相談しなさいって言われて帰って来た。



例えばさ、介護してなくても、急に入院勧告されても、入院出来ない人って、沢山いると思うのだけどな、、、

小さな子がいて、頼れる人がいない場合だってあるんじゃない?


ロクに説明も無く、入院して安静に?
週単位の入院?

何故?
何をするわけ?


家に帰って、いろいろネットで調べたら、確かに入院して、安静を保ちながら、腰の様子をチェックする場合もあるようだ。

主婦はいろいろ忙しいし、家庭での安静は難しい。

とりあえず、とにかく、安静が一番らしい。


そんな話もしてくれないで、入院するかって言われても、、、


いや、それ以前に、とにかくキングジーを放置して、入院出来るわけもない。


なんかさ、高ビーな副院長。

偉くて、腕も良いかもしれない。


腰の痛みより、医者の言葉一つ一つが、痛かった。



帰宅してから、一応、医者に言われた事をキングジーにも告げた。
万が一の時は、ショートスティを、ロングスティにしてもらうしかないから。

キングジーは、分かってくれたけど、すっかり元気を無くした。

また、キングジーから、笑顔が消えた。

キングジーも、私を心配に決まってる。
だから、今まで以上に、気も使ってくれている。

でも、キングジーは要介護3。

自分一人では出来なくなってしまった事が、沢山あるのだ、、、


木曜日は、キングジーのディがあり、金曜日からは、三泊四日のショートだった。

だから、ホントに助かった。

その五日余り、痛み止めを飲み、、、座薬入れながら、ひたすら安静にしていたおかげか、今は少し、マシになった気もする。

確かに、座薬は効くような気もするけど、お腹の調子が悪くなる。

痛み止めが、増えただけで、なんの解決にもなってない。

そのうち、また胃腸炎とかになって、運ばれちゃうかもなぁ、、、



困った事に、八月中旬には、旦那の実家に帰省予定。

可愛い次男坊の旦那と、孫二人に会いたいと、義両親が待っている。

義母は、一年半入院していて、やっと退院してきた。
遠い事もあり、お見舞いに行ったのは、二回だけ。

ホントに、ロクでもない嫁だ。

自分の親の介護で手一杯で、旦那の親は義兄夫婦に任せきり。

次男の嫁をいい事に、私は何をしているんだろう。

だから、帰らないわけにはいかない。

理由を話せば、きっと心配し、帰省できない事も許してくれる、そんな義両親だ。

旦那と結婚して、29年になるけれど、ホントにいつも優しい。


ここ最近、娘が二人仕事の都合で、揃う事が無かったから、久々に四人での帰省。

帰りには、初めてお伊勢さん近くに一泊するつもりで、ホテルの予約もしてあるのに。

何で今なんだろう。

しかも、車を買い替えた。
14年乗ったノア、車検でかなりお金がかかりそうだからと、思い切っで小さな車にする事にしたのだ。

ノアなら、寝転がって行けるけど、パッソだとそうもいかない。
長い時間、私は座ってられるかしら、、、
背もたれ倒したら、大丈夫かなぁ〜

なんだかんだ休憩を沢山するから、片道10時間近く掛かる、、、
いつもなら、それが楽しみなんだけど。


一週間が経ち、痛みは少しマシになってきた。

でも、やはり動くと痛くなって、長い時間イスに座っているのも辛くなる。



今日は、再び、整形外科に行った。


今度こそ、大学病院から来てる自分の主治医に会えるはずだから、、、

これからのこと、相談したいし、主治医にナカナカ会えないから、いっそ大学病院に紹介状を書いてもらえないか、お願いするつもりでいた。

手術の覚悟も、少し、し始めたから、やるならば大学病院でして欲しかったし、間違っても、副院長のいるこの病院で手術するのは嫌。


でも、気になって、朝家を出る前に、整形外科病院に電話をしてみた。


嫌な予感は当たるものだ。


また、医師は急に休診になってしまっていた。





主治医、、、って、なんなんだろ。


それも、ナカナカ会えない主治医。


たまたま、最初に診てもらったのが、大学病院から来ていたその医師で、私が勝手に主治医だって思ってるだけ?


大学病院の医師だから、仕方ないのかもしれないなぁ。
毎日、数え切れない程、患者を診てるだろうし。

第一線で、バンバン手術をする医師だもの、私なんか忘れてるかもしれない。



それこそ、最先端の治療を求めて、日本全国から患者は来る。

県内で、すべり症の名医を探せば、ネットに名前が載る医師だ。
診て欲しい患者さんは、毎日やってくるだろな。

命をかけてる患者さんだって、きっといる。

だから、緊急の手術だって、あるのも分かる。



もしかしたら、移動だってある。

いつ、いなくなるか分からない。

一生、付き合って貰うなんて、無理な話かもしれないし。


いっそ、もう諦めて、別の病院を探した方が良いのかもしれないなぁ、、、
大学病院じゃなくたって、ホントはいいのだ。

近くには、国立機構病院もあるし、少し電車に乗れば、大きな総合病院もいくつかある。


また、一から、長い時間待って、診て貰うしか無いかもな。

ドクターショッピングと、言うやつだ。

なんだか、辛いなぁ。





今の整形外科は、入院設備もあるし、この辺りでは大きい方の病院だ。

総合病院とまではいかないけど、一次救急病院でもある。
曜日によっては、大学病院や他の病院からも医師が来ていて、内科や脳神経外科、形成外科に、麻酔科もある。

母は最後の主治医が、ここの脳神経外科の医師だった。

母が、大学病院で、脳動脈瘤の手術をした医師だ。
結果、片麻痺になり、最後は寝たきりになってしまったけど、、、
医師のせいではないと、思うし。

優しい思いやりのある医師だったし、私の髄膜腫も、いろいろ心配してくれた。


その医師は、今も週に一度、この整形外科に来ているけれど、大学病院からではない。
大学病院をやめたのか、出向しているのかは、分からないけど、、、週に一度の診察日以外は、大学病院じゃない、他の総合病院にいる。

なんとなく、、、テレビのドラマを思い出すよね〜
派閥とか、あるのかと。

ま、いろいろ、あるのだろうな。


だから、私もキングジーも、何かあるとこの病院を受診していた。

大学病院は、紹介状がないと、いくら他の科にかかっていても、ダメだからね。
この病院なら、二、三時間も待てば診てくれる。




話はズレたけど、そんな訳で、結局、今日も、主治医には会えなかった。



会えなかったけど、実はとても優しい、話をきちんと聞いてくれる医師に会えた。


長くなったので、続きはまた。

暑中お見舞い申し上げます。

2017年08月02日 | 私。
ご無沙汰しています。

お陰様で、キングジーの介護はまぁまぁ、なんとか。

キングジーの体調、状態も落ち着いており、特に書く事もなくかなぁ〜だった。

だから、私の気持ちも、安定していたのだけれど、、、




七月の連休には、旦那とタンデムツーリングへ。
日光への一泊旅行に行って来た。

あり得ないほど暑かったけど、とっても楽しく過ごして来れた。


日光東照宮




華厳の滝


中禅寺


いろは坂で、鹿に遭遇!






キングジーも、小さなことはいろいろあれど、普通に生活出来ている。
安定剤も、今の所、飲まないでも大丈夫みたいだ。

先日は、大学病院のレストランで、久々に二人でランチを食べたのよ。



ちなみに私は、キングジーにステーキをご馳走になった(笑)







昨日、こちら地方は、昼過ぎからスゴイ雨だった。
雷と共に、雨が滝みたいに降って来た感じ。
今年は天候がやっぱり変よね。


実は、私の体調、、、いろいろ変になっている。

更年期だから、、、いろいろ出てくるのかなぁ。


頭の中の髄膜腫からの、顔の痺れが、かなり強くなってきて、うっとーしくて仕方ない。

おまけに、口の中や、舌まで痺れ始めてる。
加えて、舌に、小さなホクロみたいな、黒い点が出来たもんだから、舌癌か?!って、かなりビビった。

結果、舌癌では無く、小さな血腫らしく、色素沈着して黒い小さな点になってるらしい。
これは、消えなくても仕方ないって事だった。

もし、今の十倍、歪んで広がったら、またいらっしゃいって、診てくれた口腔外科医が言っていた。

今も、変わらず点はあるけど、全く変わらないから、大丈夫だね。



実はこれ、三人の医師に診て貰ってたの。

最初は、普通のかかりつけの歯医者さん。
次は、口腔外科を併用してる歯医者さん。

どちらも心配ないと言ってくれたけど、
脳外科医が、舌のことなら口腔外科専門医じゃ無いと分からない!と、言うから、なんだか心配になってさ。

脳外科の主治医は、とっても凄い医師で、その道の名医。
大学病院の教授でもある。

大学病院ではナカナカ会えず、外来に来ている他の病院で、二ヶ月に一度は、経過観察して貰ってる。


頭の中の、髄膜腫からの口の中の痺れなのか、、、舌の問題なのか、、、
とにかく消去法で、舌からスッキリさせようと、電車に乗って、口腔外科専門の科がある、総合病院まで行って来た。

生検まではしなかったけど、触診、写真を撮って視診、とりあえず癌の心配は無いそうだ。

やはり、舌の痺れは、頭の問題だと思うって、形成外科医は言っていた。


良かったのか、悪かったのか?


頭の方は、来月早々にMRIを撮る事になった。
いつもは、一年に一度。
前回は、半年前だった。

今回は、造影剤を入れて撮るそうだ。

あーあ。
閉所恐怖症の私は、今から恐怖だ。

なんのCDを、持って行ってかけてもらおうかしら。



話は戻り、、、

今回、行きつけの歯医者さんが、紹介状を書いてくれてね、ホントに助かった。

今は、大きな総合病院には、紹介状が必要だ。

無くても診てくれるところはあるけど、何時間も待つし、予約患者優先。
研究費みたいなもんも、掛かる。

紹介状があれば、比較的早く診てもらえるし、費用も安いのだ。



脳外科医は、優しいけど、忙し過ぎて、偉すぎて、、、紹介状は、無理みたいな感じだった。
大学病院に、口腔外科があったら、紹介状も書いてくれたのか、、、分からないけど、とにかく忙しい先生だから、余計な事は頼めない。

だから、最初に診てもらった、行きつけの歯医者さんに頼んでみた。

直ぐに、書いてくださったのよ。

心配なら、心配が無くなるまで、診て貰った方が良いって。




今回の舌に限らず、心配事を、ネットで調べていると、怖い事ばかり書いてある。

だから、ホントに心配だった。


ホントに、良かった。




そしてまだ、体調の変!!

は、続くのだ。