12月・・早いですねぇ~~今年もあと二日。
特に今月は、身体も気持ちもドタバタだったような気がします。
気が付いたら・・12月って・・そのくせ今は妙にくつろいでますが・・。
12月のはじめに、携帯電話を買い換えました。
とたんに、迷惑メールがドドド・・っときだして、数年ぶりにアドレス変更をしました。
哀しいことに・・メールの宛先不明な方が数名。
嬉しいことに・・ブログを読んでくれている友達が数名。
アドレスを換えたことで、久しぶりにメールでおしゃべりすることもできました。
それにしても、メールやブログでの発信ばかりで、昔のような長電話って・・ないですね。
若い頃は、それこそ親に小言を言われながら・・時には公衆電話で10円玉を重ねながら、長電話をしたものですが。
年賀状も・・手書きが少なくなりましたよね。年賀状は書くんじゃなくて、作るって感じかな。
我娘達は・・年賀状を作ることさえせず、もっぱらメール。
私も・・今年はまだ何もしていません・・旦那が作ってくれません。そうです!心はハーレ。ひたすらハーレ!
それにしても旦那の行動力には天晴れです。私にはとても真似が出来ません。
決めたことは、しっかりと。有言実行ですね。
それでもって、嬉しそうな顔。まるで子供のようです。言ってはなんですが、やっぱりB型。
好きなこと、望むこと・・ひたすら邁進。羨ましいくらいに、きっちりと進んでいきます。
私のように、ウダウダグダグダしませんから・・。
旦那はこう言うと「嫌味?」って言いますが、半分以上は素敵だと思います。あ、多少の嫌味は当然ですよねぇ~~~。
でも、とりあえずスカイウエーブも売らずにいますから、まだ私とも出かけてくれるんだと・・思いたいです。
今年は春過ぎまで複視で、ツーリングも行けませんでしたが、突然それが治ってからは、月にニ~三回は旦那と日帰りツーリングに出かけるようになりました。
もう、私にとっては・・かけがえのない時間。
この寒くなった12月も、二回ほど出掛けてきました。
12月4日はお天気がとても良くて、けれど遅い出発になってしまったので海にでも行こうと出かけたのですが・・。
走っている途中に富士山が見えて・・やはり山へ方向転換。
やっぱり山はいいですねぇ~~かなり・・12月にバイクは寒いですけど。
はい!ヤビツ峠到着です。
富士山、海!絶景です。
デジカメを忘れてしまったので、写メです。まだ使い方がわからず・・ズームが出来ませんでした。
画像は小さいですが、でも新しい携帯の画像は凄い綺麗でビックリです。
そして・・また今回もラーメン。もう・・・ラーメンツーリングですねぇ・・・。しっかし、これが美味しかった!
宮が瀬ダムで一服するつもりでしたが・・この時期は、巨大クリスマスツリーの素晴らしいイルミネーションの点灯があるために、駐車場が無料じゃなくて・・止まらずに帰宅した貧乏夫婦でした。
12月10日は皆既月食もありましたね。 どうです?わかりますか?
この日は弟の命日でもありました。
次の日の11日は・・弟の命日の次の日ということもあって、バイトが休みだった娘を連れて「車」でお墓参りに行きました。 「ごめんね、オネエちゃんの身体が壊れかけてきちゃったから・・ママ(小さい頃はこう呼んでいたので)を施設に預けることにしたよ」と報告をしてきました。
そして、今年最後のツーリング。
どうしても・・もう一回だけバイクに乗りたかったので・・これまた笑えることに・・ラーメンを食べる為に相模湖へ。
あ~~~なんてアホな夫婦なんだろ。
寒くて寒くて・・タイツにブーツに完全防備でしたが・・ガチガチでした。
相変わらず・・シンプルでとっても美味しいラーメンです。500円!旦那は何故かラーメンを食べずに野菜炒め定食でした・・・え?!です。
すっかり紅葉していた相模湖も、ドライブインから見るだけでした。
帰りは「丹沢あんぱん」の工場へ寄って・・大切な友達のお土産を買って帰りました。
ここは工場がガラス越に見えて、昔懐かしの「あげぱん」や「給食パン」も売っています。
そして・・・その翌日、19日は・・大阪からやってきた「ぽれさん」とランチ。
ちょっとばかり・・坐骨神経痛で歩きにくい私の為に・・わざわざ遠く・・小田急線で町田駅まで来てくれたポレさん、ありがとう!
いつもパワフルで逞しく・・底抜けに明るく・・ほんわりと優しい彼女は・・相変わらずでした。いったい・・どこから力が沸いてくるんでしょうか。
背中に肩に・・沢山乗っけて・・振り払うことなく走る彼女には、脱帽です。
もう随分前にブログ友達とも食べた、京豆腐のお店の豪華ランチ!これよね!
こんなお洒落な飲み物まで頂いちゃいました。ぽれさんの手です!
沢山、お喋りさせてもらいました。お土産まで頂いてしまいました。 しっかり女三人、お腹に納めさせて頂きました。
は~~~一気に書いた12月のあれこれです。
これだけなら・・楽しい毎日のようですよねぇ~~これだけではないにしても、なんだ結構・・いえ、随分楽しそうな私じゃないですかね。
なのに・・そこに両親の在宅介護があることが、段々苦痛になってしまっている身体でした。
先日腰のレントゲンを撮ってきました。
以前付けられた病名の「すべり症」・・・しっかり悪化していました。
今回は、自分の目で見ても・・腰のあたりの骨が、前方に一つだけ滑っているのがわかりました。
このまま重いものを持ったり、痛いときに安静が出来なければ・・痛みで歩けなくなるかもよ・・と。
その骨のスベリってやつが、神経に触れてフクラハギまで痛みを呼んでいるようです。坐骨神経痛も、合併症なんだそうです。
母は・・どうもトイレの感覚も鈍り始めたようです。というか・・今やったことを覚えていられなくなりました。
なので・・トイレに行ったその後すぐに、また連れて行ってと言い出しました。
ひどい時は、一時間に5回はトイレへ連れて行きました。
もしや膀胱炎かとも思いましたが、実際には2時間~3時間おきには排尿がありますし、腹痛もなく・・訪問看護士さんも精神的なものでしょうと。
便も出す力、集中する気持ちが無くなってしまって・・ラキソベロンを毎晩9滴飲むようになりました。
食事も途中で箸を置く様になり、ヘルパーさんも食事介助でかなりの時間を費やすようになりました。
睡眠剤や安定剤を換えてもらいましたが、母の熟睡時間は3時間が限度で、それも眠るまでは私の名前を呼び続けるので側にいなくてはいけないような状態になりました。
もう・・精神的にも、肉体的にも・・限界。
それは、本当に・・もう、逃げ出したくなるような気持ちになるほどで・・泣きながら母を移乗することが毎日のようになってしまいました。
あれこれ気分転換をさせてもらっても・・それでも。
ある朝・・ディの迎えの車に、施設利用を始めた時から知っているワーカーさんが同行されていました。
あれこれ母の様子を話している最中に・・ポロポロと涙がこぼれてしまった私でした。
こんなことは・・始めてです。
いつだって・・一応は「大丈夫です!」って笑えたのに。
12月20日
特養から、「ベットの空きが出そうです。どうしますか?」と連絡を頂きました。
涙を見せてしまったワーカーさんは、元々ショートの相談員さんで、内部移動でディの相談員さんになりました。
いつも無理を聞いてくださったり、私の体の心配もしてくださっていました。
そのワーカーさんは・・特養の相談員さんに、私の状態を話してくださったようです。
答えはもちろん
「よろしくお願いします」
確かに待っていた電話でした。それでも・・心は揺れてしまいます。
それでも・・もう決めました。
母は・・来年、一月中旬あたりかなぁ・・健康診断の結果に問題がなければ、特別養護老人ホームのお世話になることとなりました。
あ~~~これを今年中に書いておこうと思いながら、長い記事となりました。
私の日常・・そんななんでもないものの最後に。
私にとって、いえ・・・両親にとっても大きなこの出来事だけを書く気になれなくて・・こんな長い記事になってしまいました。
読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
動き始めた特養入所までのアレコレは、また次に書くことにしますね。来年になっちゃうかなぁ。
とりあえず、お正月まであと二日。母もあと二日で帰ります。
五日にショートを予定しているので、五日間・・頑張らなきゃでス。
今年は怠けぎみの私のブログでしたが、読みに来ていただいた皆様に感謝です。
どうぞ、良い年をお迎えください。
心から・・・ありがとう。
ありがとうございました。