頑張れ!!一人娘!再び。

心臓人口弁で要介護3の父。髄膜腫の一人娘の私の、母亡き後の日々の事

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逝ってしまいました。

2015年02月21日 | 母の話
母は、一人で逝ってしまいました。

今日、母に会いに行ったら、頑張れって、沢山言うつもりだったのに、、、

朝早く、母は何も言わずに、一人で旅立ってしまいました。

最期には、間に合わなかった。
病院に着いた時には、もう母は、息をしていませんでした。

私を待っていては、くれませんでした。

ずっと一緒にいたのに、最期は一人で逝ってしまいました。


私は、結局、最後まで母が可哀想で仕方がなかった。
母の頭の手術後の陥没も、動かなくなった左手も、哀しくて仕方なかった。
10年も、受け入れられず、辛かったのは私だった。
母は、いつも一生懸命で、頑張っていたのに。
いつだって私は、口先ばかりで、本当には応援していなかった。

辛いのは、私で、母じゃなかった。
私が母を見ているのが、辛かった。


だから、母は一人で、逝ってしまったのかなぁ。


それは、私への罰でしょうか。



母とは沢山、喧嘩もしたし、一緒に笑ってきました。

多分、少し近過ぎたかもしれません。


入院する前日も、特養にいる母に会いに行き、父のおかしな行動を話しては、笑わせていたのに。

母は、最近、本当によく笑うようになったんです。



80歳と10日。
まだ、私が誕生日にプレゼントした洋服に、手を通していません。

後悔だらけです。
まだ、やってあげられること、ホントはきっとあったと思います。

眠るように、横たわる母。
帰りたかった家に、やっと帰ってきました。

もう、二度と、母と話せない。

沢山の後悔と、沢山の母への感謝でいっぱいです。

最期に、ありがとうだけ、言いたかったなぁ~
母は、私に、沢山ありがとうを、言ってくれました。
でも、私は母に、ありがとうって言ってないような気がします。

誰よりも頑張り屋で、情が熱くて、強くて、優しい母でした。

私が唯一、母を喜ばせられたことは、娘二人を産んだことくらいかなぁ。

まだ、母が亡くなったこと、なんだか実感はありません。
本当に、もう、起きないんでしょうか。

父のベットで眠るように横たわる母の隣りで、、、
父は、寝息を立てて眠っています。

私は二人を見ながら、今夜はお線香を燃やしながら、母の側にいます。


今、母はどこにいるんでしょう。

せめて、ありがとうの気持ちが、母に届いていますように。


今頃は、とうに亡くなった自分の息子に会えていたら良いなぁ。


ママ、ありがとうございました。

おじいちゃんのこと、大事にするからね。



これで、本当に、母の介護は終わりました。

長いこと、励まして下さったブログ友の皆さん、ありがとうございました。

今も尚、介護生活を続けておられるブログ友の皆さん、どうか御自身の身体もご自愛ください。


まだ、私には要介護2の父が存命です。
ゆるゆると、在宅介助、続けていきます。
ブログは、また、ユックリ。


本当に、母の事を沢山、ありがとうございました。






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応援しよう!

2015年02月20日 | 母の話
少し、疲れていました。

母は、今日も頑張りました。

生きるために、頑張っています。

肺炎なんかに、負けないように、口から血を流しながらも、必死で生きています。

また、母の笑顔を見なくてはいけません。

明日で、救急車で運ばれてから、一週間になります。

母は、頑張って闘っています。

私が諦めて、どうする!!


今日は、家に帰って来ました。


今も母は、一人で、頑張っている事でしょう。

私もまた、明日から、母を励まし、連れて行かれないように、引き止めたいと思います。


宏史、まだ、ママは連れて行かれないよ。
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酷い話

2015年02月20日 | 母の話
私は、今、自分の頭の中にある、髄膜腫の結果を聞きに来た。

去年と変わらない。
でも、確かに、ある。
今も、顔の右側全体が、痺れている。
でも、耐えられない痺れじゃない。

いつか、母のようになるかもしれない。
ならないかも、しれない。
でも、私は自分の身体が動くし、生きて行くために、検査を受けている。

なのに、母を連れて行って欲しいなんて、、、願うなんて、、、
酷い話だ。
酷い娘だ。

今、何を祈ったらいいのか、わからない。
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苦しい

2015年02月19日 | 母の話
今日は、病院に泊まることにした。

母の小さなア~と言う呻き声を聞きながら、長い夜を過ごしている。

悲しくて、一人になると泣けてくる。

昼間は、父も長女もいたから、泣きはしなかったけど。



昨日は、落ち着いてるように見えた母だった。
昼過ぎから、夜7時まで、母の側に長女といた。
何を喋っているのか、わからない時もあったけど、孫の名前を呼んだり、気を付けて帰りなさいとか、よく話してくれた。
酸素濃度も、90%を超えていた。

もしかしたら、元気になるかもしれない。
そんな風にさえ、思えた。

痰の吸引器には、透明な痰が吸い取られていたし、一昨日の吸引器の中は赤かったから、少しは良くなっているのかと思った。
なので、昨日は、泊まらずに帰った。


今日は、父を連れて、仕事が偶然連休の長女と、昼過ぎに三人で来た。

痰の吸引器の中は、再び赤い。
口の周り、鼻の穴の周りには、血が付着していた。
既に、何度も吸引をしたようだった。

酸素濃度が、上がらない。
普通の人は、97以上らしい。
母は80台を彷徨い、痰が絡み始めると50台にまで下がった。

苦しそうに、胸が痛いと言っている。
泣き言を絶対に言わない母が、痛みを訴える。
あ~と呻く声が、大きくなる。

酸素が血液に入らない、身体のあちこちが、不全になる。

父は、疲れ果てている。
85歳だもの、無理もない。
長女が、連れて帰ってれた。

ホント、頼りになる娘を産めた。
育てたのは、今、死の淵にいる母みたいなもんだけれど。
だからこそ、娘はおばぁちゃんの側にいたがるんだろな。




担当医師が、今日のレントゲンの結果を話してくれた。
入院した日、転送した日、今回。
三枚を比べる。
黒い部分が、極端に少ないのが、昨日の母の肺だ。

蜘蛛の巣は、母の肺に巣を作ってる。
最早、黒い部分が無いほどに。



母の身体が辛い時、私の身体も辛くなる。
昔から、そうだった。
母が転ぶと、私も転んだ。
母が熱を出すと、私も熱が出る。

今は、母の息が苦しい。

私も、上手く息ができない。


段々、また、酸素濃度が低くなってきた。

大丈夫だろうか。

身体中が、浮腫んでいる


大丈夫?としか、聞けない。

頑張れ!とは、もう言いたくない。
もう、頑張らなくていい。

がん末期の人には、ホスピスがあるのに、肺炎末期の人は、苦しいまんまなのか?
痛みを取っやってほしい。

生きている限り、苦しいのだろうか。
生きていり限り、痛いのだろうか。

浮腫んでパンパンになった母の顔。
皺がなくて、こんなに若く見える。
十年前の、大学病院のICUにいた母を思い出した。



母が生きたいならば、全力で応援しなきゃいけない。

仮に、動けなくても、、

胃に穴を開けても、、





神様、仏様、宏史、、

先に死んでしまった、仲良しのご近所のおばちゃん達、もう、母を連れて行ってもいいよ。

母が、どんなにか皆んなと会いたいか。

あんなに仲良しだった、靴屋のおばちゃん。
母は、おばちゃんが死んだことすら、知らないけど。

薬屋のおばちゃん、豆腐屋のおばちゃん、クリーニング屋のおばちゃん、

もう、母を頼みます。
連れて行ってあげて欲しい。


ヒロシ、約束守れない。
ごめん。
最後まで、姉ちゃんは、励ませないかもしれない。
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昨日から、、、

2015年02月17日 | 母の話
ご無沙汰しています。
変わりなく、毎日を過ごせていますと、書きたかったけれど、、、
やはり、日々、両親も私も旦那も、そして娘達も、歳をとりました。

人間だから、、、
やはり、身体はナカナカ、若返りはしないですね。

今年は、父がショートステイでインフルエンザを貰い、四日間、入院しました。

私も、多分、産まれて初めて、インフルエンザに罹りました。


そして今、母は、肺炎で入院しています。

かなり重篤で、昨夜大きな山を越えました。

救急車で、搬送された所が、とんでもなく遠い場所で、同じ市内とは言え、片道二時間弱かかる場所、、、途方に暮れました。

が、昨日転送させて貰え、父も母に会うことが出来ています。

まだ、今週一杯は、峠だそうです。



なんとか、越えて欲しい。


一月に、父は85歳に。
二月に、母は80歳になりました。

あれから10年になります。




ここのところの母の様子や、父の様子、ブログに書けませんでした。

この先、どうするか、わかりませんが、、、
病院にいる時間が、増えそうなので、また、、、。


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