明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

遅いな~~

2013年11月26日 | 家族のお話。

転職をして、旦那は本当に若い頃みたいに働く男に変身してしまいました。
家族の為に、一生懸命働いてくれている旦那・・なんだか日に日に痩せちゃって。
本人は、大丈夫だって言ってるし、今までの余分な脂肪を消費できて身体にはよろしいとか言ってるけど、やっぱり大変だぁ。

もう、転職して二ヶ月ちょっと。
早いです。

有給消化で、二ヶ月近く、家に旦那が毎日いたこの夏。
あれこれやってくれたし、平日のツーリングも行けたし、ノンビリ過ごしていたのが嘘みたい。
再就職が決まったら、毎日のようにパチンコ通いで、なんだかなぁ~の旦那でしたが、こうも遠い現場で、日々忙しく過ごしている姿を見てると、もっとゆっくりさせてあげれば良かったかもと思ってしまう私です。

管理職で机上の仕事をしていた時は、同じ県内だったこともあるけれど、9時前には家に帰れていたし、土曜日も休みで毎週連休だったのに。
勤労感謝の日さえも仕事で、ちょっと過酷な毎日です。
おまけに月末近くなると、帰宅は本当に遅くなって、今日もまだ帰宅してません~~11時過ぎています。

これから帰宅して、夕飯食べて、お風呂に入って、12時に寝れたとして・・5時半に起きてまた会社っていうか、都内の現場へ。

身体・・壊さなきゃいいんですが・・

旦那の大学時代の親友が、先月亡くなってしまいました。
昨日、ハガキが奥様から来ていたのです。

理由はわかりませんが・・

もう、旦那だって、若くはないんだと・・

なんだか心配になった妻の私であります。 

 

長女も、店長になって、本当に頑張っています。
毎日、ヘトヘトのヨレヨレだけど、充実した毎日を過ごしています。

旦那と違って、若いですからね。

今、いろいろ経験していくことが、これからどのくらい役に立つかわかりません。
妻として、母としても、きっと役に立つ日がくると思います。

 

そして、次女の就職が決まりました~~。

 歯医者さんです。

まだ、歯科衛生士の国家試験は受けていません。
来年の・・三月二日です。

とりあえず、就職は決まりました。

嬉しいなぁ。

来週、卒業式で着る、袴のレンタル予約をしに行ってきます。


あとは、二人の、結婚資金の一部・・ホンノ少し貯めるかなぁ~~~ほんの少しですがね。

二人して、彼氏もいないようなので・・いつになるやらですが。

 

もう少し、旦那に頑張ってもらわなきゃですね。

頑張れ!旦那。


懐かしい場所。

2013年11月26日 | 家族のお話。


あれよあれよの11月です。
歳を一つとってからの暫くは、バイクで高速道路を走っているような感じ?
信号の無い、真っ直ぐな道を、とにかくひた走る~みたいな・・少し焦ります。

少したてば落ち着いてきて、いつもの時間の速さになるんですけど、この時期はいつもなんだか気持ちだけが慌てます。私だけでなく・・師走間際だから、誰でもそうかもしれませんね。

そんな中、いろいろとあった一週間でした。

20日(水)高校時代の旧友と、久々に会いました。
前回会ったのが、二年位前かな・・
その時の彼女には、ま~るくなった身体や雰囲気に、年の流れを感じたものでした。
高校時代の彼女は、ストレートの長い髪をした華奢な美人さんで、そう!石原〇理子によく似ていました。
最近はメールのやり取りをしていたので、二年も会っていないような感じがしませんでしたが、ナント前回会った時より10キロ以上も痩せたと言う彼女、あ~らま、高校時代の雰囲気がアリアリでした。

彼女とは、17歳からの付き合いで、くっついたり離れたり・・ベッタリとした付き合いではありませんでしたが、大事な友達の一人です。
彼女は、波乱万丈な人生を歩んでいました。
今は、穏やかに微笑む、優しい彼女です。
両親の介護の悩みを除けば・・旦那様を大事に思う、素敵な奥様。
あ~ら、私と、なんら変わりはありませんねぇ~~うふふ。

待ち合わせは、成城学園でした。
よくこの町の図書館で、一緒に勉強していたらしい・・私と、久々にお散歩がてらランチしようって。
私は・・あまり覚えておらず・・図書館で勉強?・・うぅ~~~ん・・遊びに行ってたかもしれませんが・・勉強したかなぁ。
高校も自宅も、成城学園の隣の隣の駅にありましたから、そんなこともあったかもしれません。

駅に着いて、改札口を出たところに彼女が待っていました。
私が手を振って彼女に近づくと、駆け寄って来た彼女ったら、私に抱きつきましたぁ~~
きゃ~~女の人に抱きつかれちゃうなんて、なんとも不思議な感じ~~
そうだった!彼女はやっぱり、彼女だったぁ。
なんだか妙に照れてしまいましたが、昔から、それが彼女だったんだぁ。

ランチをしたのは、成城学園の駅ビルの中の「中国家庭料理」のお店でした。
流石、高級住宅地のある駅です・・と、私は思ってしまいました。
見回せば、みなさん素敵な装いをしていらっしゃる。
私と言えば、Gパンにシャツにダウンジャケット。なんだかちょっと場違いな~感じ。
美味しいランチを頂きましたが、写メはちょっと憚られ、お上品に頂きました。
それでも前菜に出た、地野菜のバーニャカウダは、本当に美味しくてお替わりしてしまいました(食べ放題なのですが、一回だけにしときました。あはは)

駅ビルを降りて、コーヒーを飲みに、喫茶店へ入りました。
なんとなく見覚えのある駅周辺。
確かに、学生の時は何度も降りていた場所なのですが、すっかり記憶から消えていました。

お喋りしながらコーヒーを飲んだ後、高校まで行ってみようよ!ってことになりました。

成城学園から電車で二駅の、千歳船橋に高校はありました。
そして、私が産まれて20歳まで住んでいた場所でもありました。
幼稚園から、高校まで、私は徒歩で通っていました。

家から駅、踏切を渡って・・って。
けれど駅は高架になり、改札口も二階に。
踏み切りはもうありません。
線路と改札口と、ホームだけの駅では、もうありませんでした。

改札口を抜けて、階段を下りると、すっかり綺麗になった見知らぬ駅前がありました。
高校時代に通ったクレープ屋さんは、もうありません。
でも、駅前の文具店や、パチンコ屋さんはあります・・店構えは新しく変わっているような気もしますが、確か同じ名前。

方向音痴の私は、まったく高校への通学路を忘れていました。
なんでだろう・・全く覚えていないんです。
彼女が、こっちだよ!という方向へ歩き出し、懐かしいパン屋さんを発見!
 よくピザパンを買いました。ピザソースだけの・・ピザパンです。

けれどその道を過ぎた頃、彼女と私はすっかり迷子になりました。
で・・辿り着いたのが、高校の裏側でした。

建物沿いに、ゆっくり歩くと・・懐かしい校門がありました。

古ぼけた体育館、卓球部の私の放課後を思い出しました。

 校舎が二つに分かれていて、渡り廊下で繋がっています。
その渡り廊下で、友達と喋ったり・・喧嘩したり。
屋上へ向う階段に座り込んで、友達5人とよく歌っていました。
スライド写真を見ているような、途切れ途切れの思い出だけど、あの頃の私は、本当に楽しかった。自由で、明るい高校生活でした。その時なりの悩みもあったし、友情も知り、そうそう・・恋もあったなぁ~アハハ
当時は珍しく、私服の高校でしたが、平日の夕方・・ちょうど下校する学生さん、今時の素敵な制服を着ていました。
おばさんが二人、学校の周りをうろついて・・ちょっと怪しく思ったかもです。

腰や足の裏の痛いのも忘れて、なんだか気持ちがはしゃいでしまいました。
駅に戻ると、彼女が、私の家のあった場所まで行ってみようと言ってくれました。
高校とは駅を挟んで反対側。

高校への通学路はすっかり忘れている私も、住んでいた家まではしっかりと覚えています。 

高校時代にバイトをしていた文房具屋さん。今もありました。随分・・小さかったんだぁ。
露店のような、小さな靴屋さんも、まだそこに・・角を曲がった所には、鯛焼き屋さん・・懐かしい商店街が続いています。
自転車屋さんに、お肉屋さん。小さなお肉屋さんだったのに、今はビルの一階収まっていました。コロッケ、美味しかったなぁ。
お蕎麦やさんも、ラーメン屋さんも洋食屋さんは・・もうありません。

 商店街の中心のお稲荷さん。
この稲荷神社、沢山の思い出があります。
母に連れられての盆踊り・・やぐらの上に上がるのが嫌で、泣いたっけなぁ~
大きなイチョウの木があって、ビニール袋を持って・・銀杏拾いに行ったっけなぁ~
 

あの時の私を見ていた銀杏の木。今も大きくそびえています。
 


高校から徒歩で行ける我が家は、友達が放課後によく集まる場所でもありました。
三軒長屋、真ん中のお店の洋服屋さんが我が家でした。
お店の奥に、我が家がありました。お風呂もない、小さな小さな部屋でした。
二階部分はアパートになっていて、いつからだったか、その一部屋を私の部屋として借りてもらっていました。6畳一間の小さな部屋。そこに男女関係なく友達が集まって大騒ぎをしていました。

20歳になったばかりの冬・・二階の私の隣の部屋から出火して・・長屋の全てが焼けてしまいました。

 あれから33年。
今はもう、すっかり変わっていたその場所。燃えちゃったんだから、当たり前ですが。
クリーニング屋さん、新聞屋さん、洋服屋さんの我が家でした。
同じ場所にクリーニング屋さんがあったけれど、名前が違うから・・別の家族が住んでいるようです。
家のまわりも、すっかり変わっていました。
けれど家の前あたり、懐かしい表札が二軒ありました。
新しい綺麗な家に建て替えられて並んでいました。
今も、おばちゃん、おじちゃん達が住んでいるのでしょうか・・今回は通り過ぎるだけにしました。いつか訪ねてみたいなぁ。

あちこち携帯で、写真を撮って、両親に見せようと思ったけれど・・結局見せられませんでした。
両親にとっては、悲しい場所のような気がして・・
この場所で、両親は息子と住まいを失くしたから。

またもう少し時間が過ぎたら・・今度は娘達と来てみたいと思っています。
毎日通ったお風呂屋さんは、今でもそこにあるのかなぁ~と、何故かとても気になってる私なので。 


頑張れ!お母さん!!

2013年07月28日 | 家族のお話。

今日は母の特養のお祭りでした。
母が特養に入って二回目のお祭りです。
去年は、母の体調が最悪で、毎週点滴をしていました。なのでお祭りどころではありませんでした。
今年は食事の形態こそ、噛まずに飲めるトロトロ食事ですが、それも自分ではスプーンも持てませんが、とりあえず飲み込むことが出来ているお陰で、水分摂取も排尿も、なんとか頑張れています。
なので、お祭りが少しでも気分転換になれるなら、私も一緒に参加しようと思い、3時半に 家を出ました。
外は滅茶苦茶暑くて、自転車を降りたら背中に滝の汗~~クラクラでした。
母はお昼寝中でしたが、御神輿がフロアーを廻ってくるので、母を起こして車椅子に移乗してもらいました。
いつものワーカーさんではなく、パートのヘルパーさん二人。
足元と、胴体を二人でお姫様抱っこをして母を車椅子に移乗しました。
母は、もう・・そのくらいの状態になっているってことです。

お祭りは4時に開始です。
お祭りらしい姿に着替えたワーカーさん達。
浴衣だったり、法被だったり、パッチに甚平さんまでいろいろです。
いつものポロシャツじゃないから、なんとも楽しげです。
中にはデッカいボンタン姿の男性も!でもそれは、ちゃんと理由があるんですよね。

母は少し眠そうでしたが、館内に流れる祭り囃子に、ちょっとは心が動いているようでした。
母はお祭りや盆踊りが大好きでした。
いつも家の近くお祭りで、私服で踊っていました。
自治会のお揃いの浴衣を買って着るわけでもなく「毎年違う柄の浴衣なんて、もったいなくて買えないわ」って。
私は、人前で踊るのが小さい頃から大嫌いで、どんなに母が奥の手を出してきても、泣いて嫌がっていました。
私の娘、長女は母似で、次女は私似のようです。

館長さんのお話の後、お神輿が特養の中を練り歩きます。
 母もジッと見ていました。 

冷房がきいている館内とはいえ、動けば暑い28度設定です。
一生懸命に、利用者さん達を喜ばそうとして頑張ってくれています。 三階建ての広い館内を行ったり来たり。

4時半から、施設の外の駐車場でアトラクションが始まりました。

 母も一番前で鑑賞会。

演奏は、特養のワーカーさんのクラブの一つ「軽音楽部」だそうですよ。
エレキギターを弾いているのは、母のいる階の相談員さん。隠れていますが、キーボードは母担当のワーカーさんです。お世辞にも・・上手だとは言えませんでしたが(ごめんなさい)沢山のお年寄りを喜ばせようと一生懸命に歌って、弾いてくださっていました。
ちなみに、福山雅治さんの歌・・なんだったか忘れちゃいましたが。
それと・・

♪それが大事
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと駄目になりそうな時、それが一番大事・・♪」
この歌聴くと、私は何故かいつも泣いてしまうから・・困ったことになりました。

それから、坂本九さんの「上を向いて歩こう」
母が声にならない声で、口ずさんでいたから・・また泣いてしまいました。

次は、トラックの二台が舞台の、ソーラン節でした。
今年入社した若いワーカーさん、母の担当のワーカーさんも真っ赤になって頑張っていました。
ほら!ボンタンのワーカーさん!!なかなかカッコよかったですよ。

 母もじっと見ていました。

あまり動かなくなってしまった右手、それでも動かそうとしていました。
一緒に踊りたかったのかなぁ・・
なんだか、やっぱり私は泣いてしまいました。
こういうの・・ホントに嫌いです。
風が少し涼しくなっていたのに、タオルは涙と汗で・・なんだか、悲しくて寂しくて。
一生懸命踊ってくださってるワーカーさん達が、有難くて、胸が詰まってしまいました。

ご存知の通り、ソーラン節は結構ハードです。
踊り終えて拍手喝采!若いワーカーさんも、そうでないワーカーさんもゼイゼイ
ところが・・大喜びの利用者さんからアンコールが掛かりました。
一瞬たじろいたワーカーさん達・・でも、やらないわけにはいきませんねぇ~
再び、トラックの荷台を大きく揺らしながら、一生懸命踊ってくださいました。
皆さん、本当に素敵。お仕事、頑張っています。心が、優しくなりました。

このあと、カラオケがあったそうです。
部屋に戻る?と聞いた私に、珍しくまだ外にいたいと言った母でした。
私は母をワーカーさんにお願いして、6時前に特養を出ました。
母を置いていく・・いつもではないですが・・まだ未だにそんな気持ちになってしまいます。
自転車をゆっくりこぎながら、陽も暮れているのにサンバイザーの下で泣いてる私・・もう50歳を過ぎているのに、本当になんだろなぁ。

頑張ってくれた特養の職員さん達に、心から心から感謝です。

今日は次女の21歳の誕生日でした。
残念ながら?夜の予定がなかった娘・・それなら・・ということで、外で夕飯を食べに行くことになっていました。
いつも外へご飯を食べに行くのを嫌がる父が、本当に珍しく一緒に行くと言ったので、薬やお風呂の時間を考えて、少し早めに出掛けることにしていました。
なので・・母と最後まで一緒にいられませんでした。

和食屋さんのファミレスへ行ってきました。
長女は残念ながら仕事でしたが、父と次女と、私と旦那で美味しい和膳を頂きました。
食べるのに夢中で、写メを撮るのをすっかり忘れてしまって残念でした。
そのお店で売っていたゼリーです

これは母へのお土産。
旦那も次女も「そんなの買わなくてもいいじゃん」みたいなことを言いやがったけど・・
母の大好きなメロンのぜりーこれなら食べられるから、どうしても買いたくて買いました。
旦那と次女は、本当に性格がソックリ・・ぶーです。

父も久々の外食、喜んでくれたみたいです。
今度は長女を連れて、また一緒に行こうって言ったら笑ってうなづいてくれました。

今日は一日、気持ちが忙しかったなぁ。

今日のいろいろを、仕事から帰ってきた長女と話していたら、思わず泣いてしまった私。
娘の前で泣くなんて・・ちょっと心が弱っているのかなぁ。
長女は、ちゃんとわかってくれて・・嬉しかったなぁ。

私もお母さんなんだから、もっとしっかりしなきゃなぁ。
私の母が頑張っているように・・

お母さん、頑張れ~~~


お正月。

2013年01月03日 | 家族のお話。

お正月三が日も、もうすぐ終わってしまいます。
皆様、良いお正月を過ごされましたでしょうか?
新しい年が、それぞれに穏やかに幸せに過ごせますように。

我が家は、それぞれに忙しく、三が日を過ごしておりました。
家族揃って、テレビを見ながらノンビリ・・と言うのも、今年はありませんでした。
それぞれの時間に合わせて食事の支度、これが本当に面倒だけど仕方ない。
去年よりかなりバージョンダウンした御節料理も、写真を撮る前に重箱から消え去りました。
子供も二十歳を超えて、親離れですね。
親である私も、子離れ準備・・と言うか、ここ数年は子供を放って旦那と二人で休日を過ごすことが多くなりました。
今年も、沢山いろんな所へ行きたいと思います。

今は、旦那と第二の青春時代~~なんて。
二日は、寒空の中「宮が瀬湖」までツーリングに行って来ました。
本当は、平塚の富士山の見える所へ行くはずが・・運悪くお目当ての場所は閉まっておりました。結局、家から一番近い、景色の良い場所へ変更。


今年は本当に寒いのなんの。
陽が落ちたら中年タンデムライダーには、えらいこっちゃです。
そこまでしてバイクに乗らずとも・・車で出掛ければいいんですが、やっぱり青空を見ると直接風に吹かれたくなります。
もう少し若かったらなぁ~~と、最近思ってしまいますが、この年齢だからこその楽しさもあるのでしょう。
フォトアルバム作ってみました。順不同ですが・・良かったら見てください。

そんな親達に反して、娘達は三が日はずっと仕事。
長女は福袋売りで、声を枯らしています。次女もバイトの居酒屋さんで、頑張って働いていました。偉いですよねぇ~~。
ま、家のことを何もしないで帰れば寝るだけってのも、いいんだかなんだか。
時代が違うんでしょうかね。 
何を言ってもきかないし・・と、私も親にそう言われていたのかもしれませんが。

明日は、珍しく家族四人が昼間家にいるというので、初詣に行ってこようと思っています。
父はお留守番です。
歩みと、トイレが心配なようで遠出はしたくないようです。
無理強いをしても仕方ないので、それはそれで家でノンビリ過ごせれば良しです。

明後日は、特養で母を初詣に連れて行ってくれるそうなので、付き添いに行ってきます。
そうそう、元旦に母に会いに特養へ行きました。
お正月、ソフト食のお膳です。
メニュー表が無かったので、実はよくわかりませんが・・お赤飯風の主食です。
栗金時、蒲鉾はわかりますよねぇ。全て、スプーンで潰せます。
母は全て完食してくれました。


師走~~

2012年12月20日 | 家族のお話。

気がつけば…師走ですね~
って・・もう、その師走も半分以上が終わってしまってますが。

なんだか、三日にあげず父の病院の付き添いに行って、三日毎位に母の所に行って・・私の脳外科や、整形外科・・なんだか病院ばっかりの今月です。

私の頭の方は、相変わらずなので・・まぁ、仕方ないって感じです。
頭をカチ割って、髄膜腫を取ったところで、この顔の痺れがなくなることはもう無いらしいですし・・複視が無いから痺れだけ我慢すれば、見た目は変わってないからいいか・・と。
開頭手術をすることで、今の生活が出来なくなるなら・・やっぱり嫌。
リスクが全く無い手術なんて無いでしょうが、あり過ぎるなら・・私は冒険はしません。
延命処置も、一切拒否です。
これは、旦那とも時々話すことですが、私はこのまま。
脳外科の医師も、出来れば触りたくないみたいで・・顔面神経痛の薬が増えました。
とりあえず、これ以上の症状が出ないように・・天に向って祈っています。

 今年も9日に、一日早い弟の命日にお墓参りに行きました。
今回はハーレで。
西多摩までなので、お尻が痛くならない程度の距離。寒かったけれど、ちょっといい感じでした。
公園墓地の中をうるさいマフラーの音を響かせて・・お墓の中で眠っている仏様には、騒音、本当に申し訳ありませんでした。南無阿弥陀仏。

弟が、お姉ちゃん頑張れって・・きっと応援してくれてますね。
だから、いろいろ頑張ります。

14日には西から友達が会いに来てくれました。
久々に電車に乗る私で、お店は長女のお勧めのカフェ。
実は前の週、8日に長女がお店まで付き合ってくれました。
私に場所を説明したところで、絶対に行き着けないと知っているからですぅ~~あはは。
お洒落なカフェです。

 
そして、無事にお店に連れて来れたぽれちゃんと、ゼリちゃん~~ホント、会えて嬉しかったなぁ。
二人とも、目標や夢に向って、眩しく輝いております。
過酷な在宅介護継続中のぽれちゃん、超ヘビーな在宅介護を終了して、来春には学生になるぜリちゃん。
在宅介護をしていなかったら、知り合えなかったであろう二人です。
そう考えると、在宅介護で得ることが出来た、かけがえのない宝物達です。

しかし・・ものすごく久しぶりに友達とお喋りしたような気がします。
ホントに、友達との待ち合わせが数ヶ月ぶりなんて・・なんか哀しいような気もします。
だから尚更に嬉しかったなぁ~~喋り過ぎて、写真も撮り忘れ、携帯に残っていたのがこれだけ・・ケーキとパフェでした。
私は喋り過ぎて食事が終わらず・・二人がデザートを食べているにもかかわらず、デザートまで行き着きませんでしたぁ~~あは!
もう、喋り倒しました・・もっと喋りたかったけど。
ぽれちゃんも、ぜりちゃんも、私に場所も時間も合わせてくれて、本当に本当にありがとね。
わけわかんないこと喋ってたよね~~私。ちょっとネジが外れてたかなぁ。
もう、数回会ってる二人だし、知り合えて数年。
私のこの余計な動きや、わけわからない言葉の多い性格・・わかってるかぁ。
また会ってね、ホントにね。

そうだ!来年は旦那以外の人とも、もっと遊ぼう!・・・・なはは(^^)♪

 
そして母は、最近とても寂しいようで、私が行っても、父が電話しても、帰りたいとばかり言っています・・仕方ないですね。
もう、在宅介護は無理なことは、私の身体が一番知っています。
昼近くに行って昼食介助をしても、夕方にはそれを忘れちゃってる母ですが、行ける範囲で行ってとりあえず自己満足しています。
もう外は寒いので、特養の中を散歩したり、最近は母の手や足にクリーム塗ってホームエステをしたりしています。
 特養の入り口には、風船のサンタがお出迎え。

特養での生活は、やっぱりいろいろありますが、ワーカーさんも母の様子を看てくださいますし、お願いするしかありません。
細かいことは・・あまり考えないように、考えたくなるようなことは口にして溜め込まないようにしています。

今年最後の問題は・・父の病気。

長くなるので・・なた次回にしますね~ 

どなた様も、急性胃腸炎、ノロウイルスにはご注意くださいませ~~


10月

2011年10月09日 | 家族のお話。

あ~~もう10月になってしまいましたぁ。

 

        

9月24日は、旦那と黒卵を食べに~~箱根まで行ってきました。  ピントが・・

 おまけに黒ラーメンも。 麺が黒いんですぅ~~ちょっと・・不気味・・。美味しかったけど。

 

大涌谷は・・いつぶりだろうなぁ。まだ娘達が小さくて・・父も母も元気だった頃。久しぶりの大涌谷、まぁ~~道路は大渋滞。でもでもバイクだものぉ。車の脇を上手にすり抜けて、駐車場も待たなくても大丈夫さぁ~~。
まわりは小さい子供連れの家族に、若いカップル。それから私達と同じような熟年夫婦。あ、中国人や韓国人も沢山来てましたよ。

      旦那の後ろ姿・・アハ♪

 

 

すっかりと秋ですねぇ。 いろいろとキツイ九月も終わって、旦那の誕生日(10月1日、50歳になりましたぁ)も過ぎ・・十月も三分の一ですね。

旦那の誕生日は、長女の専門学校でのファッションショーでした。
娘はファッションビジネス科なので、デザインや創作はしませんが・・デザイン画が校内で選ばれての参加となりました。

夏休み返上で、ほぼ毎日学校へ。先生の指導の元、素敵な作品が完成しました。
本番は、プロのモデルさんが着てくださるんですよ。
残念ながら賞はとれませんでしたが、すばらしい経験が出来たと思います。(ちなみに・・一位は50万円なんですよぉぉ)
ステージ上の娘は少し緊張していたようですが・・とても誇らしく輝いていました。


 イマイチの写真ですが・・腰には大きなバラの花飾り。

久しぶりに横浜へ出た私・・次女と二人で行ったのですが(旦那は誕生日なのに仕事でした) あまりの人の多さに酔いそうでした。
やっぱり・・都会より緑が好き。

 

と・・・いろいろ楽しいこともあります。

で・・やっぱりシンドイこともあります。

それもこれも・・私の人生ですね~~なんてオーバーですね。 

母はこの連休もショートに行ってくれています。
いろんなこと、大変になりましたが・・時折見せる母らしさに、ほんの少し切なくもあり。
それでも相変わらず寝ないし、繰り返される質問と私を呼ぶ声に・・今はショートに行ってくれる週末が待ち遠しい日々です。
父も、最近は流石に母の様子に辟易だったりで・・特養の空き待ちの気持ちは強くなっているようです。
特養の申し込みは、二軒お願いしてあります。どちらも毎月ショートをお願いしているところです。
でも、母の状態を知っていてくださるところ・・在宅を始めた当初からディやショートを利用している施設にお願いしたいと思っています。
そこが空くまでは、とりあえず他を当たることはしないつもりです。

自転車で20分、車で10分位・・でしょうか。
このあたりでは老舗と呼ばれている昔からある特別養護老人ホームです。大きな施設なので、内部移動もあり、顔見知りの介護士さん達がアチコチにいてくれます。
他の施設同様、やはりいつの間にか辞めてしまう介護士さんも沢山いますが、母の記憶の中に残っている介護士さんも沢山いるので、少しは安心かなぁ。

母の認知症は、右脳の前頭葉全滅の脳梗塞によるものです。
高次脳機能障害という中の、認知障害で・・本当の意味では認知症では無いらしいです。
徐々に全てがわからなくなっていくわけではなく、認識できないことが出る・・ということだそうです。
例えば、時間の意味が解らない。朝昼晩の意味がわからない・・知らない。
記憶が残らないから、質問はしても答えを聞いても残らない・・とか。
漢字を読むことも、計算も出来ます。料理の仕方も教えてくれますし、こちらの質問には答えてくれます。
会話が出来ないわけでもありませんし、冗談だって通じます。
でも・・記憶はどんどん消えていき・・どこまで消えていくのかなぁ。
骨折をしたことで、リハビリが出来ず・・そうなるとまた症状が加速していきます。

アルツハイマーに利くという薬も、脳の活性化を目的に使用しています。最近、新薬が数種類認可されて、母は「メマリー」を服用しています。以前「アリセプト」を服用してみましたが、気が荒くなってチョッと大変だったことで止めました。
この「メマリー」は幾分、感情の荒さは抑えられるようで、母の場合は、運動神経が良くなったようです。
随分と立ちが良くなって、介護士さんやリハの療法士さんに褒められ始めたところの骨折でした。
ホント・・いつもこうです。
立ちが良くなれば、動きが良くなり、結果・・怪我をする。
そしてリハビリが出来なくなって・・また前以上に負に進んでしまいます。

最近は、排尿感覚や便通もあまりよくなくて、私の腰も悲鳴。
ショート中に出にくいこともあって、浣腸を使わざる得なくなり・・ヘルパーさんに協力してもらって戦うこと一時間半。
もう・・ホントに参りました。
それで下剤の滴剤ラキソを夜寝る前に使用し始めれば・・朝も早くから戦いは始まり・・挙句に起立性貧血を起こして真っ白くなる・・立つどころの騒ぎではなく、もう無理矢理引きずるようにポータブルトイレからベットへ。一昨日のことでした。
それでも便が出れば少しはトイレの回数も減るし、何より浣腸での戦いをしなくて済むから・・ヨシとしなきゃですかね。

そんなこんなと十月の前半は終わっちゃいました。

風邪に花粉に、インフルエンザまで流行ってきそうだとか・・皆様どうぞご自愛くださいね。


誇れること。

2009年04月24日 | 家族のお話。

今年も、旦那の実家から筍が沢山やってきました
夕方堀に行って、速攻送り出し・・翌日の午前10時には我が家へ

    

少しでも柔らかい新鮮な筍を食べさせてあげよう~という、旦那の両親の心使いですありがたや。
当然、その思いに報いるために・・私も速攻アク抜き

昨日は土佐煮、今日は鶏肉と一緒に送ってもらっていた絹サヤとで炒め物にしました。
明日は、筍ご飯の出番です。



それにしても・・本当に、本当に優しい両親です。

私の、自慢の義両親です。

私は自分の親のことで精一杯で、旦那の両親には親孝行ひとつ出来てないのに、季節毎に新鮮な野菜や果物を山のように送ってくれます。
今回も、筍と一緒に、キャベツ、キュウリ、絹サヤ、韮、手作りチャップと手作り焼肉のタレ

旦那の両親も、七十台後半になろうとしています。
ずっと鳥取でスイカを作り、農林水産大臣賞を貰ったこともあります。
今は、旦那の兄夫婦が跡を継いでくれていますが、まだまだ現役で畑で作業もしています。
スイカを作りながら、お米や、野菜、それから花も育てています。

私ッタラ、こうして宅配が届いた時ばかり・・お礼の電話をするくらいで・・
年に一度、会いに行けるか行けないかの私に、文句一つ言わず、それどころか労いの言葉や、私の両親を気遣う言葉を沢山掛けてくれます。

母を在宅するようになって三年ぶりの去年の夏、両親をショートにお願いして帰省した時も、私は何もせず・・それどころか、気が付くと眠ってしまっていました。
そんなトンでもないダメ嫁の私・・我ながら呆れます。
なのに、義母は・・疲れてるんだなぁ~って、ありのままの私を・・曇った目でなく見てくれました

今年も、夏には帰省しますかなり交通費が節約出来そうですしねぇ。
旦那も、やはり去年久々に帰省して、年を重ねた両親に年に一度くらいは顔を見せたいと思ったようです。
当然です

「また、寝に行くみたいなことがないようにしますぅ」って電話口で義母に言ったら
「また、ゆっくり休みにいらっしゃい」って、笑って「楽しみにしてるから」って言ってくれました。

嫌味でなく・・本当に、優しい暖かい声でした。


もちろん、その義両親と共に生活している義兄夫婦・・特に義姉には感謝しなくてはいけないですね。今、こうして自分の両親を在宅で介護できるのも、その義姉のおかげだと思います

在宅介護・・私が望んでしていることであるにも拘らず、私一人で頑張っている気になる時が沢山あります。
だけど、こうして私を支えて頑張らせてくれる暖かい瞳がある。
今更ながら筍を食べて・・思った私でした

だから、私は何があっても死んだりしません。
もちろん、両親を殺したりしません。

心の闇が、私を包み込みそうになったら・・私は一目散に逃げ出して・・在宅を止めようと思います。

由貴子さんの心の闇を・・全てではないけれど、見える今です。

どんなに差し伸べてくれる手があったとしても、払い除けることが出来なかったであろう由貴子さんの心の闇は・・いったいどれほどに深かったのだろうか。

介護している全ての人が、そんな心の闇に飲み込まれないように・・と、祈るばかりです。

由貴子さんも、ブログ書いてたら良かったのにな・・そしたら、一緒に頑張れたのになぁ。
それとも・・ブログを書く時間も、持てなかったのかなぁ。

私には、自転車で会いに来てくれる、ブログ友もいるんだよ~って、これも自慢です。
残念ながら、会えなかったけど・・また来てくれるって言ってたし。


それにしても、由貴子さんのことで・・いろんな人が、いろいろ考えることが出来たっていうのに・・夜中に全裸で騒いだ方のおかげで・・まったくぅ

 

すっかり、気分が悪くなったので・・箱庭へ~~

   

私の箱庭、春から夏の花へ少しづつ変わっていっています。
最近・・更年期障害のしんどさも加わって、ちょっとばかしブルーでしたが・・そんな時こそ青い花。
青い花は、気を静める働きがあるらしいですよホントか

 

深山ホタルカズラ、青い青い花です。

  バラの根元にスミレとネモフィラ。

米粒くらいの花なんですよ。名前は?


 青い忘れな草

 ピンクの忘れな草  

 種から育てた・・えっと・・?

 

さてさて・・いろいろ思う春の夜、欠伸しながら~私はまた明日も元気で頑張りますよん 


足元に芝桜。

2009年04月19日 | 家族のお話。

今日は、車で数分のところにある公園へ、旦那と二人で行ってきました

芝桜が、道路の土手数メートルに咲いていてます。

知る日とぞ知る・・芝桜の地元の名所?



イマイチのお天気で、人もそれほど多くはありませんでしたと言うか・・閑散と~

それでもピンクと白の芝桜、綺麗でしたぁ


ちょっと車で走ると、緑が一杯のわが町です。

 まだ・・ちょっと土が見えちゃってるのは・・愛嬌ってことですかね

その公園の一画で、地元の方達が頑張って開催している「芝桜まつり」に、長女の高校の吹奏楽部が毎年演奏を依頼されており・・今年は旦那と二人で、聴きに行ったのでした。
 
 

 指揮しているのが、長女で~す

足元にも芝桜、自然の中で聞く演奏もナカナカ素敵でした 

 

母はディサービス、父は大学病院の受診、次女はバイト。
皆が別々のところで、今日も元気にしていました

例え・・日々寝不足でも

二時間毎のトイレコール・・明け方になると鳴っても、起きれない私。
なんとか私を起こさずに、自分でトイレへ行こうと頑張ってか~ベットフェンスを外す母
健常側の右手・・恐るべしです。
夜中に仁王立ちになって、母に説教してる私・・それでも熟睡してる父
眠い~でも、最近ナカナカ寝れません。
以前の私は、どっこでも寝れる特技があったのになぁ。


母の骨折したまんまの麻痺足、なんとか一日でも早くくっついて欲しいわけなのですが・・これではやっぱりマヅイですよね。

入院中は、トイレはベットの母でしたが、家に帰って来た途端・・二時間毎のトイレコール。
その度にニーブレスを装着して、ベット横のPトイレへ移乗しています。

真ん中の空いてる部分が膝になるよう・・。
でも、そうすると・・一人ではズボンが降ろせません。
ので・・リハの先生と相談して、最近は少しずらして、巻いています。

面倒ですが・・仕方ないですね。
もう・・骨折も入院も嫌ですもんな

母もベットで頑張っているようで、今日は二度も全身濡れビショでした
あ~またまた、眠れぬ夜がやってきましたぜ。

週末のショートまで・・

あ、母の寝息がモニターから聞こえてきたので、布団の中に行って来ます


冬の花。

2009年02月01日 | 家族のお話。


バラ咲きジュリアン。まんまです。バラの蕾みたい。


匂いスミレ・・早咲きのスミレ。綺麗な青紫です。


そしてミニチュアラッパ水仙。元気出る黄色。

 

母の入院している病院へ、三時過ぎから五時頃までの二時間あまり・・自転車に乗って通う毎日が続いています。
家から、自転車で5分くらい・・全然大変なことはありません楽勝です
夜だって、寝たい時に寝れるし・・携帯のアラーム以外、私を起こす人もいません。

なのに・・母が入院する前より・・どこかしんどい。
緩んだようで・・張り詰めてるようで・・わけわかりません・・。


母の骨折した麻痺側の大腿骨からふくらはぎまで、サポーターに包まれています。
車椅子に乗るときも、だいたい三人以上の介助でベットから移らせてもらっています。
左足は曲がらないように・・ズレないように(既に、少しズレていることが発覚していたので)伸ばしたままです。
相変わらず、排尿・排便はベット上で。
やっぱり・・なかなか思うようにはいきません。

主治医の説明では、トイレに座るくらいは大丈夫だっておっしゃってましたが・・。

車椅子には、なるべく長く乗っているように言われている母は、頑張って座っています。
お腹が圧迫されて・・大が出たいと言い出しました。

そこで・・看護士さんにお願いしました。
「トイレに行くことは無理でしょうか?」って。

看護士さん、トタンに顔が曇りました。
手の空いている看護士さんは・・他にはいないナースステーションでした。

だけど・・私も、いい加減・・下剤で無理やり毎回出させられている母が不憫で。

「私も手伝いますから・・お願いします。トイレなら、出るって言ってますから。」

看護士さん、スタスタと母のいる病室へ・・。
「〇子さん、トイレに行きたいの?私より重いんだもの・・落っことさないかしらぁ」

って・・な~~に言っちゃってくれてんのぉ


で・・車椅子用のトイレへ移動中に、ナースステーションに戻ろうとしていた看護士さんを見つけて・・四人でトイレに入りました。

フン!これなら、楽勝でしょ!

だけど・・看護士さんは険しい表情のまま・・です。

母には「トイレで出したいわよね。その方が出ることはわかっているのよ。」って、優しい言葉を掛けてくれてはいるものの・・。
私のことは・・まるで無視です
イカイカしている私・・トイレのドアを閉め忘れて、手を貸そうとしたら・・

外から丸見えでしょ、閉めて!」って・・そんな言い方しなくても・・・

さぁ~~て、車椅子の母・・左足は絶対に体重を掛けてはいけません。
看護士さん・・二人掛りで母を立たせます。
ところが・・母、立てません

「もう・・いいです。わかりましたから・・。ベットに戻してください」

なのに看護士さん・・まるで意地になってるみたいに・・母をトイレに座らせました。
これからも、トイレに来た方がいいなら、〇子さん頑張ってみる?」なんて・・言って。

私がいろいろ言いかけると
こんなとこで言ってもしょうがないでしょ。〇子さん、出るものも出ないわよね」


じゃーどうすればいいんですか?教えてください!
母の為には、何が一番いいのか・・どうしていくのか、全然わかりません。
無理にトイレに・・とは言ってないんです。
先生がいいと言ったから、お願いしただけなんです。
それに、無理だってこと・・私じゃなくて、母が理解しなければいけないことなんです」

・・・て、怒り丸出しで言った私でした。


すぐに、看護士さんの判断が正しいと気が付きました。
言葉で説明してくれなかった・・実力行使のような看護士さんには、やっぱり違和感ありますが・・もしかしたら、口で言っても私が納得しないと思ったのかもしれません。

結局、母は大きなオナラを一発かましたきり・・出なかったし。

三人掛りで母を立たせて・・・とにかく、車椅子に座らせるのが精一杯。

ごめんなさいね。ちゃんとご家族の方とカンファレンスするべきだったのに、急にリハ病棟に移ることになって。やっぱり、今の状況では無理しない方がいいわね」

・・・と。

やっぱり・・看護士さんは、看護士さんでした。
間違ったことは、してないんですよね。
口は悪いけど・・根は優しい人かもです。

こちらこそ、母の状態が全然わかってませんでした。これからも、どうぞよろしくお願い致します。」
実に・・気持ちよく・・言えちゃった私でした。
 



というような・・こともありました。



オマケに、その次の日・・病室で・・困ったものを紛失してしまい・・その看護士さんに大捜索させてしまった私。
「普通なら、黙ってる人が多いのに・・昨日のことといい・・あんまり一生懸命だと、病気になっちゃうわよ~」って・・笑って探してくれました。

おまけに「ホントに、オッチョコチョイなんだからぁ~~」って、肩をポンポン。

すっかり、その看護士さんのファンになってしまった私って・・凄い単純ですねぇ。

看護士さんに対して、不信感が一杯の私でした。
白衣の天使なんて・・いったいどこにいるんだろって・・病室に行くたびに変な緊張で胃がキリキリしたりしていました。
今は、そんなこともなくなりました。

私自身が・・必死になり過ぎていたのかもしれません。
必死になるんじゃなくて・・一生懸命で・・いいのかもしれないです。
漢字だけを見ても・・そっちの方が、絶対いいですよね

母は、日毎我儘になっています。
それも・・仕方ないことだとはわかっていますが、なかなか上手く受け止められず・・凹みます。
四人部屋なのに・・平気で親娘喧嘩して、説教までしています。
母の不安や、寂しさを、病室に置いて帰る毎日で・・なかなか持って帰れません

父は、相変わらず・・マイペース。
自分の病気と向かい合うのが精一杯で、なかなか母の見舞いには行けません。
それでも、気持ちを少し前に向かわせようとしたのか・・返すと言っていた免許を更新する為に、高齢者講習会へ行って合格してきました。
今月、13日に・・79歳になった父です。
ディサービスには、全然行くつもりはなさそうです

長女は部活に忙しく・・次女はバイトに忙しく・・疲れてゴロゴロ

旦那は、まだ一度も母の病院へ顔を出してはくれません・・休みの日は、父の送迎は協力してくれていますが・・。
大変なご時世ですし・・休みの日くらい、ノンビリするのも良いでしょう

みんな・・それぞれにイロイロです。
それに対しての私の気持ちも・イロイロですが・・
それでも家族六人、元気で一生懸命過ごしています。

今のこの状態も、あと・・ひと月。
折り返し地点かなぁ。

慣れた頃には、きっと母の大腿骨もくっついて、また在宅が始まるのでしょう。
気持ち、ちょっと落ち着かせて・・明日も元気でいなきゃですね。

増やさないと、旦那に誓った花の植木・・立て続けに三鉢購入しちゃいました。

ま、安定剤ってことで

 

日本水仙も、満開になりましたぁ。

スミレが早くも咲きだしました。

 

まだまだ咲いてるキンギョソウ。

 


そして桜草・・咲きました。

 


日曜日。

2008年11月30日 | 家族のお話。

今日は雲のない、青い青い空でした

もうすぐ咲きそうなバラの蕾。
今度の花は、随分と濃いピンクのようです。
ホント・・白だったり・・薄いピンクだったり・・気温の影響とか・・あるのだろか~不思議

 


旦那は朝から夕方まで、バイクで甲府まで行ったそうで「ほうとう」のお土産を買って帰ってきました~。
風はやっぱり冷たかったらしく、帰ってくるなり、一番風呂に飛び込みました。
さっきまで、居間のテーブルで・・バイクのプラモデル・・作ってました
ホント・・びっくりしちゃうくらい・・増えましたよぉ~~
 

    
こ~~~~んなに作って、どうすんねん・・・です。
実は・・まだ、撮ってないバイクも数台あるんですよ

 

次女は、ステーキ屋さんで、パン作りのバイトを始めて三日目になりました
いつもの休日なら、昼までベットから出ないんですが・・起こされる前にちゃんと起きて、約束の時間の随分前に出かけて、一時間延長で働いて「疲れた~~~」って言いながら帰って来ました。
九時から三時・・お昼も食べずにパン作り。
バタン、キュ~~で・・夕飯まで、コタツにもぐって寝てましたヤレヤレ。

当たり前の常識が、出来ない子供が多いようです。
果たして我が子は、ちゃんと出来ているのかしら・・家での娘の態度を見ていると・・ちょっと不安です。
心配だけど、いろんなこと・・そこでも学んでくることでしょう。

しっかし・・あの次女が、ちゃんと社会に出て働いているなんて・・姉よりも先に、バイトをみつけてくるなんて・・旦那共々ちょっと驚いてしまっています。
いつも人の陰に隠れて・・目立つことが嫌いだった次女です。
小学生の低学年の時は、朝になると「お腹が痛い」と言っては泣き
ちょっとしたことに傷ついて・・泣き虫のレッテルを、貼られてしまっていた娘でした。
もしかしたら、あの時代に一生の涙の半分くらいは、使ってしまったのではないかしら

中学一年の時に、合唱発表会の指揮者に立候補し・・驚いていた私と旦那でしたが、実は親が知らないだけで・・自分のやりたいことには、ちゃんとしっかりと足を踏み出せるようになっていたのですね。

長女と違って、現実的というか・・短大を出て、普通の会社のOLになるんだそうで・・。
夢はまだ、ナカナカ語らない、ちゃっかり者の次女です。


そして長女は・・真っ青になって勉強していました・・部屋に入って、携帯片手に
あ、決して・・風邪をひいたとかではありませ~ん。
授業中寝てるもんだから・・試験前の部活休み・・必死にならなきゃって・・。
夢は色々ある長女・・ボチボチ選択しなきゃいけないようです。
が・・とりあえず、落第だけは困りますから・・赤点取らないようにと必死です
まぁ~長女の場合・・吹奏楽をやるために、今の高校へ行ったようなものですが・・一生やっていけるとは、流石に思っていないようなので・・本末転倒とならないように、今も机に向かっているようです。

 

そして、両親は・・1階の部屋で過ごしています。

日曜日も、八時~十時の二時間、一時~二時の一時間・・ヘルパーさんが来てくれて、母の食事介助や、清拭、トイレ介助をしてくれます。

が・・・しかし、世の中の介護問題・・が、我が家にも関係してきました。
ヘルパーさんの人材不足と・・言いましょうか・・。
来月から、利用するヘルパー事業所が二箇所にまたがる事になってしまいました

今までお願いしていた事業所さんから、我が家の要請時間に「完全に」ヘルパー派遣が出来ない可能性が出てきた・・と言われてしまったのです。
今までは滅多に、事業所から「入れません」ということを、言われたことはなかったのですが・・今後は、入れない場合も有り得るとのことでした。
なので、そうならない為にも・・別の事業所も平行して利用して欲しいと言われたわけです。

実は・・そうなった原因のひとつを、作ったのは私かもしれません。

10月まで、ヘルパーさん三人交替で、母の身体介助をしてくださっていました。
母が骨折して以来、お世話になっているので・・三人ともに二年は係わって下さっていました。

事業所の所長さんでもある50代後半の方。
私よりも三つ下だと言う・・小学三年生と、中学三年生と、高校三年生の息子さん三人のお母さん。
50代前半で子育てを終了して、ご主人と二人暮しの方。

どの方も、それぞれに有難い存在で・・うまく係わっていたのですが・・。
50代前半の・・ヘルパーさんと、どうもうまくいかなくなってしまったのです。
それで、その方の来訪をお断りした私でした。

書き始めると、う~~~んと長くなってしまうので・・今度はそれだけ書くことにして・・。

ともかく・・介護保険内のサービス、ヘルパーさんの人柄、性格・・家族との相性、ヘルパーさんに関しては、他人を家にいれることについても・・やっぱり、いろいろありますね。
一番はやはり・・利用者が落ち着いていられるか・・ってことだと思いますが・・

そんなわけで・・二人体制でお願いしていたこの頃でした。

男の子三人の母でもあるヘルパーさん、まだまだ子供の行事が絡んでくるわけですし。
所長さんにしても、事務員もヘルパーも兼務でやってる方なのです。
それ以外にも、イロイロありまして・・二人ともに急に休む場合も、無いとは言えないと。

困るのは・・私であり、父であり。


有難いことに、新しい事業所も、すぐにみつかりました。
母が家にいる日の午後と、日曜日は新しい事業所で受けてもらうことになりました。

今利用している事業所よりも、大人数を抱えているそうです。何かの時は、お願いし易いかもしれないですね。
さぁ~てと、また一から・・信頼関係を培っていかなきゃです。・・・ヤレヤレ~。

さてさて・・どうなることか。
ヘルパーさんも大変だと思いますが・・よろしくお願いいたしまする~~

 

 

そんな日曜日、私は~~~明日ユックリするためにも・・しっかり働いておりました。
日曜日って・・どこかへ出かけない限り・・主婦は忙しいものですな・・
まぁ~世の中の主婦は・・そんなものかもしれないですが・・。

明日からは12月、いよいよカレンダーも残り一枚。
まだまだイロイロありそうですが~しっかりと生きて参りましょう


水仙の葉っぱの中・・これって・・もしかして蕾?ちょっと早すぎませんか~~
 


当選?

2008年11月01日 | 家族のお話。


今年も、バラが綺麗に咲いてくれてます。


 


私は、元気です
大丈夫じゃない・・なんて書いてた日もありましたが・・大丈夫、元気です
ご心配・・励まし、ホントにありがとうございました。
長い記事を読んでくださって、ありがとうございました&読ませてしまってごめんなさいでした。
落ち込んだり・・舞い上がったり・・ホント、忙しいです


で・・11月ですね。
寒くなってきましたねぇ~。





お花屋さんを覗けば、冬の花が沢山。
それから、春の花の球根や種も・・沢山。
終わり近い春夏の花は、お安いでっせ~~って手招きしてるし


私に「買って~~~」って甘い声・・。
で・・つい・・買ってしまったデュランタの鉢・・半額セールで花も終わっていましたが・・なぁ~~んと咲いたんですねぇ。
今あるデュランタとはチョッと違って、可愛らしい感じです。

三年目のこちらも、今年の花は終わりかな。


もう鉢は増やさないって、旦那と約束したので・・新しい鉢は増えておりませんが、フフフ・・実は家の裏には、空っぽの鉢がまだ少々残っていたのだぁ~~
空になった朝顔を植えてたプランターもあるしぃ~。
チューリップの球根も欲しいし、ビオラも買わなきゃだし・・植える所はまだチョッとあるしなぁ

でもでも・・先立つものが乏しいので、とりあえず自前の種から。
水仙の球根は、七つだけ買ってみました。もう随分と芽が伸びてます

真ん中に植えてあるのは・・先日行った富士山の麓・・鳴沢で買った「カンパニュラロトウンディフォリア」
キキョウ科、ホタルブクロ属だそうで・・まんまです。
それにしても・・難しい名前で・・絶対に覚えられませんね~。
 
珍しく、旦那公認のお買い上げ。結婚記念日マジカだったし・・ま、いいか・・って思ったかな?
但し・・値段は知りません。
近くにあった別の花が100円だったから・・多分そう思ってるだろけど・・実はその数倍したんだなぁ
両端は、今年楽しませてくれた釣鐘草の種から芽が出てふくらんで・・花が咲くかどうか・・元気な奴を植え替えました。



可愛い~~でしょ。


  とりあえず・・芽が出てる鉢が一杯です。


春はもちろんまだまだですが、春を待つのは楽しいです。


おそらく、今までにないくらいの花だらけの箱庭になりそうな予感・・・
大好きなスミレも、何種類か増えました。
季節外れの花も咲いてます。

さぁ~冬をしっかりと越せるかな。

私なりに、出来るだけ・・なんとかしてみますとも
でも、案外・・なるようになるってばさ。なんて・・思ったりもしています。
あんまり必死にならないように・・楽しんで。
そ・・一緒ですね・・あれもこれも


明日は父も母と一緒にディサービスに行ってくれるそうです。
私ったら・・ツンツン、イライラ・・挙句に涙・・。
完全に父を追い詰めちゃったか・・と、思って・・少し後悔もしたような・・しなかったような。
でも、父も父なりに・・私の気持ちも考えてくれたのか・・単に、体調が少し良いのか・・は、定かではありませんが、出かける気持ちになってくれました

長女は部活だし、次女は友達とカラオケだそうなので・・明日は旦那と二人です。
ここのところ、二人の時間が多くなってきたような気がします。
これからは、益々そうなるかもしれませんねぇ
なんとか・・飽きないように・・頑張りたいと思います。
ま、旦那は一人で


写メ。

2008年10月18日 | 家族のお話。

修学旅行で沖縄へ行った長女からの写メです。

お天気は・・行った日と、次の日が雨だったんですって~。ついてないですねぇ。
それでも、それなりに・・楽しんでいるようです。

初日には「ひめゆりの塔、平和記念公園」を見学して・・翌日には「チビチリガマ、シムクガマ」に入り、平和学習。
戦争を知らない子供たちの・・子供である娘達も、ちゃんと戦争の悲惨さを学んで・・考えいるようです。

 

美ら水族館から、こ~~んな写メを送ってきました携帯・・便利ですねぇ。ですもの。

  

                           

                  鮫、ウツボ、マンタ、熱帯魚、蛸・・・。
                                           だそうです。
                                ホントは、きっとちゃんと名前があるんだろな

 

それから・・こんなんも。

 さとうきびアイス      お昼ごはん


他にも、食べかけのステーキ(一日目の夕食は、ステーキハウスですってぇ)とか、食べかけのお菓子とか・・作ったパイナップルジャムとか・・変な写メばっかり送ってきます

景色・・ないんですよ・・ありえません。青い空と青い海・・見せてあげな~~~いってか

送ってくれってメールしても・・・送ってきやしません。
流石・・A型の我が娘です。

明日には、帰ってきます。
初体験の飛行機・・離陸する時に、ジェットコースターみたいだったらしく「ヤバイ!」とメールが来ました。
びっくりしちゃいますよね。
良くても、悪くても、おもしろくても、なんでも「ヤバイ」なんですもん。わかりませ~~ん


ま、とにかく・・無事に帰ってきますように

 

そうそう・・大事なことを

介護認定調査の結果が来ました。
                                     
「要介護5」です。

 

なんとも・・複雑な想いはありますが・・これで安心して、支援費も使っていけます。

使うことの出来ない方達の為にも・・考えて有意義に、使わせてもらいます


バースディ。

2008年10月01日 | 家族のお話。

今日は旦那の誕生日です。

今日から一ヵ月半は、私と同じ歳です。

金の草鞋を履いて嫁になってあげたんですが・・金もメッキが少々・・いえ、かなり剥げてしまったこの頃の私です。
今月末には、共に暮らして20年目を迎えるのですから・・仕方ないですよねぇ~。

日々バタバタと過ごしつつ・・母がショート中はダラケまくり・・ひたすらネブタちゃんの私。
髪もボサボサで、普段は化粧もしなくなったし、体形もポニョになっている私を・・見捨てずにいてくれてありがとう。

あまり大きな喧嘩もせず・・無事に二十年を数えることが出来るのも・・多分・・私のおかげ!
なんて・・思ってられるのも、旦那の懐の深さかな。

気が付けば・・旦那の両親よりも、一緒に暮らす時間が長くなったことが・・なんとなく嬉しい私です。

まだまだ宇宙人に変身する娘達と、重くなった私の為に・・しっかりと働いてもらわなきゃいけません。
時々邪魔にもされてしまうだろうけど・・来年も、その先も、一緒に誕生日を迎えられるように、バイクの事故だけは・・嫌ですよ。

何かと「B型だから~」って言っちゃう私だけど、満更B型が嫌いなわけじゃありません。
内心はいつだって、頼りにしているのですから。


私が高校生の娘達を見て「私も高校時代に戻りたいわ~」って言った時「俺は今が一番いいな」と言った旦那。

別に、私や娘達と共に生きてることが・・じゃなくて、ちょっとは自由に時間とお金を使える今だから・・って言ってた旦那だけど・・実はとっても嬉しかった。

これからも・・そう思える人生であることを祈りつつ・・。
(チョッとは協力もいたします。)

多分・・今日も忙しく終わってしまうとは思いますが・・旦那様、お誕生日おめでとう

 

                              金魚さん、まねっこしちゃいました!ごめんなさ~い。


贅沢な時間。

2008年08月20日 | 家族のお話。

残暑お見舞い申し上げます。

まだまだ・・暑いですねぇ~
それでも少し、朝晩の風は涼しくなってきたような~ならないような

私・・一人娘の夏休みも終わり、日常が戻ってきました。
元気バリバリ!ご機嫌も麗しくかなりのリフレッシュ効果です。



おかげ様で、無事に旦那の実家へ帰省し、旦那の両親に家族の顔を見せることが出来ました
母が、脳動脈瘤の術中に起きてしまった脳梗塞の後遺症で、歩けなくなってしまってから早三年の時が過ぎ・・中学生だった娘達が、高校生になって・・。
旦那は多少お腹が出たくらいですが、女の子のこの時期は、変りますものね。
孫娘達の成長を、目を細めて見ていた両親でした。
娘達にしても、暫く振りに会う祖父母・・ちょっと照れつつも、そこは血の繋がりでしょうか、寛いで過ごしていました。
おまけに、二年分のお小遣いまで頂いて・・最高だったのではないかしらぁ~~

そして、私・・ホントに申し訳ないくらい・・のんびりさせてもらっちゃいました
次男の嫁とはいえ・・旦那様の実家、本当はのんびりしている場合ではないのですが・・
働き者で優しい義兄嫁に甘えて、ホント・・最悪の義妹ですねぇ
立派に農家の嫁の仕事と、三人の子供を育て・・義両親と仲良く暮らしている義姉、足を向けては寝れません。
朝5時には起きて、末の息子のお弁当を二つ作り(高校球児なので、朝連と昼連分)6時には息子を送り出し・・長女を送り出し(養護施設で栄養士をやってます。22歳の超美人です)畑仕事をやりつつ・・家事をこなし、スイカの普及活動に地方へ出張したり・・おまけに料理は上手で、ラッキョも漬ければ・・味噌も作り、テニスに洋裁までやっちゃうスーパーウーマンです。一つ上の色白美人な義姉です。
私は結婚当初から・・「わざと」ダメなお嫁ちゃん・・に、徹してます。な~~~~んちゃって

そんなダメなお嫁ちゃんの私・・皆で楽しく、居間でオリンピックを見ている夜・・気が付けば眠っておりました
それも高鼾で・・困った私です。
散々、行きの車の中で寝ていたにも係わらず・・自分のことながら、呆れちゃいます。
それでも「よっぽど疲れてるんだろうから」と、何も言わずにいてくれた義両親と、義兄姉・・いつか必ず、孝行しなきゃいけないですね。

神奈川から鳥取まで、旦那一人が運転して・・行きは13時間掛かりました。
そのうちの半分位の時間は・・多分、寝てた私でしたぁ~~。アハハです。
mp3には、70曲位のお気に入りの歌を入れて・・エンジンの音も聞こえないくらいの音量にしながら。
気が付けば・・ひたすらに寝てました。
文字通り「三食昼寝付き」プラス運転手付きの、奥様です。オーホホホ
ホントに贅沢な時間を頂きました

 

 

毎回、帰省した次の日は、朝食を食べる前、6時過ぎには皆でお墓参りをします。
家の近くと、車で数分の・・山の中にあるお墓へ、全員でお参りに行きます。
いわゆる本家の旦那の実家、沢山のお墓を参ります。
立派な、お墓のまわりには、いくつかのお墓があり、とてもお墓に見えないような・・それは石が置いてあるだけのような・・お墓もあったり・・。
その方達の血が、今も私の娘達に流れてるわけですね・・なんてことを思いつつ



見上げれば、山と空と雲。 
足元には土、田や畑。

コンビにへ行くにも、車で数分走らなければいけない旦那の実家・・何もないけれど、緑と季節の花が沢山の素晴らしいところです。
けれど、あまりにも何も無いところなので、お墓参りをした後は・・毎年義兄家族と私達家族・・9人で映画を見に行くのが恒例になっています
今回は、いつもより一日短い宿泊なので、行かないだろうと思っていましたが、娘達の為に義兄夫婦は、今年も時間を作ってくれました

何を見たと思います?

四十代の大人三人(旦那はバイクのナビを見に・・一人だけ別行動)高校生の娘二人と、高校野球球児が一人、社会人一年生の娘(もう一人の娘は仕事でした)の7人で見た映画は・・。

  「崖の上のポニョ」

と~~~~~っても見たかった映画だったので、私も娘達も大喜びでした
ジブリファンの私と娘達、夏はやっぱりジブリ映画を見なければぁ~~。

ここ二年ばかりは、映画を見に行っていなかった私・・嬉しくて子供みたいでした。へへ

良かったですよ!ポニョ

あらすじは、何も知らない私でした。
主題歌だけは・・何度も耳にしていましたが。

     ポニョポニョポニョ魚の子~~

金魚なんですよ・・ポニョって       あ、金魚さん・・

まさか・・車椅子のおばぁちゃんが・・出てくるなんて思いもしませんでした。
その中の一人を・・娘達も、私も・・母と重ねてしまうなんて・・。
魔法の力で、歩けるようになったおばぁちゃんを見て・・思わず涙が出てしまいました。
泣くところでは・・ないんですけどね。

多くは語らぬことに・・します。
機会があったら、見てくださいね~

ご馳走を食べて・・オリンピックを見て映画も見て・・のんびりと、ゆったりと・・過ごすことが出来ました。
元気でいてくれる義両親と、義兄姉に心から感謝です。

それから・・・私に夏休みをくれた、私の両親にも。
ショートスティ、五泊六日・・ホント、いろいろと大変だった父にはお疲れ様~~
目一杯、好きなようにさせてくれた旦那と私の家族にも・・ありがとう
 

 

 

旦那の実家に二泊して・・次はいよいよ「彼女」の元へ。

思った通りのウルルさんに会えました~~


福井のホテルに荷物を置いて、ウルルさんとの待ち合わせの駅まで電車に乗って。
ホントは一人で会いにいくつもりだったのですが「目の前で花火も見れる」大特典付きだったもので・・ズーズーしくも、家族でお邪魔することになりました。
ボチボチ暗くなり始めの時間でしたが、飛び切り明るいウルルさん・・大きな目が印象的で、とっても可愛い声のウルルさん。

目の前の花火、ウルルさんの用意してくれたご馳走、心もお腹も一杯でした
ウルルさんの旦那様、優しい男前でしたよぉ~この腕が・・ウルルさんを支えてるんだな・・なるほどぉ。
仕事帰りに付き合ってくれて・・おまけに、大きな荷物を持っての帰り道、申し訳なかったです。

肩を並べて、空一杯の・・火の粉が降ってきそうなくらいの大きな花火を、特等席で見せてもらいました。

                                            
花火が上がるたびに、楽しそうに笑う(叫ぶ!)ウルルさん・・おもしろい人ですぅ。

私の為に、いろいろ考えてくれていたウルルさんだったのに・・花火を見ている時間だけしか、一緒にいることが出来なかった私でした。
もう少し、私に元気があれば良かったのですが今回は花火を見た後、川辺でサヨナラすることにしました。

荷物を車に積んだ後、駅のホームまで追いかけて来てくれたというウルルさん、電車の発車時間に間に合わなくて、会うことは出来なかったけど・・涙が出るほど嬉しくて・・本当に本当に嬉しくて。

ウルルさんの優しさと、思いやりが・・これからの私を、チョッと変えてくれそうな気がしました。

誰かと接して、こんな人になりたいと・・思える自分がいることも、なんだか嬉しいことでした。

そうそう・・momijiさんも、会いに来てくれることになっていたそうです。
残念ながら、今回は見送りになってしまいましたが、きっといつか会える気がします。
嬉しいなぁ~~まだまだ沢山、会いたい人が沢山です

 

 

そんな今回の帰省も終わり、翌日には両親をショートスティに迎えに行ってきました。

五泊六日のショートスティ、両親にはやっぱり疲れが滲み出ておりました。

途中、不穏になってしまった母で・・父は本当に参ってしまったようです。
それでも元気に、何事もなく・・一人娘の夏休みは終わり、また家族6人のいつもの毎日、バタバタと過ごしています。

もう少ししたら・・秋が必ずやって来ますね。

暑い、ムカアツ~~の今年の夏・・もう少し、汗をかきかき・・頑張らなきゃです。

 

今日の最後・・これは何でしょう~~~~。 

              ハイそうです。旦那の家の近くには「風車」があるんですよぉ。
                                   のどかに、クルリクルリと回っています。
                          

                         ひたすらに、くるくると・・風に吹かれて働いています。


春。

2008年03月17日 | 家族のお話。

春がやってきましたねぇ。
家のチューリップ、こんなに綺麗に咲きました・・ってのはウソです・・先週、母のお友達の一人がプレゼントしてくださいました。
毎年、春になるとお花を買ってきてくださいます。
去年は、桜草を頂きました。
その子供達・・スミレと同じ様に・・あちこちから小さな蕾が、これも強い花ですねぇ。 挿し木にしてあったバラの根元にも。

 
これが今の家のチューリップです。咲くのかなぁ~。


ミニばらのプランターのチューリップも・・こんなに大きくなって、スミレの花も咲き出しましたぁ~

 

今日からまた二泊三日で、母はショートです。
高校の学校説明会があると思ってたので、二ヶ月前に予約を入れておきました。
が・・・例年の説明会の日とは、今回は日が違い・・卒業式の次の日にあったので、今回のショートは久々に何も用事がありません。
でも・・キャンセルはしませんでした
前回のショートから、まだ一週間ですが、なんだかとっても疲れてしまっていたので、そのまま行ってもらう事にしました。
母は・・見当識障害のおかげで・・日にちの感覚が薄く・・・実のところ前回が何日前だったか、わかっていません。
それでも・・やっぱり泊まりは不自由、いつものことながら「騙された」「追い出される」は常套句です。
日曜日ということで、介護タクシーで父が送って行きました。
なんだかんだ言っても・・母は行く支度を拒んだりはしないので・・助かります

 

卒業式、無事に終わりました。
ちょっと茶色い髪の子や、名前を校長先生に呼ばれても、返事をしないでポケットに手をつっこんだままだったりの子もいましたが・・。あ、娘はちゃんと返事してましたよん。しなかったらですもん。
義務教育最後の日、好天に恵まれて・・一つイベントが終わって、ホッとしました。
「おめでとう」を下さった皆様、ありがとうございました
式の最後の最後に、全校生徒と卒業生の保護者や先生に向かって、指揮をしていた娘の正面で・・私はチョッと鼻をススリナガラ・・ビデオを回しておりましたぁ。晴れ姿・・嬉しかったなぁ。
あの姿を見ることが出来たことだけで・・中学時代の娘の反抗期のイカイカも、ちょっと帳消しかなぁ。
アクマデモ・・ちょっとだけですがぁ~
残念だったのが・・旦那ったら、デジカメの電池を入れてなくて・・晴れ姿の写真が取れなかったこと
仕事を休んで、卒業式に参列してくれたのは嬉しかったけど・・。
電池の入っていないデジカメなんて・・ただの箱ですよぉ
「充電終わってるから、電池入れて、持って行って~」って言ったのに~。
私の話を、いかにいつも上の空で聞いているか・・バレましたねぇ
電池が入っていないことに気が付いたのが、卒業式が始まってから・・。トホホです。
携帯で撮った写真だけが手元に。娘は、おもいっきり、友達と笑ってます。


そうそう・・卒業式と言えば・・黒のパンツスーツ
パンツはなんとか履けたけど・・上着の方がヤバイことに・・。
まさかボタンがしまらないとは・・思ってもいませんでした。
中は白いオーバーブラースにして、お腹のふくらみ隠して~汗々の私でした。
寝不足の目の下は・・クマさんがクッキリ。
数十人が一人づつ・・名前を呼ばれているシーンとした中・・思わず意識が遠くなってしまった私でした
母も卒業式後には、ショートから家に戻って来ていましたが、肝心の次女はクラスの打ち上げとかで・・夕飯は友達と過ごしました。
卒業祝いのご馳走、いらないってんだから・・まったく今時は・・です。

 

そして卒業式の次の日は、高校の説明会。
夕方、母が通所リハから戻ってくる前には帰れそうになくて焦りました。
通所リハから戻った母を、迎えてもらう為にヘルパーさんをお願いして、チャリで往復一時間ちょっと行ってきました。
早速髪を茶色く染めた同級生に驚きながら・・我が娘もしっかりやる気満々(結局、昨日・・染めちゃいましたよぉ
入学式は、きっともっと茶色い髪した子達が・・一杯なんだろなぁ。娘もだ・・ヤレヤレです。
アイメイクの化粧品(アイラインと、マスカラ)も買ったみたいですしぃ~早速出た宿題をやりながら・・いよいよ高校生になる準備に明け暮れる次女です。

 


それから次の日は、月に一度の脳外の受診日でした。
お天気が良かったので、車椅子を押して・・行ってきました。
小さな花が咲き始める季節、ノンビリお散歩しながら。
だけど実は・・前日の坂道・・筋肉痛が・・運動不足極まりない私です

主治医の診断も、薬も、変わりはありませんでした。
母は、相変わらず見当識障害バリバリで・・感情のコントロールが上手く出来ず・・泣いたり怒ったり、凹んだり・・頑張ったり。
家にいると、頻尿で・・最近は、夜でもパッドには出来ないようで・・その度にナースコールで私を起してくれちゃって、Pトイレで用を足します。
麻痺側の寝汗も凄いです。不思議なくらい、身体半分だけの寝汗。下着もパジャマもグッショリで、着替えをして、Pトイレに座らせて・・軽く30分はかかります。
母はとにかく・・熟睡できるのがせいぜい二時間程度で、寝たりてるんだろうけど・・おかげで私は、細切れ睡眠のせいで・・昼間もボーっとしてしまいます。

それでも主治医は、安定剤を増やすとか、神経内科を受診するほどでは無いなぁ~って。
もう少し様子を見てください・・って、安定剤も飲めば落ち着くかもしれないけれど、何度も書きますが、リハビリに影響大だってこと、季節柄、不穏になるのは・・否めないってことでした。フー。

そうそう・・
今日、体内時計の話をテレビでやっていたのですが・・睡眠不足は太るそうですよ
レム睡眠、ノンレム睡眠の波を考慮すると、90分でワンクールだそうで・・睡眠は90分の倍数が理想的だそうです。六時間~七時間半が理想的なんですってぇ。二度寝はデブの元だそうです・・
なので、私の睡眠状況は・・体内時計を狂わせるに値すると。
そうすると、ホルモンのバランスが崩れて・・太るんですってぇ~。
なーんて、母のせいにしちゃってゴメンナサーイ!自分で節制しなきゃですねぇ・・ハハハ

それからまたまた次の日は・・両親のケアマネさんが、二人揃って家にやってきました。
今年の夏こそは、三年ぶりに、旦那の実家に帰省しようと思っています。
その為には、両親揃ってショートを利用してもらわなければ~行けません。
そのことは、両親ともに理解してくれて・・ケアマネさん達へも話をしたわけです。
イロイロ話をしているうちに、いつもお願いしているショート以外の施設、体験してみようかということになったのでした。
両親の、別々のケアマネさんが電話でイロイロ相談をして下さっていたようで、ここはどう?って話をしに来て下さったのでした。
家の近くの、望んでいた老健のショートは・・常連さんで一杯で無理だってことでした。
出来たばかりの特養があって、そこなら体験が出来ると。
5月に一度、二人揃って一泊だけ体験をして・・帰省の際の施設を決めることになりました。
私としては・・母の複雑な高次脳機能障害・・理解して、それなりに慣れてきた今の施設が安心なんですが、とりあえず・・他を見て、より安心感が増せば・・それも良しということになったわけです。

 

そうそう、父なんですが。
ひとつ介護保険で利用出来ることを発見しました。
それは「セニアカー」です。
いわゆる、電動車椅子・・という感覚で、介護保険でレンタルしてくれるわけですが・・。
要支援2の父には、レンタルは無理だと思っていました。

脊椎間狭窄症で、心不全の父は、長く歩くことが困難です。
それゆえ・・引きこもりぎみで・・。
昔かたぎの父は、小さな買い物をするという習慣もないのですが、近くのお店に昼のお弁当一つ、買いに行ったりしません。
でも、流石に私が毎日忙しく飛び回りヘトヘト状態・・なんとかしなきゃと思ってくれたんでしょうね。
私が朝早くから出かけなくてはいけない日は、母はショートに頼めても、父は家にいるわけで・・。
朝からお弁当、父の朝、昼ごはん、夕飯の準備もしなければいけない。
それが私・・実はとっても苦痛になってしまったりする日があって遂、父に八つ当たり。
父も・・私のイライラを察してはくれているのですが・・だからと言って・・歩けない。
守りに入っている父は、ぜったいに無理はしないのです。
で・・父なりに考えたのが・・三輪車の購入。
でもこれは、家族中が反対でした。
誰に聞いても、三輪車は乗りにくい、危ない・・と言います。

そんな時、思い出したのがウルルさんのお父様
ポチットしてくださいねぇ)
そこで・・ケアマネさんに、駄目で元々・・で、話をしてみたところ「大丈夫だと思います」って

三輪車よりも安全で、尚且つ・・少し足を伸ばして遠出も可能
父と同じような方が、実際にレンタルされてるってことで・・申請してみる価値はあると
早速、整形外科の主治医に意見書をお願いしに行くことになりました。
ケアマネさんも同行して、話を聞いてくださるそうです。

旦那はバイク、父はセニアカー(申請が通れば・・ですが)
家の前が・・賑やかになっちゃいそうです 

 

 これがぁ~旦那の愛車・・でござります


そしてそして・・四月には中型バイクの免許を取りに行くんだそうです
やることが早い!あーびっくらです。
もう、しっかりと教習所の予約を入れて来てるってんだ~から、流石B型ですねぇ

私も、旦那を見習わないといけないぞぉ~と、思っている春です。