七月になりました。
今年も、旦那の実家から、丹精込めて作られた大きなスイカがやってきました
今年も、最高に美味しかったです。
ありがとうございましたぁ
在宅介護を始めて、七月三日(その年の七月三日はココから)で丸っと三年になります。
母は脳動脈瘤の塞栓術中に、100人に6人が起きてしまう可能性があると言われた脳梗塞になりました。
そして、100人に3人が起きてしまう可能性のある重篤な状態に落ち、頭蓋骨を外して脳圧を下げる手術を受けました。
二週間ほどで退院出来ると信じて、元気で入院した大学病院に5ヶ月半、リハビリ病院で2ヶ月を過ごし・・家に戻った母でした。
入院中の母のことは、こちらに書いてあります。お時間のある方はどうぞ読んでみてください。
右脳の前頭葉の大半の血管は、塞がってしまいました。
左足、左手は動かないままです。
高次脳機能障害により、左側の空間の認識も出来なくなりました。
他にも、沢山の障害を持つことになり、一級障害者、要介護5の認定を受けることとなりました。
それでも、命は助かりました。
この世に生きて、母はしなくてはいけないことがあるからですね。
その大半は、私を鍛えることかもしれません・・アハハ
15年前、私の両親と旦那、娘二人の六人家族で同居生活が始まりました。
六人をなんとか詰め込めてる、狭い三階建ての我が家は、二階に玄関があります。
二階にあった両親の部屋に、介護ベットを入れると父の寝床も作れません。
それ以前に一人で立つことすら出来ない母を、自分たちの部屋へ運ぶ術がありませんでした。
そこで一階の駐車場を、両親の介護部屋に改築(このあたり・・ちょっと部屋が出来つつあります)し、在宅介護のスタートとなったのでした。
最初はひたすらガムシャラに・・。
元気だった頃の母のことを思い、切ないばかりだったような気がします。
母が不憫で・・母が可哀想で。とにかく、悲しくて・・切なくてよく泣いていました
在宅することには迷いがなかったし、家に連れて帰ることしか考えていなかったような気がします。
夜中に何度起こされても、仕方ないことだと思っていたし・・起きれない私が修行不足だとか・・情けないとかも思っていましたっけ。
ディやショートも同様に・・送り出した後になんだか罪悪感で落ち着かなかったり。
頑張って介護しなきゃ・・って、そればかりだったような気がします
それから三年たったわけです。
今はもう・・あまり泣きません。
昔の母を想う事で、切なくなったりはしますが・・昔は戻らないし。
今を生きるために、結構しんどい日々を過ごしていますし、愚痴も文句もてんこ盛りです
未だに、うまく時間が使えなくて・・イライラカリカリしたりしていますが、なんとか在宅介護を続けることが出来ています。
それは、沢山の支えてくださる介護サービスの提供者の方達のおかげだし、私を応援してくれるブログの友のおかげです。
そして、両親が頑張っており、何より私が頑張ってるから。へへ
出来ないことを嘆くことは、今はもうありません。
自分で出来る精一杯で、可能な限り頑張りますから
母の状態は・・三年前と比べると・・どうだろう・・
退院した頃は言語障害もあって、私以外の人には母の言葉が伝わらなかった時期もありました。
長い入院生活で、健常側の筋肉もすっかり落ちてフニャフニャだったし。
移乗するのにも全身を支えて介助していました。
私の腰に、肩に、何度痛み止めのブロック注射を打ってもらったことか。
それがアレビアチン(癲癇止めの薬)中毒になっていることがわかり、その薬を抜いたことで言語障害がなくなり、身体全体に力の入らなかった母がみるみる力を取り戻しました。
言いたいことを言えるようになった母は、悲しんだり・・感謝したり・・悪態をついたり、日々しゃべりまくっています。
時には混乱して、意味不明なことを言ったりもしますが・・なんとかコミュニケーションは取れています。
おもいっきり、普通の親子喧嘩も・・毎日のようにしています
コツコツと続けたリハビリの成果で、今は健常側の右足一本で立ち上がることが出来るようになり、私も今では片手で母を支えつつ、片手で母のパンツを下ろせちゃえるようになりました。
大きな進歩はありませんが、それでも振り返れば少しづつ・・出来なかったことが出来るようになりました。
やはり後退してる部分があることも否めません。
高次脳機能障害は、なかなか改善はしませんし・・見当識障害(場所や時間の認識)については・・だんだん悪くなっているような気もします。
左空間半側無視についても、注意をすれば気が付きますが、未だにデジタル時計の時間を表示する数字は一瞬では読めません。
多少動けるようになったことで、怪我も増えました。
出来ると思って・・動いたことでの転倒です。
最初は自宅のトイレでした。
今まで落ちた回数は・・うぅ~~ん
麻痺側の足は、二度の骨折しました。
最初はショートで、次は通所リハビリで・・今年は正月明けから三ヶ月、大腿部骨折で手術入院。
今もまだ、折れた部分は完全にはくっついていません。
ホントに一瞬の魔の時だったんだと思います。
おまけに、今度はディサービスでちょっと前に、麻痺側の踝にヒビがはいってしまいました。
麻痺側の左足は骨粗しょう症がひどく、卵の殻のように薄い骨になっているそうです。
骨粗しょう症の薬も飲んでいますが、動かさなければ骨は丈夫にはならないそうです。
どの施設も、最善の介助をしてくださっていると思います。
それでも・・それほどに介助も介護も、見守りも必要な母だということなのでしょう
まだまだ・・頑張らなきゃな・・いろんなこと。
夜中に何回か起きて、排泄介助や着替えをするのも・・正直頑張らないと起きれません。
友達との約束も、ドタキャンを何度も経験したけど・・それでも頑張って外に出なきゃ。
腰も、首も、膝も痛くなるけど・・母を落とさないように頑張って支えなきゃ。
更年期障害も出てるけど、頑張って乗り越えなきゃな。
高校生の娘達、自立するまでは、どんなに反抗されようと・・頑張って見守らなきゃだし。
旦那の健康も考えて、頑張って食事の支度をしなきゃだし。
頑張らない人生よりも、頑張る人生のほうが・・きっといい。
両親の介護は、私の人生の一部ってこと。
他にも頑張らなきゃいけないこと、頑張りたいことは沢山です。
でも、それのどれも・・私に出来る限りってことで、あまり気張らずにやってきます
年を重ねる毎に・・頑張らなくても自然にできることが増えるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
それもこれも、今の自分に出来る限りで・・頑張っていこうと思います。
小学校の一年生なら、いろんなことが初めてで・・先生や上級生に助けられて学校生活に慣れるのが精一杯。
出来ないことが悲しくなったり、泣いてしまうこともあるだろな。
二年生になったら、少しは学校にも慣れて・・友達も増え・・いろいろ学んだことを少しは生かせるようにもなる頃かなぁ。
三年生・・ボチボチいろいろ知恵が付き始め、やんちゃなこともしたくなり~反抗的になったり、人の言うことに耳が貸せなかったり?
知ってます?この頃の小学生「ギャングエイジ」って言うんですって
まさに・・それになりつつある私かもですが、立派な?上級生になれるように・・しっかり学んでいこうと思います。
不定期な更新の私のブログではありますが、どうぞ遊びにいらしてくださいませ。
コメントのお返事も、遅くなりがちではありますが・・おまけに長くなりがちですが・・とても励みになっております。
(今回も、記事のUPが先になってしまって・・ごめんなさい。週末からの母のショート・・そのときにゆっくりお返事させてくださいね)
同じように介護をしている方も、そうじゃない方も、私とおしゃべりしにいらしてくれたら、とても嬉しいです。
さぁ~四年目!頑張らなきゃね
私の小さな箱庭に、おやぁ~~これはネジバナではありませんかぁ~~
いつのまに・・何故に・・全然わかりませんが、嬉しいな~。
来年もまた、咲くといいなぁ~。