明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

すみれ色の季節。

2009年03月31日 | 携帯電話

春ですねでも・・寒いけど。
我が家の箱庭、続々と花が満開になってきました 

 新顔アネモネ

スノーフレーク 

 ムスカリも超元気

そして・・いよいよ母の入院生活も、あと一日です。いや・・半日


退院日が確定してから、いまのうちにやっとこ!やっとかなきゃ!
ってことなどなどで・・バッタバッタと動いていました。

母が骨折前は、ただひたすらに・・眠くて~眠くて
夜中のトイレ介助が、もう~~辛くてねぇ・・
折角の母のショート中も、なんだか開放感より、罪悪感みたいな変なもんに縛られたりもしてました
ただ・・自分の疲れをとる為のショート・・って感じで、遊びに行こうなんて思えなかったし


で・・・母が入院したら、今度は毎日通う数時間が・・しんどくて~
病院の様子に・・どうも慣れず・・肉体的には確かに楽になったけど、精神的に辛くて
身体が緊張しまくって、どうにもこうにも医者に行く始末でした

要するに・・楽な介護生活なんて、ないってことですな~そりゃ、そうですねアハハ。

いろんな介護の仕方があって、どの一つを比べても、似たような状況ではあっても同じではなくて、それぞれがいつしか、自分に出来る限りの介護をみつけていくのでしょうね。
誰かと比べたら・・羨ましく思うことだってあるけど・・仕方ないっすね

私は、なんとかまた、いろんな人の手を借りて・・在宅開始いたしましょう



年度が変ったので、タクシー券や理美容券の申請もしてきました。

タクシー券は、役所の介護保険課で「車椅子、ストレッチャーごと乗れる」福祉車輌用の券を貰ってきました。
車椅子からタクシーに上手く移乗出来るような人であれば、普通車輌のタクシー券で良いようです。
その場合は、障害者保険の方から出るということで障害福祉課になるんですって。

父はこちら、普通車輌のタクシーです。
去年郵送の手続きを取っていたので、発行日にはちゃんと自宅にタクシー券が届きました


福祉車輌のタクシー券は、郵送してくれません。
変ですよね~~~~
おまけに、福祉車輌使用は、車輌代がかかるんですよ。平日千円。休日三千円


理美容券は、地域包括支援センターでの申し込みになります。
こちらもケアマネさんの手配ではなく・・直接電話してお願いします。
父のケアマネさん包括支援センターの方、一応これに関しての母の担当者にもなってくれるらしく・・後日申請書を持ってきてくれるそうです。
以前の父のケアマネさんは、申請書の記入もしてくれたんですが。
今年から新しく替わった父のケアマネさんは、とってもマジメでグレーな部分がない方のようです

それから訪問マッサージさん、訪問歯科衛生士さんも再開連絡を入れました
訪問マッサージさんは、医療費でお願いしているので、介護保険は関係ありません。
ゆえに、ケアマネさんは無関係となります。

訪問歯科衛生士さんは、介護保険で賄われており・・しかしながら、介護保険の点数には関係ないという・・未だによくわからない不思議な領域。こちらも、手配は私です

ケアマネさん主催での・・担当者会議もありました。
介護保険を使って、母が受けさせてもらっているサービスの、各担当者や責任者の方との会議です。

ケアマネ、訪問看護士・訪問理学療法士・通所リハビリ施設の相談員と理学療法士・ヘルパーさん(二事業所一名づつ)・レンタル会社担当者・ディサービス主任介護士・ショートスティ介護福祉士
入院中の病院からソーシャルワーカー二名(一人は見習い見学ですって)・理学療法士
そして・・私。

病院の会議室をお借りして、忙しいであろう平日の三時・・総勢13名の方達が集まって下さいました。
病院のソーシャルワーカーの方、担当のリハビリ療法士さんも同席してくださって、今後の母の在宅介護のために・・母の現在の様子と、注意点などを話しあいました。

今更ながら、沢山の方達に支えてもらっています。
本当に、感謝しなければいけません。
入院中の母にも、会って行ってくださいました。
思わず「こんなに沢山の人が力を貸してくれるんだから、死にたがってる場合じゃないよ!」って・・言っちゃった私です。
母も、これでやっと帰れるんだと安心したようでした

そして、それと同時に・・ひとつ、覚悟もしなければいけないんです。
これは・・今後の在宅で、いろいろなサービスを使う為の・・家族が納得しなくてはいけないこと・・とでも言いましょうか・・。

今後・・も、起こりえる事故。
その時は、仕方ないことだったと・・思う覚悟です。

そんなこと・・あってはいけない。
そんな覚悟も納得も・・おかしい。

けれど・・人間相手のことです。
人間と、人間のことです。

それでも・・お願いするしか・・在宅を始めることが出来ない切なさです。

これは、母の場合です。
母の持ってしまった後遺症ゆえの・・障害ゆえの・・ことです。

もちろん、事故が起こらないように・・預かってくださる施設は、前以上に最善の方法を考えてくださっています。
家族にしても、ヘルパーさんにしても・・それは今までと同じ、それ以上に見守りの重要さは染みて下さっているようでした。

それでも・・万が一のことが起こるかも知れないこと・・それは、誰のせいでもなく・・ということを、敢えて覚えておいてくださいと・・病院のソーシャルワーカーの方が言われました。

私も、同意するしかありません。
というより・・家族として、それでもお願いしたい。

在宅介護をすること、実は当たり前に出来ること・・ではないんですね。

いくら私が頑張ると言っても、それには限界があります。
敢えて・・限界に立ち向かおうなんて・・私は思わないことにしました。
やはり・・自分も、自分の作った家族も大事ですから。

在宅だけではありません。
施設や療養できる場所だって、簡単には受け入れてもらえない場合がいくらでもあるわけです。

病院に通っていた約三ヶ月の間には、母以外の患者さんの厳しい現状も、否応なく目に、耳にしたりしていました。
退院しなくてはいけない時期が来て・・談話室で頭を抱えているご家族の方もいました。
どうしても自宅に帰れない患者さんもいます。
それは、計り知れないそれぞれの事情があるわけです。

すんなりと、施設や病院で療養出来るもいれば・・それすら叶わず、困っている人だっています。
三ヶ月毎に心も、身体もクタクタになって、施設や病院を探すことで疲れきっている人だっている。

なんだか・・本当に不思議な世界です。

四月になって、リハビリに関しても、また変っていくようです。

母が骨折して二ヶ月目からは、いわゆるリハビリ病棟に入院してたわけです。

麻痺足は、どんなに動かしてもらっても・・骨が丈夫になることは、ナカナカないそうです。
骨を強くするためには「踏みしめる」その動作そのものが、必要不可欠なのだそうです。
なので、少しでも骨を強くするためには、たとえ歩けなくても・・体重を麻痺足にも掛けて立つことが、大事なリハビリだそうです。

たった数ヶ月・・いえ、数日でも・・使わない筋肉はあれよあれよと落ちていきます。
それを戻すためには、三倍の時間が必要なんだそうです。

母は毎日、理学療法、作業療法のリハビリを受けていました。

リハビリの先生が担当者会議の時に言って下さったのですが
「骨折する前よりも健常側の筋肉は良い仕事をしているような気がする」と。

現に、骨折後のリハビリであっても、医療としてのリハビリを続けている毎日で、母の在宅では付きにくい場所の筋肉も強化されていきます。
例えば・・腹筋や背筋。
それによって・・全廃だと言われて力の抜けているような左麻痺腕が、ほんの少しですが力を感じるようになりました。
それは・・もしかしたら・・時期的に起こる拘縮なのか・・とも思えて、ぬか喜びかもしれないとも思っていますが、リハビリ療法士さんは良い兆候だとおっしゃってくれています。


これだけ集中してリハビリをすることは、回復期のリハビリ病院を退院してから二年振りです。
いわゆる・・回復する時期はとうに過ぎ・・在宅に戻ってからは、現状維持を目的としてのリハビリを続けてきたわけです。
リハビリを集中してやること・・健常側を鍛えることも出来るんです。
そうすれば、麻痺足に換わることは出来ずとも、絶対的にプラスになる。

それだけを考えても、リハビリは有効だと思うのですが・・。

在宅中のリハビリは・・週に二回の通所リハビリで、一日20分。
それから、自宅に来ていただく訪問リハビリが、週に一度で45分。
一週間のリハビリ時間を・・骨折入院中の今は毎日、日曜日、祝日以外は受けることが出来るわけです。
単純に生活していくことが、母にとってはリハビリのようなものだと思っていましたが、やっぱり本格的にリハビリをするということは、全然別なんですよね。

なのに・・国は・・今更ですが、それを良しとはしていないのだから・・・わかってないです。
四月から、通所リハビリでのリハビリ加算も変わるそうです。
うちのケアマネさん・・何も言ってませんでしたが。

今、母は骨折前に近い状態に戻っています。

リハビリ用の直立のポールを掴んで、車椅子から自力で立ち上がることも出来るようになりました。

母は、本当に頑張ってくれたと思います。
そして、今後も頑張ってもらいます

もっちろん私も、頑張っていきます

 

桜も咲き出して、私の箱庭も紫に染まっています。凄いでしょ?!



ここ数日の温度差、体調を崩している方も多いのではないでしょうか。
花粉症は、少しは納まってきたのかなぁ?(うちの旦那のくしゃみも、大分少なくなった気がします)

どちら様も・・風邪などひかれませんように。
お互いに、身体・・大事にいたしましょう!

今回もまた・・長~~~いですねぇ。
読んでくださって、本当にありがとうございました


去年買ったスミレとも再会 

 青紫のスミレ~

我が家は今、スミレだらけの季節を迎えました。
私の一番好きなスミレの花が、沢山です!見にきませんか~~~


友達(2)

2009年03月29日 | 福祉・手続きのお話。

母の退院まで、あと三日となりました。
在宅介護が始まる前に・・と言うわけでもないのですが・・私にしては珍しく、動き回っておりました。

友達(1)に引き続くはずの・・友達(2)を書いておかねば!
(1)と書いた意味がなくなってしまいますぅ。

沢山頂いたコメントの返事、遅くなってごめんなさい。
頂いたコメントの返事を書くことが・・とっても楽しみである私・・楽しみを引き伸ばしてしまっていますが・・ちょっとお待ちくださいね。また、覗きにきてくださいね。

さて・・。

ブログ友と会ってから三日後
23日(月)
今度は高校時代の友達二人と久々の再会をしました。

高校時代の部活仲間で、16歳の春に知り合った彼女達。

何の部活に入っていたかと・・・なんだと思います?イヒヒ。

 

スプーンを握り締めてるTちゃんは、部長さんでした。
上手かったし、部活も最後までしっかりとまじめに取り組んでいました。

一緒に沖縄、石垣、竹富島へ旅行したり・・大失恋の時にもお世話になったな~。
私の結婚式の時には、スピーチもしてもらって・・同居引越しの時には手伝いにも来てくれて。
子供に手が掛かるようになって、なかなか会えなくなって十数年になってしまいました。
それでも、母がこうなってからも時々心配して色んな物を送ってくれて。
美味しいお菓子だったり・・ダンボール一杯の漫画の本だったり。
さりげなく気にしてくれてる、優しい友達です。
あまり自分のことを語らないTちゃんだけど、一途でまじめで。
いつのまにか秘書検や簿記検持ってるような、おまけに放送大学で勉強もしている才女?なのでした。
ほんの少し前、お父さんが病気を患い、一生懸命に付き添っていました。
お父さんも、今は落ち着かれているようですが、その為に辞めることになった仕事は一旦お休みして、お家の会計を担当中のようでした。



ピースサインのAちゃんは、私のダブルスのパートナー。
途中、部活よりバイトが忙しくなり退部したいとか言ってたな~~。

二十歳で同級生のSちゃんと結婚して~四人の子持ちとなりました。
旦那のSちゃんとも顔見知り~ギターの上手いイケメンでした。
あ、今もDVDの中のSちゃんは、十分イケメンで・・変わりなく、Aちゃんの内助の功が生かされているってことでしょう。
一番上の長男くんには、五歳の子供がいて・・立派な?おばぁちゃんになってたAちゃんでした。
長女さんは臨月だそうで、来月の中頃には二人の孫がいることになるそうで~。あ~びっくり。
実母の介護生活も経験し・・ナント!ヘルパーさんを六年もしていたそうです。
あまりにも適職だったから・・辛くなって辞めてしまったそうです。
Sちゃんに「大変な仕事をしてたんだねぇ~他人の下の世話もして・・偉かったね」って言ったら
「偉いのは・・利用者さんだよ。他人に身体を任せなきゃいけないって・・こと・・いつもそう思って仕事してた」って。
私が介護保険のことを知るずっと前に・・知っていた、現場にいた彼女でした。

卒業してから数十年、それぞれに知らない歴史が出来ていて。
それでも、会えば高校時代の顔になってるのが・・とっても可笑しかったです。


Aちゃんが言っていたのですが・・。

きっと、あの頃(高校時代)は、あの頃で・・実はイロイロ大変だったよね。
辛かったり、切なかったり・・つまらないと思ってたことだって、実は沢山あったはずだよね。
なのに、どうしてか今は、高校時代を聞かれると「楽しかった」って・・思えちゃうんだよね。

一生懸命過してたから・・なのかもしれません。
自分のこと、友達のこと、それから家族のことだって少しは考えて・・。
高校生活を楽しかったって思えるのは・・そういうことなのかもしれません。

実はあの頃・・なんて、打ち明け話もしながら、ひたすらに喋り捲りました。

二人は「もっとちゃんと勉強しとけば良かった」って言ってたけど・・私はちゃんとしてたもん。ナンテ! 

 

介護生活も・・そんな風に思える日が来るといいなぁと思います。
いつかの最後・・楽しいとは、もちろん別な感情になるでしょうけれど。
思い出したくもない・・なんてことにだけは、ならないようにいたいものです。




十数年の時を経て・・の再会でした。

美味しいランチも食べて、次に会う日の約束は出来ないけど・・
それでもまた、会えばきっと・・そんなに長く会ってなかったなんて思わないんだろうなぁ~と思います。



十代を共に過し・・あれから三昔・・。
ランチを食べたその後に、ミスター〇ナッツで三時間のお喋りをした私達でしたぁ~~。


友達(1)

2009年03月25日 | 私の好きなこと。

友達は、いくつになっても・・作れるモンなんだなぁ。
お互いに、少しづつ昔の自分の話しもしながら・・。

まるでずっと同じ時間を過していたような、錯覚と嬉しさ。

それは、誰かの話しだけを聞くとかじゃなくて
一人一人が自分のことを、知ってもらおうって思いながら話すから
ちゃんと心に響いてきちゃうんだろなぁ。

一方通行じゃ寂しいもんな。
ちゃんと、わかりたいし・・わかって欲しいし。

それは、同感ではなくて知るってことだけでも良くて。

みんな、今を必死で生きていて
辛さや哀しさや弱さや優しさを伝え合えるんだぁ。
そうすると、知らないうちに強くなってく。


介護とは遠い・・ううん、全然関係ない話もしながら

おもいっきり楽しい時間を、過すことが出来たんだぁ。

 
三月二十日(金曜日)
春分の日


カニーさん、ぽれぽれさん、さっとん、そして私。

初めましては適当にして(だって・・なんか照れるんだも~~ん)

さぁ~~とりあえず、ホテルに荷物を預けましょう!

ホテルでキャーキャー言ってたら・・観光どころじゃなくなって~。

ケーキバイキングに行って、食べた~~。

 ソフトクリ~ムだぁ。


笑って、喋って。
 

それから、沢山歌った~~。

 
ぽれぽれさん、さっとん・・もうそりゃプロ級の歌唱力(マジです)
私なんて、カラオケで歌うことも久々だったから、ゼーゼーしちゃった。
お腹におもいっきり力を入れて・・うん、こりゃダイエットにいいかもだぁ。

二人は歌いこんでる?ってくらい・・高い声も低い声も、バリバリ出てた~。
顔も似てるけど・・声も二人とも個性的でシビレタ~~。

ぽれさんの「中島みゆき」、さっとんの「尾崎豊」は絶品だった。
カニーさんは、見たまんまの優しくて女の人って感じに、上品な「ミスチル」歌ってくれた。

楽しかった~。

恥ずかしいのも忘れて・・デカイ声出してきた。
ホントに、歌っていいなぁ。

やっぱり、歌は・・歌うのも・・聞くのも・・好きダァ~~。
歌ったことのない歌も・・歌わせてもらっちゃった。
聞いたことのない歌も、聞かせてもらったぁ。

さっとんがハモってくれた「卒業写真」
もうね・・歌い終わったあとに嬉しくて嬉しくて泣きそうだった。

一生の宝物になるような・・そんな風に歌えたよ。



ぽれちゃんは、よく笑う笑顔の素敵な人だった。
なんだ・・全然デブじゃないじゃん・・が、第一印象だぶ~~。
真っ直ぐに前を見て歩いている、暖かくて明るい頼りになりそな人だった。

さっとんは、華奢な身体でスタスタと・・スピーディな人だった。
ホントに初めて東京に来たのか?!ってくらい・・歩くのが早い~~。
メガネの奥の優しい目の中には、おもいやりが一杯詰まって見えた。

カニしゃんに会うのも、これで三度目になった。
いつのまにか、私にとって、とっても身近で・・大事な存在になってる。
言いたいことも一杯言えちゃうし・・見かけと全然ちがうとこも見えちゃったよ。


わざわざ新幹線で関西から来たのに
いつも「一緒に歌いたい」ってコメントしてた私の為に
カラオケ付き合ってくれて。
おまけに、遅くまで遊べるようにって、近くの駅まできてくれた。
そんな優しい人達なんだぁ。
「歌いたいんでしょ!久美ちゃんの近くへ行くよ!」って。

ホントに嬉しかったなぁ。

東京のど真ん中のホテルに泊まる三人。
お洒落なお店で夜景でも見ながら、美味しいもの食べることだって出来たのにね。

 


こんなに、お土産もらっちゃったぁ。

遅くまで・・付き合ってくれてありがとう。
私は別のホームへ行かなきゃだ。

元気で、明るくて、一生懸命な同じ歳の彼女達。
昨日まで、夜もろくすぽ寝れない在宅介護・・してたんだよ。

それでも元気で、明るくて。
大した女達だ!

また会おうね!きっとまた、一緒に歌おうね!

今回は会えなかった皆とも、またどこかで会えるといいな。

ホントに楽しい一日だった。
ぽれちゃん、さっとん、カニしゃん、ホントにありがとう。

仕事だったのに、夜遅く駅まで迎えに来てくれた旦那もありがとう。
母の病院へ、足の痛いのを我慢して行ってくれた父も、ありがとう。
お弁当を並べた次女、洗い物をしてくれた長女もありがとう。
病院で頑張ってリハビリしてくれた母も・・ありがとう。

よかったね・・って、今思ってくれてるあなたも・・ありがとう


老健。

2009年03月18日 | 福祉・手続きのお話。


去年は芽が出なかった球根。
今年は小さな青い花をつけました。
さ~~て、なんて名前だったかなぁ。


匂いスミレも、おみごと!


ムスカリも、お約束通り、ちゃんと咲き始めました。


スノーフレークが咲いたので、春なんですよぉ。

 
そして、やっぱりオオイヌフグリ。箱庭の中でほんの少し。

 

久々に、箱庭いじり。
今年も春の花が、沢山咲き始めました。ま、雑草みたいな花が多いですが
春は、いいなぁ~。なんだか、良いことがありそう気がして

 

母、元気にしております。
退院まで、残すところ二週間になり、私も母も少しづつ在宅へ戻る準備を始めました。

 

もう何が起こっても・・四月一日からは在宅開始なのですあはは・・決意表明ではありません。

大丈夫!また、三ヶ月前の生活に戻るだけです。
・・ちょっとは、大変になるかもしれないですが・・頑張りますともぉ~

実は、それでも心配なこともあり、老健入所の手続きも取ろうとしていた我が家です。

しかし~~。
老健入所は、申請前に「不可能、無理、入れません」と答えが出てしまいましたあらら。

短期入所であっても、老健と言う所はいろいろな規制(規約?)があり・・これまた厳しい審査があることを、初めて知った私でした。
厳しい・・というのは、母に関して・・なのかもしれませんが
割と簡単に考えていた私は・・ちょっとビックリした・・というのがホントです。

いつか・・在宅が一時でも出来なくなるような状態になっても・・近くの「老健」にお願い出来ると思っていました。

とんでもありません~~

介護保険を使える年齢で、特に治療をしなければいけない人でない限り・・誰でも入所出来ると思っていた私・・ケアマネさんだって・・そうです。


ネットで調べたら・・。

 

「社団法人全国老人保健施設協会ホームページ」(http://www.roken.or.jp/)より

「ろうけん=介護老人保健施設」は、介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指すために、医師による医学的管理の下、看護・介護といったケアはもとより、作業療法士や理学療法士等によるリハビリテーション、また、栄養管理・食事・入浴などの日常サービスまで併せて提供する施設です。利用者ひとりひとりの状態や目標に合わせたケアサービスを、医師をはじめとする専門スタッフが行い、夜間でも安心できる体制を整えています。


介護老人保健施設をご利用いただける方は、介護保険法による被保険者で要介護認定を受けた方のうち、病状が安定していて入院治療の必要がない要介護度1~5の方で、リハビリテーションを必要とされる方です。

介護老人保健施設は、常に利用者主体の質の高い介護サービスの提供を心がけ、地域に開かれた施設として、利用者のニーズにきめ細かく応える施設です。介護予防を含めた教育・啓発活動など幅広い活動を通じ、在宅ケア支援の拠点となる事を目指して、ご利用者・ご家族の皆様が、快適に自分らしい日常生活を送れるよう支援をしています。

 

どこにも・・母が使えそうにない理由は・・見当たりません
いえいえ・・骨折後のリハビリを引き続きしてもらって、在宅により安心であるための入所を考えていたわけですもの・・ピッタリだと・・おもいませんか?


老健に相談へ行き、申請に必要な書類(主治医の診断書、看護士による母の現状のチェック表)を頂いてきました。
書類が完成した後、再び老健の相談員さんとの面談をお願いし、そこで再度母の状態を細かく書類に記入してもらい申請となります。
そして、審査会で入所の判定となります。

が・・繰り返しますが、書類を全て揃え、医師からの「老健入所に支障はありません」とのサインを頂いているにも係わらず、答えは審査にかけるまでもなくNO

 

母が、老健入所を使えない理由は二つあります。

      「母の飲んでいる薬」  と  「高次脳機能障害の後遺症を持つ母の見守り」



母は、いろんな「薬」を飲んでいます。
その一錠づつの値段・・これが問題なのですって。

老健は、医療機関を持ち・・介護保険で賄っている施設です。
入所と同時に、医療保険は使えなくなります。

老健に入所したら、他の医療機関への受診、薬の処方は難しいようです(老健によっては、受診のみ可能な所もあるそうです)老健内の医師が、老健で扱える薬を処方してくれます。

高い薬を数種類飲んでいたりすると・・それだけで介護保険の限度額に達してしまいます。
限度額からはみ出た分は、老健が支払うことになるそうです。

つまり、赤字になるということです。
国は、赤字部分の補填など、してはくれないのですって。
とにもかくにも、介護保険内で賄えというわけです。

母の場合、高い薬とされているものに・・骨粗鬆症の薬と、眠剤、血圧を下げる薬がありました。
相談員さんが、あんちょこで調べてみたところ・・一錠が数百円のものもありました。

それから、月に一度の受診も問題があるそうです。
受診するだけならいいかもしれません。でも、例えば・・血液検査はダメなんですって。
けれど、レントゲンやCTなど、写真撮影関係は良いそうです。
国が老健に支払ってくれる医療費も、若干あるわけですが、理解不能な決まりがあって・・それはもう、細かすぎてわかりません。

人によって病状や、回復度、介護度は様々だけれど、老健で全て認めてしまったら、経営が成り立たなくなるわけです。
だから・・審査するわけですね。 



「高次脳機能障害の後遺症・・認知」については、母は・・いわゆる「まだら」状態です。
出来るだけの見守りは、必要不可欠。

今回の骨折も、自分で出来ると思ってしまったゆえに起こった事故です。前回もそうです。
しっかりしているようで、実はそうじゃなかったりします。

でも、わかる部分も沢山あるので・・その見極めが難しい。

それは、事故にいつでも直結しているということです。

老健は、リハビリ主体の医療施設なので、寝たきりの状況をなるべく作らないようにしています。
そうなると・・どうでしょう。

なるべく車椅子での生活になります。

また・・母は車椅子から落ちるかもしれません。
 

老健に置いてある車椅子は、自走式です。
今まで使用していた車椅子は、介護保険のレンタルなので引き続きしようすることは出来ません。
(ケアマネさんも、老健入所と共に解約となります。)
車椅子ベルトは使えません。
ベットの手摺さえ、拘束となるそうです(ベットから降りるために必要な一箇所のみが使用可能)

そして、どこの介護施設も同じですが・・介護専門の職員さんは、最低限しかいません。

つまり・・事故を覚悟で預けるしかないということだそうです。

ところが、実際に事故が起こると・・訴訟。

老健は、そのジレンマに苦しんでいると。

 

決まりは・・毎年少しづつ・・変な方向にかわっている?ようです。

変だと・・思いませんか?


何らかの理由で在宅介護が出来ない・・。
個人で老人ホームに入るとなると莫大な入所金が必要です。

そんなお金があれば・・在宅で専門のヘルパーさんをお願いできるかもしれません・・無理か・・。

医療やリハビリも引き続きしたい・・だから老健があるのではなかったのでしょうか?

もし・・それでもどうにか・・とかというのなら・・個室に入って、差額ベット代を支払うことになるそうです。
差額ベット代で、薬を出すってことですね。
そうすると、自己負担金が月に20万円以上。

・・・・。むり!

 

 


しっかりと理由を確認したので、さほどショックではありませんでした

というか・・母はやっぱり、結構大変な状態なんだなぁ~と漠然と思ってしまいました

それは丁寧に、いろいろ教えてくださいました。
ここまで話さなくてもいいかもしれない程に、時間をかけて説明してくださったと思います。

いいです。
元々、在宅するつもりでいましたから。

私は、まだ・・頑張れます
沢山の方が、力や気持ちを支えてくれます。

でも一応・・特別養護老人ホームには、申し込みをしました。
これも・・保険です。
今、200人待ちだそうです

在宅が本当に不可能だったり・・ギリギリスレスレでの介護をしている方達だって沢山いるはずです。

でも、受け入れ先がこれです。

認知症状が酷くて、家族の生活そのものが成り立って行かない場合だって、あるんです。
悩み、苦しんで・・一生懸命に訴えても届かないこともあります

けれど・・国の決まり。
どうすることも出来ません


老健の相談者さん「僕も闘っています」と仰っていました。

それから、私が「私の介護仲間に伝えてもいいですか?」と言ったら「教えてあげてください」ともおっしゃっていました。

隠しているわけではなく・・。


なのに知らない人が沢山います。
ケアマネさんも・・役所の職員さんも・・知らないから簡単?に老健を勧めます。
だけど
母のように、薬を沢山飲んでいるような・・定期的に診察を必要とする人は、老健入所できないのですよ。

国のお金を使うのに・・・公平ではないような気がします

病後の回復力は人様々です。
介護度も、段階で分けられているものの、何もかも同じ人などいません。

介護する側にしても・・様々な環境や、状況や・・心情があるのです。

 

不安のない老後・・それは・・平等に使えるものでなければいけないのではないでしょうか。

 

老健で、伺ってきた話です。
もし、私の理解の仕方が違っていたり、間違ったことが書かれていましたら、お教えくださいね



 

季節は、平等に・・春は足元に・・来ていますよ~


今年のチューリップ。さて・・どんな花が咲くでしょう。楽しみです


忘れないでいよう。

2009年03月10日 | 私。


沢山、お菓子を貰ってしまったぁもう・・ないけどどこへ?私のお腹~~


このスィートポテトは・・もう、絶品!あ!と間に、私のお腹の中よく・・食べたぁ

 

土曜日、ブログ友のゼリーさんとカニーさんに会ったぁ!
(もう・・ブログ友!って感じじゃなかったとこが・・不思議だね)

ゼリーさんは、同じ県民で、自転車で我が家に来れる距離に住んでいる。
(でも、普通のママチャリじゃ・・ちょっとムリがある距離

以前、愛車いちごちゃん(ママチャリじゃない。前カゴなんてないやつ)に乗って、近くまで来てくれた。
けど、丁度私が外出中で会えなかった。
(だってさ、突然近くに来てるって、メールくれてさ
         慌てて行ってみたけど、風のように消えていた~

その後、今度は私が・・宅急便屋さんになって、ゼリーさんに会いにチョコッと行った。

出かける途中に行ったから、会えたことだけに舞い上がった~実は、照れてたんだぁ
ほとんど・・奇声をあげてるだけで・・宅急便屋さんの仕事して、風のように去った私だったな。



そしてそれは「奇襲」という素敵な出会いの言葉を、頂くことになったのだぁ。


カニーさんは、ある日突然・・も一人のブログ友達のウルルさんと、我が家へやって来た。
(確かに、家においで~とは書いてたけど・・まさか、当日まで黙ってるとは!

私の誕生日の少し後だったから・・誕生日ケーキとクリスマスツリーと、プレゼント持って来てくれた
(宅急便屋を装って来ようとしても・・それはバレルって!

私がゼリーさんに「奇襲」をした・・その・・お返しを二人が目論んでいたとは・・。

驚いて、ぶっ飛んで・・それでもとっても楽しい奇襲だった。
(貴重な時間、こんなとこまでワザワザ来てくれて・・申し訳なかったけど・・嬉しかったな

 

そして・・そんなバタバタな最初の出会いを経て・・三月七日の土曜日

ちゃんと数日前に待ち合わせの場所と時間を決めて
お二人と再会したのだった。


(お二人なんて、ガハハ・・うそ~~「です。ます。調」な雰囲気は、ぜ~~んぜんなかったぁ~

ゼリーさん・・は、もうずっと前から、ブログ以外では本名の名前で呼んじゃってるしぃ~。
カ二ーさんは・・いつのまにかカニしゃんになってたし。

私のことも、二人は「クミちゃん」て言ってくれて、若返ったみたいで、ちょっと嬉しかったなぁ。
(それにしても・・昔のHNはやめてて良かったよ・・ホント・・一人娘さん・・じゃねぇ


会いたいなぁ~って思ってから、会う場所と時間を決めるのが、凄く早かった

多分、ぜりちゃんも、カニしゃんも、私の為に時間を作ってくれたんだと思う。
今、在宅をしてない私が、一番時間があるはずだし・・忙しくないんだけど・・。
一番・・ピーピー泣いてて、ヨレヨレになってて。

それで、二人とも・・遊んでくれたんだね。
ホントに、ありがとぉ~

元気になったよ

 


私が住んでる駅の二つ先の大きな駅で、待ち合わせ。
だから・・私が一番知ってるはずの場所なんだけど、全然ダメ~~。
実は・・電車に乗って出かけるのも久々だし・・もの凄い方向音痴な私で、オタオタしちゃった
(ぜりちゃんに、クミちゃんは無駄な動きが多い!って笑われたけど・・ホント、ごもっとも)
人込みと、変わった町並みやビルの多さに、グルグル歩かせちゃった。

それでもなんとか、娘に教えてもらった方向へ動いて・・目的のビルでランチ。
(ホントはさ、ケーキバイキングに並んだんだよ。でもさ、数人前でOUTリベンジしなきゃだ)



やっぱりさ、マダムな私達は・・お豆腐の会席料理でしょう~~

いろんな豆腐料理がテーブルに並んで、可愛い店員さんが説明してくれたんだけど・・。
私の耳には・・あんまり聞こえてなかったぁ~。
喋ってばっかりいて・・実は味も「美味しかった」ってことしか・・憶えてないんだぁ

ランチの後、スタバでお茶を飲んだけど・・そこでも、あっと言う間に時間が過ぎてた。

そうそう・・ぜりちゃんが、カニしゃんをジ~~っと見て「カニちゃんて、ホントに美人だよねぇ~」って。
カニーさんは美人で、ちょっとオシトヤカ風なんだけど・・黙ってればきっとそうなんだけど・・
実は、飄々(ひょうひょう)としてて・・ボソっとおもしろいことを言ったり、とにかくよく笑ってる人。

そういうぜリちゃんも、スラ~としてて、ミニのワンピースにブーツの似合う美人なんだよぉ~。
大屋政子だ・・なんて、ウソウソ!でも、大屋政子みたいに存在感はタップリだぁ。
内緒だけど・・ワンピの中のウエストには・・腰痛ベルト、装着しててさ・・痛いんだよ



そうこうしてるうちに・・カニしゃんのタイムリミット。



ぜりちゃんと、お洒落なお店で、並んでケーキセットのおやつ~~食べてきた~。
     

これまた・・美味しいケーキと、コーヒー

でもね・・やっぱり、ぜりちゃんと喋ってるうちに・・いつのまにやらお皿もカップも空になってた

 

11時から、4時くらいだったかなぁ~なんだか、ずっと喋ってた。
ケラケラ笑って、多分・・美味しいもの食べて、ちょっとマジな話もして。



二人とも・・ホントにさりげないく優しくて、強くて、逞しくて。

私が一番~歳とってるんだけど、
肩をポンポンと叩いてもらって、頭をナデナデしてもらっちゃった感じ。

それぞれが違う形の介護生活をしてるけど、悲壮感なんて全然ないし。
そりゃ、大変なことも沢山あるし・・辛いこともあるけど。
二人とも、ちゃんと幸せを見つけることが出来る人だって、よくわかった。

いろんな想いをしてるから、小さな幸せだって、見逃したりしない。
それが、余裕ってやつなのかもしれないね。

皆、それぞれの出来ることをしてる。
誰かに褒められたいとか、感謝されたいとか思ってるわけじゃなくて。
笑顔や、嬉しい顔が見たいだけなんだよな。

そりゃ、いつも笑ってられる程、人生甘くはないけどね。

そんな時はまた、こんな風に元気になれる方法もあるってことを

忘れないでいよう


その後・・。

2009年03月07日 | 携帯電話
前回の記事・・最後が切れてしまっていたようです。

 
本当に・・なんておっちょこちょいな私。
ご心配をおかけしてしまいました。
ごめんなさい。
ありがとうございました。


大丈夫です。

四月一日には在宅可能・・ということでの退院です。
 

母は、今日も元気にリハビリに励んでいました。
 
 

パソコンで投稿した後に、携帯で誤字の修正をしたんです。
多分・・携帯は投稿文字数が決まっているので、限度外の文は・・消えてしまったのかもしれません・・。
これもそれも・・毎度長い記事を投稿している私ゆえの・・おっちょこちょい。
ホントに・・バカちんな私です。 まさか記事が途中で切れているとは・・。

記事を投稿してから、ずっと携帯でコメントチェックをさせてもらっていたもので・・友達がメールしてくれるまで、まさか下の方が切れてるとは思いもしませんでした。
ホントに・・ごめんなさい。



あと一ヶ月、今月一杯までリハビリをすれば、骨折前の状態に近いとこまでは戻れそうとのことです。
念の為に、
老健も一応申し込むことにして、相談もしてきました。
但し、母の現状を老健で受け入れられるか・・審査の結果次第です。

やはり、母のように・・認知症とは少し違う・・高次脳機能障害における・・いろいろな後遺症が、一番見守る側は注意が必要だということです。
老健は、特別なルールがあり・・ナカナカ難しいところです。
その辺は、また改めて記事にしたいと思います。


在宅に戻ることは・・実は私の中では決めていました。
と言うより、骨折くらい・・くっつけば、すぐに戻れるとも思っていました。

現実は、かなり厳しくて・・沢山の方が、首をかしげることとなりました。

でも、そこには、頑張る母がいました。

家に帰りたい一心で・・痛いのにも負けず、リハビリ頑張る母が。

その甲斐あって、リハビリ療法士さんも、看護士さんも、ヘルパーさんも・・大丈夫そうだと思ってくれるようになりました。

母ににとっては、現状維持が本当に難しいことも、あらためて確認した上で、また在宅に戻ろうと思っています。


旦那や、娘達は・・私の好きなようにすればいい・・と言うのがいつものことです。
内心は違うかもしれませんが・・結局は、私の意見が通るというか・・。
今のところ、そこまでの愚痴を言ってないので・・帰って来るものだと思っているようです。
まだ・・家族崩壊は・・してないな。ウフフ。

私が後悔しないように・・と、まだ思ってくれています。
本当に、ダメそうになったら・・その時はチャンと白旗を揚げようと思っています。

でも・・母の介護については・・きっと後悔は・・多分、必ずするとも思っています。
あれもしてあげれば・・これもしてあげれば・・って。
でも・・もしかしたら、思わないかもしれないですけど。


母の介護は生活の一部でもあり・・大半でもあるとは思いますが、これからは自分の今も・・大事にしていこうという想いが強くなりました。

ここにきて・・やっとそれがわかったような気がします。
 


父の健康上の問題は・・父が大丈夫だと言ってくれているので、とりあえず真に受けることにしました。

父にも、父が白旗を挙げることを・・私は止めないと言ってあります。


万が一の為に、特養も申し込むことにしました。
現在は五年待ち・・らしいですけどね。


 
今日も母は、随分と頑張っていました。
衰えていた筋力も、かなり戻ってきています。
何しろ、毎日・・理学療法、作業療法のリハビリをしてもらえるんですもの。
入院前より、もしかしたら・・なんて。

今は、病院のトイレで大も出せるようになっています。
ヘルパーさん一人で、ベットから車椅子への移乗も出来るようになりました。
まだ骨折前の状態とまではいきませんが、かなり近づいていることは見ていてもわかります。


ご心配、本当にありがとうございました。

退院の日まで・・三週間ちょっとになりました。
毎日通っていた面会ですが、数回は行かない日も作って・・羽を伸ばして来ようと思っています。えへへ。

 

本当に、ご心配をおかけしてすみませんでした


雪。

2009年03月03日 | 母の話


・・積もり始めました。

ひな祭りの夜、隣の家の屋根の上・・もうこんなに積ってしまってます。
雪が舞っているのも、上手くデジカメに写りました
珍しく、娘が「いいじゃん!」と褒めてくれましたぁ。


ちょっと前まで、もう春かと思うくらいに暖かくなっていたのに。
何故に今頃降るんだろうなぁ~。


やっぱり、一回くらい降っておこうか・・なんて空が思っちゃったかなぁ。


 


私の家の花、こんなに春っぽく咲き始めていました。
こりゃもう・・ビックリですね。



  


過保護な私・・今日は動かせるプランターや植木鉢は雪の積らない場所に退避させました。
箱庭のプランターや、根性スミレは・・雪の下に埋もれちゃったです
でも・・きっとまた、逞しく返り咲き(意味が違いますね・・)してくれることでしょう。


 


母の退院が、四月一日に決まりました。
二月終わり、カルテに「退院予定四月一日」と書き込まれました。


 


 


二月最終週に、リハビリの先生から、今後のリハビリ計画の説明がありました。
そして、もう一度、家族としての最終目標を聞かれました。


つまり、在宅に戻るか・・施設に行くか・・で病院でのリハビリが変わってくるわけです。
というか・・例えば施設へいくようならば、そこには複数名の介助者がいる。
けれど、在宅ならば・・家族と、介護保険を使っての介護生活となるわけで・・その為に介護される側も、やはりそれなりの状態になっていないと・・単身在宅介護では共倒れの恐れがあるということです。
行く施設が確保されているなら、骨折さえ治れば・・退院も可能ということになるようです。

入院している病院は、救急病院でもあり、突然の入院患者さんもいます。
回復期のリハビリ病棟もあるので、、リハビリを望んでベットを待っている患者さんもいるわけです。



数週間前・・二月中旬の母の状態を、リハビリ室で見学してくださったケアマネさんは、在宅は難しいと思っていたようです。
リハビリの先生も、その時は同じ考えだったようです。


その頃は、本当にきつかった。
いろいろ考えて・・父とも何度も口論になりました・・。
精神的にも、肉体的にも・・今までにないくらいに追い込まれたような気もします。
身体中が緊張し、鉄板のようになってしまった私自身でした。


病院には、母のことを考えてくださっている看護士さんやスタッフさんがいます。
お任せして、私はノンビリ過せばいい・・なのにそうは思えなかったんです。
変な気を使って、クタクタになっていました。


高次脳機能障害という、実にややこしい後遺症を抱えている母、私が病院へ行くたびに・・いろいろなことを訴えました。
本当のところは、わからなかったりもします。
意地悪をされているとか・・優しくしてもらっているとか・・言ってることに一貫性もありません。
思い込んでいたり、実は他の人のことだったり・・。
在宅中も、そういうことは沢山ありました。

それをわかっているのに、母が私にぶつける全ての言葉・・その度に、全部受け止めていた私は、やはり病院に対して不信感も拭えなかったし、母に対しても説教じみたことばかりを言って、喧嘩になったり。
病院へ行くたびに、緊張して・・すっかり疲れてしまいました。


毎日同じ時間を空けて、病院へ通うことも・・たかが数時間のことであるにも係わらず・・かなり苦痛になっていました。
長い年月、通所介護をされてる方も沢山いらっしゃいますよね。
ホントに・・大変なことだと思いました。


父も、母の入院中に、何度か不整脈もでており・・父と娘と・・お互いに心配をしていました。 


このまま在宅を続けていくことが出来るのか。
母の、もろくなっている危うい麻痺足、リハビリをこのまま続けて、骨折前の状態に戻るんだろうか。
骨折前も、かなりギリギリのところで在宅介護をしていた私です。

 

 

すいません・・何故・・にか、続きが全て消えており・・お友達に教えてもらうまで、全然気が付きませんでした。

何故だろ・・不思議だ。

確かに・・この先もあったはずなのに・・突然消えてる?!もしかして・・最初から消えてた?
うぅ~~~変だ・・。

変なのは・・私だろうか?

 

ということで・・中途半端な記事であったことを、お詫びいたします。

あ~~~びっくりしてしまった・・。

何を書いていたか・・忘れてしまいました。

 

また、ゆっくりと更新してまいりますので・・また覗きにいらしてくださいね