頑張れ!!一人娘!再び。

心臓人口弁で要介護3の父。髄膜腫の一人娘の私の、母亡き後の日々の事

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愛を浴びて僕がいる

2015年03月16日 | 母の話








日曜日、長女とライブへ行きました。

半年前から、約束していた長女とのライブ。
喪中ですが、長女が私と行くことを楽しみにしてくれていたので、行くことに決めました。

C&K、二人組の男性デュオです。

特養へ行く道すがら、よく聞いていたコブクロとC&Kが、私を何度も励ましてくれました。


この歌が始まり、久しぶりに泣きました。
長女も、涙を拭っていました。
そこにいた、沢山の方が、泣いていました。




愛を浴びて僕がいる


歌:C&K
作詞:CLIEVY/KEEN
作曲:CLIEVY/KEEN/栗本修



病室からの帰り道は
涙を隠して街に紛れ込む
じぃじ、ばぁばと泣きわめいて
だだこねてる子供の姿は
幼き日の僕だった

困った顔してでも
嬉しそうに手をひいて
僕もきっとあの子のように
愛で包まれていたのだろう

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

ごめんね今なら素直に言える
馬鹿だなもどかしさを当て付けて

じじい、ばばあと吐き捨てて
寡黙な愛に背を向けて
星のタバコに火をつけた

じんわり響いてゆく
痛みぬくもり伝わる頬
あの日の記憶が
今の僕の行く道を示してく

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

星になった今もなお
遠くから僕を見てくれている
会えない時間や距離に
僕等試されている
がんばれと笑ってるんだろう

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
そこから見てて欲しい








10年前、母が病に伏した時、長女は反抗期真っ盛り。
心の中で、祖母に対して、黒い想いを持ってしまったことがあったようです。

長女は今だに、その時の自分を悔いているようです。
ほんの少し前、そのことを泣きながら私に教えてくれた長女した。

大人になった長女は、傷ついて、悲しんで、悔いていました。


そんなこと、おばぁちゃんは何とも思ってない。
世界中で一番愛しているかもしれない長女のこと、何があっても。
私がそう伝えると、笑い泣きになりました。

母は常々、自分にとって一番の幸せな日は、私が長女を生んだ日だと言っていましたから。



私が働いていたこともあって、祖母である母は、長女には近すぎる程の存在だった思います。

思春期の反抗期、中学生対祖母。
そんなこと、当たり前。

でも、長女にとっては、大人になって泣く程の後悔だったようです。

でも、母にとって、長女は唯一無二の、初めての孫。
多分、私が母にしてあげた、最高の親孝行だったと思います。

長女にとっても、掛け替えのない祖母だったと思います。


友達との京都旅行を、母が肺炎で入院してすぐキャンセルしていた長女です。
行っておいでと言ったのに、やめてしまった長女。
何ヶ月も前から、楽しみにしていたのに。

結果的には、母の告別式の日が出発日だったので、良かったと言えば良かったのですが。

旅行の為に前後数日、遅い冬休みの連休を取っていたので、一日だけ出勤したものの、長女は母が入院して亡くなる前日まで、母の側にいてくれました。

アパレルの店長をしている長女は、年末年始が無く、やっと今頃の正月休みでした。
おばぁちゃん子の長女、思い残す事なく、母の側にいたようです。

亡くなる前日には、スマホで母の好きな美空ひばりさんの動画を母に見せてくれていました。

川の流れのように、、、でした。


母にとって、息が出来ない程の苦しみの中で、最後の幸せな時間だったと思います。


母が亡くなって、もうすぐ一ヶ月です。

もう、春一番が吹いている地方もあるようですね。
私の箱庭にも、春が来始めています。






御近所の木蓮も、開き始めました。

特養の庭の木蓮も、もうすぐ花が咲く頃でしょうか?
今年は、昼ご飯を食べながら、母と見られると思っていましたが、、、
残念ながら叶いませんでした。

母の代わりに、、、どうか、あの場所で木蓮を見ながら皆んなで食事が出来ますように。
どうぞ、自ら外に出れない人に、景色を空を、季節を感じさせてあげて下さい。



今まで沢山の方に、励まして頂きました。
長いような、短いような、私と母との日々。
頑張れ!!でした。

父の在宅介護は続きますが、このブログは卒業しようと思います。



長い間、本当に、ありがとうございました。

皆様に、沢山の愛が、幸せが注ぎますように。


また、何処かで(*^^*)



スーさん、今年も咲きましたよ(*^^*)
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波乗り?

2015年03月13日 | 母の話
昨夜は、波の下に入ってしまいましたが、今朝はまた、上手く波に乗って、私に戻っています。

まだ、波乗りは下手ですが、そのうち上手くなるでしょう。

大丈夫。

親は先に逝くものだから。


忘れていましたが、、、

母の肺炎の種類は、細菌性肺炎でした。

誤嚥もあっとは思いますが、死亡診断書には、そう記されていました。


カルテの開示を考えました。

父にもその話をしましたが、答えは出ていません。



あまりにも激しくなった父の物忘れ。
まだ、歳相応なのか、わからないけれど、訪問看護師さんは、こう言います。

いまの父の気持ちの状態なら、仕方ないかもね。
もう少し様子を見よう。
慌てて医者に行っても、逆に自分が認知症かもしれないことに、悩みそうだからと。


父は85歳です。
もう、あまり負担をかけたくないし。

昨日は、通帳が無いと、二人で探しまくり。
結局、ちゃんと元の場所にあり、大笑い。
そんな、もんです。


少し、私も疲れています。
今朝、鼻を噛んだら、また鼻血。

母が亡くなって、二度目です。

泣き過ぎ?
まさかね。


さ、良い天気です。

主婦を頑張らねばね。


箱庭のクリスマスローズが、綺麗です。


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悲しい

2015年03月12日 | 母の話
今日は、母の脳外科の主治医に、挨拶に行って来ました。

今日が、一ヶ月に一度の、母の受診日だったからです。



前以て、母が亡くなった事と、ご挨拶をしたい由を、病院へ電話しておきました。

電話口に出た受付の女性は、いつもなんだか不機嫌な人でした。
その日も、名前を告げると、途端に不機嫌な声。
何故でしょうか?
私の事を、嫌っているのかなぁ、、、と、いつもそんな感じでした。
けれど、母の死を告げると、今までの不機嫌な感じが消え、予約時間にいらしてくださいと、言ってくれました。


病院に着いて、受け付けには、その女性。
もう、いない母の診察券で、順番を取りました。
カウンターの後ろに回り、今までのお礼と共に、ささやかな手土産を渡しました。


程なく、母の名前が呼ばれました。

既に、母の死をご存知の看護師さんが、座って待っている私に気づき、おそらく、カルテを先に置いてくださったんだと思います。


先生も、母が亡くなった話を聞いていたようでした。

救急車に運ばれたのが、前回の受診の、三日後だったこと。
前日に、昼ご飯の介助をした時に、飲み込みが悪かったこと。

運ばれた先が、車で一時間弱の、津久井だったこと。
次の日には、地元の、特養の提携病院に、また一時間掛けて転院したこと。

六日間、頑張ってくれたこと、死に目には会えなかったこと、、、などを話しました。

最初に運ばれた病院で撮った、CTのコピーを見て頂きました。


肺の片側が、既に機能していなかっただろうね。
肺に水も溜まっているね。
多分、呼吸器が無かったら、自力で息は吸えていなかったかもしれないね。

呼吸が出来ないのは、苦しかったろうね、、、と、改めて言われ、、、やっと、あの時の状態がわかりました。





私は、何もわかっていなかった。


確かに、同じ事を言われていたのに。


そんなにも悪いことを、わからなかったんです。


何故なんだろう。

今なら、わかるのに。


母は、六日間、私が思っていたより、ずっと悪かったのに。

あの時、医師に同じ事を言われていたのに、私は大丈夫な気がして、母を置いて帰ってきてしまいました。

母のそばにいる事が、辛かったからです。
逃げてしまいました。

特養に母をお願いした時と同じ。

結局、逃げてしまいました。


違う。

違わない。

違う。

叔父が、同じような肺炎になった時があって、今は元気にしているから、きっと母もそうなるだろうと、勝手に思っていた。
退院するときは、胃瘻になるんですかね、、、なんて、医師に聞いていた私です。

今なら、帰ったり、しないのに。

死んでしまうと知っていたら、帰ったりしなかったのに。

違う。

確かに、覚悟をしてたはず。


10年間、お世話になった医師。
いつも優しくて、穏やかな先生。
母の頭の中の動脈瘤に、コイルを入れるカテーテル手術をした先生。
術中に、脳梗塞になり、脳圧が上がり、頭蓋骨の一部を、切り外した先生。

きちんとお礼をして、帰宅しました。



母は、10年前に死なず、10年後に死んだだけ。


誰に生かされたんだろう。

家族に?
自分の生きる力に?

母は、幸せだったのかなぁ。

まだ、生きたかったのかなぁ。

母が亡くなったことが、まだ現実じゃないような気がして、それでいいと思ってました。

毎日、アレコレやらなきゃいけないことに忙しくて、普通に笑って過ごしながら、母がもういない事に気づいては泣いています。

困ります。

もう、骨になってしまった母だから、何をどう考えても、仕方ないって諦めて、前を向いて、私は私で生きていますが、やはりまだ、涙か勝手に出てきます。

父も、多分、そんなで、必死に生きてる感じです。
笑いながら、泣いているんでしょうか。
たまに固まります。


ちゃんと泣いてないとか、現実から逃げてるとかじゃ、ありません。

今日はまた、悲しみが押し寄せて、ブログを開きました。


わけわからない文章ですね。


母は、もう生きてはいない。
それが、現実です。

今更後悔しても、仕方ないし、、、後悔することは、わかってました。


ちゃんと、わかっています。
ただ、今日は、改めて、苦しかったろうねと、思いがそこで止まってしまって、どうしょうもなくて。


大丈夫。
書いていたら、少し落ち着いてきました。

写真の笑っている母が、大丈夫って言ってくれたならいいのにな。

私には、まだ死んでから一度も会いに来てくれません。


あれ?
そんなん、可笑しいですね。


やっぱり、すごく寂しい。
悲しい。
辛いなぁ。











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春待ち

2015年03月08日 | 母の話


スミレがもう咲き出しました。
母の好きな、赤紫。
これから我が家の箱庭には、薄紫のスミレと、勿忘草が山程咲きます。
あちこちの鉢に、かなり準備万端の様子
です。


三寒四温の季節になりました。

もうすぐ、ホントの春になりますね。





クリスマスローズが、いつの間にか咲いていました。
この時期の花なのかなぁ?
名前からすると、妙な感じ。










可愛らしい鉢植えを、買いました。
私の好きな小さな青紫の花。
それから、薔薇の苗木。

チューリップを植え忘れていたから、ホームセンターに行ったのだけど、もうありませんでした。
既に蕾の鉢植えはありましたが、今年はもう、やめました。

その代わりの、薔薇の苗木。

いつもなら、また増やすの?って、嫌な顔をする旦那が、何故か黙っていました。

薔薇の苗木は、かなり高かったんだけど、たった一本残っていた、薄紫の薔薇の苗木。
今年だから、旦那も見ないふりをしてくれたみたいです。











桜草が咲いています。
去年の、こぼれ種から。

芽が出始めました。
何が出てくるんだろ?



今日、父が久しぶりにディサービスに行きました。
いつもなら、母に会いに、直ぐに特養のある二階に上がるはず。
でも、もう、それもなく。
寂しかったかな?


夕方、元気に帰宅した父でした。
大丈夫!

ですが、、、
物忘れが半端なく、、、
年相応だと、少し思えなくなってきました。
検査をうけるべきか、真剣に考えなくては、、、。


母の亡くなったことでのアレコレを、一人駆け回り。
必要な書類のありかを、父が忘れ、最早思い出せず、、、再発行。
委任状、なんやかや、、、頭がクラクラします。

思った以上に面倒で、泣いてる暇はありません。

納骨式の予約をしたものの、、、
お墓の権利証まで行方知らず、、、
再発行。

やはり、親が元気なうちに、頭がしっかりしているうちに、全て知っておくべきでした。


縁起でもない、、、
なんて、それは、ダメでした。

介護はまだまだ続きます(^◇^;)








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特養の皆様へ

2015年03月04日 | 母の話
日曜日、特養へ荷物の引き取りに行ってきました。

思っていたより沢山、母の服がありました。
まだ手を通していない、誕生日プレゼントのセーターも。

食堂の、隅に置かれたダンボール中。
納められていた母の服は、きちんと綺麗に畳んでありました。
とても嬉しいことでした。

きっと、母の服を畳みながら、ワーカーさんは、母のことを思い出して下さったのだろうか、、、
そんな風に、思えました。

退院して、またこの特養に戻ってこれたら良かったけれど、、、

家なら、尚更良かったけれど、、、

もう、洋服に手を通す、母の身体はありません。
だから、大半の母の服や、クッション、ポータブルトイレは置いてきました。

多分、風になっているかしら?
千の風、母が好きな歌だったこと、ふと、思い出しました。


今、骨になってしまった母が、やっと私のよく知っている母に戻り、帰ってきたような、、、そんな不思議な感覚がしています。
だから、泣いてはいません。

父と、毎日のように口喧嘩しながら、やらなくてはいけないアレコレを片ずけています。
涙が枯れてしまったのか、、
なるべく涙の元になりそうなものは、避けて見ないように、聞かないようにしているのも、否めませんが、今は泣く必要が、きっと無いような気もします。

多分、これから、何かにつけて、きっと寂しくなるのでしょうね。

特養へも、もう自転車走らせて、行く事もない。

もうすぐ、特養の前の畑は、菜の花で一杯になるのでしょう。
夏には、一面の向日葵。

母の車椅子を押しながら、お散歩する事も、もうないのだなぁ。
せっかく春になるのに、とても寂しい気がします。


部屋で、爪を切ったり、母の顔を拭いて、化粧水を塗ることもないのだなぁ。

ワーカーさんに、小姑のような事を、言うことも無いのだな。

モップを貸してくれ!
顔を拭いてくれ!
耳かきを、してくれ!

とか、ね。



母の部屋は、四人部屋でした。
かなり年季の入った特養です。
今時の、ユニット式の個室では、ありません。

クロゼットの引き出しの取っ手が取れていたり、何度か付け直して頂きましたが、やっぱり取れてしまいました。

時に、ベッドの下に綿埃。

特養は、我が家ではないけれど、病院でもありません。
なるべく、綺麗な場所に母にはいて欲しいし、母も綺麗でいて欲しい。

それが、私の願いでした。

週に二回は、特養に行くようにしていたけれど、昼ご飯介助を入れて二時間弱。
あとは、特養のワーカーさんに母を任せきりでした。

最小限の人数で、沢山の利用者さんのお世話をしているワーカーさんに、無理も
文句も沢山言ってしまいましたが、どなたも快く、聞いて、直ぐに実行に移してくださいました。

だから、ホントに、心から感謝もしています。

胸の奥にあった、黒い物も、、、
最後に聞いて貰ったし。

どうか、出来たら、私の黒い思いも真実だから、心に留めて頂ければと、思っています。


両親のダブル介護に加えて、自分の病気も発覚し、潰れそうだった私を救ってくれたのが、特養や、ディや、ショートの相談員さんだったことは、忘れません。


ワーカーさんや、看護士さん、私が母に会いに行く度に、私の愚痴やら、体調のことを聞いてくださいました。

正直、特養は、私にとっては、要介護者の父と向き合って暮らす日常生活の、逃げ場でもありました。

もちろん、目的は母に会いに行く事です。
でも、母は、あまり話さない、、、いえ、話してくれますが、理解してあげられない言葉も多かったので、つい、ワーカーさんと話し込んでしまう私でした。

兄弟姉妹のいない私は、ホントにワーカーさんに会って話す事、楽しい時間でした。



母に、私に、いつも暖かかったパートさん達。
Oさん、久美子さん!と呼んでくれるのが、とても嬉しかったです。

Iさん、娘みたいに可愛くて、沢山お喋りしてくれて、ありがとう。

荷物を引き取りに行った時、会えなかったけど、本当にありがとうございました。
二人が母のブースにいる日は、なんだかとても嬉しかったな。

Mさんとは最後に会えて、ホントに良かったぁ。
母に沢山話しかけてくれて、ありがとうございました。

Mさん、Eさん、移動になったのに、会いに来てくれて、ありがとうございました。
Mさん、いろんな勉強、頑張って下さいね。
母が褥瘡出来た時に、いろんなこと教えて下さってありがとうございました。
Eさん、いつも一生懸命な貴女、私は大好きです。
コブクロ繋がりも、嬉しかったです。
いつかライブで、会えたら良いな。
母のブースから二人が離れちゃった時は、ホントに残念で、ガッカリだったけど、建物の中にいてくれてるだけで、心強かったです。


母が妹だと思ってたNさん、長いことありがとうございました。母がショートを使っていた時から、お世話になりました。母が当たったりしたこと、ごめんなさいね。

母の担当をしてくださったIさん、母に一生懸命を下さって、ありがとうございました。いろんなこと考えて下さって、嬉しかったです。
私の小言、ごめんなさいね。

Tさん、Cさん、短いお付き合いでしたが、ありがとうございました。
父の電話の取り次ぎ、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。

母が亡くなったことを、涙してくれたHさん、私は貴女が、ホントに大好きでした。
私は貴女に会いたくて、特養に行っていたかもです。
Hさん、これからもチーフ、頑張って下さいね。
くれぐれも、身体に気をつけて下さいね。


私や、父を支えてくださった、特養の心ある方達に、深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。

そして、利用者さんのみならず、どうかこれからも、家族の力になってください。


最後に、このブログを読んでくださっているという、Hさん。
皆さんに、どうか伝えて下さいね。

私の拙いブログを読んで下さったこと、忘れません。
病院の帰り、母を父に会わせるために、家に寄ってくださったことも、忘れません。
ささやかなこの人生、、、また、桜が散る頃、一度だけ母と私を思い出してくださいね。


老舗と言われている、母のいたちょっとボロい特養。ごめんなさい~
私が此処を選んだのは、ワーカーさん達がいたからです。

優しい心と気持ちを、ありがとうございました。

私も、また、頑張って生きていきますよ。

母に関わっては下さった皆さん、心から、ありがとうございました。
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旅立ってしまいました。

2015年03月04日 | 母の話
母が亡くなって、お通夜、告別式、初七日が過ぎました。

母は、10年前の母に戻って、自宅に帰ってきました。

遺影の母を見て、なんだか、そう思ってしまいました。

孫である私の娘も、告別式の日
「おばぁちゃんが、二人いるみたいだ」遺影と、棺の中の母を見ながら、そう言っていました。

写真の母は、ふっくらとして、頭の傷もない、60代の母です。
元気に駆け回り、働き者の10年前の母が、写真の中で笑っています。
私の、よく知っている母でした。


この10年、母は必死で生きていました。
笑う時間より、多分、我が身を哀しむ時間の方が、長かったと思います。
いえ、もしかしたら、私が思っているだけで、辛くなんて、無かったのかもしれません。

母は、いつも前を向いて生きていました。
リハビリも、一生懸命だった。
それが、私には、時に切なく、時に誇らしく、考えると、やはり辛くなります。

でも、母にとっても、多分、私にとっても、掛け替えのない10年だと思います。
決して無駄じゃなかったし、一生懸命、頑張った母でした。

母の想いは、多分私にはわからないかもしれません。
あれこれ想いを巡らせても、もう答えは聞けません。


棺に横たわっていた母は、私の知っている母とは、少し違いました。
何故だろう、、、
既に、仏様の様に見えました。

考えると、この数年の母は、私にとって、仏様みたいな気がします。
恨み言も、愚痴も言わず、泣きごとも言いませんでした。

その母の近くにいた私は、いろんな修行をしていたような気もします。
とても辛かったし、厳しかったけれど、きっと母の身を以て、いろいろ教えて貰えた気もします。

もちろん、悲しことばかりじゃないし、楽しいことだって、母にも私にもありました。
特養で、母が笑うと嬉しかった。

死に行く数ヶ月前からは、何故かよく笑う母でもありました。

短期記憶は残らないでしょうけれど、しっかり全てわかっていました。
母の声、今は上手く思い出せないけど、ありがとうを、沢山貰いました。

口の中、舌がうまく動かせなくなっていたので、母の言葉がわからないことが沢山ありました。
もう少し気長に、聞いてあげてれば良かったなぁ。

まだ、後悔とも少し違う、残念さは沢山です。

強く、優しく、、、母はいつも、母でした。
私には、、、そうでした。

父には、早く帰りたいといっていたようです。
やはり、妻だったのでしょう。

喧嘩も沢山していた両親ですが、とても仲が良かったと思います。
沢山の苦労を共にした、絆の固い夫婦だったと思います。
母の遺影の写真を探しながら、沢山の父とのツーショットがありました。
手を繋いだり、腕を組んだりしているわけではありませんが、どの写真もピッタリと寄り添っていました。


父は、特養にいる母に携帯を買いました。
1日3回電話をかけて、母に会えない寂しさを、紛らわしていたのでしょう。
母の手が、上手く動かせなくなって、自分では受話器を持てない母。
ワーカーさんの優しさで、受話器を持って貰ったり、耳に当てて貰っていました。
ワーカーさんが忙しくて、取ってもらえない時は、沈んだり、怒ったり、、、
留守電になってしまう携帯を、哀しく掴んで離せませんでした。
母の声を聞くまでは、夕飯も食べれずにいました。

もう、そんな風に、母の声も聞けない父は、きっと私より淋しいだろな。

おかげさまで、あまり落ち込んでいる姿は見ませんが、この数日で、少し歳をとった気もします。


要介護2の父、物忘れが半端ありません。
難聴だし、足元も危ういし。
まだ、私の修行は続きます。

頑張らなきゃな、、、
とは、思っています。

我武者羅でなく、、、
ユルユルしながら。

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逝ってしまいました。

2015年02月21日 | 母の話
母は、一人で逝ってしまいました。

今日、母に会いに行ったら、頑張れって、沢山言うつもりだったのに、、、

朝早く、母は何も言わずに、一人で旅立ってしまいました。

最期には、間に合わなかった。
病院に着いた時には、もう母は、息をしていませんでした。

私を待っていては、くれませんでした。

ずっと一緒にいたのに、最期は一人で逝ってしまいました。


私は、結局、最後まで母が可哀想で仕方がなかった。
母の頭の手術後の陥没も、動かなくなった左手も、哀しくて仕方なかった。
10年も、受け入れられず、辛かったのは私だった。
母は、いつも一生懸命で、頑張っていたのに。
いつだって私は、口先ばかりで、本当には応援していなかった。

辛いのは、私で、母じゃなかった。
私が母を見ているのが、辛かった。


だから、母は一人で、逝ってしまったのかなぁ。


それは、私への罰でしょうか。



母とは沢山、喧嘩もしたし、一緒に笑ってきました。

多分、少し近過ぎたかもしれません。


入院する前日も、特養にいる母に会いに行き、父のおかしな行動を話しては、笑わせていたのに。

母は、最近、本当によく笑うようになったんです。



80歳と10日。
まだ、私が誕生日にプレゼントした洋服に、手を通していません。

後悔だらけです。
まだ、やってあげられること、ホントはきっとあったと思います。

眠るように、横たわる母。
帰りたかった家に、やっと帰ってきました。

もう、二度と、母と話せない。

沢山の後悔と、沢山の母への感謝でいっぱいです。

最期に、ありがとうだけ、言いたかったなぁ~
母は、私に、沢山ありがとうを、言ってくれました。
でも、私は母に、ありがとうって言ってないような気がします。

誰よりも頑張り屋で、情が熱くて、強くて、優しい母でした。

私が唯一、母を喜ばせられたことは、娘二人を産んだことくらいかなぁ。

まだ、母が亡くなったこと、なんだか実感はありません。
本当に、もう、起きないんでしょうか。

父のベットで眠るように横たわる母の隣りで、、、
父は、寝息を立てて眠っています。

私は二人を見ながら、今夜はお線香を燃やしながら、母の側にいます。


今、母はどこにいるんでしょう。

せめて、ありがとうの気持ちが、母に届いていますように。


今頃は、とうに亡くなった自分の息子に会えていたら良いなぁ。


ママ、ありがとうございました。

おじいちゃんのこと、大事にするからね。



これで、本当に、母の介護は終わりました。

長いこと、励まして下さったブログ友の皆さん、ありがとうございました。

今も尚、介護生活を続けておられるブログ友の皆さん、どうか御自身の身体もご自愛ください。


まだ、私には要介護2の父が存命です。
ゆるゆると、在宅介助、続けていきます。
ブログは、また、ユックリ。


本当に、母の事を沢山、ありがとうございました。






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応援しよう!

2015年02月20日 | 母の話
少し、疲れていました。

母は、今日も頑張りました。

生きるために、頑張っています。

肺炎なんかに、負けないように、口から血を流しながらも、必死で生きています。

また、母の笑顔を見なくてはいけません。

明日で、救急車で運ばれてから、一週間になります。

母は、頑張って闘っています。

私が諦めて、どうする!!


今日は、家に帰って来ました。


今も母は、一人で、頑張っている事でしょう。

私もまた、明日から、母を励まし、連れて行かれないように、引き止めたいと思います。


宏史、まだ、ママは連れて行かれないよ。
コメント

酷い話

2015年02月20日 | 母の話
私は、今、自分の頭の中にある、髄膜腫の結果を聞きに来た。

去年と変わらない。
でも、確かに、ある。
今も、顔の右側全体が、痺れている。
でも、耐えられない痺れじゃない。

いつか、母のようになるかもしれない。
ならないかも、しれない。
でも、私は自分の身体が動くし、生きて行くために、検査を受けている。

なのに、母を連れて行って欲しいなんて、、、願うなんて、、、
酷い話だ。
酷い娘だ。

今、何を祈ったらいいのか、わからない。
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苦しい

2015年02月19日 | 母の話
今日は、病院に泊まることにした。

母の小さなア~と言う呻き声を聞きながら、長い夜を過ごしている。

悲しくて、一人になると泣けてくる。

昼間は、父も長女もいたから、泣きはしなかったけど。



昨日は、落ち着いてるように見えた母だった。
昼過ぎから、夜7時まで、母の側に長女といた。
何を喋っているのか、わからない時もあったけど、孫の名前を呼んだり、気を付けて帰りなさいとか、よく話してくれた。
酸素濃度も、90%を超えていた。

もしかしたら、元気になるかもしれない。
そんな風にさえ、思えた。

痰の吸引器には、透明な痰が吸い取られていたし、一昨日の吸引器の中は赤かったから、少しは良くなっているのかと思った。
なので、昨日は、泊まらずに帰った。


今日は、父を連れて、仕事が偶然連休の長女と、昼過ぎに三人で来た。

痰の吸引器の中は、再び赤い。
口の周り、鼻の穴の周りには、血が付着していた。
既に、何度も吸引をしたようだった。

酸素濃度が、上がらない。
普通の人は、97以上らしい。
母は80台を彷徨い、痰が絡み始めると50台にまで下がった。

苦しそうに、胸が痛いと言っている。
泣き言を絶対に言わない母が、痛みを訴える。
あ~と呻く声が、大きくなる。

酸素が血液に入らない、身体のあちこちが、不全になる。

父は、疲れ果てている。
85歳だもの、無理もない。
長女が、連れて帰ってれた。

ホント、頼りになる娘を産めた。
育てたのは、今、死の淵にいる母みたいなもんだけれど。
だからこそ、娘はおばぁちゃんの側にいたがるんだろな。




担当医師が、今日のレントゲンの結果を話してくれた。
入院した日、転送した日、今回。
三枚を比べる。
黒い部分が、極端に少ないのが、昨日の母の肺だ。

蜘蛛の巣は、母の肺に巣を作ってる。
最早、黒い部分が無いほどに。



母の身体が辛い時、私の身体も辛くなる。
昔から、そうだった。
母が転ぶと、私も転んだ。
母が熱を出すと、私も熱が出る。

今は、母の息が苦しい。

私も、上手く息ができない。


段々、また、酸素濃度が低くなってきた。

大丈夫だろうか。

身体中が、浮腫んでいる


大丈夫?としか、聞けない。

頑張れ!とは、もう言いたくない。
もう、頑張らなくていい。

がん末期の人には、ホスピスがあるのに、肺炎末期の人は、苦しいまんまなのか?
痛みを取っやってほしい。

生きている限り、苦しいのだろうか。
生きていり限り、痛いのだろうか。

浮腫んでパンパンになった母の顔。
皺がなくて、こんなに若く見える。
十年前の、大学病院のICUにいた母を思い出した。



母が生きたいならば、全力で応援しなきゃいけない。

仮に、動けなくても、、

胃に穴を開けても、、





神様、仏様、宏史、、

先に死んでしまった、仲良しのご近所のおばちゃん達、もう、母を連れて行ってもいいよ。

母が、どんなにか皆んなと会いたいか。

あんなに仲良しだった、靴屋のおばちゃん。
母は、おばちゃんが死んだことすら、知らないけど。

薬屋のおばちゃん、豆腐屋のおばちゃん、クリーニング屋のおばちゃん、

もう、母を頼みます。
連れて行ってあげて欲しい。


ヒロシ、約束守れない。
ごめん。
最後まで、姉ちゃんは、励ませないかもしれない。
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昨日から、、、

2015年02月17日 | 母の話
ご無沙汰しています。
変わりなく、毎日を過ごせていますと、書きたかったけれど、、、
やはり、日々、両親も私も旦那も、そして娘達も、歳をとりました。

人間だから、、、
やはり、身体はナカナカ、若返りはしないですね。

今年は、父がショートステイでインフルエンザを貰い、四日間、入院しました。

私も、多分、産まれて初めて、インフルエンザに罹りました。


そして今、母は、肺炎で入院しています。

かなり重篤で、昨夜大きな山を越えました。

救急車で、搬送された所が、とんでもなく遠い場所で、同じ市内とは言え、片道二時間弱かかる場所、、、途方に暮れました。

が、昨日転送させて貰え、父も母に会うことが出来ています。

まだ、今週一杯は、峠だそうです。



なんとか、越えて欲しい。


一月に、父は85歳に。
二月に、母は80歳になりました。

あれから10年になります。




ここのところの母の様子や、父の様子、ブログに書けませんでした。

この先、どうするか、わかりませんが、、、
病院にいる時間が、増えそうなので、また、、、。


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新春のお慶びを申しあげます。

2014年01月01日 | 母の話
明けましておめでとうございます。


時は続いておりますが、一瞬の区切り…
また新しい年にりました。


今年も、不定期更新となりましが、よろしくお願い致します。


今日は父と、母のいる特養へ行ってきました。

行きは旦那のパチンコ行の序でに、送ってもらいました。

旦那は相変わらず…母に会おうとしません。
チョット淋しいけど、旦那の正確だから仕方ないですね。


昼御飯に間に合うように行きました。

柔らかな流動食の、お節料理の御膳でした。

母はしっかり完食でした。

父に食べさせて貰おうとしましたが…
無理でした。
母の気持ちになりすぎて、母に無理矢理食べさせてる感じが辛かったのかもしれません。

前回の肺炎疑惑の後、半月して、また同じ状態になりました。

今度は点滴を打ってもらいました。

今はまた、熱も下がり落ち着いています。


話は理解していて、うなづきますが、自分では、自然に大きな声出せなくなっているようです。

淋しいけど…これも母の時間の流れの一部ですね。

父には母の声が聞き取れないような気もします。

それでも、嬉し哀しの一時間半デートでした。

このまま、静かに時は過ぎていく
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おやつ・・が・・。

2009年06月23日 | 母の話


今日の私のおやつで~~~す

今年も、さくらんぼ・・・佐藤錦頂きました。
ううぅ~~~たまりません。
甘い~よぉ。
ご近所のおばさん、ご馳走さまでしたぁ。


ワイルドストロベリーも、白い花をつけました。
去年、道沿いに置いたプランターのイチゴが、黒くなって種だけになった頃、
パラパラとあちこちの鉢に撒いてみたら、しっかりと葉が出て、咲きました。
なんだか我が家の鉢、スミレだのイチゴだの・・どれもこれも寄せ植えだらけです。
高いところに置いてある鉢なので、実がなったら食べてみよっかな。

 

母は三泊四日のショートを終えて、元気に帰って来ました。
割合と落ち着いていますが、帰ってくるなり次のショートの心配を
帰って来たばっかりだから、大丈夫なのになぁ~。

母だけが泊まりに行っていたのに・・何故か家ごと移動してるようで・・。
一人で送りのワゴンに乗って帰ってきたのに・・
すべての場所が平面になっているような。

父もショートにいて、起こしても起きてこなかったとか・・・。

わかってるんだけど、時々妙なところに・・話が繋がってしまうみたいです。
そんな話を聞きながら・・

まぁ・・いいや。



「ところで・・今日のオヤツは何だった?」

「みんなは卵ボーロを食べてたけど、私はまたないんだって。」

「え?またって?帰る日だからないのかなぁ~」

「10時のおやつ、いつもないわよ。」

「え~~なんで?前にもそんなこと言ってたから、そん時だって確認してもらったよ~」
「他の人と同じにしてくださいって・・え~~なんで?」

「○さんが、可哀想だって私にも分けてくれようとしたら、私は糖尿病だから駄目!って。」
「介護士の△さん、家族に言われてるからって言って取り上げたのよ。」
「配るときに乱暴に机の上に置くから、卵ボーローがこぼれたのよ。感じ悪いったらさ」

あまりにも話がリアルだから・・これは確認しなきゃ~~ってことで・・ショート先へ

介護士さんが乱暴だったとかは言わなかったけど、細かく母が説明した通りに言ってみました~。

 

そしたら・・やっぱりそうでした


○子さん(母)の言うとおりでした。お皿から卵ボーロが転がって・・ってこともあったそうです。
本当に・・申し訳ありませんでした。連絡ミスだと思います。


何故だ・・。

前にも「おやつも食事も、普通でいいです!」ってお願いしたのに、刻み食が出てたことが。

母が脳梗塞を起こして・・一過性の糖尿病・・いわゆる、血糖値の調節が出来ない状態になっていたけど、リハビリ病院にいる間に改善して・・食事制限はしなくていいことになってる。
そういえば・・古い診断書には・・糖尿病って書いてあるかもしれない・・。

え~~それって三年以上も前なんだけどなぁ

平謝りのショート先のソーシャルワーカーさんでした。

ま、母が気にしてないと言ってたから・・たかが10時のオヤツだし~

でもさ・・糖尿病じゃないのに。
いったいいつから一人だけ・・食べさせてもらってなかったわけだぁ


でも・・私も、もうちょっと母の話をちゃんと聞かなきゃ駄目でしたね。

なかなか難しい・・母の状態でございます。


大したことではないですが、されど・・ね。




さて・・記事とは全然関係ないけど、今日は我が家に咲いている白い花を載せることにしましょう。

常盤露草。ふさふさの雌しべとおしべ。

 ブライダルベール。小さくて可愛い。

ホットリップス。チェリーセージとも。

 これは、ツートン。

あ!これは・・赤でしたぁ 

必ず、ペアーで咲く花です。
ひとつの株に、何故か今は三色といういか・・三パターンの花が咲いています。
どれもこれも・・仲良さそううさぎに見えて・・しまいます。

 

 紅白で~~おめでたい~~

いいこと・・

なんかある・・かなぁ~~。

 

あ・・。
 当たったんだぁ・・スーパーの千円券

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桜咲く。

2009年04月08日 | 母の話

 

桜が満開です。

四月一日水曜日。
無事に母は退院してきました
早々に頂いた退院のお祝いのコメント、ありがとうございました

 

実は・・退院した次の日には、ディサービスへ行ってもらっちゃいました。
その翌日には、訪問リハビリのセンセも来てくださいました。
そして・・またその翌日には、両親揃ってのディサービス。
なんてキッツイことをさせる娘でしょう~~かアハ。


 でもね・・日曜日は孫とお花見散歩も。
久々の外出・・疲れさせちゃったのか~この日から母の不眠に悩まされる私でありましたぁ

入院三ヶ月・・変わらなかったと思ってた母でしたが・・やっぱりそうはいきませんでした

なんだか・・いろんなことが混線していて、これがナカナカ厄介なことになっています。
母自体も、繋がらない記憶に・・混乱しているようです。

忘れてしまったわけではなく・・思い出せないわけでもなく・・ただ、繋がらず途切れ途切れだったり、別のものと繋がってしまったり

そしてすっかり、時計が母の中から無くなってしまってました。
例えば・・朝なのに・・12時って言ってみたり。
夜中なのに・・ヘルパーさんが9時に来るから、鍵を開けといて・・と言ってみたり。

入院中は、起床と就寝、食事以外は時間はあってないようなもので・・ただ坦々とゆっくり流れる時間に、看護士さんや、ヘルパーさんに身体を任せるしかなかった母でした。

左側空間無視の母は、誰かが左側をよく見るように注意をしないと時計が読めなくなっていました。
でも、入院前は・・時計の数字の意味は・・わかっていたはずだったんですが

注意障害でもある母は、病院のテレビも集中して見れなくなっていました。
ニュースも見るのではなく・・勝手に耳に入れたイヤホーンから流れさせてたって感じでした。
それでも私より、世の中のこと知ってる母なので、満更ではありませんが。
退屈で不安な山ほどの時間、きっとイロイロ考えていたのでしょう。

カレンダーに続いて・・今度は時計。
わからなくなったものを、無理してわからなくっても・・と思ってしまいますが、本人にとってはそうもいかず・・悩み多き母です。

なるべく・・時間を告げながら生活のリズムを作ろうと思っています。

七時過ぎたから、起きよう!
一時だから、ヘルパーさんが来るよ。昼ご飯にしようね!
五時だから、マッサージ師さんが来るよ!

考えても仕方ないことは、考えないでとか・・言いながら

それでも・・ナカナカ寝れない母・・寝ても数時間で起きてしまう日々が続いています

昨日は、早めに寝息が聞こえてきたので安心していましたが、宵っ張りの父のおかげで、母は十二時過ぎに起きてしまいました。
何度もナースコールが鳴り・・寝れない私。
そうなると「いい加減にして~~!」って優しくなんて出来ない私。
ナースコールを押さない代わりに、母がしたこと・・ベットのフェンスを外して床に落とすこと。
それも二回

補助バーの付いているフェンスなので、結構重いんですよ
これはもう、健常側の右手は、すっかり入院前の筋力に戻っているということですね。
リハビリの成果バッチリです
なんて・・笑ってる場合ではなく・・万が一ベットから落ちてしまったら・・

夜中にシコタマ怒った私でした
もう・・あの病院か良いの日々は懲り懲りですわい。

しっかし開き直った母が口にした言葉・・首の骨でも折ればよかった・・だとぉ

それは言ってはいけないぜ~~

とまぁ~~こんな調子で在宅介護が始まっております。
ディサービスには行ってもらったものの・・今まで行ってた通所リハビリには行けません。
母の退院直前に、ベテラン介護士さんが二人も辞めてしまったゆえに・・。
見守りが重要な母、新しい介護士さんが慣れるまで・・暫く待機して欲しいと

今回の骨折場所でもあるがゆえ・・安全第一を考えてのことでしょう。
代わりに入院していた病院へ、リハビリに通わせてもらっています。
受診日がディと重なっている今週は、ず~~っと在宅です。

週末には三泊のショートを予定しているので、なんとか頑張っております。

いろいろまたまたありますが、頑張ってこ~~と思います

 

私の箱庭、春爛漫です 

 今年のチューリップ、開き過ぎ?

いつのまにか花韮も増えました。

 スミレ~~。何種めかなぁ。

去年のこぼれ種から、たった一輪のビオラ。

 金魚草も、再び復活しました。


薄紫のスミレ色だっ箱庭が、どんどん春色になってきましたぁ

ただ・・咲きたい時に咲いてる花を見習って、あるがままでおりましょう 

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雪。

2009年03月03日 | 母の話


・・積もり始めました。

ひな祭りの夜、隣の家の屋根の上・・もうこんなに積ってしまってます。
雪が舞っているのも、上手くデジカメに写りました
珍しく、娘が「いいじゃん!」と褒めてくれましたぁ。


ちょっと前まで、もう春かと思うくらいに暖かくなっていたのに。
何故に今頃降るんだろうなぁ~。


やっぱり、一回くらい降っておこうか・・なんて空が思っちゃったかなぁ。


 


私の家の花、こんなに春っぽく咲き始めていました。
こりゃもう・・ビックリですね。



  


過保護な私・・今日は動かせるプランターや植木鉢は雪の積らない場所に退避させました。
箱庭のプランターや、根性スミレは・・雪の下に埋もれちゃったです
でも・・きっとまた、逞しく返り咲き(意味が違いますね・・)してくれることでしょう。


 


母の退院が、四月一日に決まりました。
二月終わり、カルテに「退院予定四月一日」と書き込まれました。


 


 


二月最終週に、リハビリの先生から、今後のリハビリ計画の説明がありました。
そして、もう一度、家族としての最終目標を聞かれました。


つまり、在宅に戻るか・・施設に行くか・・で病院でのリハビリが変わってくるわけです。
というか・・例えば施設へいくようならば、そこには複数名の介助者がいる。
けれど、在宅ならば・・家族と、介護保険を使っての介護生活となるわけで・・その為に介護される側も、やはりそれなりの状態になっていないと・・単身在宅介護では共倒れの恐れがあるということです。
行く施設が確保されているなら、骨折さえ治れば・・退院も可能ということになるようです。

入院している病院は、救急病院でもあり、突然の入院患者さんもいます。
回復期のリハビリ病棟もあるので、、リハビリを望んでベットを待っている患者さんもいるわけです。



数週間前・・二月中旬の母の状態を、リハビリ室で見学してくださったケアマネさんは、在宅は難しいと思っていたようです。
リハビリの先生も、その時は同じ考えだったようです。


その頃は、本当にきつかった。
いろいろ考えて・・父とも何度も口論になりました・・。
精神的にも、肉体的にも・・今までにないくらいに追い込まれたような気もします。
身体中が緊張し、鉄板のようになってしまった私自身でした。


病院には、母のことを考えてくださっている看護士さんやスタッフさんがいます。
お任せして、私はノンビリ過せばいい・・なのにそうは思えなかったんです。
変な気を使って、クタクタになっていました。


高次脳機能障害という、実にややこしい後遺症を抱えている母、私が病院へ行くたびに・・いろいろなことを訴えました。
本当のところは、わからなかったりもします。
意地悪をされているとか・・優しくしてもらっているとか・・言ってることに一貫性もありません。
思い込んでいたり、実は他の人のことだったり・・。
在宅中も、そういうことは沢山ありました。

それをわかっているのに、母が私にぶつける全ての言葉・・その度に、全部受け止めていた私は、やはり病院に対して不信感も拭えなかったし、母に対しても説教じみたことばかりを言って、喧嘩になったり。
病院へ行くたびに、緊張して・・すっかり疲れてしまいました。


毎日同じ時間を空けて、病院へ通うことも・・たかが数時間のことであるにも係わらず・・かなり苦痛になっていました。
長い年月、通所介護をされてる方も沢山いらっしゃいますよね。
ホントに・・大変なことだと思いました。


父も、母の入院中に、何度か不整脈もでており・・父と娘と・・お互いに心配をしていました。 


このまま在宅を続けていくことが出来るのか。
母の、もろくなっている危うい麻痺足、リハビリをこのまま続けて、骨折前の状態に戻るんだろうか。
骨折前も、かなりギリギリのところで在宅介護をしていた私です。

 

 

すいません・・何故・・にか、続きが全て消えており・・お友達に教えてもらうまで、全然気が付きませんでした。

何故だろ・・不思議だ。

確かに・・この先もあったはずなのに・・突然消えてる?!もしかして・・最初から消えてた?
うぅ~~~変だ・・。

変なのは・・私だろうか?

 

ということで・・中途半端な記事であったことを、お詫びいたします。

あ~~~びっくりしてしまった・・。

何を書いていたか・・忘れてしまいました。

 

また、ゆっくりと更新してまいりますので・・また覗きにいらしてくださいね


 

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