頑張れ!!一人娘!再び。

心臓人口弁で要介護3の父。髄膜腫の一人娘の私の、母亡き後の日々の事

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ず・ずれてる?!

2009年01月26日 | 携帯電話

ちょっと・・元気だしてよ~大丈夫だよ!





あれ?!母がいないぃ・・

いつものように、ナースステーションで面会カードを書いて、母の病室へ行ったら・・母がいません。
というか、母の寝ていてるはずのベットに・・違う人が寝ているんですぅ。

どこへ行ったんだぁ~

ナースステーションに戻って「母はどこでしょう?」って聞いたら、慌てることなく・・病室が・・病棟が変わったことを教えてくれました。
って言うか・・さっき、名前を書きながら「こんにちわ~」って挨拶したんですけど・・わたし 

ま・・それは、いいんですけどね。

 

母は、今日からリハビリ病棟の方へ移っていました。
以前、歩けない母には、リハビリ病棟へ移ることはない・・と、そんな哀しいことを言っていた看護士さんもいました。

ま・・それも、聞かなかったことにいたしましょう。

でも・・移っていたんですねぇ~~

これで、差額ベット代も、かかりません~~。良かった良かった・・。
(医療病棟と同じ、四人部屋なんですが・・トイレと洗面台が付いているリハビリ病棟は、同じ四人部屋でも差額ベット代はないのです)
ここの病院は、パジャマからコップ、歯ブラシまで全てレンタルで、一日二千円弱かかります。
テレビのカードも、点けっぱなしが多いのか・・一日で千円のカードがゼロになっていることが多く・・。
父は大概、病院の片道はタクシーなので・・結構出て行くものなのですなぁ。

ま・・それも、いたしかたないことですが・・

母の入院している病院は、整形外科病院です。
救急病院に指定されており、救急車が頻繁に入ってきます。
母が昨日までいた医療病棟には、意識不明だったり・・大怪我で動けない患者さんもいます。

そして・・母が移ったリハビリ病棟は、傷が癒えた患者さんが、リハビリをするために入院している・・いわゆる回復期病棟なわけです。

これで、本格的にリハビリを開始することが出来るのか・・な?

早速、リハ病棟のナースステーションへ行って・・これからのことをお願いし・・主治医との面談を申し込みました。



手術中だという主治医でしたが、さほど待たずに、お呼びがかかりました。

早速・・最新のレントゲンを見ながら、今の母の骨折部分の説明を受けました。

 

折った部分には、しっかりとプレートとボルトが上下に二本づつ。母の骨の中を真っ直ぐに支えています。

が・・横からの写真

微妙に・・折れたところが・・ズレテいる

膝のちょっと上の部分を骨折しているために、多分・・車椅子に移乗している際に、骨がズレたようなのです。
再手術をするほどのことでもないようですが・・華奢で脆い母の骨は、やはり再生までに人の何倍も掛かるようです。
今もまだ、ふくらはぎから、大腿骨の上のほうまでしっかりとコルセットで固定しています。

本当に用心しながら、リハビリしていくしかない。とのことでした。

そこで・・この先の見通しとしては。

骨折した左麻痺足に、立位で体重をかけられるようになる・・ってことがゴールだとすると・・。

完全に動かせるようになるのに、あと二週間。
そこからリハビリを始めて、二週間は集中的に。
要するに・・あと一ヶ月は入院が必要だということです。


そうそう・・実は、知らないうちに・・母は抜糸を終えていました
手術したのが9日。
十日から、二週間後には抜糸をしますって先生がおっしゃってましたが、母に聞いてもまだだって言ってたので、変だとは思ってました。

でも実は・・23日に終わっていました。
コチラが聞かなければ・・看護士さんは、教えてくれはしないもんなんですねぇ。
確かに・・忙しい病棟で、人手も足りていないらしいことは・・数年間通っている病院の扉、剥がされることのない看護士募集の貼り紙で知ってはいましたが・・。

ま、それも・・今更ですが。

 

 

 

 な~に、一ヶ月なんて、あっと言う間さ。

 

と・・言うことで、母は二月一杯は、病院のお世話になるようです。
見当識障害、記憶障害・・かなりバリバリの母ですが・・少しでも酷くならない為に、私は毎日母の記憶を留めに・・やはり通うしかなさそうです。

ま、夜中に起きることも無く・・しっかりと寝ていますので、遊びに行けないことなんて・・私も我慢しなきゃですね(・・・って、ちょっと泣き

写真の赤べコと、こぼうしストラップ・・先日、ブログ友さんが送ってくださいました。
とっても心が温かくなりました。
愛嬌のある顔を眺めながら・・一杯励ましてもらっています。

母も、私も、元気に頑張ります~~

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春待ち。

2009年01月19日 | 母の話

明日は大寒ですが、今日は暖かな小春日和の一日でした。
チューリップの芽も、土の中から顔を出し始めました。
今年のチューリップは、いろ~~~んな種類と色を植えてみたので、春が待ち遠しいです。
 

家の裏に、ひっそり咲いてたスノーフレーク。
去年、掘り起こして鉢植えにして・・今年もちゃんと芽が出てきました。
去年より、ちょっと増えたような気がします。
近いうちに、鉢を少し大きくしてみようかなぁ~。

 

 

すっかり、ブログ更新・・さぼってしまっておりました。
とにかく・・眠い毎日で・・。
気が付くつと、目を閉じている私でした。

母が入院して、かれこれ二週間が過ぎました。

なんだか・・あっと言う間に過ぎて行きます。

毎日、母の入院している病院へ通っています。
平日は三時からの面会なので、ちょっと遅れつつも、二時間位は病院にいます。
病院にいると・・自分で母の介護をしているようにはいかないので・・いろんな想いで胃が・・チクチク。
モンスターにならないように、案外と気を使ってしまいます。
白衣の天使が、時にはとっても怖く見えたり・・冷たく見えたり・・もちろん、優しい方も沢山います。
大変な職業だってことは、よ~~~くわかっているのですが・・いろんな人が、いるものですよぉ。


母は、日によって・・時間によってイロイロです。
時には・・何処にいるのかわからなくって、不安そうな顔をしていたり・・怒りまくって「私にはもう、家族なんていない!」とか言いながら・・私に八つ当たりをしたりします。
そうかと思うと、神妙に「毎日ごめんね・・ありがとうね」なんて・・言ってくれたりもするので、嫌な事はなるべく忘れるようにしています。

どの母の言葉も・・全部真実の母の想いなんだろうなぁ~と思います。
見当識障害で、場所も日付も曖昧な母・・混乱して当然ですよね。

お隣のご婦人と「死にたいですね・・」なんて、話したりもしてるようです。
死ねば楽になる・・のは母でなくて、家族だと思っていることが哀しいですが。

一日でも早く・・元の生活に戻れるように、頑張ってもらわなきゃいけません。
なんとか・・少しでも、骨折前に近い状態になればいいのですが、なかなか順調だとは言えないのが辛いところです。

手術をして、10日。
翌日から、リクライニング式の車椅子に、ちょっとの時間ですが乗るようになりました。
四人がかりで車椅子へ移乗して、その都度母は「痛い痛い」と言ってます。

日に一度は、二階の病室から一階のリハビリ室まで降りて、健常側の筋肉の衰えを防ぐ為のリハビリも始めています。
骨折してしまった麻痺側の大腿骨は、あまりにも骨が華奢になっている為に、まだ絶対安静のままです。
大腿骨・・膝の上あたりの骨折ゆえに、体勢をちょっと変えるだけでも、自然に動いてしまいます。
健常者と違って、自分でいつかは動かせるようになる可能性の少ない麻痺足、膝の関節が固まらないために、ギブスで固定はしていません。
コルセットのようなもので、足をくるんでいるだけです。
手術は成功したと言っても、実はプレートとボルトが、母の骨を逆に壊さないかどうか・・主治医も思案のしどころなのでしょう。

膝を曲げることなく入院して二週間・・当然、トイレにも行けません。


今、一番の心配が・・そこです。

母は、家にいる時からベット上での排尿、排泄がうまくできませんでした。
それゆえ、夜中のトイレ介助が辛くって・・眠くって、文句を言ったりしてたのですが・・出ないことに比べたら、当然ですが・・安心です。

尿意を感じなくなったら大変なので、手術前々日からしていた尿管カテーテルは外してもらえたのですが・・未だに時間を決めて導尿してもらっています。
お腹を圧迫して搾り出すそうで・・これが痛いんですって。
漏らしちゃえば楽なのに、それが出来ない母なのです。

おまけに、ちょっと動かしても、まだまだ強い痛みが走るようです。
とてもじゃないけれど、トイレへ行って腰を降ろすことなんて・・やっぱり無理なわけです。

動かせない足だということを忘れてしまうのか・・それでも母はトイレへ行きたがります。
その都度説明して、ベットで寝たままするように言っても・・どうしても出せず五日たってしまいました。

導尿は、どうしても感染症の心配があるそうです。
このまま自力で出ないと、また尿管カテーテルになってしまうかもしれません。
トイレへ行ける様になったときに、尿意が戻るか・・不安です。

「せめて、もう少し軽かったら、Pトイレに座らせてあげられるんだけど」とか・・
「袋をぶらさげて退院する方もいるし、その方が案外楽よ」とか・・
お願いだから、看護士さん・・母の前で言わないで!

看護士さんの何気ない言葉が、結構悲しい患者と、家族なのです。


おまけに・・便も、毎食マグネシウムを飲みつつ・・下剤も処方され・・三日ごとに浣腸をして、やっと出してるようなのです。
出る日はいつまでもお腹がシクシクするようで・・先日は、パジャマのズボン・・はかせてもらえませんでした。
頻繁に履き替えさせるのが・・大変だから・・です。
面倒とかではなくて、痛いから・・だとは思いますが。

入院するって・・そういうことなんですね。

それでも、頑張って治そうとしている母です。

今回の骨折のことは、実は親しい親戚にしか話してません。
母が、お見舞いを拒否してるんですよ~。

でも、私には励ましてくれるブログ友も沢山います。
母を心配してくれたり、祈ってくれています。

だから・・ってのもなんですが、私もシャンとしなきゃですね。
愚痴や、イライラがどうも増えてるこの頃ですが、私が頑張らないでどうするんだぁ~~。

それに、ちゃんと嬉しいこともありました。

次女が、バイトのお金で手袋を買ってくれました。
自分の手袋より高かったんだって。
可愛いとこも・・ありますね。もったいなくて・・タンスにしまってしまいました。

 

 大好きな友達が、元気と一緒にプレゼントしてくれました。
ホントは会いたいけど、もうちょっと待っててね。

ちなみに、ざくろの香りのハンドクリームは、ものすご~く良い香りで、家族で取り合いになってます。
黄な粉飴も、チーズチョコも・・全て私のお腹の肉となりましたぁ~~ありがとねぇ~へへ。

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ありがとうございました。

2009年01月09日 | 携帯電話

無事、手術は成功しました。


ご心配、お祈り、本当に、ありがとうございました。
みなさんの暖かいコメントに、どんなにか
励ましてもらいました。
(こっちょり、病院で読んでました~)
またまた、ブログを書いてて良かったなぁ~って心から、思いました。

それぞれに、お礼を書けなくてごめんなさい。
落ち着きましたら(落ち着くのか・・不安ですが・・)それぞれにお返事書かせていただきたいと思っておりますので・・「いらない」なんて言わずに、待っててくださいませ~。




病院で入院していることで、かなり安心してお任せしていましたが・・実はそうではなかったようです。
夜はいつも、見当識障害が強くなり、かなり大きな声で私や父を呼んでいたようです。
二日連続で・・夜間はナースステーションにお世話になっていたんですってありゃりゃ・・です。

加えて、手術日当日の今日・・朝から不安定になってしまい、手術をしないから家に帰せと騒いだようで・・朝の九時前に「出来るだけ早く病院へ来てください」と病院から電話がありました。

父も大学病院の受診で、朝早くから出てしまっていました。

結局、父はくすりを貰わずに家に戻り、処方箋を私が薬局へFAX。
父はタクシーから降りることなく、母のいる病院へ。

連休と言うこともあり、父の薬の手配をして・・私も病院へ。
父と交替したのが、9時半でした。

なんとか落ち着いてはいましたが、感情の波は荒く・・穏やかかと思うと・・荒れ狂い・・。
とうとう六人部屋からの退場を余儀なくされてしまいました

一時半に、手術室へ。
三時過ぎには病室へ戻ってきた母でした。

母の骨があまりにも華奢になっており、ボルトをドリルで入れなくてもいいという状態だったそうです。
ゆえに、手術時間も短くて済み、予定より一時間近くはやかったような気がします。


眠りから覚めてしばらくは、ビックリするほどクリアで、しめたものだと思いました。

夜にユックリ眠れるように、買って行ったクロスワードパズルの雑誌・・二人で解いて遊んでいました。
私よりも、ずっといろんなことを知ってる、憶えてる母で・・楽しく過ごしていたのです。

が・・時間の経過とともに不穏になり・・。

ずっと履いていた弾性ストッキング・・とっくに脱いでいるのに、脱がせてくれの一点張り。
挙句に、全て私が言わしてるだの・・もう、ホントにわがまま放題・・。

半身麻酔が完全に覚めると、痛みと共に不穏さが増すということで・・結局、消灯まで帰らないで欲しいと看護士産に言われてしまいました。

もう・・ナースコールの取り合い(私と、母と)
お願いだ~、あんまり押すな~~~コ・個室は高すぎる・・・

おっと・・すっかり愚痴になってしまいました。

無事手術が成功して、やれやれなんですが・・・。

これが・・ずっと続かずに・・リハビリを頑張ってくれること・・ホントにホントにあらゆる神様にお願いしたい気分です。

とにかく・・ありがとうございました。

本当にね、みんながいてくれるから・・私もきっと、立ち上がれるのだ~~~

 

 

しっかし・・実に・・疲れた一日でしたぁ。

今日は、たちあがれましぇ~~~ん・・・ごめんちゃい。

 

おやすみなさい・・

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術前説明。

2009年01月08日 | 携帯電話

今日は母の手術の説明に行ってきました。

折れた大腿骨の中に、棒状の金具を入れるそうです。
それを、ボルトで留める手術をします。
二時間の予定で、脊椎麻酔・・半身麻酔です。
もちろん、眠らせてくれるそうなので、母は痛みは感じないはずだと言っていました。

ボルトはそのまま一生身体の中に残すそうです。
抜糸は、十日から二週間後になるだろうとのことでした。
後は、とにかくリハビリをして、立位をとれる状態になったときに在宅にもどれます。


このまま放置して、自然に治癒するのを待つと、三ヶ月は寝たきりだそうです。
おまけに痛みは一ヶ月続くそうです。
寝たきりで・・三ヶ月、当然認知症状も強くなっていくでしょう。

手術をすれば、また在宅に戻って・・少しづつでもリハビリを進めることが出来るかもしれません。
今となっては、出来るだけ骨折前の状態に戻すことが先決となりますが。


いろいろリスクも覚悟だけど・・母も、家族も、再び手術の承諾書にサインをしました。

今回のリスクは、感染症と・・貧血による心不全、肺への血栓等でした。
出血が多ければ、輸血もあります。

卵の殻のように、薄い母の骨のまわり・・しっかりとボルトを留めることが出来るかが、一番の不安材料だそうです。

手術がうまくいけば、次の日から車椅子に座る練習が始まります。
ガチガチにギブスをするのかと思っていましたが、それはしないんですって。
痛みが強く残るようなら、膝上のみに添え木を当てるくらいだそうです。

とにかく、膝が曲がらなくならないように、なるべく痛くても動かしていきましょうと言っていました。

麻痺があって、動かなくても・・痛みは健常者と同じなのです。
当たり前かもしれないけど・・動かないのに痛い・・なんて切ないことでしょう。

リハビリも、今度はかなり痛みを伴うものになると言っていました。
そのリハビリを前向きにやっていかなければ・・一人介護での在宅は難しいかもしれないと、言われてしまいました。

今まで、母はリハビリを嫌がったことなどありません。
だから、きっとまた頑張ってくれます。
それは、誰がナント言っても・・母ならやってくれると思っています。
母は、根性の人だから。


最終的には・・一ヶ月になるか・・三ヶ月になるか・・。
自宅に戻れるのか・・施設を探さなきゃいけなくなるか・・。
(そんなこと・・聞きたくなかったんだけど・・伯父が先走って聞いてました)

とにかく明日、二時に手術開始です。

うまくいきますように

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謹賀新年。

2009年01月07日 | 携帯電話

あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

2009年、初ブログ投稿となります。
もう今年も・・一週間過ぎてしまったわけで・・早い・・ですね。

今年も、あれよあれよと・・バタバタと過ぎております。

ホント・・なんでこうなるの?って感じです。

 

年末、大晦日の昼・・ショートスティから戻ってくる母とすれ違うように、父が大学病院の救命救急センターを受診するという・・なんともはやの出来事がありました。

便秘ぎみだった父、トイレで頑張り過ぎて・・・お尻の穴・・が切れて。
おまけに・・その傷から大出血。
ワーファリンを飲んでる父ゆえ・・止まらなくなってしまい貧血ぎみに。

大学病院の救命は、三次救急センターに指定されています。
なので、通常なら電話でお願いしても、診てくれないのですが、有難いことに父はいろんな科のカルテが満載で、特に心臓外科で弁置換手術を受けていることもあり、診てくれると言ってくださいました。

が・・数十分で、母がショートから帰って来ることになっているし・・私が家を空けるわけにはいきません。
なので旦那が父を大学病院まで連れていってくれて、長女も父に付き添ってくれることになりました。

休日の救急センター、とりあえず一刻を争うわけではない父でしたから・・病棟の当番医の手が空くまでは、待合室で待っていなければなりません。
長女が「おじぃちゃんの側にいる」と言ってくれたから・・と、旦那はとりあえず戻ってきました。
その間に、血液検査と心電図、レントゲンを撮って・・・心臓外科の医師に診てもらい心配ないと診断をもらいました。が・・納得できない父は、外科の医師にも、お尻の傷を診てもらったそうです。

「ワーファリンの効き具合も丁度良いし、貧血ありません。心臓の動きも問題ありません。傷口に関しては、処方してもらっている座薬で対応して、便を柔らかくするために「マグネット」を使用してください。」

診てくださった医師が、なんだかボーっとなってる父ゆえに・・家族に渡すようにと長女にメモを書いて持たせてくださいました。

診てもらえたことで、父も安心したようですが・・三時近くに病院へ行って・・自宅に戻ってきたのが7時近くでした・・。
「凄く親切で、優しい先生達だった」と言う娘の言葉もあり、私も一言お礼を言いたくて、大学病院の救命へ電話をしました。
方麻痺の母を残して父に付き添えず、高校生の娘に託してしまったことも伝えました。
「大事にならずに良かったですね」の電話の向こうの優しい声、ホントにありがたかったです。

それにしても・・長女は高校二年生です。
たいしたもんだと思います。
父の側で、4時間・・・文句も言わずに付き添ってくれて・・。
医師の問いかけにも、答えてくれていたようです。
もちろん、旦那がいてくれたので送迎面も助かりました。
が・・娘(孫)の気持ち、には頭が下がりました。

そんなことのあった年末でしたが、
とにもかくにも、家族六人で元旦のお膳を囲むことが出来ました。
旦那も元旦の朝だけは、1階の両親の部屋に来てくれます。
「久し振り!」なんて、母に言ったりしていて・・なんだか可笑しくなりました。
多分・・旦那は、母にどう接していいのかわからなくて・・普通にはもちろん接していますが、なんとなくいたたまれないのかもしれないです。

家族六人で御節やお餅を食べて・・今年も穏やかに過ぎていくことを願いました。

 

 

が・・・そうは問屋が卸しませんでした。


普段の日々より、やっぱり忙しくなる三が日も過ぎて・・私一人、24時間介護の三日間で、すっかりヘロヘロになってしまってました。
それでも日曜日の四日には、ヘルパーさんにも午前、午後と訪問してもらえて・・なんとか通常へ繋ぐことが出来たわけです。


五日、旦那も初出勤です。
母も、通所リハビリへ元気に行ってくれました。

私は・・ちょっとばかり体調不良で、朝から気持ちが悪くて、寒気はするし・・喉は痛いし・・。
早々に夕飯と昼ご飯の支度をして・・家にいた娘達と父に「母の戻る四時までは、お母さんは完全休憩」宣言をして・・コタツの中で寝入ってました。

二時半・・父が、私を起こしに二階へ上がって来ました。

私・・起きれませんでした。
金縛りになってて・・動けませんでした。

長女の大きな声「お母さん、おじぃちゃんが用事あるって!」で・・やっと目と身体が覚めて・・。

父は、なんだか白い顔で立っていました。
え?!また・・具合が悪くなっちゃったの?って、寝ボケた頭で思ってしまった私でした。

すると・・

「三十分前くらいに、通所リハの〇〇さんから電話があって・・〇〇子が、また車椅子から落ちたらしい。麻痺足を凄く痛がるから、レントゲンを撮ってもらって診察してもらっていいかって電話があったんだけど、お願いしますって言っておいた」

母の行ってる通所リハビリは、小さめの総合病院の一角にあります。
整形外科もあるし、レントゲン室もあります。
インフルエンザの注射をしてもらっているので、診察券もあります。

 

寝ている場合ではありません。
慌てて通所リハへ電話を入れて「すぐに自転車で行きます」と伝えました。

15分後・・通所リハのある病院へ着くと、既にレントゲンを撮り終えて、ストレッチャーの上に寝かされた、心細そうな母がいました。

ほどなく、医師に呼ばれて・・診察室にはいると。目の前にはポッキリ折れてる母のレントゲン写真がありました。
医師に説明されるまでもなく・・綺麗に折れてる母の左大腿骨でした。

右足に比べて、明らかに骨密度のない母の左麻痺足の骨。レントゲンに、骨が白くは写っていません。
かろうじて、骨だとわかるくらいに・・薄く映る母の骨。これでは、ちょっとした刺激に折れてしまうのも仕方ないのかもしれません。
毎日飲んでるアクトネル・・骨粗鬆症の薬も、やはりさほどの効果はないような・・。

それゆえ、気を付けて・・案じてきたわけです。

三ヶ月に一度、この施設からもらってくるリハビリ計画書には、必ず「転倒の注意」と書いてあります。

なのに・・トイレの最中に・・転落してしまったのです。
一人で立とうとしたようです。
利き手の健常な右手で、トイレの手摺に掴まって、立とうとしたらしいのです。
介護士さんは、カーテンの向うで母を待っていたようです。

自分で歩けるような・・動けるような、見当違いをしてしまうことは・・皆が知ってるはずでした。
以前・・ショートスティのポータブルトイレで、転落して骨折したことも、皆が知ってることだったのに。

通所リハビリでの母は、どこにいる時よりも、シッカリしていたりするので・・まさか自分で立とうとするなんて、介護士さんは思わなかったのかもしれません。

母が、リハビリ病院を退院し、自宅に戻って来た時は、二時間も車椅子に座っていることが出来ませんでした。(後日、アレビアチンとういう薬の副作用だとわかり、その薬をやめてからは、半日以上車椅子に座っていることが、可能になりました)
障害の重い母は、数箇所の通所リハビリに断られ・・やっと受け入れてくださったのが、今の通所リハビリセンターでした。
なので、もう・・三年近いお付き合いで、どの介護士さんも、相談員さんも、母の状態の変化をよくわかってくれているはずです。
どの介護士さんも優しくて、おもいやりある方達ばかりです。

どこの施設よりも、母を安心して任せられていましたし、母も、嫌がらず、意欲を持って通っていました。

それでも、こういうことが起こるほどに・・母の状態は目が離せないということなのでしょう。

 

結局、通所リハのある病院には、麻酔科の医師がおらず・・手術の対応が出来ないと言われ、転院することになりました。
毎月、脳外科の受診をしている整形外科へ連絡を取ってもらい、そこで改めて診て貰うことになりました。
母は病院の救急車で、私は自転車で・・。

母は、九日に手術をすることになりました。
明日、担当医師から手術の説明と、今後の方針を聞きに行きます。

入院から二日たちました。

完全看護の病院で、六人部屋にいる母です。
面会は、平日は三時からしか出来ません。
食事の介助も、看護士さんとヘルパーさんでするので、大丈夫だと言われました。
今のところ、問題なく入院している母。

でも・・既に、尿管カテーテルになり・・一日中ベット上。
昨晩は、家と間違えて父や私の名前を大きな声で呼んでしまったと言ってる母でした。
間違えた・・ということを、まだわかってる母ですが、実際この先・・どうなるか。

いろんなことを考えると、気持ちが沈んでしまいそうです。
なので・・ここはもう、開き直って。
再び母が家に戻ってくるまで、私は私で体力、気力を充実させておこうと思います。

父のこともありますし・・ナカナカのんびりも出来ませんが、少なくとも夜はまとめて寝れますし。
もう、目がくっついてしまうんじゃないかと言うくらい、寝てばかりいる今の私。
睡眠のリバウンド?って感じです。

一日、二時間ほどの病院通い・・それも、ただ母のベット横で水を飲ませるくらいです。
退院できるまで、どのくらいの時間が必要なのかなぁ。

寒い季節が和んでくる頃には、元の生活に戻れるといいけれど・・。

 

桜草の花も、小さな蕾を付け始め・・水仙は、花を開きました。

私は何故か・・冷静です。
特別凹んでるわけでもなく・・きっと、なるようにしかならないだろうって・・思っています。
なんだろう・・以前の私だったら・・きっとこんな風ではなかったような気がします。

これから、きっときっと、いいことも待ってるのでしょう・・。

いつもそうだったもの。

悪いことばかり、続かないって・・。

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