ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

唯心論

2007-06-10 11:43:36 | Weblog
 画は合成で上は零戦52型、下は一式戦(隼)です。
  
 養老孟司 「特攻隊は平和思想の極限」より

 日本は何万年もヒトが住んできた世界であり、いまでも住んでいる。
 それなのに、「これも世界」だという意識がない。なんだか特別な
 場所だと思っているが、なにが特別か、わからない。だから、
 それが、「なにか」、調べようとするのだと思う。日本もヒトの
 住む世界で、そこに特別なことはなにもない。

 日本といっても、いつ、どこから「日本」か、それが不明。
 日本の「思想史」はきちんと書かれていない。日本に
 「思想はない(丸山真男)」か、「歴史観がない(山本七平)」
 ことになっている。それは、マルクシズムや、同じことだが、
 ユダヤ・キリスト教に基ずく「普遍」に立った見方が「ない」
 ということであろう。そんなものは、ないにきまっている。
 その意味では、日本は別な世界だからである。
 しかし、同じ脳ミソを使って生きている以上、その脳の上に
 こういう世界も構築可能なのである。そうした複数の世界を
 共通に把握する見方、つまり新らしい「普遍」、それが
 われわれに要求されている。

 私の専門は死体だが、その見方は、歴史の上で大きく変化
 している。死体観、身体観からすれば、鎌倉時代から戦国までが
 一時代であり、江戸初期から現在までがまた、別の一つの時代
 である。この二つの大きな時代区分を、乱世と平和と言い換え
 てもいい。・・・・
 乱世では、身体は現実であり、ゆえに個人が正面に出る。
 身体なくして個人は成立しないからである。文化や伝統、
 たとえば日本語や茶の湯では、個人は不要である。「利休は
 死すとも茶の湯は死せず」というのは、江戸を準備した思想
 であろう。だから、戦国の個人思想の対極は江戸の平和思想
 である。そこでは身体は無視され、ゆえに唯心論となる。
 七生報国から神風特別攻撃隊に至る思想は身体無視の
 唯心思想であり、西洋人が誤解するような生命軽視の思想
 ではない。特攻隊は、平和思想の極限なのである。
 ・・・・・・・・

 

懺悔

2007-06-09 11:24:21 | Weblog
 画は合成しました。右はカール・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818 - 1883)です。  
 「あるユダヤ長老の懺悔」より

表を見て頂ければ、マルクス主義がいかに宗教的なものかが
お分かり頂けよう。有神論か唯物論かの違いを除けば、明らかに
一神教的思想(ユダヤ的世界観)のコピーに過ぎないことが分かる。
しかもその唯物論は、有神論のもつ“矛盾”と“限界”に対する反動
として出てきた一つのイデオロギーであり、キリスト教が効力を失った
時代の「代替宗教」(擬似宗教)に過ぎない。つまり一言で述べるなら、
マルクス主義とは、19世紀のヨーロッパを時代背景にした、
特定地域における、一時的に発生した宗教であるといえる。
  
イギリスの有名な世界的歴史学者であるアーノルド・トインビー博士は、
「マルクス主義はキリスト教の亜流だ」と言ったが、中世の「神」の力が喪失していく
時代に、ヨーロッパ人は次なる「福音」として、マルクス・共産主義を受け入れ、
マルクスの「理想郷=共産制社会の実現」という“予言”を信じたのである

・・・・・・・・
ここで一つ是非注意しておきたいことは、「太平洋戦争」という言葉である。日本には本来この「太平洋戦争」という言葉は存在しない。これは勿論、戦後占領軍がそれこそ押し付けたものである。

戦後、いろいろな方面から大東亜戦争に関する歴史書が出ているが、その中に「太平洋戦争」という言葉で語っているものが如何に多いことか。これではその歴史書はアメリカ側の立場に立って全て書かれたものと考えられて致し方ないのであるが、著者達はそれで満足なのであろうか。

問題はそれだけではすまない。日本の歴史には「太平洋戦争」という戦争はないのである。あったのは「大東亜戦争」である。よく考えてみる必要がありはしないか。これは明らかに歴史の偽造に他ならない。「日中戦争」然りである。あるのは「支那事変」である。

戦後史の跛行性という点で戦後日本は真の日本歴史の構築を放棄したのではないかとしばしば指摘されるのであるが、これでは戦後からではなく昭和16年の時点からすでに、日本歴史の真の構築を放棄していたことになりはしないか。この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に面白いことが出ている。それは、ある共産党員が日露戦争を侵略戦争と規定すべきかどうか迷っているという意味のことである。これは彼の主体性のなさを物語る格好の証左であるが、また非常に重大なる問題提起でもある。何故、満州事変以後が侵略戦争で、日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦は「日本帝国主義」の「侵略戦争」ではないのか。これは奇妙なことではないか。

その理由はハッキリしている。これら満州事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致していたのである。日露戦争は「英露戦争」とも欧米では呼ばれているぐらいである。帝政ロシアの南下政策に脅威を感じた英国は、帝政ロシアの南下を防ぐものとして日露戦争を歓迎していたものである。日英同盟を結んだのも、その意味で考えればよい。

またシベリア出兵こそ、その意味では日本を攻撃するのに最も好都合な材料かも知れないが、これも侵略戦争という刻印を押しづらい。何故か。アメリカも出兵しているからである。第一次大戦はどうか。これはもう地中海まで日本海軍はイギリスのためにお付き合いしているのであるから、文句のいいようがない。

結局、これらの戦争に関して日本を悪玉に仕立てようと試みると、欧米列強自身も火の粉をかぶることになりそうである。上を向いてツバをはくことになる。
・・・・・・・
『日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼ著
(日新報道/1979年出版)

なかなか鋭いですね。古い本ですが。
 

熊皮

2007-06-08 13:58:50 | Weblog
 絵は「親鸞聖人熊皮の御影」(京都国立博物館蔵)です。
  
 親鸞と一休 寺内大吉 より
 
 親鸞の二百回忌に参じた禅僧の一休はこんな歌を詠んだという。
  
      襟巻きの暖かそうな黒坊主

       此奴が法は天下一なり 
 
 二百回忌の正燈は寛正二年(一四六一)の十一月になる。
 親鸞イズムの復活を高唱した蓮如が第八世の法主
 となって三年目である。最初の御文を堅田門徒に
 与えた年にもあたる。本願寺教団の内部でさえゆがめられ、
 忘れられかけていた親鸞を、臨済僧の一休が「天下一」
 と断じたのは、いささか奇異な手ざわりを受けなくはない。
 しかし一休はこれと前後して、

      成仏は異国本朝もろともに

       宗にはよらず心にぞよる

 と喝破しているから、親鸞思想の核心をまともに把握して
 いたと信頼していい。一休は何らかの機会に親鸞の著作を
 味読しつくしたにちがいない。現代感覚による
 “思い入れ”を許してもらえれば、親鸞の「歎異抄」などは、
 風狂の人一休を激しくゆさぶったことであろう。
 ・・・・・・・・
 禅家にして禅僧にあらず。
 ぼくは親鸞の正統な系譜をたどり得た僧こそ
 一休宗純だったと信じている。

 小生は「熊皮の御影」こそ肖像画の傑作だと思っております。
 何枚か描いておりますが、なかなか納得がいく仕上がりには
 ほど遠いのが現状です。



  

瓶の栓

2007-06-07 11:02:05 | Weblog
 画は旧陸軍省のポスターです。
 日米安保の本質は「瓶の栓」です。
 小川和久 日本の「戦争力」より、

 日米安保条約があるから、アメリカは世界最大の補給基地を安心して置けており、 日本抜きではアメリカの世界戦略は成り立たない。

 まずは燃料備蓄だ。日本はペンタゴン最大の燃料備蓄ターミナルで、鶴見と佐世保  
 の備蓄でアメリカ第7艦隊は半年戦闘行動ができる量である。

 武器弾薬だが、アメリカは広島に3箇所、佐世保、沖縄嘉手納に弾薬庫を持ち、広 島県内の弾薬庫だけで、日本の自衛隊が持っている弾薬量を上回る。佐世保には第 7艦隊用の弾薬庫。嘉手納にはこれらを上回る米軍最大の弾薬庫がある。

 通信傍受設備も世界最大級だ。『象のオリ』と呼ばれる電波傍受用アンテナは三沢 にあるものは直径440メートル、高さ36メートル。周辺にも14基のアンテナ 群がある。沖縄には直径200メートル、高さ30メートル。東京ドームと同じ大 きさだ。三沢にある世界最大級の設備は、英語圏5カ国以外には秘密とされている エシュロン活動の一端を担っているともいわれている。

 アメリカ本土の延長のように、虎の子の燃料と弾薬を備蓄し、世界最大の第7艦隊 の母港を置き、いざとなったら高度の補修ができ、最高機密の通信傍受設備も安心 して置けるという国はアメリカにとって日本だけと言っても良い。

 「日米安保が片務だから、多くの日本人が錯覚から生まれた劣等感を抱いている  が、日本列島に展開する米軍とは?その基地を置くアメリカの世界戦略は?と検証 していけば、それが錯覚に過ぎないことが明らかになる」

  全世界でアメリカと対等な安保条約を結ぶ同盟国は存在しない。

  日本は毎年思いやり予算の2,000億円だけでなく、基地の賃借料、周辺対策  費等各種費用もふくめて年間6,000億円を負担している。

  先日沖縄の海兵隊基地をグアムに移転する費用を6,000億円負担する政府間  合意がなされたが、これは上記の年間6,000億円に加えての話であり、日   米安保条約では日本が米軍基地移転費用を負担しなければならない義務はない   という事実を知っておく必要がある。


月の砂漠を・・・

2007-06-06 11:30:14 | Weblog
 絵は拙作にて「月の砂漠を・・・アラブの民に捧ぐ」です。
 「油彩F10号」
 アメリカのイラク戦費は月間約一兆円とのこと。
 アメリカの公共事業は戦争。
 実体の無い好況が続くアメリカ経済。
 それを低金利で支える日本政府。
 日米安全保障条約の呪縛から開放されましょう。
 アメリカは日本を助けてはくれません。
  
 自主・独立の日本を。
 国連への盲信を捨てましょう。現行の国連は
 アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのものです。
 

風邪は万病の元

2007-06-05 14:29:57 | Weblog
 画は俵屋宗達「風神雷神図」です。

 本日は小生の通院日、今のところ月一の指示です。
 小生、年初に風邪を引いたらしく咳が止まらなくなり、行きつけのクリニック
 (内科、消化器科、呼吸器科、循環器科)で診てもらいました。レントゲン、
 心電図、超音波等型どうりの検査を受け、気管支喘息であろうとのことで、
 熱は平熱なのでインフルエンザではない。咳止めその他とフルタイド200とかいう
 吸入薬を処方してもらいました。昼間の咳は間もなくおさまったのですが、
 問題は夜です。布団に入って一時間ぐらい過ぎると咳が出はじめる、だんだん
 息が苦しくなってくる、なかなか寝付けない、明け方疲れて少しまどろむ。
 こんな感じの日々が続き、食欲もなくなり、タバコも体が受け付けない、
 一方、腹が膨らんでくる、少し歩くと息が上がる、とりわけ夜横になると
 段々息苦しくなり、起き上がると少し息が吸えるといった感じで(起座呼吸)
 悪くなる一方なので、その旨を言うと又検査なんですが、どうもハカバカシイ 
 診断もないんですよ。思い切って「だんだん苦しくなるばかりなんで私の
 肺がどうかしたんじゃないですか?一度CTスキャンとかで詳しく検査をしてもらい
 たい。ついては紹介状を書いて下さい」と言って紹介状をもって総合病院へ
 いきました。肺のCT検査の画像を見た呼吸器外科の医師が「あなた胸、真白だよ
 胸水がたまってる。これは循環器だね。」とのことで循環器科へ廻され、
 心電図、レントゲン、採血等の検査の後問診、開口一番、「入院です。」
 車運転して行ったのですが、駐車場に置きっぱなしで入院する破目になりました。
 3月1日~4月12日まで。病名は「心不全」
 かなり危険な状態だったそうです。
 前のクリニックとは縁が切れました。消化器が専門の感じのよい流行っている
 女医さんでしたが、心臓は専門外なんでしょうし、検査の機器が無いんで。
 タバコはやめました。ニコチンパッチは強力ですね。ヘビースモーカー
 の小生ですら、吸う気がおきませんでした。お勧めです。
 入院中にいろいろありましたが、それはまたの機会といたします。
 本日の結論。「風邪は恐ろしい、ご油断めさるな。皆々様」
 


ハゲタカの先祖

2007-06-04 10:46:45 | Weblog
 画はタウンゼント・ハリスです。
 安政年間(1850年代)江戸幕府は英米仏露など当時の列強の圧力に抗しきれず、相次いで和親条約を締結した。すなわち事実上の開国である。和親条約は通商条約へと発展し、米国はタウンゼント・ハリスを、英国はラザフォード・オールコックを総領事として派遣してきた。

 わが国の外国に対する窓口が長崎から横浜に移ると、貿易活動は飛躍的に活発となってきた。貿易の形態が太古のようにバーターであればさしたる問題は起こらない。しかし先進各国は資本主義の発展期に入っており、完全に貨幣経済の社会である。当然のことながら、ここで為替レートが大きな問題として浮かび上がってくる。

 当初為替レートは1ドル=1分(4分の1両)であった。ところがハリスやオールコックらが銀貨(1ドル銀貨と1分銀)の等量交換という強硬な主張によって、1ドル=3分ということになってしまったのである。ただ客観的に観れば、1ドル貨と1分銀の銀含有量を比較した場合、このレートは妥当なところであったといわれている。

 ところが問題はもっと深刻だったのである。というのは当時の金と銀との国際比価は1対16であったにもかかわらず、わが国のそれは1対5くらいであったという事実である。利に聡い米英の貿易商人たちはこの点に目をつけ、貿易とは名ばかりでドル貨を天保銀に、天保銀を小判に換え、猛烈に小判を買い漁ったのである。

 この時期わが国唯一の金貨である小判の海外流出量は約50万両にも及んだといわれる。英米の貿易商人ばかりでなく、ハリスやオールコックらの外交官、はては海軍の将兵までがこの小判買い漁りによって巨利を博した。・・・・・・
 強欲なること今も昔も・・・・・・変わりませんな。
 「三角合併」対策は大丈夫なんでしょうかね ?

一紙・半銭

2007-06-03 11:43:31 | Weblog
 画はモネの連作より「睡蓮」です。
歎異抄十八段に、
・・・・・いかに寶物を佛前にもなげ師匠にも施すとも
信心かけなばその詮なし。一紙半銭も佛法のかたにいれずとも
他力に心をなげて信心ふかくば、それこそ願の本意にて
候はめ。・・・・・・・
小生の好きな一節です。

「財務」と称して莫大な金額を集金し、しかも収支は
非公開の新興宗教がありますよね。私はいずれ破綻し、
胡散霧消するとおもっています。こんな無法がいつまでも
続くわけがありませんよ。   


慈悲の思想

2007-06-02 12:04:59 | Weblog
 画は藤田嗣治の壁画の一部です。ランスにあるノートルダム・ド・ラ・ペ
礼拝堂内。さて、梅原 猛 (仏像のこころ)集英社文庫よりです。

・・・釈迦像とキリスト像の大きな違いがある。それは釈迦の死が自然死で
あるのに対し、キリストの死は殺人であったことであった。殺人に対して、
人は復讐せねばならない。従ってキリスト教では、最後の審判が必要に
なってくる。もちろんキリストは、殺されたうらみのために復讐するのではない。
神の正義のために人類への愛のために裁くわけであるが、非道な殺人の
イメージが、神による決定的な最後の審判のイメージにつながるのは
必然である。ニーチェはここにユダヤ的怨恨の論理を見たが、仏教では、
死ー悲しみー諦めー微笑という感情の論理を展開させるのに対し、
キリスト教では、死ー絶望ー怒りー復讐ー審判という感情の論理が
成立するのである。・・・・・
ヨーロッパ文化圏では、どうして殺された人間ばかりを聖者とするのか。
この殺された人間を聖者とするのは、ヨーロッパ文化圏の特徴ではないか。
そこにあるのは、正義という根本思想である。不正に殺された人間に
たいして、正義のために復讐しようとする論理である。従って
そこには憎悪や怒りが存在し、その憎悪や怒りが、人間を激しい
行動に駆りたてる。それに対して、釈迦が語るのはただ慈悲である。
・・・・・今の世界には、あまりにも自己の正義の尺度のために、
相手を裁こうとする思想が多すぎはしないだろうか。
・・・・・正義の思想の危険さが世界の人の実感となる時、
再び慈悲の思想が忘却の中から現れて、
世界の指導原理となる日がくるのではないか。

人物画

2007-06-01 10:16:42 | Weblog
 絵は拙作にて「習作、青いターバンの少女」です。
 (油彩F6号)
 初めて描いた人物画です。元画はご存知のヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)真珠の耳飾の少女 (1665年頃)です。
顔を描くというのはまことに難しく、であるがゆえに楽しくもあるのですが、
拙作では、ややお姉さんぽくなってしまいました。
青の発色は安い絵具しか使えないわりにはマア々でしょうかね。
 昨日の投稿では日本の伝統宗教のホームページをまとめて載せましたが
 なかなか圧巻というか壮観だとおもいませんか?
 各宗派の祖師の方々の画像が伝わっておりますが、
 歴年の退色で色目もわからぬものが多くなっております。
 なんとか再構成して現代に色鮮やかによみがえらすのも
 後世に生きる者の努めかなとも生意気にも考えております。