ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

罠・罠

2007-06-18 10:30:24 | Weblog
 画はヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch(1450-1516)
の『守銭奴の死』です。骸骨(死神)がきています。

 ◆アメリカは二つ存在する◆

 過去の歴史を鑑みるとABCD包囲網・石油禁輸・真珠湾謀略・原爆投下・東京裁判・ 占領憲法押しつけなど、これらは全て民主党政権下で行われている。一九三二年の 大統領選挙で共和党のハーバート・C・フーバー大統領が民主党侯補フランクリ  ン・D・ルーズベルトに破れて以来、一九五三年にアイゼンハワーが共和党大統領 に当選するまでの実に二十年間に渡り、民主党が政権を握り続け共和党は野党と  なっていた。そして開戦を目的と.する日本への圧力も、日米戦争も日本占領政策 も、全てこの二十年間の内に行われた。

 反共主義者であるフーバーはソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の 砦」と常々口にしていたが、政権が交替すると一九三三年一月に発足問もないルー ズベルト政権は共和党の反対を押しきってソ連を国家承認した。

 ルーズベルトが掲げた看板政策ニューディールとは「新しい巻き返し」の意味で、 通貨管理や価格統制、労働者の最低賃金や最長労働時問の法的保証、労働組合の拡 大促進、高所得者層への大幅増税一所得税最高税率七十五%、相続税最高税率八十% への引き上げ)、その他様々なマルクス主義的要素を採り入れたもので、当然なが ら共和党は猛反発していた。

 米最高裁も価格統制や高所得者懲罰税制を違憲と判決したが、当時大不況下の米国 ではニューディール政策をめぐって世論が二分化されていったのだ。そして   「ニューディ-ル支持=親ソ容共=民主党」と「ニューディール反対=反ソ反共=共 和党」という二大勢力が対立する中で、前者は日本を敵視し後者は日本に理解を示 すのだが、それはすなわちアジアの「防共の砦」に対する認識差に他ならなかっ  た。(中略)

 ルーズベルト政権で司法長官を務めていたF・マーフィー(後に最高裁判事)は、反 米活動調査委員会で「共産主義者がルーズベルトとその夫人を操っていた」と証言 しており、対日戦争はソ連のシナリオであったと認める報告書を提出している。

 また一九九六年四月、民主党寄りでリベラル系メディアの代表格であるワシント  ン・ポスト紙でさえも「マッカーシーは正しかった。リベラルが目をそらせている 間に共産主義者は浸透していった」という見出しで、「VENONA」ファイルを指して 「反共主義の人々が批判したとおり、ルーズベルト、トルーマン両政権には、ソ連 に直接又は間接に通謀していたおびただしい数の共産スパイと政治工作員がいた証 拠である」と報じている。

 共和党の下院議員であったハミルトン・フィッシュは自著の中で、「ルーズベルト は民主主義者から民主主義左派・過激民主主義者を経て、社会主義者、そして共産 主義支持者へと変貌していった」と述べており、真珠湾攻撃における米上下院議会 の対日開戦支持について「我々はその時の支持すべてを否定しなければならない。 なぜならば、真珠湾攻撃の直前にルーズベルトが日本に対し戦争最後通牒(ハル  ノート)を送りつけていたことを、当時の国会議員は誰一人知らなかったからであ る」とも述べている。

 またハミルトン・フィッシュは、同著で当時の共和党下院議員の九十%が日本との 戦争に反対していた事実を明らかにしており、ハルノートを指して「これによって 日本には、自殺するか、降服するか、さもなくば戦うかの選択しか残されなかっ  た」と強く批判し、「日本は天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国である ソビエトの脅威に常に直面していた。

 天皇は名誉と平和を重んじる人物で、戦争を避けようと努力していた。日本との間 の悲惨な戦争は不必要であった。それは、お互い同士よりも共産主義の脅威を怖れ ていた日米両国にとって悲劇的だった。我々は戦争から何も得るところがなかった ばかりか、中国を共産主義者の手に奪われることになった」とも述べている。

 ちなみにフィッシュは戦時中も「米国の敵は日独ではなくソ連だ」と主張し続けて いた為に、アメリカに潜入していた英国の対米プロパガンダエ作機関「イントレ  ピッド」による中傷工作を受けて一九四四年に落選に至っているが、アメリカに  とっての真の敵は日本ではなく共産主義であって対日開戦支持は否定されるべきで あることを、共和党下院の大物が公に認めていたことを忘れてはならない。

 ルーズベルトの後継者である民主党のトルーマン大統領が日本へ計十八発もの原爆 投下を承認していた事実はワシントン.ポスト紙にスクープされているが、この決 定を最初に下したのもルーズベルトである。小心かつ実務経験に乏しかったトルー マンは、ルーズベルトが決定していた方針に一切手を加えずに単にそのまま実行し たのだ。

 ちなみに京都が空襲から除外されたのは「文化財の保護」なんかではなく、原爆投 下の第一侯補地であった為に、破壊カデータを正確に取るために温存されたにすぎ ない。この原爆の日本への使用については、後に共和党大統領となるアイゼンハ  ワーなどが猛反対しており、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも 含む)は全員が反対意見を具申している。

 アイゼンハワーに至ってはスチムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんな にも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(一九六 三年の回想録)と何度も激しく抗議していた。

 こうしてかねてより共和党の大物の面々が日本への原爆使用に反対していたことも あって、トルーマンは投下決定を共和党側には伏せたまま、一九四五年七月に先に スターリンに知らせた。共和党や共和党系と見なされていた将軍たちに原爆投下決 定が伝えられたのは投下の二日前であり、これは「反対を怖れるあまり自国の議員 よりも先にソ連に知らせた」と共和党側をさらに激怒させた。

 原爆投下についても米国の総意ではなく、賛否両論の二つの考え方がこの両党間で 対立していたのだ。つまり、もし当時の大統領がトルーマンではなく共和党の大統 領であったなら、おそらく原爆投下もなかったであろうということである。

 アイゼンハワーは、大統領在任中の一九五五年一月にルーズベルトを強く批判して「私は非常に大きな間違いをしたある大統領の名前を挙げることができる」と述べ、 ルーズベルトが対日謀略を重ねて日米開戦を導いたこと、日本へ不必要な原爆投下 の決定を行ったこと、ヤルタ協定で東欧をソ連に売りとばしたことなどを挙げて非 難している。

 ソ連のスパイであったアルジャー・ヒスが草案を作成したヤルタ協定は「ソ連の主 張は日本の降状後、異論なく完全に達成されることで合意した」と定めているが、 一九五六年に共和党アイゼンハワー政権は「(ソ連による日本北方領土占有を含む) ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効で ある」との米国務省公式声明を発出した。

 ヤルタ協定が共和党政権によって完全に否定され無効とされたことで、ソ連の北方 領土占有(ソ連はヤルタ協定を根拠に正当性を主張)は、一切の根拠を失った不法 占拠であることが公式に確認されたのである。

 また日本の敗戦時に、ソ連はヤルタ協定を口実にして北海道まで占領しようと欲  し、トルーマンも一旦はそれを内諾したものの共和党の猛烈な反対を受けて考え直 し、渋々ソ連に断ったという記録が残っている。

 一般に「蒋介石が日本分割に反対した」というデマが流布されているが、蒋介石は カイロ会議で「九州がほしい」と要望しており、またアメリカに対してそれだけの 影響力も持っていなかった。日本が米ソ中に分断統治されなかったのは、ひとえに 共和党の反ソ派や知日派が「ソ連の日本占領は許さない」と強固に反対したおかげ なのだ。

 それどころかフーバー元大統領に至っては、「日本はアジア防共の安定勢力であ  り、戦後も朝鮮と台湾の日本領有を認めるべきだ」と主張していたぐらいなのであ る。

 共和党大統領侯補への野心を持っていたマッカーサーは、朝鮮戦争において中朝共 産主義連合軍に対しての原爆使用を主張し、トルーマンと激しく対立して解任され たが、一九五一年の米上院議会外交委員会において「日本の戦争は安全保障のため であった」と証言したのも共和党の基本認識に添ってのものである。

 マッカーサー証言の内容は、前述のハミルトン・フィッシュの著した歴史観と完全 に一致している。また、朝鮮戦争時には共和党議員の多くが「日本への原爆投下は 誤りであり、朝鮮戦争でコミュニストに対して使用するべきである。さらに中朝軍 を撃退して中国本土まで国連軍を進攻させ、中共政権を打倒して国民党政権を復帰 させるべきである」との主旨を主張していた。

 共和党をバックにしてマッカーサーも同意見を声明しており、これもまた中共との 和平を希求するトルーマンを激怒させ、解任理由の一つとなったのである。従って もし当時アメリカが共和党政権であったならば、今頃は中国共産党政権は存在して いないかもしれない。

 共和党の歴史認識、つまり共和党史観を代表する一例として、先の大戦のアメリカ 中国戦線総司令官A・C・ウェディマイヤー大将の回想録を以下に引用しよう。

「ルーズベルトは中立の公約に背き、日独伊同盟を逆手に取り、日本に無理難題を強 要して追い詰め、真珠湾の米艦隊をオトリにして米国を欧州戦争へ裏口から参加さ せた。(小略)米英は戦閾には勝ったが、戦争目的において勝利者ではない。英国 は広大な植民地を失って二流国に転落し、米国は莫大な戦死者を出しただけであ  る。

 真の勝利者はソ連であり、戦争の混乱を利用して領土を拡大し、東欧を中心に衛星 共産主義国を量産した。米国は敵を間違えたのだ。ドイツを倒したことで、ナチス ドイツ以上に凶悪かつ好戦的なソ連の力を増大させ、その力は米国を苦しめてい  る。また日本を倒したことで、中国全土を共産党の手に渡してしまった。やがて巨 大な人口を抱える共産主義国家がアジアでも米国の新たな敵として立ちふさがるで あろう」。

 ロバート・A・タフト共和党上院議員の親友でもあったこのウェディマイヤー大将 は、日米開戦に反対していた人物で、原爆投下にも反対し、戦後は『第二次大戦に 勝者なし』と主張する回想録を発表している。そして実にこの見解こそが共和党史 観のべースに存在しているのだ。

 現在使用されているアメリカの中学・高校用の教科書には、(日本の敗戦および中 国内戦における国民党軍の敗退によって)「全世界人口の四分の一近くの人類が共 産主義陣営に組み込まれることになってしまった。中国を失った責任者を追及する 共和党は、トルーマン大統領とアチソン国務長官を激しく攻撃した。

 共和党はさらに、共産主義者が侵食している民主党の諸機関が蒋介石に対する援助 を意図的に抑えたために国民党軍は崩壊してしまった、と批判した」という記述が ある。つまり民主党の容共主義とそれを批判する共和党といった図式は、アメリカ では教科書にも載る公知の事実なのだ。

 フーバー以前の時代に遡って鑑みるも、一八九五年に日本がいわゆる「三国干渉」 を受け屈従を呑まされた時、民主党のクリーブランド大統領はそれに一切関わろう とはしなかったが、一方しかし共和党は「三国は日本のシナに対する勝利がもたら した合法的果実を否定する干渉を行った。日本は特権を求めず全ての国に平等な権 利と機会を保証しようと試みた。

 一方、欧州列強は自国の利益のためだけにシナの領土を取り上げ、他の全ての国々 に対する排他的権利を得る条約とく日本の)譲歩を獲得した」との声明を出し、と りわけロシアとドイツを強く非難している。

 また日露戦争の最中、一九〇四年三月二十六日にホワイトハウスを訪れた金子堅太 郎特使に対して共和党のセオドア・ルーズベルト大統領(F・D・ルーズベルトの叔 父)は、中立表明をした筈のフランスがロシアに軍需品供与をしていることについ て米国が抗議したことを伝え、重ねて

「実はこの戦いが始まって以来、米国の陸海軍武官の中には日本に同情を寄せる者が 多く、甚だしきに至っては官を辞して日本軍に身を投じようという者さえいる。か く言うルーズベルトは日本の盟友である。今度の戦争で君の国を負けさせたくな  い。ぜひ君の国を勝たせたい、いや必ず君の国は勝つ」と語っている。

 そして金子特使から贈られた新渡戸稲造の『武士道(英文訳)』に深く感銘を受け たセオドア・ルーズベルトは、同書を三十冊取り寄せ、五冊を五人の息子たちに与 えて「この武士道をもって心得とせよ」と命じ、残り二十五部を主要閣僚や共和党 幹部に配っている。(ちなみにブッシュはこのセオドア・ルーズベルトを尊敬し、 その伝記を愛読している。)

 日露戦争後から共和党セオドア・ルーズベルト政権は世界各国との戦争を想定した プランを立案し、その中には対日戦争計画オレンジプランもふくまれていた。しか しこれは英国までふくめた主要国全てを対象(各国ごとに別のカラー名)にして立 案された安保上のものであり、日本だけを特定して狙ったものではなかった。

 このオレンジプランを指して「アメリカは半世紀も前から対日戦争を計画してい  た」と評する意見もあるが、私はその説には賛同できない。同プランは議会で立法 化されたり閣議で正式決定されたものではなく、安全保障として軍部が研究を命じ られたものであり、日本一国だけを対象にしてはおらず、いわば世界主要国と「米 国がもし戦わば」といった防衛シュミレーションであることから、これは戦争が日 常的であった当時の独立国としては自然な安保対策である。

 アメリカが対日戦争を計画したのはF・D・ルーズベルトの大統領就任以降であり、 セオドア・ルーズベルトからフーバーへと至る時期にはそんな謀略は一切存在して いない。それどころかセオドア・ルーズベルトの前任であったウィリアム・マツキ ンレー共和党大統領は「米英日が同盟して露独仏に対抗する」という構想を描いて おり、マッキンレーのブレインといわれたW・ラフィーバーは一八九八年三月に  ニューヨーク・トリビューン紙上で「(シナにおける)露独仏の支配は専制・無知・ 反動を意味するのに対し、日本の支配は自由・啓発・進歩を意味する」と述べて米 英日の連携を訴えている。

 しかしキューバ及びフィリピンでの紛争の対処に追われたマッキンレーは、結局こ の米英日三国同盟構想に着手することなく一九〇一年九月にアナーキストの凶弾に 倒れ、この三国同盟は幻の構想に終わった。このマッキンレー構想は日本には至ら なかったであろうということである。

 共和党が日本とは戦いたくないと願っていたことは確かなことだ。しかし現実には ルーズベルトの謀略で日本が真珠湾を攻撃してしまった為に、共和党も戦争以外の 手段はなくなってしまったのだ。自国領を攻撃された以上はもはや是非もない。「共和党員と民主党員、他国への不干渉主義と干渉主義の激しい論争も、今となって は無意味なものになった」(J・トーランド)のである。

 我々日本人はこ.の歴史的事実からどれだけの教訓を得たのか、いやそれ以前に、 共和党が対日戦争に反対し続けた事実自体をどれだけの日本人が知っているのだろ うか。我々は「アメリカは日本を戦争へと追い詰め、原爆を投下し、日本に対して 幾つもの罪を犯した」というメンタリティを、「民主党は日本に対して幾つもの罪 を犯した」という定義に置き換えるべきなのである。

 共和党系シンクタンクのフーバー研究所は、フーバー元大統領がその最晩年の一九 六〇年に「米国を共産主義から守るための研究所」として私財を投じて創設した機 関である。一九九二年にこのフーバー研究所は、外交官J.マクマリーが一九三五年 に記した「マクマリー・メモランダム」を出版している。

 このメモランダムはいわば「アメリカ(ルーズベルト政権)の対日対中政策への批  判」といった内容で、例えば「日本人は、天然資源の乏しい小さな島にぎっしり密 集して住んでいる。日本は、東アジアを除くすべての市場からかなり遠く離れてい るし、狭い海の向こうから二つの国、中国とロシアから過去に威嚇を受けてきた。

 日本人は、それを彼らの生存そのものの脅威だと、いつもみなさなければならない のである。日本にとって、原材料輸入と輸出市場としての中国が、産業構造を維持 し、国民の生計を支えるために不可欠なのである」と述べて日本へ対して寛容であ るように説き、一方で「我々の対中国政策は、何年もの間、中国にゴマをする実験 をやったあげく、突然に行き詰まってしまった。

 この事実は、日本と正常な関係を保つよう願っている善意のアメリカ国民達の忠告 に十分耳を傾けるべきだという、警告として立派に役立つであろう」とも述べ、結 論として「日本には媚びもせず挑発もせず、公正と共感をもって対処しよう」と主 張している。

 日米開戦に反対した共和党元大統領の名を冠したフーバー研究所が、六十年近くも 前の一外交官の手記を出版した真意は何であろうか。それはアメリカにとって、対 日・対中戦略において二度と同じ失敗は繰りかえさないという、共和党の意志が示 されているものと私は考えている。

 この手記の出版に際してフーバー研究所は、その解説文として当時の国際状況を「中国はボルシェビキ(共産主義一と幼いナショナリズムの影響を受けて、狂乱のヒ ステリックな自己主張に駆り立てられていた」「仲問同士(日米)が傷つけ合ったの が実態」と付記しており、それは明らかに現在の中共を暗喩している。

 前出のジョージ・ケナンも、この「マクマリー・メモランダム」を絶賛しており、 その講演の中で「これらの地域(シナ・朝鮮半鳥)から日本を駆遂した結果は、ま さに賢明にして現実的な人々が終始我々に警告した通りの結果となった。

 今日我々はほとんど半世紀に渡って朝鮮及び満州方面で日本が直面し担ってきた問 題を引き継いだのである」と述べ、防共と安全保障に基く当時の日本の立場はその まま現在の米国の立場となったことを認めている。

 共和党の対日方針とは昔も今も、まさにこの六十年前の「マクマリー・メモランダ ム」が提唱するごとく、「日本には媚びもせず挑発もせず、公正と共感をもって対 処しよう」なのだ。

 前述のように、民主党F・D・ルーズベルトの叔父ではあっても共和党の大統領で  あったセオドア・ルーズベルトは、日露戦争で日本を支援して講和を斡旋し、東郷 元帥を尊敬し、教育勅語や武士道精神を高く評価するなど、親日的なスタンスを示 していた。

 そのセオドアの政治的遺伝子は、以降も共和党歴代大統領に受け継がれている。日 系人強制収容に初めて公式謝罪したフォードも賠償したレーガンも共和党であり、 占領憲法制定を初めて公式に日本の国会で謝罪したニクソンも当時アイゼンハワー 共和党政権下の副大統領であった。

 この事実は、もしアメリカが原爆投下や東京裁判を謝罪するとすれば、それは共和 党政権であるというジンクスを示唆している。ちなみに一九八三年五月二十七日、 日本海海戦の戦勝記念日であるこの日に訪米した中曽根首相を、レーガン大統領は「軍艦行進曲」の演奏で迎えたが、ホワイトハウスで日本の軍歌が演奏されたのはこ れが最初である。

 米大統領がドイツの首相をナチスの軍歌で迎えることは決して有り得ない。共和党 の対日史観とは、「大東亜戦争肯定史観」とまではいかなくても、日本の自衛によ る立場を理解したる「大東亜戦争容認史観」といったところなのだ。

 二十世紀の百年間、日米英三国同盟を夢見たマッキンレーに始まり、日露戦争講和 を仲介したセオドア・ルーズベルトを経て、「日本はアジア防共の砦だ」と終生主 張していたフーバー、そして「強い日本の復活」を待望する現ブッシュ政権に至る まで、共和党はいつも日本の立場に理解と共感を持って接してきた。

 その一方、ワシントン会議のレールを敷いたウィルソンに始まり、ソ連に操られて 日本を追い詰めたルーズベルト、原爆を投下し東京裁判を強行したトルーマン、中 共と結び対日経済戦争に狂奔したクリントンに至るまで、民主党は常に日本を敵視 し警戒し抑えつけようとしてきた。

 これらの歴史が物語る真実は、この二大政党の対日観や共産主義に対する姿勢が全 く正反対であるということなのだ。そして、かつてGHQ内部で熾烈な路線対立を繰 り広げたストロングジャパン派(共和党)とウィークジャパン派(民主党)が、今な おアメリカを二分して存在しているという現実を日本人は決して忘れてはならな  い。

 日米開戦前における日本政府の最大の失敗は、ルーズベルト政権の与党たる民主党 だけを相手として共和党との交渉を考えもせず、つまりアメリカという国を一括り に見て「アメリカは二つ存在する」という視点を持たなかったことにある。

 私は小室直樹博士とお会いした時に、日米開戦に至る日本外交の最大の失敗は何か と質問したことがあるが、小室博士の答えは一言明確に「アメリカのもう一つの世 論を研究せず、ルーズベルトやハルだけを対手としたこと」であった。まさしくそ の通りである。

 そして現在においても、反米か親米かの二元論でアメリカに相対する人々は、この「歴史が教える教訓」に全く学んでいないのだ。右だろうが左だろうが、今も大半の 日本人が「二つのアメリカ」の存在をおそらく知らない。

 反米か親米かの立場でしかアメリカを見ようとしない日本人は、現実の眼ではな  く、観念の眼を通してアメリカを見ているのだ。それは日本が再び同じ過ちを繰り 返す最大の要因でもある。(P306~P314)
 
 日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 深田匠(著)より

 やはり、やっかいな隣人ですよね。ときには死神ときには天使
 ではたまったもんじゃない。