ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

懺悔

2007-06-09 11:24:21 | Weblog
 画は合成しました。右はカール・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818 - 1883)です。  
 「あるユダヤ長老の懺悔」より

表を見て頂ければ、マルクス主義がいかに宗教的なものかが
お分かり頂けよう。有神論か唯物論かの違いを除けば、明らかに
一神教的思想(ユダヤ的世界観)のコピーに過ぎないことが分かる。
しかもその唯物論は、有神論のもつ“矛盾”と“限界”に対する反動
として出てきた一つのイデオロギーであり、キリスト教が効力を失った
時代の「代替宗教」(擬似宗教)に過ぎない。つまり一言で述べるなら、
マルクス主義とは、19世紀のヨーロッパを時代背景にした、
特定地域における、一時的に発生した宗教であるといえる。
  
イギリスの有名な世界的歴史学者であるアーノルド・トインビー博士は、
「マルクス主義はキリスト教の亜流だ」と言ったが、中世の「神」の力が喪失していく
時代に、ヨーロッパ人は次なる「福音」として、マルクス・共産主義を受け入れ、
マルクスの「理想郷=共産制社会の実現」という“予言”を信じたのである

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ここで一つ是非注意しておきたいことは、「太平洋戦争」という言葉である。日本には本来この「太平洋戦争」という言葉は存在しない。これは勿論、戦後占領軍がそれこそ押し付けたものである。

戦後、いろいろな方面から大東亜戦争に関する歴史書が出ているが、その中に「太平洋戦争」という言葉で語っているものが如何に多いことか。これではその歴史書はアメリカ側の立場に立って全て書かれたものと考えられて致し方ないのであるが、著者達はそれで満足なのであろうか。

問題はそれだけではすまない。日本の歴史には「太平洋戦争」という戦争はないのである。あったのは「大東亜戦争」である。よく考えてみる必要がありはしないか。これは明らかに歴史の偽造に他ならない。「日中戦争」然りである。あるのは「支那事変」である。

戦後史の跛行性という点で戦後日本は真の日本歴史の構築を放棄したのではないかとしばしば指摘されるのであるが、これでは戦後からではなく昭和16年の時点からすでに、日本歴史の真の構築を放棄していたことになりはしないか。この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に面白いことが出ている。それは、ある共産党員が日露戦争を侵略戦争と規定すべきかどうか迷っているという意味のことである。これは彼の主体性のなさを物語る格好の証左であるが、また非常に重大なる問題提起でもある。何故、満州事変以後が侵略戦争で、日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦は「日本帝国主義」の「侵略戦争」ではないのか。これは奇妙なことではないか。

その理由はハッキリしている。これら満州事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致していたのである。日露戦争は「英露戦争」とも欧米では呼ばれているぐらいである。帝政ロシアの南下政策に脅威を感じた英国は、帝政ロシアの南下を防ぐものとして日露戦争を歓迎していたものである。日英同盟を結んだのも、その意味で考えればよい。

またシベリア出兵こそ、その意味では日本を攻撃するのに最も好都合な材料かも知れないが、これも侵略戦争という刻印を押しづらい。何故か。アメリカも出兵しているからである。第一次大戦はどうか。これはもう地中海まで日本海軍はイギリスのためにお付き合いしているのであるから、文句のいいようがない。

結局、これらの戦争に関して日本を悪玉に仕立てようと試みると、欧米列強自身も火の粉をかぶることになりそうである。上を向いてツバをはくことになる。
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『日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼ著
(日新報道/1979年出版)

なかなか鋭いですね。古い本ですが。