画は歌川國貞(三代豊國)(1786年)~(1864年)作
「歌舞伎十八番の内 九」「不動」より
「不動明王の霊像・矜羯羅童子(こんがらどうじ)
・制多伽童子(せいたかどうじ)」です。
☆晴れておりますが、今日も寒いです。
さて、不動明王といえば密教、修験道の御本尊。
*不動明王(ふどうみょうおう)
不動明王 、梵名アチャラ・ナータ
密教の根本尊である大日如来の化身、
「お不動さん」の名で親しまれ、
大日大聖不動明王とも呼ばれる。
降魔、調伏の佛様。
◆http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/hudou.htm 参照。
カルト板より、もちろん話半分で、
◆http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/
荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、
先の大戦末期に機密勅令によって全国の主だった寺社で
ルーズベルト米大統領調伏のための
儀式修法が同時一斉に行われたんだよね。
その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。
熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、
天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、
大宮司による機密御仕の主依とされたという。
草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも)
が大学で同級でそいつから詳しく話を聞いたんだが、
相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。
…で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。
これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、
結果として神風だの本土決戦だのを本気で妄想する連中を
増長させることになったのだけは確かだろう。
*大元帥明王(だいげんすいみょうおう)
大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に
絶大な功徳を発揮すると言われ、
「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから
大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。
まず、草薙剣本体の材質について。
社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の
『剣』の描写が残っているが、
再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、
あくまでも伝説があったが、
六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、
思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。
つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、
もとより剣としての実用に耐えぬ、
あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。
そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。
社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、
とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。
喩えることのできるものがあるならば、
国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、
七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、
これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでない
ことを示していたという。
(ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、
自らの日記の中で、御神剣が七支の形状をなしていた事実と、
記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、
ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の
七支の穂先と幹の突端になったのではないか、
との自説を記しているという。…なるほどね。)
で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、
御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、
祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ、
そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、
御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、
口より青い炎を上げて体が燃え上がり、
骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、
何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、
三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、
さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、
神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、
存命中の方でその儀式に立ち会っていた数少ないお人だそうなので、
当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、
との友人のことばでした。
…以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、
そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。
真偽不明のお話です。
現代の行者さんたちは何を降魔、調伏なさるのやら?
佛教といってもいろ々ありますから。
加持祈祷の類を否定する浄土真宗もあるし。
(現世祈祷などにたよるな)
まさに応病与薬、間口が広いのが特徴です。
八万四千の法門ですから・・・
「歌舞伎十八番の内 九」「不動」より
「不動明王の霊像・矜羯羅童子(こんがらどうじ)
・制多伽童子(せいたかどうじ)」です。
☆晴れておりますが、今日も寒いです。
さて、不動明王といえば密教、修験道の御本尊。
*不動明王(ふどうみょうおう)
不動明王 、梵名アチャラ・ナータ
密教の根本尊である大日如来の化身、
「お不動さん」の名で親しまれ、
大日大聖不動明王とも呼ばれる。
降魔、調伏の佛様。
◆http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/hudou.htm 参照。
カルト板より、もちろん話半分で、
◆http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/
荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、
先の大戦末期に機密勅令によって全国の主だった寺社で
ルーズベルト米大統領調伏のための
儀式修法が同時一斉に行われたんだよね。
その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。
熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、
天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、
大宮司による機密御仕の主依とされたという。
草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも)
が大学で同級でそいつから詳しく話を聞いたんだが、
相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。
…で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。
これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、
結果として神風だの本土決戦だのを本気で妄想する連中を
増長させることになったのだけは確かだろう。
*大元帥明王(だいげんすいみょうおう)
大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に
絶大な功徳を発揮すると言われ、
「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから
大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。
まず、草薙剣本体の材質について。
社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の
『剣』の描写が残っているが、
再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、
あくまでも伝説があったが、
六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、
思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。
つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、
もとより剣としての実用に耐えぬ、
あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。
そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。
社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、
とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。
喩えることのできるものがあるならば、
国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、
七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、
これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでない
ことを示していたという。
(ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、
自らの日記の中で、御神剣が七支の形状をなしていた事実と、
記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、
ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の
七支の穂先と幹の突端になったのではないか、
との自説を記しているという。…なるほどね。)
で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、
御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、
祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ、
そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、
御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、
口より青い炎を上げて体が燃え上がり、
骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、
何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、
三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、
さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、
神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、
存命中の方でその儀式に立ち会っていた数少ないお人だそうなので、
当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、
との友人のことばでした。
…以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、
そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。
真偽不明のお話です。
現代の行者さんたちは何を降魔、調伏なさるのやら?
佛教といってもいろ々ありますから。
加持祈祷の類を否定する浄土真宗もあるし。
(現世祈祷などにたよるな)
まさに応病与薬、間口が広いのが特徴です。
八万四千の法門ですから・・・