たぶん僕はこういう静かな感じの作品が凄く好きなんだな、というのを改めて実感した第2話。
静かでちょっと物悲しい、そういう中に希望を見つけるような物語。
そういうのがどうも好きみたい。
ちょっと前でいくと『ノエイン』なんかがそれに近かった感じ。
静かで美しくて、そして丁寧で。
こういうのにぐっときます。
さて、お話はカナタの初陣?のお話なんですが、あとはサブタイトルにもなっている椅子にまつわるお話でした。
この椅子は凄く演出的にはポイント高くて、うんうん、上手いなぁ、なんて感じで観てました。
これまで四人でやってきた1121小隊に、カナタが配属されることによって、多少なりとも今までの生活や関係性が変化していくわけで、今回はカナタのことを小隊に改めて受け入れる、というのがポイントでした。
それを上手く演出していたのが椅子で、最初カナタの椅子はどうしても間に合わせになってしまうので、ひとりだけ違う形の椅子なんですよね。
そして最も年下の隊員であるクレハは、自分の定位置にカナタが座ってしまうことで、自分のポジションが変化しちゃう、最年少ゆえにお姉さんであり憧れのリオを独占したかった嫉妬や、そのポジションを奪われちゃうんじゃないか、みたいな不安まであるんだよね。
そこで今回の初陣。
この初陣の効果っていうのは、つり橋効果にも似ている(笑)のかもしれないけど、クレハはこの忘れ去られたような小隊(みんな)のことが大好きで、それをバカにされるのがたまらなく嫌で、それが彼女のプライドで、っていう感情が、つり橋効果のような恐怖体験とセットでカナタに感情を吐露しちゃう。
カミングアウト効果?
もちろんカナタの非常に前向きな姿勢がこういう態度を呼んだんだろうけども、一番のポイントは「椅子」を見つけるシーン。
ここは実はカナタはこの「椅子」を目撃してない。
クレハだけが見ていたんですよね。
この椅子がたまたま小隊の食堂で使う椅子と同じ形だから、後にクレハはこの椅子を修理してカナタのために準備してあげる=小隊の仲間として認めてあげる、という演出につながってて、この辺がニヤニヤしながらみてしまうところでした。
あとは小隊のシンボルでもあるフクロウ=シュコ。
小隊長のフィリシアは「この子もどこにも行く場所がない」と言うんだけれども、きっとこの小隊のメンバー誰もがそういう思いを密かに持ってるんだと感じさせるところ。
(今は)動かない戦車や、文明の後退で受け継がれなかった文字、壊れた校舎や現在の人口の少なさ。
どれも淋しさを感じさせるものなんですよね。
しかしながら、小さな希望を見つけ出していく、というのがこの物語の妙味なんじゃないかとも思います。
例えば、音楽はずっとなくならず、ともすれば音楽室でこの小隊のメンバーが学生をやっていた、なんてこともあったかもしれない。
色んなものが変わって、無くなっても、音楽は残り続けた。
「音」をタイトルに持ってきているのに、あえて静かな音楽。
だからこそ印象的なのかもね。
そういうのを今は音楽が下手くそなカナタが、少しずつ上手くなっていくとき、何かを一つずつ拾い上げていくのかもしれないなぁ、なんて漠然と思うんですよね。
そういう意味でこの第2話は第1話の神話の話と同じく、後々ああこういうことだったのか、という意味合いを持つのかもなぁ。
ノエルが何故戦車を修理しているのか?とかも。
きっと中盤以降の展開は過酷になるんじゃないか、という予想もしつつ、静かーに見て行きたいと思います。
静かでちょっと物悲しい、そういう中に希望を見つけるような物語。
そういうのがどうも好きみたい。
ちょっと前でいくと『ノエイン』なんかがそれに近かった感じ。
静かで美しくて、そして丁寧で。
こういうのにぐっときます。
さて、お話はカナタの初陣?のお話なんですが、あとはサブタイトルにもなっている椅子にまつわるお話でした。
この椅子は凄く演出的にはポイント高くて、うんうん、上手いなぁ、なんて感じで観てました。
これまで四人でやってきた1121小隊に、カナタが配属されることによって、多少なりとも今までの生活や関係性が変化していくわけで、今回はカナタのことを小隊に改めて受け入れる、というのがポイントでした。
それを上手く演出していたのが椅子で、最初カナタの椅子はどうしても間に合わせになってしまうので、ひとりだけ違う形の椅子なんですよね。
そして最も年下の隊員であるクレハは、自分の定位置にカナタが座ってしまうことで、自分のポジションが変化しちゃう、最年少ゆえにお姉さんであり憧れのリオを独占したかった嫉妬や、そのポジションを奪われちゃうんじゃないか、みたいな不安まであるんだよね。
そこで今回の初陣。
この初陣の効果っていうのは、つり橋効果にも似ている(笑)のかもしれないけど、クレハはこの忘れ去られたような小隊(みんな)のことが大好きで、それをバカにされるのがたまらなく嫌で、それが彼女のプライドで、っていう感情が、つり橋効果のような恐怖体験とセットでカナタに感情を吐露しちゃう。
カミングアウト効果?
もちろんカナタの非常に前向きな姿勢がこういう態度を呼んだんだろうけども、一番のポイントは「椅子」を見つけるシーン。
ここは実はカナタはこの「椅子」を目撃してない。
クレハだけが見ていたんですよね。
この椅子がたまたま小隊の食堂で使う椅子と同じ形だから、後にクレハはこの椅子を修理してカナタのために準備してあげる=小隊の仲間として認めてあげる、という演出につながってて、この辺がニヤニヤしながらみてしまうところでした。
あとは小隊のシンボルでもあるフクロウ=シュコ。
小隊長のフィリシアは「この子もどこにも行く場所がない」と言うんだけれども、きっとこの小隊のメンバー誰もがそういう思いを密かに持ってるんだと感じさせるところ。
(今は)動かない戦車や、文明の後退で受け継がれなかった文字、壊れた校舎や現在の人口の少なさ。
どれも淋しさを感じさせるものなんですよね。
しかしながら、小さな希望を見つけ出していく、というのがこの物語の妙味なんじゃないかとも思います。
例えば、音楽はずっとなくならず、ともすれば音楽室でこの小隊のメンバーが学生をやっていた、なんてこともあったかもしれない。
色んなものが変わって、無くなっても、音楽は残り続けた。
「音」をタイトルに持ってきているのに、あえて静かな音楽。
だからこそ印象的なのかもね。
そういうのを今は音楽が下手くそなカナタが、少しずつ上手くなっていくとき、何かを一つずつ拾い上げていくのかもしれないなぁ、なんて漠然と思うんですよね。
そういう意味でこの第2話は第1話の神話の話と同じく、後々ああこういうことだったのか、という意味合いを持つのかもなぁ。
ノエルが何故戦車を修理しているのか?とかも。
きっと中盤以降の展開は過酷になるんじゃないか、という予想もしつつ、静かーに見て行きたいと思います。