5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

数珠かけ鳩

2015-11-12 22:45:41 | 音楽
知り合いのY氏が音楽会のチケットを送ってきた。去年と同じく彼の所属する合唱団の発表会のもので「是非お越しを」という短冊が一枚入っていた。さてどうしようか。

同封のパンフには、演奏曲目として「白き花鳥図」というのがある。北原白秋の詩に多田武彦が曲を付けたもの。白秋の「海豹と雲」という詩集から、多田は数点を選んでいるらしい。WEBを探ってみると青空文庫にこの詩集が載っているので、早速DLしてタブレットで読む。

その中に「数珠かけ鳩」というちょっと変わったタイトルの詩があった。合唱曲にもなっている。詩には「唐画」という付記があるから、中国絵画なのだろうか。詩はこう始る。

  数珠かけ鳩はむきむきに
  落ちし杏をつつくなり
  しめりまだ乾ぬ土のうへ
  杏はあかし、そこここに

紅い杏の実をつつく鳩の少し滑稽な動作を描いたものだが、公園などでみられるドバトもその動きを見ていると可笑しくて飽きない。ひとに慣れているせいか、餌を貰いに足元まで跳ねながら近づいてくる様子は、時にずうずうしささえ感じる。

多田の曲付けは白秋の七五調のリズムを旨く受け止めてリズミカルに出来上がっている。これならY氏たちでも破たんなく歌えそうだ。

鳩については、奥本大二郎の「干支セトラ」という岩波新書にこんな風に書かれている。

『電線に止まらないドバトはもっとなれなれしい。ほとんどもう小型のニワトリである。車で道を走っていても、道の真ん中で餌を拾い食いしていて、こっちがぎりぎりに迫るまでそこをどかず、あわやという瞬間に慌てて飛び出す。

何人もで喋りながら道の真ん中に拡がって歩いていて、後ろの自転車(歩行者もだ)などに迷惑をかけているのにいつまでも気が付かない。チリンチリンとベルを鳴らそうものなら、大げさに飛び上がって驚いて、まんまるい眼でまじまじとこっちを見据え、「何するのよっ」と言いたそうな顔をする。ドバトは、人間でいえばある種の婦人に似ている』

然りである。

今日も万歩途中でそんな鳩ならぬ婦人たちに出くわした。後ろから追いついたが列を開いてはくれない。大きな鳩胸を揺らしながら右へいくなと思って、左を抜けようとすると、一斉に左に振れ、それでは右へと方向をかえると、連中も右についてくる。結局はいつまでたっても抜きされないで、イライラだけが募った。こちらの負けだ。

数珠かけ鳩はつつましいと白秋は歌うが、鳩胸婦人たちはつつましさとは無縁だ。数珠かけ鳩は赤いあんずに躓くのだが、ご婦人たちは交差点の赤信号で停まっている。ここで抜き去らねばと、息を整えて信号の変わるのを待った。


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