5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

1500円のLP

2021-04-03 21:48:45 | 歴史

3日のコロナ、全国で2774人(延484016人)の感染と7人(累9236人)の死亡が確認されている。このうち、愛知県では118人(延27740人)の感染と1人(累587人)の死亡の発表があった。

手許に一枚の30センチLPがある。ムラビンスキー指揮のレニングラードフィルによるショスタコービッチの交響曲第5番だ。もちろんモノラル録音で新世界レーベルから発売されたものだ。先日亡くなった超高齢者が高校入学の祝いにと銀座のヤマハで買ってくれた自分にとっては思い出の一枚。当時、ショスタコービッチを聴いていた高校生はそうはいないはずだとちょっと自慢。

値段は1500円とジャケット(解説は村田武雄)に印刷されているが、1960年前後の物価からして今ならいくら位の値付けだったのだろうか。ほかにも数十枚のLPが捨てられずに棚奥で埃にまみれたまま眠っている。

なつかしい昭和30年代の記憶だが、今日のNHK名古屋局は「昭和の"おうち時間"展開催」のニュースを放送している。

コロナで増えた家で過ごす時間だが、昔と比べてどうなのだろう。北名古屋市の「昭和日常博物館」では、昭和の"おうち時間"をテーマにした企画展が開かれている。

昭和30年~40年代に家庭内で使われた家具や家電など600点を展示しているというが、家電の花形として昭和30年代前半に普及し始めたテレビはブラウン管式の14インチ箱型が標準だった。

プロレス、大相撲中継、高校野球などなど、結構当時からスポーツ中継も多かったから、大人も子供も皆が画面に熱中した。

ロータリー式のチャンネルは最初は6チャンネルだった。放送時間が細切れだったから観ないときはビロード製の前簾をブラウン管の前に降すという、文字通り家庭の「三種の神器」だったのだ。

テレビ受信機と同時に、LPの普及もあって音楽を家で聴く人も増えた。30年代後半には高価なステレオコンポから小型のプレーヤーまでメディアが一気に広がった感じだった。ショスタコービッチをいい音で聴こうと、知り合いのメカ好きに作ってもらったオリジナルのアンプセットはハイファイの先を行く我が秘密兵器だった。

博物館内に実寸大で再現された当時の洋室はテレビやステレオのほかに、大きな応接家具のセットが置かれている。我が家はここまでハイカラではなかったなと我が家の居間の有様を思い出している。

「再現された部屋を見ると狭いですが、その分、家族が常に近くにいたのだと思いました」というのは60歳前の入館者。自分より15年も若いとなれば昭和30年代のはっきりした記憶はお持ちでないのかもしれない。ましてや平成生まれの若者たちなら、戦後の高度成長期といっても「何のことか」というわけだろう。

いまやTVもステレオも手のひらの中に収まる時代だ。昭和が遠くなるはずである。

 

 


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