5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

春分までは1ヶ月

2007-02-21 22:25:00 | Weblog

日没がだいぶ遅くなった。西空の薄明かりが消えてまわりが暗くなるのは午後6時半である。3月まであと一週間、春分までは1ヶ月である。小鳥は昼の長さで季節を知るのだそうだ。小鳥はこの日没時間の遅れ具合で春の来かたを感知しているのだろう。



今日の万歩は豊田市図書館。ビデオライブラリーで「永平寺・修行の四季」を視聴する。霙の舞う冬に入山した若い雲水たちの修行を一年にわたってハイビジョン映像でとらえたNHKのライブラリーである。ちょうど、野々村馨の「食う寝る坐る永平寺修行記」という新潮文庫を読み進んでいるので、文章で表された伽藍の作りや作務の約束などがイメージ化できて面白かった。



永平寺ははるか昔の学生時代に一度訪れたきりで、記憶からも遠い。野々村の著書で読む彼の修行はけっこう緊張の連続だったようだが、このビデオ、美しい映像で見るからか、編集がされているからか、極度の緊張感はあまり感じられなかった。禅の修業というより、どこか体育会系の長期合宿にちかいような気がしたのだ。時折はさまれる雲水たちへのインタビューにも、学生時代の幼さの名残がその言葉の端端に覗ける。道元の始まりから今まで、高度に様式化された修行スタイルが生きているのはたしかだが、良い意味でも悪い意味でもその様式をなぞればとりあえず可といった様子だし、禅問答も期待した程でなく、どこか約束どおりの受け答えのようなところが気になる。雲水修行を終えて下山する若い僧侶も、学校を終了する雰囲気を残している。一年間では修行期間としては短すぎるのかもしれない。自分の(父の)寺に戻ったあと一人前の僧侶としてやっていけるのか、そのいささか自信なげな後姿が気になった。



これからの日本には、宗教のちからがもっと必要になるだろうし、彼ら修行僧にはその一翼を担っていってほしいのだが。永平寺もたいへんだ。ただ、200名以上の雲水が唱える経のユニゾンはすばらしく、般若心経を彼らの中で一緒に斉唱したいものだと思った。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿