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リタイアーのよもやま話

困った世代? それともパワフル世代?

2011-05-15 00:37:01 | 人生

60歳からの暮らしの処方箋

西和彦著

幻冬舎ネルサンス新書


にあった話である。


以下、その内容である。

 

困った世代? それともパワフル世代?


 「団塊の世代はダメよ」とある財団で長年活動をしている
Tさんが言います。

「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが話して
いる途中で発言し、自分の考え方を先に言う」「彼らは自分の
やりたいことしかやらない。それも各人バラバラで」と手厳
しい評価です。

「女性も?」と聞くと、「男も女もそう」とにべもありません。

「彼らはずっと生存競争してきたので自分意識が強いのよ。

そのためにコミュニケーションする力が低いんじゃないかし
ら」というご託宣でした。

 ある新聞の特集で、シニアが地域活動に加わるためには
「紳士力」が必要だと書かれていました。

いわく「違う意見に耳を傾け、否定しない」「他人に指示し
たり、演説したりしない」「プロセスを大事にする」などなど。

特に「くだらないと思われる話もすべて聞く」「みんなで
やるスタイルに慣れる」「謙虚に、結論を急がずに」という
のが受け入れられるうえで大切なことと書かれていました。

Tさんの言う通りだと団塊の世代は全部ダメです。みんなが
みんなではないでしょうが、団塊の世代は地域ではまったく
「困った世代」になってしまいそうです。

 確かにそういう団塊の世代はこれまでの地域活動には向か
ないかもしれません。

しかし誤解を恐れずに言えば、これまでの「仲良しクラブ」
的な地域活動の裏面には、お互いを尊重するという中で、
それこそ困った人の意見を大事にし、話がなかなか進まず、
結局これまでと同じか似たような活動しかできないという
面があるのではないでしょうか。

団塊の世代が同じ価値観を待った仲間で集まり、お互いの
意見を率直に交わし、それを行動力に変えることができれば、
これまでとは違った地域での活動が生まれると考えられます。

 しかも、それは地域を越える力も持ちそうです。

もっとプロフェッショナルでもっと経済性を追求した、コミュ
ニティビジネスのような、ダイナミックな活動が生まれ育つの
ではないでしょうか。

大学紛争の「現状否定」から始まった力は、それまでの価値
観や仕組みやらを根本から変えるということにチャレンジし
たいのではないでしょうか。

会社ではどちらかというと妥協を余儀なくされたことが多かっ
たかもしれませんが、その枠から離れた世界ではさまざまな可
能性がありそうです。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

 

以上。


わたしたちの団塊の世代が、社会に出たあと、時に、何かと
期待する向きがあったが、実質的には、社会の期待にそえる
ような事態は、一度も起こったことがあったとは、思えない。

そして、いつしか、学生時代のあの大騒ぎが、過大評価され
すぎだという感じがした。

そして、何かと後輩たちからも叱責されるようになり、ただ
の老いぼれと揶揄されるようになった。


「団塊の世代はダメよ」とある財団で長年活動をしているT
さんが言います。

「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが話して
いる途中で発言し、自分の考え方を先に言う」「彼らは自分の
やりたいことしかやらない。それも各人バラバラで」と手厳
しい評価です。

とういうが、残念ながらこの叱責については、わたしは反論
できないでいる。

西和彦氏は、こう言っている。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

である。

彼は、わたしたち団塊の世代に期待している。有り難いことで
ある。そして、感謝したい。

しかし、残念ながら、彼の好意に対して、応えるだけの能力
が基本的にはあると思っていない。

ネットにある話である。ちょっと寄り道であるが。

こういうのがあった。

学生時代さんざん国に迷惑をかけておきながら、社会人になる
と今度は高度経済成長の恩恵を受け、今の就職氷河期やリス
トラなど とは全く無縁の苦労知らずのリーマン時代を謳歌する、
ただ相変わらず主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ
覚え。
そして定年に なる今は散々批判してきた日本国に年金で老後の
面倒はしっかり見て くれと平気でのたまう。

これである。

主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ覚え。

これを言われると辛い。


「学生時代さんざん国に迷惑をかけておきながら」
ただ、この点については、この発言者の無知である。

学生運動で何があったかというのをまったく調べていない。

浅間山の事件だけが、学生運動ではないのである。

逆にわたしたちの世代は、被害者である。これが、
何十年もあの時代を振り返っての結論である。

共産主義運動家に、残念ながら学生はのせられて
しまった。

 


「社会人になる と今度は高度経済成長の恩恵を受け、
今の就職氷河期やリストラなど とは全く無縁の苦労知
らずのリーマン時代を謳歌する」

と言っているが、これも無知である。

わたしたちの世代が社会人になった頃は、高度経済成長は、
終わった時期である。

「全く無縁の苦労知らずのサラリーマン時代を謳歌する」
これも無知である。

ちょうど、わたしたちの世代が社会に出た頃は、内需が行
き詰まり、輸出に経済の活路を見出さんとしていたはずで
ある。

働きバチという言葉が、わたしたちの世代で生まれたことを
分かっていない。
だから、われわれの世代から、熟年離婚というのが起こって
きた。

そして、最初にリストラされたのも、わたしたちの世代だ。
わたしの記憶では、パイオニアのわたしたちの世代がニュース
になってショックを覚えて記憶がある。


こういうのもある。


団塊が社会に入ってきて高度経済成長が終わった
団塊が社会で影響力を持ち始めて不景気が始まった
団塊が原因の氷河期のせいで団塊Jrは未だに無職
日本をめちゃくちゃに食い荒らして何ひとつ責任を
取らず逃げるつもりの団塊

以上。

はっきり言って、無知である。

わたしたちの世代を、こき下ろしているのであるが、
それでは何も問題は、解決しないのである。

この程度の頭脳で、わたしたちの世代をやり込めたと
思っているから、日本はおかしくなったのである。

大事なことは、自分たち自身で生き残る努力をする
のが喫緊の課題であって


「主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ覚え」
を彼ら自身も言っているようで、笑えてならない。

なんにも論理性がない。論争と喧嘩は、わたしたちの
世代の専売特許だ。

理論武装という言葉は、わたしたちの学生時代に、
日常的に使った言葉だ。

わたしたちの時代は、言葉尻で、自分の身に危険が
降りかかるという経験をしている。

残念ながら、あの70年代の大騒ぎ以降、若者は
論争という言葉を死語にしてきている。

ネットで、わたしたちの世代をやり込めたと自己満足
していては、わたしたちの世代をやり込めたことには
ならない。

ちょっと、話がまとまらなくなってきた。

ということで、わたしたちの世代の時代の刻印は、
そう簡単に抜けるとは思えない。

50歳まで、生きたら、人間なんて変わらないと
言われてる。

だから、


「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが
話している途中で発言し、自分の考え方を先に言う」
「彼らは自分のやりたいことしかやらない。それも各人
バラバラで」と手厳しい評価です。

という指摘は、本当にわたし自身も深酷に受けめている。

どうしたらいいんだろう。

西和彦氏は、こう言っている。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

である。

残念ながら、おそらくわたしたちは、世代として、彼の期待に
応えるのはできないだろう。

理由は、わたしたちが自身がよく分かる。

でも、個人的には寂しいね。なんとかならんだろうか?

どうしたらいいんだろうね?