Byrd, Misa a 3 voces. The Tallis Scholars
絶滅の人類史
なぜ「私たち」は生き延びた
のか
更科 功
NHK出版新書
を読み終えた。
最近、この手の本を読んでいる。
中身がダブっているのかと、思っ
たが、全く違った切り口で書かれ
た内容で、文章が面白くで、お薦
めしたい本である。
とにかく、こんな考え方ができる
のかと、驚いている。
その一端を紹介したいと思う。
文字が発明されたおかげで、脳
の外に情報を出すことができるよ
うになり、脳の中に記憶しなけれ
ばならない量が減ったのだろうか。
数学のような論理が発展して、少
ないステップで答えに辿り着ける
ようになり、脳の中の思考が節約
できたのだろうか。それとも、昔
の人類がしていた別のタイプの思
考を、私たちは失ってしまい、そ
のぶん脳が小さくなったのだろう
か。
ただ想像することしかできない
が、今の私たちが考えていないこ
とを、昔の人類は考えていたのか
もしれない。たまたまそれが、生
きることや子孫を増やすことに関
係なかったので、進化の過程で、
そういう思考は失われてしまった
のかもしれない。それが何なのか
はわからない。ネアンデルタール
人は何を考えていたのだろう。
その瞳に輝いていた知性は、きっ
と私たちとは違うタイプの知性だ
ったのだろう。もしかしたら、話
せば理解し合えたのかもしれない。
でも、ネアンデルタール人と話す
機会は、もう永遠に失われてしま
ったのである。
もしもホモ・サピエンスが、あ
らゆる点でネアンデルタール人よ
りも劣っていたとしても、ホモ・
サピエンスの方がたくさん子供産
んでたくさん育てれば、ネアンデ
ルタール人は絶滅するしかないの
だ。
だから、ホモ・サピエンスの方が、
頭がよかろうと悪かろうと、もし
もホモ・サピエンスの人口が増え
なければ、今でもネアンデルター
ル人は生きていたのではないだろ
うか。
暖炉がヒーターに変わり、洞窟
が住居に変わっても、あなたの隣
の家にはネアンデルタール人が住
んでいたかもしれないし。言葉は
少したどたどしいが、笑ってあい
さつをしてくれる優しい隣人だ。
計算などは苦手だけれど、ときど
きあなたには思いもつかない素晴
らしい能力を見せる隣人だ。その
ネアンデルタール人のお母さんが、
子供を抱いている。あなたはその
子の大きな頭を見て、お母さんに
話しかける。
「6歳ぐらいですか?」
すると、ネアンデルタール人の
お母さんが答える。
「いえ、まだ2歳です」
そこであなたは、思い出す。あ
あ、そうだった。ネアンデルター
ル人って私たちよりも脳が大きか
ったんだっけ。
以上。
私たちに、染み込んでいるホモ・
サピエンス像に揺さぶりをかけて
くる。
はっとさせられる。
私たちが考えたことのない考え方
が随所に出てきて、驚く。
こんなに知識・知性にゆとりがあ
る人に出会えて、読書する習慣が
あったことを幸運と思っている。
いい時代に生まれたかもしれない。
ぎりぎりのところだ。
先にあげた ような文章が、数多
出てくる。
なんとも優しく、「ウィットに富
んだ」文章がかけるのだろう。
いつか、このようなゆとりのある
文章がかけるようになりたいもの
だ。