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リタイアーのよもやま話

安全保障

2018-05-08 22:12:46 | 読書

リラクゼーション・バッハ  主よ、人の望みの喜びよ

しかし、「安全保障」とは何だろう。

 歴史の成り行きにまかせていたら、
結果として100年間保障された、と
いうことか。

 それとも、終了直後からの諸々の
対策、保障されなくなった事態も考慮
したうえで実行に移した諸々の対策、
をつづけてきたからこそ、その結果と
して、100年間の安全が保障された
ということか。

 歴史を後世から見る立場にたつと、
前者になる。同じ歴史でも、その時代
に生きた人の視点で見ると、後片に変
わる。

 前者だと、所詮は成り行きどおりに
進むのが歴史だから、それをどうこう
しようとして成される人々の努力の全
てが無用に見えてしまう。 

その中でも常人以上に営々たる努力を
惜しまなかったリーダーたちに至って
は、常人以上の愚か者で、それでも彼
らが何かをやったのは、地位や権力に
しがみつきたかったにすぎない、とで
も裁かれて終わりだ。

 こう考える人には、「安全」が長期
にわたって「保障」された状態を示す
「平和」も、ピースと呼ぶほうがふさ
わしい。

英語でピースと言っていると、何とな
く、そう言っているだけで実現するよ
うな気分になってしまうのだから。

一方、「ピース」の語源でもあるラテン
語の「パクス」となると、口にしたとき
の気分からしてちがってくる。

 「パクス・ロマーナ」と言われるく
らいにこの言葉を作り出し、ゆえに概
念を創造した古代のローマ人は、「平和」
を、「長期にわたる安企保障の継続」と
認識し、厳しくも冷徹な人間たちによ
る努力の成果、と考えていたのであっ
た。

 このように考えると、権力者も普通
の人もふくめた当事者全員の安全保障
への努力も、バカバカしくは見えてこ
なくなる。たとえこの種の努力が、後
世から見れば無用に終わったことであ
っても、愚かな行為には見えてこなく
なるのだ。


 それどころか、想定外の事態さえも
考慮にいれたうえで成された対策の数
々があったからこその結果として、た
とえ100年間にしても、ギリシャ人
は「平和」を享受することはできたの
であった。ペルシャ軍の侵攻を心配し
ないで済んだのである。

以上。

 
ギリシャ人物語Ⅰ 民主制のはじまり、
にあった一節である。

非常に考えさせられる内容である。


ところで、この考え方は、一個人の人
生でも、該当するのではと、思われる
のだが、どうだろう。

きっと、自分の人生を振り返って、思
い当たる人が、少なからずいると思う
のだが。

私一人ではなく。


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