知的幸福の技術
自由な人生のための40の物語
橘玲
幻冬舎文庫
にあった話である。
以下、抜粋。
誕生から死までがすべて予測可能なら、人生に何の不安も
生じない。
そればかりか、将来のことを考える必要もない。
かつての社会主義諸国が、その理想をある程度まで実現した。
「不安のない社会」とは、実は、グロテスクな世界なのだ。
21世紀を迎え、時代は大きく動き、将来はますます予測
不可能になっている。
私たちは破滅の予感に怯え、見知らぬ世界を恐れている。
だが未知の海への航海は、目の前に続く、安全だけれども
単調な一本の道を歩むよりも、ずっと魅力的ではないだろ
うか?
人生の設計とは、冒険のための海図とコンパスを準備する
ことだ。
核シェルターの中で恐怖の大王の到来を待つことではない。
未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。
以上。
未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。
かっこいい言葉である。
とある事で、人生の歯車が狂いだし、不当人事を食らい、
10年以上も不条理な思いで過ごし、くたびれた40代の
最後の頃。
明日も今日とは変わらない日になってくれ、明日と同じ
ような明後日がくるように、新しいことは、何一つ起こっ
てくれるな。と、心が悲鳴をあげた。
ところが、退職して5年目にはいり、今日と同じ日が、
いつの日か、迎えるであろう死の日まで、尻すぼみで続き、
朽ちていくのかと思うと、明日という日を待つ必要がある
のかと、不健康な思いが胸の内に、充満してくる。
我ながら、勝手なものだ。
これで、歳を重ねたら、どういうことになるのだろう。
情けない。
病院の行き帰り、わたしより高齢の男性や女性が道端や
コンビニのごみ箱から、空き缶を拾い集めて日がな歩き回る
姿を見たりすると、このような人生もあるのだと、複雑な
思いがしてならない。
朝、不承不承、ベッドから起きる自分に、情けない思いが
してならないが、この年代になって、地震、津波で家族を
失い、財産を失い、原発、風評被害で追い打ちをかけられ、
積み上げた人生が目茶苦茶になった人たちの胸の内を思うと、
言葉にならない。
「私たちは破滅の予感に怯え、見知らぬ世界を恐れている。」
時代にあって、未曾有の大災害に打ちのめされ、消費期限の
きれた人生に絶望している。
かといって、「核シェルターの中で恐怖の大王の到来を待つ」
ことを良しとするわけでもない。
未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。
このかっこいい言葉を、自分の言葉とする力が、わたしの
体のどこかに残っているのだろうか。