ネットにあった記事である。
省略して紹介してみたい。
北海道母・祖母殺害 祖母は大の
子供嫌いで「犬以下」発言
1階の寝室に母親(享年47)が、2階の
寝室に母方の祖母(享年71)が、寝間着姿
のまま絶命していた。母親は喉仏から頸動
脈まで切り裂かれ、祖母は頭と胸を中心に7
か所刺されており、部屋中が血の海と化し
ていた。被害者2人の死因は失血性ショック
死。
それは、この家で地獄の苦しみを味わい
続けた妹を守ろうとする、姉としての覚悟
だったのかもしれない。一家がこの家で暮
らすようになったのは、20年前のこと。
当時、札幌市に住んでいた両親が、長女と
次女を連れて引っ越してきたのだった。
「その3年後にA子ちゃんが生まれたんで
すが、当時はとにかく仲良し家族でね。父
親は水道工事関係の仕事をする真面目なか
たで、よく家族5人で、庭でバーベキュー
をしていました」(近隣住人)
しかし、A子が生まれた2年後、夫を亡
くした祖母がこの家で同居を始めると、そ
んな生活は一変した。
「おばあさんは、大の子供嫌いだったんで
す。幼いA子ちゃんが泣いたりすると、“
どういうしつけをしてるんだ!”って娘夫
婦を怒鳴り散らしていました。一方で自分
が連れてきた柴犬だけはかわいがって、
“この家の子供は犬以下だよ”なんて嫌み
を言うこともあったそうです」
(前出・近隣住人)
祖母は、夫の遺産や生命保険に加え、株
投資で大儲けした成金で、この一戸建ても
彼女のお金で建てたものだった。
「だからなのか、“あたしの家に住むのな
ら、あたしのいうこと聞くのが当たり前だ
ろ!”って、いつしか一家の主として振る
舞い始めたんです」(前出・近隣住人)
また、ほとんどが農家という土地柄で、
ブランド物のブラウスにロングスカート、
ストールを巻いて闊歩する祖母は周囲から
も浮いていた。
「常に化粧ばっちりで、髪の毛一本乱れて
いない人でした。それに、自分がいかに金
持ちかを吹聴するような女性で、誰に対し
ても上から目線で接するので、避ける人も
多かったんです」(別の近隣住人)
父親は、そんな横柄な物言いをする義母
に意見することもあったが、「文句がある
なら出ていけ!」と、怒鳴られるだけだっ
たという。結局、父と祖母の折り合いは悪
いままで、祖母が同居を始めた2年後、父
は母と離婚。札幌の実家に帰ってしまった。
「この時、次女は“こんな家じゃ暮らせな
い”と、父親についていったんですが、長
女と三女は母の元に残ることになりました」
(前出・別の近隣住人)
以上。
最初、この事件がニュースになった時、高校
生の女生徒になんらかの精神的な問題がある
のかと思った。
しかし、この記事を読んで、なんとも悲しいもの
を感じてしまった。
祖母については、こうある。
また、ほとんどが農家という土地柄で、ブ
ランド物のブラウスにロングスカート、スト
ールを巻いて闊歩する祖母は周囲からも浮い
ていた。
「常に化粧ばっちりで、髪の毛一本乱れてい
ない人でした。それに、自分がいかに金持ち
かを吹聴するような女性で、誰に対しても上
から目線で接するので、避ける人も多かった
んです」(別の近隣住人)
以上。
祖母が71歳になって、何を考えて生きていた
のだろう。あまりにも悲しいものがある。
普通、この歳になれば、自分の老いと死を見つ
めざるを得ない。
家族に対して、こんな傲岸不遜な生き方をして
自分の老後を誰の世話になるのだろう。
いつの日か、病気で倒れた時、誰が病院に付き
添っていくのだろう。
犬が連れていってくれるのだろうか?
いつの日か、老いて、買い物難民になったりし
たら、誰が自分の身の回りを世話してくれる
のだろう。
犬が世話してくれるのだろうか?
そして、その時、彼女の資産を誰が管理してく
れるのだろう。
彼女が死んだ時、彼女の葬式・後始末を誰がし
てくれるのだろう。
70歳になって、自分の老い行く先に思いが
いたらない。
いったい、どんな年の取り方をしてきたのだ
ろう。
あまりにも、寂しい人生だ。
いずれ、彼女も老いて、犬以下にそれこそなる
日がくるのだが。その時、彼女の犬は彼女に何
をしてくれるのだろう。
ヴィトゲンシュタインは、こう語った。
他人をうらやむな
他人をうらやむな。他人が手にしたものを
欲しがるな。
もし、その同じものが自分の手に入ったと
しても他人のように幸運に恵まれるとは
まったく限らない。
きみの手に握られたとたん、それが大き
な災厄をもたらすかもしれないからだ。
である。
彼女には、成り金、守銭奴の性格がもともと
あったのだろう。
しかし、身の丈を超えた資産を手に入れ、
破滅したようだ。
東谷暁氏は、語った。
老いたときの心は、若い者にはなかなか理解で
きないだけではなく、老いた者にとっても客観
視することが難しい。
とあったが、まさに、彼女は、その例のようだ。
いや、わたしも、心しなければならないのだろ
う。