2013.12.2 №52特価400円
増大号アエラ
に興味深い記事があった。
現代の肖像
林 修
東進ハイスクール現代文講師
今やる人の勝ち方の流儀
恵まれた家庭で育ち東大文Ⅰ現役合格。
絵に描いたようなエリート街道は卒業後
に反転した。
株で失敗、ギャンブル狂いの果てに予備校
講師という天職にたどりついた。
日本中の背中を押す「今でしょ!」の発破、
そのルーツを探る。
その記事は、最初から最後まで、面白く
読めた。
わたしのような凡愚の人間には、知り得
ない世界で、いろいろと考えさせられる
ものがあった。
以下、その記事である。
2013年を、テレビというメディアを
通して振り返るとすれば、林修(48)は、
大人気を博した人物としてまちがいなく
5本の指に入るだろう。
爆発的という以外に言いようのない大
ブレークを、林自身、わずか1年前には
予想もしていなかった。いまでは、外に
出れば、皆、林を振り返り、サインや写
真撮影を求めてくる。「いやあ、もう
慣れちゃいましたけどね」。そう言いな
がら気さくに応じる姿からは、人気番組
を席巻する有名人としての気負いは感じ
られない。
「いずれ飽きられる」と人気に火が付
いたときから思っていた。ブレークした
「いつやるか? 今でしょ!」のフレー
ズは、いまはほとんど耳にしなくなり、
消費しつくされてしまった感がある。
しかし、林の人気はいまも健在だ。各
局のバラエティーには欠かせない「顔」
で、10月からはテレビ朝日の朝の報道・
情報ワイド番組「グッド!モーニング」
の金曜日のレギュラーコメンテーターと
しても出演している。
著作も5冊。最初に出した『いつやる
か?今でしょよと『今やる人になる40
の習慣』は、合わせて60万部に達した。
話し方や受験に関する本、さらに文学
講座の本も書き、いずれも売れている。
夏からはワタナベエンターテインメン
トにも所属。
「過密スケジュールで、本業の講師以外
の仕事のマネジメントをお願いする必要
がありました」と林は言うが、ワタナベ
側は、林の高いタレント性を見据えて、
すでに春から動いていた。
予備校講師という「天職」
本好きで百科事典丸暗記
予備校の講師が、テレビの人気タレン
トとして活躍ですることは、これまでに
も何度もあった。ただ、テレビ・芸能関
係者は、林に、これまでの人気講師のケ
ースとは違う、もっと長期に活躍できそ
うな手ごたえを感じとっているようなの
だ。
18歳まで育った地元、名古屋市の中部
日本放送(CBC)で、林がレギュラー
コメンテーターを務める番組がある。月
曜から金曜の午後に放送されているワイ
ド番組「ゴゴスマ」だ。林は毎週火曜に
出演している。チーフディレクター大谷
佐代は、林のもっている情報や知識の
「引き出し」の圧倒的な量に驚いたとい
う。
「ここまでテレビでの露出が多いのは、
いろいろな番組に対応できるからでしょ
うね。でも、自分を出すところと、控え
るところを心得ていらっしゃいます」
プロデューサーの斉藤龍昭は、「番組
に出られる時に、常に自分に課題を課し
ているようです。よく、『きょうは失敗
した!』『気を抜いてしまった』などと
言っています。自分の失敗が許せないの
だと思います」
東進ハイスクールの数学講師で、フジ
テレビの「ネプリーグ」に林と一緒に出
演してきた志田晶は林をこう見る。
「とりたてて面白いギャグを言ってい
るわけではなく、語り口や視点の面白さ
で惹きつけている。それは予備校の講師
にとってものすごく大事なんです。教科
書にはこう書いてあるけど見方を変えれ
ばこうも言える、というようなことに生
徒は感動するんです。彼はそれができる。
できなければ、消えていきます」
東進で林が働き始めた1991年頃、現代
文の講師は50人ぐらいいたが、いまも残
っているのは3、4人だという。毎年契約
が切られる講師が出る世界。そこで20年
以上生き残ってきた。「そういう意味では
天職かもしれない」と言うが、その言葉の
裏には、苦い体験が張り付いている。
父方の祖父は、故事や事物に材を取った
大和絵を描く日本画家の林雲鳳。父親は有
名酒造メーカーの副社長。母方の祖父は会
社経営者。「本当に恵まれた家に育ったと
思います」(林)。小さい頃から本を読ん
でくれる家族がたくさんいた。母方の祖父
の家には広大な庭があり、よく遊んだ。
「その時のことは、僕の原風景として残
っています。いろんな人の手の上で可愛が
られました」
本が大好きで、子どもの頃から家の中で
本ばかり読んでいた。しかも納得するまで
読まないと気がすまない。「あんな面白く
もない小説」と腐すサマセットーモームの
『人間の絆』は、これまでに数十回は読み
返した。小学校の頃、戦国時代にはまった。
日本の歴史を頭に入れたいと思い、子ども
向けの百科事典を丸々覚えようとした。織
田信長について知りたいと思い、関連の図
書を調べ、索引を基に信長について書かれ
たページを拾い上げた。
コピー機もない時代。興味のあることは
図書館で丸々書き写した。小学校4年のと
きには、自分で「歴史新聞」を製作。食事
をする時間も惜しいので、菓子パンで済ま
せた。ジャムパンやクリームパンの袋をベ
ッドの下に隠していて、母親に見つかって
叱られた。
中学から愛知県下随一の中高一貫(男子)
の進学校、東海学園に進学。入学後、隣の
席だったのが、現在名古屋市の自動車買い
取り・販売会社「アタックス」の社長・長
崎努だ。
「東海中学は、地元の小学校でI、2番
の生徒が入ってくるんですが、その中でも
ずば抜けていて、歴代天皇のすべての名前
をスラスラ読み上げたりしてました」
中学時代に日本文学全集を読破。「自然
といろいろなことを覚え、勉強で困ったこ
とはなかった」。単に知識が多いのではな
く、物事の構造、関係性も頭に入っていた。
勉強は自分にあった方法論を見つけるもの
だということがわかっていた。
「勉強に対するプライドは人一倍あった。
かといって寡黙な生徒ではなかった。人の
話をよく聞いてコミユニケーションする力
もありましたね」
高校で英語を教えた寺田幸弘はそう振り
返る。東海学園は有数の進学校だが、詰め
込み教育はせず、補習や夏休みの宿題もな
かった。
「そんな学校でしたから、ボク流の勉強
が自由にできましたね。それはほんと大き
かった」(林)
東大で世の中の真実知る
株で失敗、大借金生活に
今年6月、その頃の話を後輩たちに披露
した。
企画から運営まで生徒が手掛ける土曜市民
公開講座「サタデープログラム」の一つで、
演題は「いつやるか? 今でしょ!~何故
勉強しなければいけないか」。
講演の中で、名古屋の外には広い世界が
あり、優れた人間がたくさんいるというこ
とを強調した。
「東海生が東京に行くということは、そ
れまで凍結していたものを、電子レンジで
チンするようなものなんです」
「東京は食うか食われるかのエネルギーが
満ちている」「女性にフラれ、もう生きて
はいけないというような体験をしてほしい。
失恋して谷中の墓地をフラフラする経験を
するのもいいでしょう……」
会場から何度も笑いが起きたが、この話
は、林自身の東京体験を元にしていた。
84年、東京大学文科I類(法学部)に現
役で合格。そこで同級生たちの凄さを目の
当たりにする。
「あ、こいつには勝てないというような
人間がいました。物事に対する粘りがもの
凄い。何かすると決めたら諦めない。敵わ
ないと思いました」
東大法学部の最優秀者は官僚、中でも財
務省(当時、大蔵省)を目指す。林は官僚
になることを諦めた。「仮に財務省に入っ
ても、そいつには一生勝てない。椅子は1
個しかないんで」
他の省庁、たとえば経済産業省(当時通
商産業省)という選択肢もあったのでは。
そう聞くと、
「経産省を考えないわけではなかったけど…
…」と、何でも明快に答える林が珍しく言
葉を濁した。
昔からトップでなければ意味がないと思
って生きてきた。官僚になっても面白いは
ずはなかった。
「(自分は)プロ野球にも、ジャニーズ
にも入れなかった。官僚もその一つですよ。
東大に入って、世の中の真実がわかったっ
てことでしょうね」
大学時代は、家庭教師などのアルバイト
や、パチンコ、恋愛など一通りの遊びもこ
なした。ゴルフ部にも所属した。勉強熱心
ではなかった。時代は、80年代後半のバブ
ル経済真っ盛りの頃。大学生活の居心地の
良さに1年間計画留年をした。
89年、日本長期信用銀行(長銀)に入行。
札束が唸りをあげて飛び交い、社会全体が
浮かれていた。林はそんな状況に違和感を
待った。
「こんなことが長続きするわけがない」。
満たされない思いもあった。本当は長銀の
シンクタンクでアナリストになることを希
望していたが、かなえられなかった。
長銀での未来に魅力を感じることができず、
わずか5ヵ月で辞めた。それからまもなく
して、バブル経済が弾け、巨額の不良債権
を抱えた長銀は98年、経営破綻に追い込ま
れた。
長銀を辞めたところから林の人生の歯車
も狂いだす。投資顧問会社を友人と立ち上
げたり、起業したりしたものの失敗。株で
大きな損失を出し、火の不始末からあわや
大火事になりそうになった。
泥棒にも入られた。競馬にものめりこんだ。
そんな時期が3年間続き、約1800万円の借
金を背負った。小さな塾の講師をかけ持ちし
ながら、食いつなぐ日々が続いた。そんな時、
アルバイト雑誌で、東進ハイスクールが学習
アドバイザーを募集しているのを見つけ、応
募して採用された。その頃、東進には、「金
ピカ先生」と呼ばれた佐藤忠志という看板タ
レント講師がいて、テレビにもよく出演して
いた。奇抜な格好を見て、林は「あの人ハデ
ですね」と言い、スタッフに驚かれた。世間
で人気の講師も知らなかった。
計画ないから挫折もない
好みは古風、ベースは文学
子どもの頃からずっと秀才で、東大に入
ったが、卒業後は失敗続き。他人からみれ
ば秀才の。〝挫折〟にも見えるが、林は「全
然」と言下に否定する。「人生計画もない
から挫折もないんですよ」
東大に進学するときも、自分の成績なら
進学するのが当然と考えた。それでも、東
大の同期生たちが官僚としてバリバリ働い
ていたり、会社を設立して羽振りのいい生
活をしたりしているのを見ると複雑だった。
東海学園での講演でも、予備校に職を得た
当初の忸怩たる心情を正直に吐露している。
「でも、そこでは勝てる、結果が出せると
いう自信はあった」
学習アドバイザーとして英語を教えたあ
と、現代文の講師となった。
「当時から仕事は好き嫌いで選ぶもので
はないとは考えていたようです。やりたい
仕事ではなく、やるべき仕事を、そして『勝
てる』仕事を選ぶ。そんな感覚を持つよう
になっていたのは、やはりここまでで何年
間も負け続けてきたおかげだと思います」。
自著の『受験必要論』の中でそう書く。東
進の講師として活躍し始めた林に声をかけ
た人物がいる。大阪薫英女学院中学校・高
等学校(摂津市)の教頭、中川浩和だ。同
校は帰国子女が多く、英語はできるが、現
代文の力が弱い生徒が少なくなかった。そ
こで、「校内予備校」を設け、96年から09
年まで、講師として招いたのだ。
「教え方に奇を街うところがない。王道
なんです。試験にはどんな文章がでるかわ
からない。あてがわれた文章をどう読み解
くかという観点に立って、構造を含めてき
ちんと読ませる。生徒は応用力が付きます。
成績上位の子には圧倒的な人気でした」同
校では、それまでなかなか進学が難しかっ
た難関私立大学への実績が、その後上がり
始めた。
「林さんの力は大きかった」と中川は語
る。 林はいま、東進ハイスクールで東大
特進コースを受け持っている。受講生全員
が東大第1志望。夏前の公開授業で、林は
文章で筆者が言いたいことをエビフライの
エビにたとえた。エビは一つ。しかし厚い
衣でくるまれている。その衣は、具体的な
話や異なる意見、引用という。〝応援団〟
などによって作られたりしていると説明し
た。
神戸市の灘高出身で、東大法学部3年生
の山添慎一郎は、林の授業を受けたことの
ある一人だ。
「先生の解き方は、本文に忠実に論理的
に読むということに尽きます。学校では、
プロセスを説明せずにこれが答えだといわ
れるんですが、そこを先生は、納得のいく
ように説明してくれました」
山添は、いま、林が受け持つ受講生の答
案の採点を手伝っている。現代文を読み解
く能力が最も高い学生として、林は全幅の
信頼を置いている。
「東大に行って良かったと思うのは、上
に突き抜けている連中のことを知ったこと
です。できる人間の上限がない大学は(国
内では)東大だけだと思うんです」(林)
山添を時々、東京都内の有名な料理店に
連れていく。若い時から一流のものを体験
させたり、味わわせたりすることも教育だ
と思っているからだ。それは、林自身、父
親から教わったことでもある。
町にもうるさい。学生時代に初めて住ん
だのが小石川。その後、谷中、千駄木、本
駒込と社会人になってからも住み続けてき
た。名古屋に自宅を構えてからも、東京に
来る時に使う定宿は駒込のホテルだ。「文
京区の偏差値は80かな」と冗談めかして言
うが、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉を始め
として明治時代の文学者たちが暮らし、作
品の舞台ともなった町に強く惹かれる。戦
前、父方の祖父の家が千駄木にあり、父親
も学生時代に駒込に下宿した三代ゆかりの
地という意識もあった。
長銀を5ヵ月で辞めた理由の一つが、「実
は、東京・多摩地区の会社の寮に入れと言
われたのが嫌だったため」と言うぐらいの
入れ込みようなのだ。
六本木のようなところには興味がない。
好みは思いのほか古風だ。ベースにあるの
は、子どもの頃から読み続けてきた多くの
文学作品であり、文章や活字への強い志向
性である。東進ハイスクールの講義で何気
なく使った「いつやるか? 今でしょ!」
が、広告会社の耳に入り、やがてトヨタの
CMによって爆発的にヒットしたのは、膨
大な読書によって磨かれた言語感覚が図ら
ずも生み出したという言い方もできるかも
しれない。
「凄い奴」の背中を追って
時代の解説者という役回り
東大を出た自分の「勝てる場所」は予備校
だった。それがいま、知らぬ者はないほど
の著名人になった。それでも東大で出会っ
た「凄い奴」のことは気になっている。今
年、25年ぶりに同期会で再会した。そこで
話をしているうちに、「自分は、ずっと彼
の背中を追いかけてきたんだと思った」。
だが、林の秘めたる思いを、「彼」は気づ
いていないだろうともいう。
林には、以前から願っていることがある。
作家として生きることだ。小説を何作か書
き溜めている。「いますぐにでも出したい
んです。本当は小説に集中したい」
しかし、周囲はさらに林に新たな役回り
を求め始めている。ワタナベエンターテイ
ンメントで林を担当している番組制作室の
安原マリック勇人は、「これからはバラエ
ティーとは違う、もっと知的なエンターテ
インメントや、講演活動などに絞ることも
考えている」という。林も「思った以上に、
いまの時代の人たちが、何かを論理的にわ
かりやすく語れる解説者を求めている。そ
のポジションは永遠になくならない」と、
自身の役割を強く意識している。
いくつもの選択肢ががっちりと林の掌中
にある。抜群の知名度も生かせる。どう歩
むか。決めるのは自分。きょうも「彼」の
背中を追いかける。
(文中敬称略)
以上。
わたしは、陸の孤島と呼ばれた小・中学校
で、学んだ。
わたしの学年は、1学級53名の3学級159
名で、小さな学校だった。
小学校高学年の時、高校に進学できるとは
思っていなかったが、時代の流れで、高校
に進学していた。高校に入った当初は,大
学に進学するなんて信じられなかったが、
やはり、結果として、大学に進学した。
自分が受験という試練を乗り越えられると
は、思わなかったからだ。
(これというのも、日本の戦後の高度経済
成長期という千載一遇の時代に、小学校~
大学までがすっぽり重なるという僥倖があ
ったからであると思っているのだが。こん
なに幸運の世代はなかったかもしれぬ。)
そんな田舎の生徒では,東大に進学するよ
うな知性とめぐり合えることはあり得ない
話である。
だから、このような記事があると、大変興
味がわいてしまう。
わたしは、大学生の時、県の学生寮に住ん
でいた。その時、東大生というのが入寮し
てきた。しかし、彼が、その東大を中退し
たと聞いて、残念なことをした。
と思ったが。
今回のこの記事を読んで、彼がやめた理由
が分かるような気がした。
東大を中退した人の人生がどうなるのか、
母校の誉れだった人が、高校卒の人生を
送る。どのような人生になるか、想像する
のは、辛いものがある。
わたしが、この記事に興味をもったのは、
前に、ブログに書いたことを思いだした
からでもある。
これである。
千田琢哉である。彼のとある本にこういう
のがあった。
10代は
どういう10年だろうか?
早く勝つためには、
早く負けておくことだ。
負け続ける時期だ。
学校には負けるために通っているのだ。
もちろん故意に負けるために通っている
わけではない。
全力を出し切っても敵わない相手がゴロ
ゴロいることを人生の早い段階で知って
おくことは大切なことだ。
「ああ、自分はこの分野に手を出したら
エライことになるな」と知っておく。
そうすれば20代で社会人になってから、
周囲に先んじて自分の長所に集中する
ことができる。
この差は非常に大きいだろう。
ほとんどの10代はこれに気づかずに、
努力すれば報われると信じている。
人の何倍も努力して苦手を克服したこと
こそが自分の長所だと信じている。
現実はどうだろう。
人の何倍も努力して苦手を克服したことは
長所ではなくむしろ短所だ。
学生時代の5段階評価の3というのは、
社会に出てから0点という意味だ。
「努力は必ず報われる」を、座右の銘に
してはならない。
以上。
わたしは、千田琢哉のこの文章に衝撃を受
けたのだが、今回のアエラの特集も、まさ
に、そのことに連なる記事だったので、興
味深く読んだ。
ところで、
哲学
島田紳助
松本人志
で、厳しいことが書かれている。
松本人志が言ったとこである。
好きなら才能はあるか。
それは絶対に違う。好きでも、才能のない
人間はいる。
さっきも書いたけれど、才能がなかったら
それは辞めないといけない。
好きならやっていいのか、好きだったらや
る権利はあるのか。
僕はそんな権利はないと思う。
才能がなかったら、辞めないと迷惑だ。
一所懸命やってる奴にも迷惑だし、見て
る側にも迷惑だ。
才能がないにもかかわらず、やろうとす
るのはワガママというか、その人のエゴだ
と思う。
それは、自分の才能を信じるということと
は違う。
昔、こいつ才能ないなあという後輩がい
て、いったことがある。
「辞めろ。辞めた方がええよ、絶対に無
理やから」つて。
「いや、好きなんですよ」 ってその男
はいっていたけれど。
好きならやっていいのか。
それは違うだろう。
以上。
松本人志も厳しいことを言ったものだ。
好きならやっていいのか。
それは違うだろう。
いや、なんとも厳しいことだ。
ビート武は、
彼の著書全思考
の中で、「俺ひとりを作るために、何万人死
んだと思ってんだ」と叫んだ。
しかし、たいていの人は、
才能がないにもかかわらず、やろうとするの
はワガママというか、その人のエゴだと思う。
と松本人志が言ったにもかかわらず。
下手な横好きで人生を満足させようとしてし
まうというのは、凡愚のやらかすことで、三流
四流と分かっても、それしか、能力がないとい
う悲しい現実もある。
千田琢哉や松本人志の厳しい話も、林修のよう
に優秀でなければ、進路変更して、人生が実る
ものでもないようで、残念である。
いずれにせよ。今回の特集は、東大生という
エリートの世界を凡俗な者が垣間見ることが
ができたということで、ラッキーだった。