大分前のヤフーにあった記事である。
上司からの着信で心身を病む「電話恐怖症」が爆発的に増加中
NEWS ポストセブン 11月8日(火)16時5分配信
「どうしてメールで済ませるんだ! 電話をしろ!」――上司から
のぼやきも聞こえてくる時代だが、通話より時間が短縮できると
いう理由ではなく、通話自体を恐れてメールに頼る若者が増えて
いるという。
ビジネス現場の携帯電話やメール使用に詳しいアイ・コミュニケ
ーション代表取締役の平野友朗氏が語る。
「約束の時間に遅刻してしまう場合でも、電話ではなくメールで
連絡を済ませる若手社員の方が増えています。
上司から怒られるのがわかっているから電話することができず、
メールという便利なツールに逃げ込んでいるんです。
メールでも伝われば同じじゃないかと開き直る人までいます」
上司への連絡ならまだしも、お客様や取引先への謝罪をメールで
済ませてさらに大きな問題に発展するケースも少なくない。
電話に出られる状況でもあえて出ずに、留守電で用件を確認し、
心の準備をしてから折り返す人もいる。
「電話が嫌いな人は、下手なことをいいたくないから、情報を
頭の中で整理したうえで応答したいと思っているのではないで
しょうか。
電話というのは立場が下の人が相手に合わせるというのが普通
なのですが、最近はどうやら立場が下の人でも主導権は渡したく
ないという気持ちが強いようです」(平野氏)
精神科医の浅川雅晴・浅川クリニック院長は、子供の頃からTV
ゲームに没頭してコミュニケーションに欠陥がある若者が、上司
からの着信に追い詰められて心身を病む「電話恐怖症」の増加を
指摘する。
「上司から頻繁にかかってくる電話に頭を悩ませ、うつや動悸・
頭痛・吐き気・多汗などの心身症を発症する人が増えています。
着信音に恐怖を感じる人も多く、聴覚過敏や幻聴に陥ることも
あります。
携帯が普及して15年近くになりますが、5年、10年の長い時間を
かけて今、爆発的に症例が増えているのです」
また、上司からの電話を取り損なうことを恐れるあまり、マナー
モードにしてポケットに入れた携帯が、着信していないのに振動
していると錯覚する人もいる。
これは幻想振動症候群(phantom vibration syndrome)といわ
れるもので、携帯の着信に対する過剰意識が生み出したもの。
何かが太腿に触れただけで、脳が携帯のバイブと誤認してしまう
という。
電話の取り逃しを防ぐために、歩行中は必ず携帯を手に持つと
いう人もいる。「トイレの個室の中でも上司の電話に応対する
同僚を見て心配になった」(30代・金融)と、必死に食らいつく
若者もいるようだ。
以上。
このような文章があった。
「~携帯が普及して15年近くになりますが、5年、10年の長い
時間をかけて今、爆発的に症例が増えているのです」
ということだが、わたしの経験でも携帯のメールが便利だと
言われてから、そのくらいの年月が経ったと思う。
わたしは、メールは、パソコンで始めたから、携帯のメールは
とても、馴染めなかった。
親指シフトのキーボードで、手紙を書くような気分でメールを
書いていたので、携帯のキーボードで文章を書くなんてとても、
メールとは思えない。独断であるが。
第一、メールとは手紙のことではないか。なんて、変に拘る。
携帯のメールが、メール。冗談ではない。と、やはり、変に
拘る。
携帯のメールは、その多くは、「おしゃべり」である。と
勝手に判断している。
だから、今でもっても、携帯のメールを使う気はない。
但し、携帯で写真を撮った場合は、携帯からパソコンへメール
を送り、写真をパソコンに取り込む。これは、便利である。
高校生がメールに夢中になっているのには、昔から違和感を
感じていたが、この記事を読むと、「やはり」という気に
なった。
だいたい絵文字で、大人も子どもも自分の気持ちを脚色して
いることじたいが、嘘っぽいのだ。
あの文字は、自分の気持ちを内省させることをないがしろに
しているように思われてならないのだ。
それにしても、携帯電話の出現は、従来だったら、家庭に
一台の固定電話しかなかったのに、一人一人が電話を持って
しまったということでる。
一時期、この携帯電話が不純異性交遊を煽るなんて、話し
もあったが、ある意味で今回の記事のようなこの状況は、
個人対個人が携帯電話という媒体を通して、ストレートな
関係性を生み出したことの悲劇でもあるのではと思う。
昔の固定電話は、家族で使うし、電話をしていい時間も制限
があったように思う。
しかし、今や、携帯電話のメールのおかげで、24時間、人と人
が、つながり合ってしまった。
プライペートな時間が、皆無になったとも言えるのではなかろ
うか。
何しろ、パソコンのメールではパソコンが目の前に無いことに
は、知りようがないが、携帯電話は、本人がいつでも持っている
ことになっているのである。
知らないとは言いようのない。なんとも強引にプライペートな
部分にどんどん入り込んでくる恐ろしい存在になってきた。
そのような煩わしさから、開放されたければ、携帯電話を
持たないことにするしかないが、わたしのような退職者だ
ったらまだしも、現役世代、もうそれは、不可能だろう。
職場によっては、会社から支給されるはずだから。
携帯電話を介して、鵜飼の鵜にでもなったようだ。
警察沙汰にでもなると、携帯を没収され、プライバシー
は、丸裸にされる。
GPS機能で、居場所は、立ちどころに分かってしまう。
なんとも恐ろしい時代と言えば、恐ろしい時代になった
ものだ。