二輪よもやま話ー4
10月26日(水)、新しい免許証を取得した。
62歳になっての取得である。
今年の夏、どういうわけか、二輪に興味がわきだした。
なんとなく乗りたくなったのだ。
理由がいくつかあると思われる。
だいぶ前に、「冬は寒くて、冬籠もり。夏は暑くて、夏籠もり」
なんて、嘯いていた。夏は、暑いということで、体をいたわろう。
クーラーにあたりっぱなしの、だらけた生活の言い訳をしていた。
ところで、今年の夏は、不思議な気分になった。
真夏のとある日、玄関を出る際、暑い日差しに、うっとうしく
そして、疎ましい思いをしていた。
しかし、観光客はこの夏の日差しの下で、遊び回っていることに、
ふと気がついた。当たり前の話しだが。
とたん、夏籠もりしている場合かと、どこからか、声が聞こえた。
昔、この気の遠くなる暑さにこそ、遊び回っていたことを、思い
だしたのだ。
すると、このムッする暑苦しい空気への、苦痛が少し薄らいだ。
いや、この暑さに、愛しい思いも、わくような気がした。
そのようなことのあった夏だった。
そのうちに、どういうわけか、二輪に乗りたくなった。
おそらく、子どもの頃のことを思いだしたこともあろう。
実は、子どもの頃、無免許運転をしていた。
オートバイを走らせながら、風を切って走る爽快感のなかで、
気持が高揚している非日常的な感覚の自分を思いだす。
非常に久しぶりに、自分が二輪の無免許運転をしていた
ことを、思い出した。
小学校の頃、父親が、バイクを所有していた。
小学校を卒業した春休みのとある日、父親のバイクを
持ち出した。
我が家は、南向きに家が建っていた。その家の前を小さい
私道が通っていて、その道の向こうに、おそらく500坪
ほどの少し草が生えた空き地があった。
その空き地で、ほんのちょっとバイクのエンジンをかけて、
オートバイにまたがって乗ってみた。
勿論、小学生なので、オートバイに跨がっても、地面には、
足は届かない。ステップには、足はついているのだが。
わたしは、今でも、156.7㎝である。そのわたしが
中学に進学する前の春休みの話しである。
その後、何回か、このオートバイを乗り回している。
最後に乗った時は、感電してショックな経験となった。
実は、バイクのアクセルの線が、故障していた。
エンジンをふかすと、戻らないのである。
止せば良かったのに、強引に乗った。
ところが、はしっているうちに、アクセルをまわし過ぎて
スピードどんどん出る。アクセルは戻らない。
バイクを止めるとエンジンが猛烈な音を上げて叫びだす。
さすがに、我ながら、パニックになった。
それで、なんとかしなくては、プラグをひきぬこうとした。
とたん、わたしは、感電してしまった。
まるで、わたしの体が、シリンダーの中に吸い込まれる
のではと思われ、わたしを恐怖を感じ、大声をあげた。
その感電で、わたしの手に傷が残った。
今、ブログを書きながら、思いだしたのだが、なぜ、
エンジンのキーを戻さなかったのだろう。
もしかすると、エンジンのキーも壊れていたのか?
どうしてだろう?
わたしの住んでいる地域では、路線バスが重要な交通手段で、
自家用車が大変珍しい時代であった。
何しろ、わたしは高校生の時、自分が自家用車を持つような
ことになるとは、思えなかった時代だった。
そして、二輪に乗りたくなった理由は、自家用車に飽きた
からである。
飽きた理由は、車で往来するコースは、小さい島に住んでいて、
この年齢まで、運転してきて見飽きた風景になってしまった
からである。
もう一つ思ったことは、車で走っていて、車窓から何かしら
興味を引くものがあっても、駐車禁止で、立ち止まることが
できないという苛立ちもあった。
また、車のフロントガラスの窓枠から見る風景の狭苦しいこと。
車が風景を楽しむための障害となっている。
話しは全然違うのだが、時折、若い頃、東京やその近隣の街に
住んでいたことを思いだす。
すると、意外と、学校とアパートや寮とを往復する生活ばかり
で、住んでいた地域に親しんでなく、多くの何かしらを見ること
なく過ごしていたことを悔やむようになった。
グーグルで、若い時に、住んでいた地域を、いろいろと検索する
のだが、なんて生活に広がりが無かったのだろうと。
勿論、その頃は、銀座が一番の憧れの場所だったし、すぐ、学生
運動で、そのような軟派な生活に興じるような雰囲気でもなかった
のだが。
時代は野心に満ちていたような気がする。慎ましさを蹴散らそう
としていた。
いずれにせよ。今になってみると、なんともったいないことを
したという気持でいっぱいである。
ということもあって、遅まきながら、今まで見たことのないものを、
平凡な日常の中に、見つけてみたい気持になったのだ。
見た目は、郵便配達のバイクと同じような動きだ。街や集落の
隅々、散歩がてらに二輪を乗り回し、何かしらのかけがえのない
ものに出会えたらと思う。
そういう意味で、原付二輪は、うってつけの存在だ。
もしかすると、いい時代にめぐり合わせたのかも知れない。
ビッグスクーターは、見栄えはするが、身動きがとれない。
それに、仰々しすぎる。