ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

尾瀬の春山2日目――大白沢池までをピストン

2014年06月05日 | 雪山/尾瀬

前の晩のことですが、ラジオの天気予報で「5日の天気は全国的に雨でしょう」と流れました。5日があまり良い天気でないことは来る前から分かってはいましたが、「全国的に雨」だとは! これを聴いて、即、今後の計画を次のように変更しました。
5日の日は大白沢池から平ヶ岳までのピストンをする予定だったのですが、それを中止。そうなるとベースを大白沢池に上げておく必然性がなくなります。つまり、4日の日に初日の幕営地から空身で大白沢池までのピストンをし、5日にはひと足早く下山する。
大白沢池で幕営出来ないのは残念ですが、体力面ではもっとも楽になる計画への変更で、どこかホッとしている自分もいます。

2014/5/4  そんな経緯があってのこの日の朝でした。夜中にテントの外に出た際、見上げた夜空に星が煌めいていましたから、好天予想はありましたけれど、どうやら最高の朝です!

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▲朝食をとり、ザックのパッキングをし、テントの戸締り(と言っても、ジッパーを閉めるだけです)をして、出発です。8:08ころ。

テントを撤収する必要がないわけですから、もっと早く出発出来たはずなのですが、これには訳があります。
実は今回3人ともアイゼンを持って来ませんでした。気温は平年よりも高めの予報でしたので、ワカンは持って来たのですが、アイゼンは不要だろうと踏んだのです。軽量化の一環でした。
気温がやや高めだとは言っても、朝方は冷え込みますから、雪の斜面は硬くなっています。そこへ陽が当たって少し柔らかくなるのを待っていたというわけ。
今日は荷が軽いですから問題ありませんでしたけれど、重荷を背負って歩くとしたら、やはりアイゼンを付けていた方が良かったと感じました。重荷では少しのバランスの崩れが重大になるからです。
どんな状況になるか分かりませんから、雪山では装備から絶対にアイゼンを外してはいけませんね。反省・・・・・・

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▲テントの前のこれから登る斜面がこれ。8:08ころ。
陽も当たって来て、徐々に柔らかくなって来ています。でも、まだ硬いところも・・・・

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▲この支尾根は猫又川右俣と左俣の中間尾根の1534m標高点の西尾根です。8:10ころ。

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▲左右に延びているのが中間尾根。誰も考えること出来ることは同じだと見えて、登山者の足跡が数人分確認出来ました。8:12ころ。

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▲K嶋さんです。ザックが軽くて本当に楽。後ろに至仏山が見えています。8:15ころ。

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▲中間尾根に二人がもうすぐ到着します。8:25ころ。

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▲広葉樹を見上げると、あれは熊棚でしょうか? 多分そうですね。周囲の枝を折り畳んだベッドになっています。8:32ころ。

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▲シカの足跡。暖かくはなって来ていますが、この時季なにを食べているのでしょう? 8:35ころ。

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▲至仏山、そして、左下に見えているのは猫又川右俣です。その源流域にあるのが外田代ですね。8:39ころ。

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▲大きな針葉樹が生えています。気を付けないと日陰の斜面は所々まだ凍っています。8:51ころ。

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▲なだらかな山がふたつ並んでいますね。右は背中アブリ山1811.1m、左があの西丸震也氏が命名したカッパ山1822mです。2008年にこのカッパ山に登りましたが、その名前の通り、山頂には丸い河童の皿(湿原)があるのです。9:20ころ。

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▲途中の平坦地にテントが張ってありました。9:30ころ。

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▲右の山がカッパ山。左にぴょこんと尖っている山が景鶴山2004mです。景鶴山には数回登っています。僕が今いる稜線の下に見えている白い平坦地は湿原です。ここは外田代の北方に少し離れてありますが、外田代に含まれるのか、それとも別の名前を持っているのかは知りません。9:35ころ。

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▲右に至仏山、左端に背中アブリ山。背中アブリ山山頂の少し右、遠くなだらかな山並の中に白く棚引く部分が見えますね。それはおそらくアヤメ平でしょう。昨年のGW初日の幕営地です。10:09ころ。
これまではほぼ至仏山を背中に感じながら登って来たのですが、この写真では左後方になっています。少し左へトラバース気味に歩いているからです。辿っているコースを説明しますね。

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▲星印は初日の天場です。黒矢印の尾根が中間尾根。中間尾根を北上すると、大白沢山につながる尾根が左右に分かれます。計画では右コース、青い矢印のコースを辿るつもりでした。大白沢山南東部の屏風のように広がった岩壁帯近くを歩くのが魅力的だったからです。でも、地図から判断する限り左コース、赤い矢印のコースの方が傾斜が緩いことは明らかです。ただ、青矢印コースの方が分かり易い尾根コースでルートファインディングは易しそうです。
結局どちらを選んだかというと、ひとつ前の写真でも分かるように、赤矢印コース。理由は単純です。先行者のトレースがみんな左に行っていたからです。それに、現場で見る限りでは地図で見る以上に右コースは傾斜が急だったのです。まあもちろん、困難さが増すほどの傾斜ではないのですが。

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▲左後には至仏山、その右手前には岳ヶ倉山1816.1m。この稜線も2008年に歩きましたね。10:11ころ。

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▲だいぶん標高が上がって、外田代の白い雪原や写真左遠方のアヤメ平も先ほどよりよく見えるようになりました。10:30ころ。

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▲大白沢山1942.0mです。大きな岩壁も見えています。10:32ころ。

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▲望遠で狙ってみました。後方は至仏山。10:33ころ。

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▲明瞭な尾根にいったん乗って、少し休憩をとりました。再度歩きはじめ、さらにトラバースします。11:07ころ。

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▲至仏山の右に黒い三角の笠ヶ岳2057.5mが見えています。その笠ヶ岳の少し左に小さな黒い三角形が見えますが、これは小笠1950m。11:07ころ。

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▲目をすぐ近くの西に転ずると、中央に赤倉岳1959.0mがみえます。ここは2011年に今回と同じメンバーで目指した山ですが、赤倉岳直前の雪庇の状況が悪く、断念しました。ちなみに、この山は岳人選定のマイナー12名山なのです。
その左のもっこりした白い山はススヶ峰1953m。この山にも何度も来ましたね。11:15ころ。

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▲主稜線に到着しました。大白沢山の裏側に広がる山々も見えます。この写真で見えている山々は会津駒ヶ岳2133mなどだと思います。そして、目指す大白沢池はこの雪の斜面を下ったところにあるはずなのです。11:20ころ。

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▲下って行くとすぐに大白沢池は姿を現しました。11:27ころ。

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▲雪解けは着実に進んでいます。池の上の雪原には幾本もの亀裂が入っていました。11:29ころ。

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▲大白沢池の南池畔に二人が立っています。その後ろは大白沢山。11:31ころ。

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▲こんな亀裂があちらこちらに走っていました。11:32ころ。

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▲大白沢池のもう少し北へ歩いて行ってみました。二万五千図の「大白沢池」と書いてある「白」の字のあたりです。眼下にはアサユウ沢なのでしょうか、その支流なのでしょうか、名前は知りませんが、谷が広がっていて、遠くの山並みを見せてくれています。
写真中央の大きな山体は平ヶ岳2141m、その左の同様になだらかな山は白沢山1952.8mでしょう。11:44ころ。
最初のプランでは大白沢池を出発してこの写真の左から中央の平ヶ岳までを歩く予定だったのです。

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▲山座同定は出来そうにありませんけれど、会津駒ヶ岳およびその周辺の山々なのでしょう。11:45ころ。

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▲池で待っていた二人に合流し、しばしの休憩。それから、池を後にし、来た道を帰りました。12:15ころ。

080
▲稜線に戻り、少し北西側に上がると、これまで見えなかった風景も見えて来ました。
中央に燧ケ岳2356m、右のゴツゴツした山が景鶴山2004mです。そして、眼下に見えているのが大白沢池ですね。12:32ころ。

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▲ここからは平ヶ岳もよく見えました。12:36ころ。

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▲同じルートをのんびりと下って行きます。でも、時々スッテン! 登山靴の底に雪団子がくっ付いて滑り易くなるのです。こまめに落とさなければなりません。13:26ころ。

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▲何度もスッテンすると開き直って楽しむに限ります。13:27ころ。

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▲立派な木の脇を下って行きます。13:28ころ。

この後、いったんルートミスしました。足跡やスキー跡もあるのですが、表面の雪はその日のうちに雪解けも進むので、すぐに不明瞭になります。数時間前に歩いた登ったという記憶に安心しきっていたせいでしょう。適当に方向を決めて下って行きました。でも、見覚えのない岩場とかが斜面上方に見えたりします。何かおかしい、間違ったかも・・・・と感じ始めたころ、外田代の北に続く湿原の北端の湿原が、右下に見えて来たのです。本当は左下に見えなければならないはず。
ここでやっと地形図を確認する始末。もっと手前で常に確認すべきでした。
ルートを修正し、正しいルートに戻り、再び下降スタート。

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▲この赤布は僕が付けた赤布。朝、登る際に付けて来ました。赤布を回収すると、ここから中間尾根を離れ、西方向へ支尾根を下るのです。15:02ころ。

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▲この支尾根は二人には少し急な斜面。ビビりながら下っています。僕はと言えば、二人の真下に位置するよう心がけています。滑って来たら止めてやろうと。でも、これくらいの傾斜では実際に滑ってもすぐに止まるものです。15:12ころ。

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▲帰着です! My Home! My Tent! 15:15ころ。

ここをベースにしての大白沢池ハイキングもなかなか楽しい山行でした。こんな感じの楽ちん春山ハイキングを計画したくなりました。
いやいや! もっと肉体を鍛えて、準備山行もバッチリ実行して、ハードな春山山行を実施すべし! そんな心の声も聞こえます。
どちらにせよ、安全で楽しい山行をやるぞ!

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▲僕はさっそく水汲みへ。これだけに汲んで7リットル以上はあると思います。15:38ころ。

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▲ここが今回の水場。左の針葉樹の根元あたりです。

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▲根元を覗いて見ると、こんな風。枝を掴んで川岸の石ころの上に立ち、水を汲むのです。

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▲登山靴を履いてする仕事をひと通り済ませ、いよいよ僕もテントの中へ。15:53ころ。

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▲K嶋さんがもって来てくれた美味しいおつまみ。サラミは絶品でした。16:23ころ。
お酒ですが確か、K嶋さんはバーボンを持って来てくれました。結局、僕とS子がほとんど飲むことになってしまうのに、持って来てくれて感謝ですね。僕とS子は『三岳』です。

『三岳』は僕とS子の日常の晩酌用焼酎です。比較的低価格で購入できる店が近所に偶然あったものですから。以前は博多のデパートや屋久島の酒屋さんなどから購入したことがありましたが、芋焼酎のブーム到来でそれも困難になってしまいました。
『三岳』との出会いは思い出深いものがあります。屋久島が世界自然遺産に登録される1993年12月以前のことですから、20数年前です。屋久島にS子と二人で訪れ、北の海岸から南の海岸まで縦走したことがありました。初日のみ民宿で、あと4泊はテントでした。テント4泊目は平内海中温泉のそばの林の中でしたが、引潮を見計らって夜中に入った露天風呂で、同じ温泉に入っていた方から勧められたのが『三岳』でした。衝撃的な旨さでした。今の『三岳』は少し上品になってしまっています。その時僕が飲んだ『三岳』は実に芋っぽい甘い焼酎。素朴極まりないものでした。
それに参って、帰京後、入手方法を探したというわけです。

117
▲今日は料理を撮り忘れませんでした。体力や気分に余裕があったからでしょうね。
これは定番の高野豆腐。17:30ころ。

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▲もうひと品は豚汁。野菜たっぷりの豚汁でした。17:30ころ。

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▲湯気で写真がうまく撮れませんが、これは出来あがった豚汁。18:22ころ。

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▲就寝。右からK嶋さん、S子、僕。僕は夏用シュラフ+シュラフカバー、K嶋さんも僕と同じですが、上下にダウンの服で武装しています。S子は3シーズン用シュラフ。僕にとってはさほど寒くはありませんでした。よく眠れました。20:39ころ。

124
▲テントの天井を初公開! 1回きりしか使ったことはないのですが、インナーテントを留める輪になった紐がところどころにあるのです。それを活用して、紐を張っています。乾かしたいものなどを掛けておくのです。天辺にあるのはLEDランタン。K嶋さんのです。20:40ころ。

これで、今回の山行のメインイベントは終了です。本当なら、大白沢池に泊まることと平ヶ岳登頂がメインだったのですが、天候に対しては謙虚な判断をするしかありません。
今になって思い起こすと、今回名前のあるピークにはひとつも登頂していないのですね。僕は元来「沢や」ですから、ピークハンターではありません。ピークに登頂しなくても充実感を持てますし、楽しいのです。
「今年のGWにはどこを登ったの?」と聞かれたら、「大白沢池へ行ったよ」と答えます。
大白沢池を知らない人からしてみれば、「池なの? それって登山?」ってなものでしょうが、僕自身は「なかなか玄人好みの山行だぜ」と、一人ほくそ笑む、そんな感じですね。

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