お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会山形県代表決定戦

2008年08月31日 16時46分53秒 | Weblog
 第12回山形県サッカー総合選手権大会兼第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会山形県代表決定戦、というえらく長いタイトルの大会が2008年8月31日(日)山形市陸上競技場でありました。3か月にわたる大会は山形大学体育会サッカー部と新庄東高が雌雄を決することになりました。結果は山形大学が2-0で天皇杯への3年連続の出場を決めました。大学生と高校生が同じ土俵に上がるのは天皇杯ならではです。昨夜からの雨でピッチがゆるみ足もとが定まりません。浮気なボールに翻弄されます。山形大学は横から崩してのシュート、新庄東高は縦からの攻め、前半互角にプレーしていた新庄東高の足が後半止まります。後半半ば山形大学はPKを貰いこれを決めると流れはもう山形大学です。
 昨夜から開催間際までの降雨。雨に中止はないサッカー、私も重い足を運ぶ。大会準備の方はさぞかし大変だったろう。天皇杯を1つでも多く勝ってくれると苦労も忘れるというものです。勝ち進んでM山形と山形大学が当たると面白いのだが、これはないか!!

山形地区サッカー協会理事会

2008年08月29日 14時37分28秒 | Weblog
 山形地区サッカー協会理事会は平成20年8月28日(木)、山形市霞城公民館で開かれました。主な議題は平成19年度の決算案承認と事業報告、平成20年予算案の承認それに役員改選などでした。監事から決算と予算の提案が遅いと指摘されたそうです。全くその通りだと思います。しかしながら、本協会は県協会主催の競技主管者として、数多くの競技運営を取り仕切らなければなりません。本業を持ちながらのボランテアの任意団体と甘えていたのです。登録料・運営協力金が87%を占めるとは言え、決算総額1,300万余円は大きな金額です。おろそかにはできません。次に役員改選ですが、事業が開始されてからもう半年になろうとしております。今さらとマンネリになりますが、気持ちを新たにためにも早いうちの改選が必要でしょう。役員・理事の出席率が20%。忙しいとは言え事務局がこんなに信頼されていいのかな?サッカーを愛する青少年のためにも頑張りましょう。

東鳩会8月例会

2008年08月20日 17時31分16秒 | Weblog
        今宵(8月19日)は東鳩会第46回例会にようこそおいで下さいました。どうぞ奥へお進みください。皆様お待ちかねです。
        とは言ったものの、東照会に31名もの旧友が集まった反動かな?今夜の参加者が寂しい。それでも焼酎調合専門のソムリエならぬ「チュムリエ」が復帰して喉越しを楽しんだ。当然話題は北京オリンピック。メダルを取った人、逃した人そして途中止めた人にはそれぞれ悲喜こもごもありましたが「陸上は世界と肩を並べるには相当の時間が必要でしょう」と悲観的でした。

康紀君が差し入れてくれた冷酒がこれまた人気で、参加者が少ないことをいいことに心おきなく堪能させていただきました。肴は芋煮。季節を先取させていただきました。新鮮な話題に2時間晩酌が楽しめます。お誘い合わせのうえみなさ~んご参加ください。
 [出席者]蜂屋会長、中山副会長、千葉事務局長、石黒、板坂、柿崎、奥山

山形東高サッカーフェステバル

2008年08月10日 16時58分54秒 | Weblog

山形東高サッカーフェステバルは8月9日(土)、山形東高グランドで行われました。本フェステバルは毎年夏に現役部員とOBが集い、サッカーゲームと懇談会によって、サッカーをより楽しいものにしようと言う20数年来のOB会の伝統行事です。当日も30度を超す暑さにもめげず、先輩後輩が入り替わり立ち替わりチームを作って対戦しました。ご隠居OBはテントの中から眼を細めて見ています。父さんOBは一緒に遊んでもらいました。このテントは20数年前故丸子喜久夫君からの贈り物です。懐かしいな~それにしても一緒にいただいた「サッカー部旗」は何処に行ったのでしょうね。

終了後は恒例の冷たい飲み物に佐門の「煮込み」を味わいながらの懇談です。先輩諸氏は満足のようです。先輩が喜ぶと思わず後輩にも笑みが漏れるのです。<
今年は佐門の「煮込み」が現役諸君に好評で行列ができる有様です。佐門が二代目に代わって味も若向きになったのかな~一年生部員は「大人の味」を初めて経験しました。
場所を「花まる」に移して、来期の強化策を話し合いましたが、先輩の話は短い話が長~くなったり、横道にそれっぱなしで・・・もう今野監督は白川行きの舟に乗ったようです。

東北総体歓迎レセプション

2008年08月09日 11時50分37秒 | Weblog
 昨夜(8月8日)山形グランドホテルで開かれた東北総体歓迎レセプションに出席してきました。第35回東北総合体育大会サッカー競技は、8月8日(金)~8月10日(日)山形会場で開催されます。これに先立ち、東北5県の会長ほか大会関係者を招いて山形県が歓迎する催しです。東北協会長(宮城県会長)の「昨日の花笠まつりに感動した。3日間お世話になります」と主催者挨拶があり、続いて山形県会長が「暑い山形ですが、競技運営に支障ないよう努めます」と歓迎の言葉を述べた。岩手県会長の乾杯の音頭で懇親の場となりました。昔は審判要請には喜んで何所へでも出かけた。しかし、現在は審判報酬が要求され、財政の裏付けが必要だなどとの声も聞かれた。もう精神論だけではいかないのですね。でも、何でも金で解決すると言うのにも抵抗はあるけど。そして最後に私は中締めの役を仰せつかりましたが、この役は盛り上がりにいつも水を差すようで厭なものです。しかし誰かがしなければなりません。熱中症に注意して頑張ってくださ~い。

東照会50回記念例会

2008年08月05日 16時51分59秒 | Weblog
   東照会50回記念例会が8月3日(日)蔵王温泉の蔵王国際ホテルで開催されました。札幌市や横浜市など県内外から31名が集まりました。卒業以来初めて参加した方が2名おりました。伊藤(幸)君は直ぐ分ったのですが、遠藤(一)君の俤を探すのに少しの時間を要しました。逆立つ剛毛頭髪は失せ、身体は二回りも大きくなり、磊落な話しぶりに圧倒されました。私の「変わったな~」の言葉に彼は「俺、がり勉から変身したんだ!」そして「君はあの当時サッカーをするなんて先見の明があったんだな」と社交辞令も忘れない。学生時代私の前が彼の席、よく背中をツンツンと突いて教えを乞うた。背中の感触はまだ忘れていなかったようです。話が尽きない楽しい一夜でした。49年間の空白を埋める体力も相当なものです。次の日は正月でもないのに終日賀正(臥床)でした。   この写真は昭和34年(1959年)3月26日(体育館会議室)、東照会発会式に故河田恩師を囲んで撮ったものです。両脇を固めるのはハチヤクン?とガンチャン?でしょう。卒業から49年が経ちました。上の写真の誰か分かりますか?俤がありますか?皆この日ばかりは若くなりました。石黒君、原田君当番幹事お疲れ様でした。