お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会山形県代表決定戦

2009年08月31日 15時13分03秒 | Weblog
 第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会山形県代表決定戦は平成21年8月30日(日)、山形市陸上競技場で山形大学体育会サッカー部とFCパラフレンチ米沢が覇を競いました。

 山形大サッカー部はボールへの出足よく優勢に試合を進め、前半相手ゴール前でフリーキックを得て、これを直接押し込んで先取点を取ります。後半、スピードを維持するFCパラフレンチ米沢はカウンターからネットを揺らし同点とします。山形大サッカー部は再三チャンスを作りますがゴールを割ることはできません。延長戦でも決着はつかず、PKで代表を決めることになります。山形大サッカー部の第3キッカーがゴールを外し、本日のフルコースに幕を下ろします。山形大サッカー部の4連覇ならず。FCパラフレンチ米沢には初の1回戦突破を託します。私はNHK山形支局長に「この試合も長かったけれど、これからの衆院選開票速報も長くなりますね」と声を掛けます。「今夜は徹夜です」と覚悟の返事です。サッカーはいくら長くとも徹夜はありません。(グレーがFCパラフレンチ米沢、ブルーが山形大学サッカー部)

 今日の会場を賑やかにそして華やかに盛り上げてくれたのが「山形大学チアリーダー」です。我がチームは敗れはしたものの最後まで楽しい雰囲気を作ってくれます。私がカメラを向けると得意のポーズを作ってくれます。サービス精神も旺盛です。今日は気温が低いので新型インフルエンザへの罹患を心配します。

東鳩会古稀祝い最終打ち合わせ会

2009年08月31日 14時28分37秒 | Weblog
 東鳩会古稀祝い最終打ち合わせ会は平成21年8月30日(日)、みちのく亭で開かれました。この日は第45回衆議院総選挙の投票日とあって何かと気忙しい雰囲気でしたが、蜂屋会長が各担当責任者から内容を聞き取る方法で最終のチェックを図ります。

 蜂屋会長は‘遠来の友人を心温かく迎えよう!’を一義的に考え検討を加えます。熱心な検討は時には気色ばむこともあります。私も「過ぎたことは悔いないこと!」と教育的指導を受けます。熱心な検討は正午を前に目途をつけ、3日後を待つことになります。写真の顔にも漸く笑顔が戻り歓談しながら昼食を取り散会となります。
[出席者]蜂屋会長、中山副会長、千葉事務局長、茂木、原田、恵江、矢野、橋本の諸君と私

東鳩会第56回例会

2009年08月20日 09時58分52秒 | Weblog
 東鳩会第56回例会は平成21年8月19日(水)、みちのく亭例会会場で開催されました。例会に先立ち来月に迫った‘東鳩会古稀祝い’実行委員会が開かれ、役割担当責任者の説明に対し熱心な検討がなされます。会議中の飲酒を断ったせいか?会長指名には絶対服従の約束からか?真摯な質疑がなされます。各役割担当の2・3の確認事項を残し参加者83名を迎える準備は終わります。そして例会の始まりです。

 三々五々足を運んだ会員も例会が始まるころには、小上がり座敷からあふれこぼれそうな状態です。かってない最高の29名の参加です。古稀祝いへの関心の高さが窺われます。茂木君差し入れの山形東高の酒‘おお!勝利!’で乾杯すると雰囲気は一気に盛り上がります。

 モンテディオ山形は今夜FC東京と試合なのに柿崎君は悠然としています。「強力サポーターが応援席にいなくては?」と私が怪訝さを言葉にします。「今夜はこっちのほうが大事だべ~」という答えです。貞次郎君から自家生産の‘だだちゃ豆’が振舞われます。酒がはかどります。みちのく亭の女将さんは盆明けに正月が一緒に来たような大忙しです。

 宏行君が何か難しい話をしているようです。「ここからカテーテル差し込んでよ~」と言ったかは知りませんが、不死鳥に乾杯です。私はモンテディオ山形の途中経過が気になります。携帯電話を持つ仲間に訊ねますが、その操作がわかりません。携帯電話を持たない私とさほど変わりがないのに気が付き安心します。あっちの隅で茂木君がヤスエちゃんを口説いています。

 茂木君はヤスエちゃんの口説きに成功したようです。ヤスエちゃんが笑顔で‘古稀の祝い’の司会を引き受けてくれたというのです。私はこれを聞き、ヤスエちゃんにてんぷら、枝豆、サラダうどんなどせっせとよそってサービスします。「ノリちゃんすねないで!てんぷらの衣剥いてやるからね!」

 ハラチュウ君はビールが入ったらもうこの笑顔です。しかし、隣席では飲みながらも資料に目を通しチェックしている蜂屋会長の姿は、責任を一人背負ってるようです。皆さん協力しましょう。

 今夜のメーンデッシュはてんぷらです。エビ、穴子、オクラ。手前の丸いのな~んだ?それは梅干しのてんぷらです。私はそっと茂木君に勧めます。「う~ん、酸っぱ~い!」と驚きますが、直ぐに「旨い!旨い!」の声に変わります。

 石黒君が真顔で手ぶりを交えて蜂屋会長とお話をしております。真剣さは老いを駆逐します。私のブログ愛好者の奥さんへご主人の写真をプレゼントします。見れば見るほど二度惚れするようないい男でしょう。

 今夜の仕上げは‘サラダうどん’です。なかなかの味で売れ行き好調です。ヤスエちゃんが「旨い!旨い!」と言うのでお給仕すると、哀れ私の分はこの通りです。
 今夜ほど2時間という時間が短く感じた例会はありません。多くの人が集まり多くの話題に接する今夜はこれまでにない楽しい盛り上がりです。9月3日を楽しく想い出深い会にしましょう。
[出席者]蜂屋会長、中山副会長、千葉事務局長、原田、東海林、矢野、橋本、大沼、板坂、寛治、菊池、荒木、相良、茂木、三澤、岡田、貞次郎、庸史、宏行、富弥、田中、柿崎、大内、良明、光一郎、石黒、塚崎、恵江の諸君と私

山形商業高サッカー部創部40周年祝賀会

2009年08月17日 10時23分20秒 | Weblog
 山形市立商業高等学校サッカー部創部40周年記念祝賀会は平成21年8月15日(土)、ホテルメトロポリタン山形で開催され、来賓を始めOB会、現役、後援会、父母の会から多くの方々が臨席されました。

 祝賀会に先立ち記念式典が行われます。記念式典は佐藤実行委員長の挨拶で始まり、三条輝夫元監督と志田保郎部長に長年の指導の功労に対し表彰が行われます。次いで、後藤山形市教育長、今野学校長から来賓祝辞があり、サッカーを通した人間形成の素晴らしさにが語られます。OB会から秋葉現主将に激励金が贈呈され閉式となります。

 祝賀会は会場を移し、高橋実行副委員長の挨拶で始まります。桂木山形県サッカー協会長はじーっと挨拶を聞きながら次の出番を待ちます。

 桂木山形県サッカー協会長が来賓祝辞を述べます。今夜は舌好調のようです。声がだんだん大きくなり時間も長くなります。現役の諸君には絶好の講話のようです。

 三条、志田、川井のこのお三方が山形商業サッカー部指導者の大重鎮です。乾杯の音頭を取るよう私が指名されます。私は「三条先生は昭和44年山形商業にサッカー部を創設し初代監督となりますが、その15年を遡る昭和29年山形東高3年在学中、山形東高蹴球部を立ち上げています。故に両校のサッカー部は異母兄弟という奇縁にあります」と紹介し、杯を高く上げます。祝宴に入り楽しい話をたくさん聞かせていただきました。

行列ができる!・・・山形東サッカーフェステバル

2009年08月09日 10時55分52秒 | Weblog
 恒例の山形東高サッカーフェステバルが平成21年8月8日(土)、母校グランドにOBが相集い開かれました。‘浦島太郎’のような珍しい先輩が顔を見せてくれます。

 俄雨の上がったグランドに先輩、後輩、現役が俄作りのチームでボールを追います。プレーは着想はいいものの結果が伴いません。しかし根性でそれを上回ります。息を切らしながらも暫く振りの再会に話が弾みます。私は恥ずかしながらサッカー解説の外来語を訊ねます。正浩元顧問が親切に教えてくれたあと、芳郎報道部長の試問を受けます。清野会長は駅前へ留学したけど、私は駅前の提灯しか知りません。

 フェステバルヘの参加は太田先輩(18回68年卒)は40年を経て初めて、永田先輩(23回73年卒)は10年ぶりくらいと言います。芳郎報道局長は早速情報収集を始めます。鐘馗様のような髭蓄えていますが、確か鐘馗様には頭髪があった筈?鴨田(42回92年卒)、聡由(42回92年卒)、佐藤剛(44回94年卒)の若い先輩は力強いプレーを見せてくれます。

 サッカーで汗を流したら清涼飲料水を飲み‘煮込み’を食べるのが恒例です。‘煮込み’は‘佐門’製というのも恒例です。肉に豆腐にネギそれにナンバン粉、にくい仕立てです。

 先輩達は先陣を切り会場の中庭に場所を確保します。‘煮込み’に一番合う飲み物はやっぱりビールでしょう。この満足した顔を見てください。暮れなずむ空を見やりながらもう一本とビールのお代りです。

 佐門製‘煮込み’の旨さにお代りの行列ができます。この時ばかりは先生もOBも現役もありません。「今野先生!割り込まないでください!」厳しい声がかかります。

 暗くなるまでグランドにレーキを掛けていた1年生、‘煮込み’にありつけたのかな~と心配します。残り少ない煮込みのスープにも行列ができます。

 暫く振りに参加した永田先輩が激励します。JICAの仕事柄元日本代表の北沢豪氏の協力を得て外国でサッカーを一緒にする機会がありますが、そこで感じるのは「サッカーは世界の共通語」だという興味をそそる話をしてくれます。

 三澤孝祐後期主将がOBの日ごろからの応援にお礼を述べます。月曜日からこれも恒例の蔵王合宿が始ります。現役は忙しい夏休みです。

 これもまたまた恒例の「花まる」での二次会です。珍しい顔ぶれに話は盛り上がります。今野先輩は県リーグの好成績に相好を崩します。武田先輩と哲郎先輩は改めて義兄弟の杯を交わし固い絆を確認しています。

 皆川先輩はマイペースで飲み、大沢先輩は焼酎の水割り作りに追われます。太田先輩は芳郎報道局長の質問攻めに会っています。そして「太田先輩はトランクスの下に花柄の入った女性用のパンティを履えったけずね」と秘話をばらします。「そうよ。みんなサポーター代りに履いてたよ!」と答えます。「んだよ!俺随分買いに行ったな~」とそばから秋保幹事長が相槌を打ちます。どうやら秋保幹事長が元祖らしいのです。それにしても60年代の後半はサッカーも色っぽかったんですね~。今野先輩はに珍しく眠ることなく同期チームの二次会へ移動します。「秋保先輩!正浩元顧問からただいた‘カリン酒’は何処へ行ったのでしょうね?」
[出席者]清野、秋保、太田、芳郎、皆川、岸、武田、永田、大沢、哲郎、今野の諸先輩と私

学校へ泊ろう!(8日目)・・・52年前の自転車旅行

2009年08月06日 09時57分43秒 | Weblog
1957年(昭和32年)8月6日(火)晴
   6:00 出発  余目中
   7:20 朝食  立谷沢川  飯、缶詰
   8:00 出発
   9:10 古口に入る
  11:15 昼食  猿羽根山峠茶屋 飯、サンドイッチ、牛乳、トコロテン
  12:35 出発
  12:45 休息  猿羽根山
  13:30 休息  猿羽根山より2km来て
  14:15 出発
  18:30 自宅着
    今日は案外軽快で正午までに猿羽根山に着いてしまった。ここから皆ダラダラ、ブラブラ・・・東根市神町へ来て金ちゃんの姉の家でジュース、トマトを食べる。高の研ちゃんの母の家で氷水、パン、ピーナッツを食べる。家に着いたら急に疲れが出てぐったり。
8日間の自転車旅行は終わりました。如何でしたか?食事を取るために寄る店では決まって「山形から?凄いな~残りものだけど食べて!」と言って食べ物を振舞ってくれました。宿泊した学校では先生が「一緒の蚊帳で寝よう」と声を掛けてくれました。猿羽根山峠の茶店のお姉ちゃんは、往路に我等が忘れた手拭を洗濯して何時通るかわからない我等を待っていたと聞きました。等々、沢山の人の親切と感激を身をもって体験した有意義で貴重な旅行でした。物資はなかったものの人の心は豊かな良き時代でした。今学校に泊まりに行ったら刺股で攻撃され、警察のお世話になることでしょう。この半世紀、経済性と利便性を追い求め心の豊かさを失った代償は余りにも大きいものです。

学校へ泊ろう!(7日目)・・・52年前の自転車旅行

2009年08月05日 09時52分05秒 | Weblog
1957年(昭和32年)8月5日(月)晴・くもり
   6:45 出発 松ヶ崎
   7:30 朝食 本荘市  飯、缶詰(カツオ・イワシ)
  11:45 昼食 小砂川  パン3
  12:15 出発
  15:40 夕立 遊佐町
  16:10 夕立上がる
  17:20 余目町着
        余目中学校宿泊
        夕食      飯、イカの煮物、味噌のシソ巻き、やたら漬け
    本荘市で朝食を取った時、店主のグランドバンチャンが十和田湖の伝説を教えてくれた。俺は飯を食うのに気を取られよく聞けなかった。小砂川に入って俺の自転車またパンク。昼食を取りながら直してもらう。少し進んで山形県に入ると吹浦でまたもパン、わざわざ吹浦の町に入り直してもらう。余目中では衛生室のベットに寝たが、夜中寝返りを打ってベットから転落する。一生の不覚であった。
パンクにより思うような走行距離を稼げなかった。当時の自転車はサイクリング車とか軽快車などというものはなく、スタンドも大きく全体的にがっしりした重いものでした。それに砂利道と来てるのでパンクも多く自転車業としての生業ができたのでしょう。この頃小坂一也の歌うサイクリングの歌がはやり、時折小さな子供から「サイクリング、サイクリング、ヤホーヤホー」と声を掛けられました。今は‘保健室’ですが当時は‘衛生室’って言ってたんですね。

学校へ泊ろう!(6日目)・・・52年前の自転車旅行

2009年08月04日 10時12分42秒 | Weblog
1957年(昭和32年)8月4日(日)晴
   7:00 出発  能代
   8:00 朝食  大曲  飯、缶詰(サバ)
   8:40 八郎潟を東西に分かれ走行 大曲
  11:50 追分着
        昼食      パン3
  12:20 追分発
  13:55 休息  35分
  17:00 松ヶ崎中学校着
        松ヶ崎中学校宿泊
        夕食      飯、お汁、串カツ、塩引き
    能代を出発して1時間で大曲に着く。それから店に入って朝食をとる。ここから東西に分かれ、西回りは板坂君と金ちゃんで大曲から船川経由八郎潟回りで追分へ。研ちゃんと俺はそのまま真っすぐ追分へ。研ちゃんが腰が痛いと言うのでゆっくり行ったら西回りは既に到着していた。追分で昼食を取ってからすぐ中野あたりで休憩する。
ここで特筆すべきは松ヶ崎中学校での宿泊です。先生と蚊帳を同じくして宿直室に泊まることになりました。入浴を勧められ先生の後に従うと、校庭の隅にドラム缶が立っていました。それが風呂です。まさしく露天風呂です。ドラム缶風呂にどっぷりと浸かり、日本海に沈みゆく真っ赤な太陽を見たのです。まことに素晴らしい光景で未だ脳裏に焼き付いています。

学校へ泊ろう!(5日目)・・・52年前の自転車旅行

2009年08月03日 10時06分01秒 | Weblog
1957年(昭和32年)8月3日(土)くもり・晴
   5:30 出発
   6:10 汽車  大館
        バス  毛馬内
        朝食      パン2.5
   8:40 十和田湖着
  11:20 十和田湖発 バス
  14:00 大館着
  14:10 昼食  大館  パン3
  14:30 出発  大館
  18:30 東能代で宿泊を断られる
  19:00 渟城第三小学校に宿泊
        夕食      飯、お汁、てんぷら、味噌漬け、からし漬け
  20:40 銭湯へ行く
  20:40 宿舎の学校に帰る
    発荷峠(はっかとうげ)から見た初めての十和田湖は霧雨に煙っていた。発荷峠から休屋まで行くと十和田湖はきれいに晴れ渡り、国立公園の価値は十分あった。滞在時間はほんの三時間足らずだが・・・能代市の6キロ手前あたりで俺の自転車パンクする。
十和田湖への移動は自転車ではかなわず、公共交通機関を利用しました。これにより総経費の四分の一想定外支出となりましたが、旅行が終わっての総経費は千五百円未満です。十和田湖の風景は新鮮でした。渟城第三小学校の先生は、平川木材(この当時北山形駅前に店を構えていました)の経営者と兄弟だと言って親切にしてくれました。銭湯への途中夏祭りのお囃子が耳に残っています。出発から到着まで13時間も要した忙しい一日でした。
  

学校へ泊ろう!(4日目)・・・52年前の自転車旅行

2009年08月02日 10時39分03秒 | Weblog
1957年(昭和32年)8月2日(金)くもり・雨
   7:45 出発 
   8:30 朝食 鶴形村の橋  飯、缶詰
   9:00 出発
  10:24 五分休息
  11:30 昼食 太田  パン(飯)、キリイカ、ジュース
  12:30 出発
  14:30 大館着
  15:00 大館鳳鳴高校宿泊
        夕食     飯、お汁、コロッケ、葛湯
   今にも雨が降りそうな空の下を進行。太田でにわか雨に会う。道が悪いので困難した。大館から毛馬内(けまない)まで進もうとしたが、霧雨が降っているのでここに踏みとどまる。
悪路に雨が加わり難渋した思いがある。大館鳳鳴高校は秋田県有数の進学校と聞いていた。比較的新しい校舎の宿直室に、先生と同じ蚊帳の中で就寝したと記憶する。