夜半、激しく雨が降り、風が吹いた。カミサンが今朝早く東京に戻るので起こして欲しいと言うので午前5時にカミサンを起こした。この頃には雨も上がった。カミサンは朝風呂に行き、ワタシはカミサンのために朝食を作り、6時45分にカミサンは歩いて駅に行き、東京方面に戻った。雨は止み、青空が出て来たが風が強いので引籠りだ。
数日前から種田山頭火とならぶ自由律俳句の尾崎放哉を題材にした上記の吉村昭著『海も暮れきる』(講談社、昭和55年刊)を読んでいる。で、装丁は辻村益朗さんだ。辻村さんは有名な装丁家でこれまで千冊以上の装丁を手掛けているそうだ。「えっ!辻村さん!」と思ってネットで調べたらそう書いてあった。ワタシより5歳上でご存命のようで今でも活躍しているようだ。なぜ、ワタシが辻村さんを?と言うと、実は40年以上前に、ワタシがインドで発行していたヒンディー語雑誌の表紙があまりに素人っぽく、みすぼらしいので
(ホント、素人の考える表紙だ)
辻村さんが写植で版下を作り、
ワタシに「よかったらこれを使って」と無償でくれたのだ。ありがたいことだった。おかげ様で、インドの各新聞や文芸雑誌の取り上げられたりしたものだ。(過去形。笑)1部づつ取り揃えていたが、そんな雑誌も熱海に移住する際に断捨離して1冊も残っていない。文芸雑誌や新聞に取り上げられた時の切り抜きがスクラップブックに貼ってあるだけだ。ちなみに、今年、在インド領事館領事と大阪大学外国語学部のインド人教授の御尽力で復刻版が発行されたが、ワタシのところには未だに送られて来ていないし、催促するつもりもない。ただただ、ワタシの不義理不人情の性格のために多くの人の親切を無にして来たな~~と小説の中の尾崎放哉のように滅入るばかりだ。まあ尾崎放哉と比較になるはずもない。(当たり前だ)自由律の俳句を作るわけでもなく、ただただ流れに身を任せて生きているだけのワタシなのだ。尾崎放哉とワタシがどこが似ているかというと「酒好き」という点だけだ。(笑)
風が吹き荒れ、海には白波が立ち、道を大きな葛の枯葉が音を立てて路面を風にあおられ下り行く。風が強くて日向ぼっこにも行くことができない。
気が付けば、もう
16夜(?)の月が昇っていた。カミサンに昨日買ってくるよう頼んだ250ミリの缶ビールを飲もうとしたら、超ミニの135ミリ缶だった。
缶ビール 注いでみれば コップ半分
自由律俳句と言っても、ははは、これじゃ見たままじゃん!才能なし!