おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

108 旧都電27系統(三ノ輪橋-赤羽)そして、都電荒川線

2009-07-05 16:55:53 | 鉄道遺跡
 1972(昭和47)年までに、交通渋滞解消や都財政再建、経費削減のため、それまで東京23区内に多数存在していた都電の路線(35路線)は、順次廃止されていきました。しかし、「荒川線」だけは、唯一の存続路線として残りました。路線に多くの専用軌道があったこととと沿線住民・地元の存続への強い要望もあったことが存続の大きな理由です。
 荒川線の前身は、明治44年開業の「王子電気軌道株式会社」。1942(昭和17)年、東京市に統合され「市電」となり、翌年の都制施行により都電となりました。もともとは、27系統(三ノ輪橋-赤羽)、32系統(荒川車庫前-早稲田)として別々に運行していました。
 1974(昭和49)年には27系統と32系統を一本化(三ノ輪橋-早稲田)し、名称を荒川線と改めて存続することになったものです。廃止されたのは、北本通り上にあった、27系統の一部(王子駅前 - 赤羽間)だけでした。
 車道と区分されていない純粋な併用区間は、明治通り(国道122号)上を走る王子駅前 - 飛鳥山間だけ。以前は、小台 - 宮ノ前間にもありましたが、道路拡幅に伴い車道と線路が別々になり、小台 - 熊野前間の道路中央では、センターリザベーション方式で通っています。それ以外の区間は大部分が専用軌道です。
 なお、27系統終点の「赤羽」は、JRの赤羽駅前ではなく、環八通りと北本通りの「赤羽交差点」(現在の信号機名は、「赤羽」)付近で、現在の東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線「赤羽岩淵」駅地上付近(北側)の北本通り上にありました(現在、北本通りと赤羽駅南口に向かう、広い道路との交差点名「赤羽岩淵」のところではないので)。
 写真は、その終点付近のロータリー跡。写真の左手、交差点の手前が終点の駅でした。JRの駅からはちょっと離れた北東の位置にあります。交差点右手の角には、現在、高層マンションが建設中。北本通りは、右に大きく曲がって「新荒川大橋」を渡り、埼玉・川口方向に向かいます。正面の道路は「環八」。
 ところで、都電が盛んに運行されていた頃は、王子駅からの北本通りと明治通りとは、直接つながっていませんでした。現在は、「尾長橋トンネル」で結ばれていて、以前のような渋滞は解消されているようです。
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