おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鈴木清順監督の死を悼み。再掲「ツィゴイネルワイゼン」。

2017-02-22 21:51:16 | 素晴らしき映画
 鈴木清順さんが逝去。前衛的な作品・作風が魅力的でした、改めて。以下、再掲。2012/12/07。 

鈴木清順監督作品。生と死の狭間を遊興する二人を取り巻く女性達。
 サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』のレコードが再生されているシーンから始まる。内田百閒の作品をもとにして構成されている。

 ドイツ語学者・青地豊二郎はとある海岸で友人の中砂糺(元同僚。女性を殺して海に投げ込んだ罪で警官や漁民に追求されているときに)と落ち合い、二人で旅をする。3人連れの盲目の門付け芸人たちの登場(画面の後半では子供達になっている)。
 青地と中砂は宿をとり、葬式を終えたばかりの小稲という芸者を呼び、中砂との肉体関係が成立する。歳月が流れ、結婚した中砂を訪れた青地は、新妻の園を見て、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのに驚く。
 青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している「ツィゴイネルワイゼン」のレコード、この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ、それを聞かされる。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかった。
 中砂は再び旅に出る。その間に、中砂の妻の園が豊子という女の子を産む。青地は青地の妻・周子の妹で入院中の妙子を見舞う。妙子は幻想をよく見るらしく、周子と中砂の密会を告げる。
 その後、中砂から園の死と乳母を雇ったという。中砂家を訪れた青地は、乳母を見てまたしても驚かされた。死んだ園にそっくりな、芸者の小稲だった。
 再び旅に出た中砂は、旅の途中で薬物中毒によって死ぬ。
 ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいとやって来る。難解なドイツ語の原書だった。またしばらくして小稲がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。青地はそれを借りた記憶はなかったが、周子が中砂からそのレコードを借りて穏していたことが分り、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねる。
 父・中砂を記憶していないはずの娘の豊子が毎夜彼と話をするという。家を出た青地は豊子に出会った。意味不明(台詞回しが怪しくて)の言葉を発する。豊子は死んだはずだったが・・・。

 内田百閒原作の「サラサーテの盤」を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として、田中陽造が脚色し、鈴木清順監督が映画化した作品。(「Oricon」データベースより)ということになるのか。
原作である内田百閒の作品自体(登場人物の名は、映画と同じく「中砂」。)も、夕刻時分の、夢か現かまどろみの世界のようで、語り手のみならず読者も背筋が寒くなるような印象。さすが内田ワールド、短編ながら独特の奥行きをもっていて、次第に語りの世界に引きずり込まれる。
 
 映画は、ストーリー云々ではなかった。ところどころにちりばめられたエロチックな描写(中砂の目に入ったゴミを真っ赤な舌でなめ取る。はだけた胸に点々と浮かぶじんましん。腐った桃にかぶりつく。これらはすべて周子の映像。大谷直子はそれほどインパクトのある演技は最初の方だけだったのが、残念)。一方では、海岸の砂に半身を埋めてヨガのポーズをする中砂・・・。監督が心のおもむくまま(幻想)に描いた作品、という感想。
 撮影場所が鎌倉、「切り通し」(冥界につながるというイメージなのか)の雰囲気がよく出ていた。大収穫。
《配役》
中砂糺:原田芳雄
中砂園、小稲(二役):大谷直子
青地豊二郎:藤田敏八
青地周子:大楠道代
妙子:真喜志きさ子
先達(盲目の門付け芸人):麿赤児
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「さざなみ」。シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ。

2016-04-23 20:54:36 | 素晴らしき映画

 久しぶりだね。お元気でしたか? 

 花粉症も何とかおさまったわよ。昨日まではマスクしてた。

 元気なことは何よりさ。さてとこの裏の方にあるはずだが。

 それよりもショック受けたわよ。貴方もご存じの彼女がさ、腫瘍が発見されたって。どうも手術も大変なところらしいの。神経に障って痛いらしい。

 そう、メールがあったのか。返信するのもどうやって送っていいやら。・・・

 人生、いろいろあるわねえ。この年になるとね。

 どうする? 映画見る気分じゃないかな。疲れているみたいだし。

 いえ、昨日は遅くまでテニスを見てて眠いだけよ。

 ここ、ここ。けっこう並んでいるね。女性客が圧倒的だ。レディースデイだからかな。

 今日が最終日みたいよ、それもあって混んでいるみたいね。

 主演の女性、僕らと同い年くらい。前に「スイミングプール」というのを見たことがあった。存在感のある女優だったよ。

 ふ~ん。2人で2200円、あら、2500円出したら、450円のおつり。
 

 銀座4丁目。「山野楽器」の裏手にある映画館。初めて入る映画館「シネスイッチ」で「さざなみ」。満席。

《あらすじ》

 老夫婦ジェフ(79歳)とケイト(70歳)。どちらもとっくに勤めを終え、郊外の自然豊かな土地で余生を楽しんでいる。
 結婚45周年を祝うパーティを土曜日に控えている。その週の月曜日、ジェフのもとに1通の手紙が届く。それは、1962年(50年前)にスイスの氷河に落ちて行方不明になったジェフの恋人の遺体がそのときのままで発見されたというものだった。
 それ以来、やめたはずの煙草を吸い始めたジェフはドイツ語の辞書を引きつつ、手紙を繰りながら、その恋人との山行の記憶を妻に語り始める。



 妻のケイトは寝ても覚めても、次第にこの世にすでに存在しない元恋人への嫉妬とともに夫への不信感を募らせていく。
 45年間の夫婦生活。が、自分たちには子どもはいないし、二人の思い出の写真もほとんどない。しかし、ジェフは細かな山行の記録、そして恋人が妊娠しているかのようにお腹をさする写真をスライドに残していた。それを目にしたケイト。



 土曜日、パーティが開かれる。妻への感謝の言葉を述べるジェフ。ラストで、二人の思い出の曲、プラターズの「煙が目にしみる(Smoke Gets In Your Eyes)」をバックに踊る二人。踊り終わる寸前にとったケイトの行動。・・・



《原題》

45years

《スタッフ》

監督 アンドリュー・ヘイ
原作 デビッド・コンスタンティン
脚本 アンドリュー・ヘイ
撮影 ロル・クローリーマン

《キャスト》

シャーロット・ランプリング=ケイト・マーサー
トム・コートネイ=ジェフ・マーサー
ジェラルディン・ジェームズ=リナ
ドリー・ウェルズ=サリー
 ・・・

 ふー。さて飯でも食うか。

 ここにしようよ、中華料理がいいわ。点心が食べたいから。

 45年間の夫婦生活って何だったんだろう。ま、単純に「女の嫉妬は、げに恐ろしきかな」、てな感じって言っちゃあ、身も蓋もないけど。

 う~ん、何とも言えないけど、一気に見させてくれたわね。

 だって、まともに一人で出歩けない老人がスイスになんか行けるはずがないじゃない、それでも旅行会社まで行って確認するし、それは別の人物なのに、夫の行動にますます疑いを持つ。

 男の過去への執着ぶりも並大抵ではないわよ。図書館から地球温暖化の本まで借りてきて。発見されたいきさつが知りたかったのね。

 映画の原作はそういうことに近い事実をもとにしているらしい。

 夫婦がお互いに持っている秘密なんて、最後までしまっておくものよね。

 となるはずが、その微妙な心の均衡が意図せずに突き崩されてしまったときに、さてどうなるか、って。

 いずれ遺品整理のときにばれるけれど、そのときは死人に口なしでおしまい。でも、ショックはショックだわ。

 その手紙が届いて動揺する夫。新婚の頃を懐かしみ、ダンスをしてその勢いでベッドに入るんだけれど、男は役たたずじまい。



 そうりゃそうよ、年を考えれば当たり前よ。期待する方が無理よ。

 そうじゃなくて、やはり恋人のことが忘れられなくて、それでますます妻は疑心暗鬼になっていく。

 そんなの考えすぎ。女はとっくに諦めているわよ。さっぱりしたものよ。

 でも、突然、夫が行動的になるのをいぶかしむ妻の表情はすごい迫力だった。

 スイス時計の店をのぞいて、一瞬買う気になっても、結局買わなかったわよね。

 車のラジオから流れてきた曲を聞いて、すぐにスイッチを切っちゃうし。 

 ラストはどう考えたらいいのかしらね。

 観客の思いに委ねられているのだろうけれど。

 結局、二人はそのまま夫婦生活を続けると思うわ。今更って感じがするし。

 でも、深いわだかまりは残しつつってことかな。 

 さざ波が大波になってしまった、取り返しが付かない。

 う~ん。さざ波がかき乱されて大波になったけれど、また穏やかな水面に戻っていくんじゃないかな。

 でも、邦題の「さざなみ」はみごとよね。「45周年」じゃ面白くないもの。

 車の運転が日本と同じで安心して見ていられた。英語もきれいで聞きやすい英語で、何とか・・・。

 イギリスの自然っていいわよね、いつも霧がかかっていて、もやっとしている。そんな雰囲気にぴったりの映画だったわ。

 運河に舟がさざ波を立てて通り過ぎる、そのあとはまた静かな流れになる。暗示的な手法かな。

 ダンスのシーンでも、二人の姿を他のカップルが踊りながら隠すと、その後はケイトの表情や手の位置が微妙に変化している

 ラストソングの「煙が目にしみる」は実は失恋の歌なんだ。恋の炎ってわけさ。

 煙草の煙が目にしみる、というわけではないのね。

 ところで、こっちも期待に応えられるように、せめて腹筋でも鍛えておくかな。

 私が上でもいいけれど、腹筋弱いのよね。・・・何、ばかなこと言わせるの。 

(画像は、「YouTube」予告編より)
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「ヴィオレット-ある作家の肖像-」(岩波ホール)

2016-01-30 22:13:52 | 素晴らしき映画

 今年初めての、というか久々の映画鑑賞でした。誘われて「岩波ホール」へ。ほとんどが中年以上の女性達。中には男性の姿もちらほら。老夫婦の方々も。平日の午前11時なのに、けっこうな人出。

 2時間20分ほどの上映時間でしたが、時間が経つのも忘れて映画にひたる、なんて、本当に久々の体験。



 パンフレットでは、

 1907年、ヴィオレットは私生児として生まれた。母親からの愛情に飢え続けた彼女は、やがて小説を書き始める。ボーヴォワールに才能を認められ、彼女の助けを得ながら、戦後間もない1946年に女性として初めて自らの体験や性を赤裸々に記した処女作『窒息』を刊行。しかしカミュやサルトル、ジャン・ジュネといった大物作家の支持を得たが、社会からは受容されなかった。傷つき果てたもののボーヴォワールの支えによって再びペンを取った彼女は、パリからプロヴァンスに向かい、新作『私生児』を書き始める。母との関係、愛の渇望、ボーヴォワールとの関係、……ヴィオレットは人生のすべてを注ぎ込むようにペンを走らせていく。

とありましたが、どういう内容の小説を書いたのか題名も含め、まったく知りませんでした。私が知らないだけでなく、多くの人から、ましてや日本ではほとんど知られていない、ある意味、すっかり忘れ去られた作家だったのでしょう。
 この映画に登場するカミュやサルトル、ジュネ、そして最大の理解者、ボーヴォワールはその作品にも少しはふれたことがありますが。

 ストーリーはなかなか巧みにつくられていて、主人公の葛藤、屈折、憤怒、甘え、挫折、成長をスリリングに描いています。

 私生児として生まれ、子ども時代から母親の愛情に飢え、それでいて母親との縁を断ち切ることができない。かつては裕福な家庭に育った人間が闇商売をしながら、ゲイの男友達との愛憎半ばする生活。その中で、自らの生きた(生きている)証しとして記録することを勧められ、ペンを執る。ここから彼女の世界が広がっていきます。

    

 自らを語る中で、自らの心の奥底が開けていく。しかし、それは簡単な道筋ではありません。ボーヴォワールと巡り会い、励まされながらも、華やかで美しいボーヴォワールに対するコンプレックス・・・。悶々とする日々が続く。
 ヴィオレットの自伝的小説が出版されますが、赤裸々な性や感情を語る内容の本は売れない。それでも、書き続けます。精神的にもろく、容貌も美しくはない(そんな劣等感を持つ)中年女性作家。その彼女の才能を認め、金銭的に援助してくれる人間の存在・・・。
 戦争中でありながら、同棲中の男がドイツで殺された、という挿話以外は、まったく第二次大戦・対独戦、ヨーロッパ戦線という苛酷な様相はどこにも登場しない。唯一、闇商売で生活をする、ということくらいか。
 そういう意味では、時代状況に翻弄されながらも徹底して確固とした「自分」を確立しようと悪戦苦闘する他の登場人物も同じです。

 彼女に関わる人や土地の名が章立てになって進行します。使われている音楽は、室内楽。心地よく響く弦楽器・・・、バックミュージックに引き込まれます。ラストの方でかなり通俗的な曲が流れてきたのには、がっかり。でも、そろそろ終幕になるかな、と安心感を与えてくれましたが。

 フランスの豊かな自然、様々な表情を見せるフランスの都会の街角、戦前、戦後と人事は移ろいを見せても、一貫した美しさ、伝統を秘めた世界。フランス語の美しい調べも含め、久々にフランス映画の神髄を味わった感じです。



 真実ほど誠実なものごとはない、かな。

 映画の後は、少し歩いて「水道橋」駅近くの「庭のホテル東京」で食事。落ち着いた雰囲気のホテル。知りませんでした。中庭の小さな池に小鳥が。・・・

 今年もいったいどういう出逢いがあるでしょうか? 人生、つくろわず、おもねらず、あるがままに生きること。もちろん難しいけど。では、また。
 
 注:写真は、「予告編」(YouTube)より
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「LUST,CAUTION(色|戒)」(古きよき映画シリーズ。その52。)

2015-07-29 23:22:41 | 素晴らしき映画
 久々に映画を。

 2007年公開の『ラスト コーション』(原題: 色・戒)。

《監督》
アン・リー

《キャスト》
トニー・レオン:易(イー)
タン・ウェイ:王佳芝(ワン・チアチー)= 麦(マイ)夫人
ジョアン・チェン:易夫人
ワン・リーホン:鄺祐民(クァン・ユイミン)
・・・

 アイリーン・チャン原作の小説「色・戒」を映画化。第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、金獅子賞と金オゼッラ賞(撮影賞)を受賞。第44回金馬奨にて最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞(トニー・レオン)を受賞。
 舞台は第二次世界大戦中、日本軍の支配下にあった上海。中国人でありながら日本の傀儡政権である汪兆銘政権の下で、抗日組織の弾圧を任務としていた男とその暗殺計画に係わる若い中国人女子学生工作員との愛憎を描いた物語。

 映画の冒頭のシーンに登場するのは、イー夫人達と麻雀に興じている若く美しいマイ夫人。しかし、女子学生が貿易商の夫人と偽って接近するというのにはかなり無理がある話。麻雀はすこぶる弱いし、身につけているものも高級なものとはいえず、またその仕草も上流夫人とは思えない(たとえば、コーヒーカップに口紅をべったりつけたままだったり・・・)。それはすでにイーには見抜かれていたのではないか。にもかかわらず、あえて接近させた(自らの命を狙っていることを承知の上で)。所詮、大学生達の、拳銃の扱いにも不慣れな「遊び事」に過ぎなかった。案の定、失敗してしまう。

イーとの性行為を意識して友人にはじめて身をまかせる。

 それから3年、学生として再び学んでいるチアチーはかつての学生仲間と再会し、密かに心を寄せていた男の誘いに応じて、イーの命を狙うように工作員として活動することになる。舞台は香港から上海に。この時のチアチーは、イーへの屈折した思いが(再び会うことへの)あったのではないか。かつて失敗した貿易商夫人という想定では、相手方にバレるのも必定にもかかわらず。
 こうして再び接近してきたチアチーに対して、イーはレイプまがいの行為を行う。それをきっかけにチアチーとイーの関係が進んでいく。おそらくイーには、色仕掛けで迫るという女スパイの存在を知っていた。しかし、イーの内面はどうであったか。
 それからイーとチアチーはお互いを激しく求めあう。イーとの情事を重ねていく中で、次第にイーへの愛が目覚めていく。



 一方、日本料理店でチアチーが歌った中国の歌「天涯歌女」を聞きながら、イーが涙したのは、何を意味するのか。イーが中国人としての自分を考えた瞬間?



 高価なダイヤモンドを受け取るため二人で宝石店で出向くように仕組み、イー襲撃の包囲網が思い通りに進んだ時、チアチーはイ-に唇の動きでその危険を知らせる。
                                       察知し、すばやく逃げるチー。・・・

 その時点で計画は失敗し、チアチーはあえて仲間達と一緒に処刑される道を選ぶ。

処刑を認めたチー。

 二人のセックスシーンは、「ラストタンゴ イン パリ」での暴力的な性行為に及ぶシーンを彷彿させる。さらに「愛人(ラマン)」の場面をも。

    

 上映当時、二人の赤裸々な性愛シーンが話題を呼んだが、生か死かの(選択を強いられる)極限状況にある二人。それは、戦争という国家の存亡の危機にある時代状況という制約下。
 権謀術数のうずまくスパイもの、という括りにはあるだろうが、当時の中国・上海の国際上に置かれた立場、反日、親日の立場を越えた民族意識、錯綜した男女の思いを描いている。
 雑踏、建物、車、衣装、身だしなみ、風俗、日本人、・・・当時の上海の雰囲気をよく伝えている。そういった面でも興味深い作品になっていた。



(映像は、「YouTube」より。)
  
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「失楽園」(古きよき映画シリーズ。その51。)

2014-06-28 23:00:41 | 素晴らしき映画
 1997年5月10日公開。

《スタッフ》

監督:森田芳光
制作総指揮:角川歴彦
脚本:筒井ともみ
音楽:大島ミチル
・・・

《キャスト》

久木祥一郎:役所広司
松原凛子:黒木瞳
衣川和記:寺尾聰
松原晴彦:柴俊夫
久木文枝:星野知子
知佳:木村佳乃
・・・
 出版社の敏腕編集者である久木祥一郎(役所広司は、突然、編集の第一線から閑職の調査室配属を命じられた。そんな久木の前に、友人・衣川(寺尾聡)が勤めるカルチャーセンターで書道の講師をしている松原凛子(黒木瞳)という美しい人妻が現れる。彼女は折り目正しく淑やかな女性だが、久木の強引でひたむきな恋の訴えに、やがて彼を受け入れた。そして、週末毎に逢瀬を重ねていくうちに、凛子はいつの間にか性の歓びの底知れない深みに捕われていく。
 二人の関係は次第にエスカレートしていき、凛子の養父が死んだ通夜の晩、久木にせがまれた凛子は、夫や母親の眼を逃れて喪服姿のままホテルで密会した。凛子は罪悪感にさいなまれるが、それはかえってふたりの気持ちを燃え上がらせる。
 やがて、久木は密かに都内にマンションを借り、凛子との愛の巣を作り上げた。
 凛子の夫・晴彦(柴俊夫)は興信所の調査で妻の不貞を知る。晴彦はあえて離婚しないことで凛子を苦しめようとし、一方、久木の妻・文枝(星野知子)は離婚してほしいと要求した。
 家庭や社会からの孤立が深まっていく中、二人だけの性と愛の充足は純度を増していく。
 そんな折、久木の会社に彼の行状を暴く告発文が送られてきた。久木は、それをきっかけに辞職を決意し、文枝との離婚も承諾する。凛子もまた晴彦や実母との縁を切って、久木のもとに走った。
 「至高の愛の瞬間のまま死ねたら」という凛子の願いに共感するようになった久木は、誰にも告げず、二人でこの世を去ろうと決意する。雪深い温泉宿へ向かった久木と凛子は、激しく求め合ったまま、互いに毒の入ったワインを口にした。
 後日発見されたふたりの心中死体は、局所が結合したままの愛の絶頂の瞬間の姿であった。







 原作の小説「失楽園」は 2014年(平成26年)4月30日に亡くなった渡辺淳一さんの作品。有島武郎と波多野秋子が軽井沢の別荘(浄月荘)で心中した事件を題材にした。
 小説やTVドラマが空前の話題作となってヒット。その映画化。「R15指定」。二人の性愛のシーンがかなりの評判に。

 が、今まで、この方の作品は、原作を読んだこともTVや映画化されたものも見たことがなかった。今回、遅ればせながら、上映当時大きな話題になった作品を鑑賞。
 作家としてかなりの地位を占め、他にも女優などとの艶聞で話題になっていた、くらいの印象。小説やエッセイの「売り」方が実に巧みな作家だなあ、といういささか冷めた感想を持っていたので(同じような意味では村上春樹も嫌いです)。

 あまりにも通俗的なストーリーの展開(原作を読んだことのない小生でも先が読める)、伏線も見事に決まる!のには驚きました。今や、そんな印象。
 もちろん、もともとの題材が「姦通罪」が存在していた戦前の心中事件を現代に移したわけですから、違和感があるのも当然。ただ、最後のシーンは衝撃的と言えば衝撃的。これがなかったら、「単なる」不倫の果ての「心中」もの。
 ただ、有島のときもそうであったように、女性の、心中への積極的な願望、働きかけ。それに応じ共に死出の旅に出る「男」の心。回想的に人生を反芻する雪のシーン、死ぬ二人の上に積もる雪、叙情的ではありました。


 きっかけは男の積極的なアプローチから始まった不倫劇が、いつしか攻守、所を変えて女性が積極的に全てをなげうっていく、そこに男の一貫した同意こそあれ、家族や仕事への執着や葛藤などは描かれない。
 たしか友人が大切なものとして「家族」「仕事」をあげたときの主人公の表情が印象的ではありました。愛する女のために、どの男もこだわる仕事も家庭も捨てること、人生そのものも未練なく捨ててしまえる。そういう男性像に女性ファンはしびれたのでしょうか?

 原作の小説の後半の多くは自殺現場調書の引用で占められている、らしい。それを一気呵成にはしょって映画化・映像化したのは、見事(2時間近くの作品に)です。
 自らの性的(情愛的な)願い(理想あるいは現実)を映し出す、それでいて、日本の伝統文学ジャンル「私」小説を乗り越えようとする、エンターテイメント作家の面目躍如たる部分を映像化することで、より確かなものにした感がします。もちろん映像化されることを企図したものであったようですが。

 80年の人生を通じて実に、個人的な葛藤をさしおいて、「憎くたらしい」男を演じ続け、たくさんの作品を残した渡辺淳一さんでした。

注:映像はすべて「YouTube」から借用しました。
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「DIARY OF A SEX ADDICT(DIARY OF A NYMPHOMANIACT)」(古きよき映画シリーズ。その50。)

2014-01-24 23:35:32 | 素晴らしき映画

邦題「セックス依存症の私」。
原題:「DIARIO DE UNA NINFOMANA」2008年・スペイン(97分)
監督:クリスティアン・モリーナ
脚本:キュカ・カナルス
原作:ヴァレリー・タッソ「Diario de una Ninfomana」(作者のヴァレリー・タッソが、高級娼婦として働き、その経験に基づいて書き下ろしたベストセラー小説。2003年 出版)。
(「Amazon」より)

出演:ベレン・ファブラ/レオナルド・スバラグリア/ユム・バレラ/ジェラルディン・チャップリン/アンヘラ・モリーナ/ペドロ・グティエレス

《あらすじ》

 知的な雰囲気をもつ、キャリア・ウーマンのヴァル(ベレン・ファブラ)は、初体験のときに性的な快楽を強く感じ、それ以後、セックスなしではいられなくなってしまった女性。いわゆる「セックス依存症」。

 性衝動を抑えることができず、次々と男性との関係を持っていく。

 一方ではそのことで悩む彼女にとっての唯一の理解者は祖母(ジェラルディン・チャップリン)だった。あるがままの自分を受け入れ、社会からの偏見など気にせずに人生を楽しむように語りかける。

 しかしその祖母が亡くなり、彼女はいっそう孤独感に陥る。
 就職活動を通じて金持ちの会社社長・ハイメ(レオナルド・スバラグリア)と知り合う。

 ヴァルは心の安らぎを得るが、嫉妬深さを次第にエスカレートさせるようになったハイメ。
 彼を半狂乱にさせてしまったのは、自らの過剰な性的欲求によって相手を傷つけていたせいなのではないか、と。結局、ヴァルは彼と離別することに。
 ヴァルは、抑えきれない性的な欲求を娼館で働くことで満たそうとする。

 しかし、そこでの自分はあくまで男の性的な所有物でしかないことを思い知る。

 そんな時、下半身不随の客と出会う。その男は、ヴァルに自分の生き方を大切にすべきだ、と。
 
 ヴァルは娼館をやめて、自分らしく(自分の思いのままに)生きようと決意する。
 


 邦題(原題)から想像するようなポルノ映画ではありません。「セックス依存症(中毒)」の女性、さぞかし過激な・・・、というような興味本位のみで観ることができない内容。もちろん、セックスシーンが多いのは当然ですが。
 自分の生(性)的傾向性をどう見つめ、対峙していくか、いっときのはやり言葉で言えば(まったく好きな言葉ではありませんが)「自分」探し? というテーマをもつ映画になっています。
 その分、主人公をとりまく背景(成長過程、家族関係、「依存症」に陥る精神的背景・・・)等への描写がないのが残念。それがあると、もう少しフロイト的で、ミステリーぽい展開があったかもしれません。
 性に目覚めたときから自らの、人と異なった(他者と比べて異常なほどと自覚され、それが罪悪感などを伴う)性向を持った女性の生き方が、語り(モノローグ)、回想、日記を書くシーンなどを巧みにちりばめて、豊かな色彩と静かな音楽を背景に、感情豊かなシーンが紡がれていきます。


《性(セックス)依存症》
 主に性行為(性交渉)への依存が多いため、「セックス中毒」とも称される。
 原因は、性的虐待によるストレス、幼少時に適切に愛情を与えられなかったなどの空虚感を性的快楽を得ることで埋めようとし、行為は空虚感からの逃避や自己肯定の手段が主で、依存へと駆り立てる本当の心理的動機に目を向け治療しなければ、その行為を繰り返してしまうと言われている。
 依存する対象は実際に相手のある性交渉だけでなく、自慰行為やポルノへの過度な耽溺および収集、強迫的な売買春、乱交、露出や覗き行為、性的ないたずら電話、インターネットを介したアダルト・チャットなど全ての性的な活動が考えられる。
 依存者はそれらに性的な興奮や刺激に溺れることが習慣化し、徐々に自己コントロールを失っていく。ギャンブル依存や買い物依存などと同じく「行動への依存」に分類される。
 性依存症は1970年代から主にアメリカで研究されてきたが、1998年にクリントン大統領の不倫スキャンダルが性依存症に起因したものであるという説が取り上げられて以来、一般での認知度が急激に高まった。近年ではアルコール依存や薬物依存、ギャンブル依存(賭博依存)と並び代表的な依存症であるという考え方が広まりつつある。
 日本国内においては、性依存症は認知度が低く、興味本位の記事として取り上げられることが多い。
 「性的な行動への依存」を依存症のひとつとして位置づけるのかどうか、また、どのあたりに「正常」と「依存症」の境界を引くかなどで、長い間論争が続いている。「依存症」ではなく、行動制御障害であるという論もある。また、性依存症という概念を一切認めないとする考えを持つ人々も存在する。
 アルコール依存症やギャンブル依存症などが疾病及び関連保健問題の国際統計分類で正式な病気として認定されているのに対して、性依存症は病気としては公認されていない。
 浮気をしても性依存症という病気だと言えば罪が減免されるため、浮気や不倫の言い訳として用いられる場合もある。
 他の依存症と同じく、性依存症にも患者による自助グループが存在する。 欧米では州ごとに多数存在すると見られる。 国内でも小規模ではあるが、首都圏にグループがあり、定期的に集まるなどして個々に快復へ向けた活動を続けている。
 性依存症であること、または過去に性依存症の治療を受けたことを公表している著名人には、ビル・クリントンのほかにハリウッドの俳優であるマイケル・ダグラスやロブ・ロウ、ビリー・ボブ・ソーントン、エリック・ベネイ、チャーリー・シーン、デビッド・ドゥカブニーなどがいる。 2009年11月、米国の有名プロゴルファータイガー・ウッズの不倫騒動でこの性依存症という言葉が一躍広まった。
(以上、「Wikipedia」参照)

 ただ、上の人名からも知れるように、「性依存症」は、統計的には女性に比べて男性が圧倒的に多い、とされています。一方で、女性の方が公表・言い出しにくいという側面も考慮しなければならないようです。

※画像はすべて「YouTube」より。
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「ダニー・ケイとニューヨークフィルの夕べ」(古きよき映画シリーズ。その49。)

2013-12-07 20:53:06 | 素晴らしき映画
 ダニー・ケイ(1913-1987)が亡くなってから26年。そして、今年が生誕百年。


 映画「5つの銅貨」(実在のコルネット奏者レッド・ニコルズの奇跡的なカムバックを軸とて、彼と妻ボビー、娘ドロシーとの家族愛を描いた映画。)を観て、とても感動。コメディアンというくくりではとらえられない俳優。人情の機微を直感的につかむことができるセンスにはついこちらも引き込まれ、その音楽性の高さと洒脱な演技についほろりとさせられました。
 そうした人情味のあふれるシーンがこの映像でも、随所に見られます。
 「自分は楽譜を読めない」と公言していますが、

 しかし、数多の名手がいるニューヨークフィルハーモニックを手玉にとり、手中に収めていく、その音楽的センスはお見事。合間、合間の語りも抜群。これぞ稀代のエンタテイナーという印象。指揮の身振り手振りはお見事。巧みに指示し、強弱などのつけかたなど、演技力はまさに天性のもの!

 団員も負けずに乗りに乗っての演奏。

 「YouTube」にUPしてくれた方がいて、それをまたまた見させてもらいました。本当に何度観ても飽きません。10に分割してUPされていますが、日本語字幕付きで、十分に楽しめます。実に楽しい「クラシック・コンサート」。
観客みんなを巻き込んでの演奏会。

終幕近く、ニューヨーク・フィルの常任指揮者・音楽監督のズービン・メータメータを呼び、絶賛。

 トランペット4人とダニーケイのスキャットによる、「ベニスの謝肉祭」のブラスバンド(スウィング)アレンジ

 ハエ叩きを持って「リムスキー」さんと「コルサコフ」さん(もちろん冗談ですが)の「熊蜂の飛行」を指揮する


 お得意のコミカルな演技で聴衆を楽しませる見所が、盛りだくさん。
 演奏の合間に、団員の中にいる韓国人、日本人に近づき、「アリラン」「狸囃子」というそれぞれの民謡を二人で歌うシーンなども出色。

最後は、「星条旗よ永遠なれ」ですが、まさに、すべての国々の人間を受け入れる、古き良き、自由な国・アメリカを称讃しています。(彼自身が、移民の子どもでした。)

・・・


 1981年9月に行なったニューヨーク・フィルとの演奏会『ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ』。

 かつては、同名のタイトルでVHSやレーザーディスクで発売、貸し出しされていましたが、現在は廃盤、中古品が高値で取り引きされている、らしいです。

 名作『五つの銅貨』と同様、何とかDVD化してほしいと思います。

※画像は、すべて「YouTube」より借用。

 それにしても、「古きよき」などと「郷愁」にひたっているだけでは何とも歯がゆい、今の世の中です。日本しかり、アメリカしかりですが。
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「暗殺の森」(古きよき映画シリーズ。その37。)

2013-09-07 16:55:07 | 素晴らしき映画
 原題: Il conformista「同調者(体制順応主義者)」。原作はイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの小説『孤独な青年』。邦題は(この映画にかぎったことではなく)集客のためではあるが、映画全体のテーマとずれていると感じる場合がある。
 暗殺シーンが雪の中の森で行われたことにあるからなのだろうが・・・。
 当時の、ドイツ・ヒトラーと呼応したイタリアのムッソリーニ・ファシスト体制に順応した男の生き様を描いたもので、原題のままの方がいいのではなかったか?

 哲学講師のマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、同性愛者の男に性的関係を強要され、射殺した過去を持っている。父は、発狂して精神病院に、母は若い愛人と退廃的な生活をしている。
 盲目の友人でファシストのイタロのすすめでムッソリーニ・ファシスト党の一員となった彼は、大学時代の恩師で、パリに亡命中の反ファシスト運動者のクアドリ教授の身辺調査を命じられる。。
 マルチェロは婚約者のジュリア(ステファニア・サンドレッリ)との新婚旅行を名目にパリへと向かう。マルチェロたちは、教授夫妻に歓迎される。マルチェロはクアドリの新妻アンナ(ドミニク・サンダ)に惹かれ、目的を見抜かれてしまうが、関係を持ってしまう。途中で、クアドリを暗殺することの指令が届く。
 マルチェロはジュリアからクアドリ夫妻が別荘へ向かうことを聞かされる。マルチェロはクアドリ夫妻の車を追うが、道中で他の秘密警察たちによってクアドリは刺殺され、アンナは、マルチェロの乗った車まで逃げてきたが、マルチェロは拒絶し(銃声が2発発射される)。絶望的に逃げ惑うアンナは死んでしまう。目の前で行われたテロに、マルチェロは車内から冷然と見ているだけであった。
 数年後。ムッソリーニ政権が崩壊し、ファシストの時代も終わりを迎えた。ファシストとしてそれなりの地位にあったマルチェロ夫妻にはすでに子どもがいる。妻との関係は冷たい。
 ファシスト狩りを恐れる友人イタロに呼び出されたマルチェロは、二人で夜の街を歩いているとき、かつて少年時代に銃殺したはずの男の姿を目撃、クアドリ襲撃班の一員でもあったことに気づく。衝撃を受けたマルチェロは、群衆に向かってその男とイタロがファシストの一員であると叫ぶ。・・・ラストは、ホモの若い男のもとにうずくまるマルチェロ。静かに古い歌が流れる。

マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)
ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)
アンナ(ドミニク・サンダ)

監督・脚本
ベルナルド・ベルトルッチ
原作
アルベルト・モラヴィア
『孤独な青年』

 この監督は、『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ラスト・エンペラー』など話題作を発表している。
 
 ※画像は「予告編」(youtube)より。

 展開は、過去と現在が絡んでおもしろい。さらに1930年代の設定でここかしこにそうした時代背景を描く事物が映像化されていたが、現代的な舞台装置、ショットも、斬新な印象。精神病院に入院している父との面会場面での無機質な空間。遠景のエッフェル塔と手前の広い石畳(まだドイツナチスに占領されない頃の)パリのブルジョア的な華やかさと荒涼とした状況が対照的。
 また、白と黒のコントラストが有効に用いられ、帯状の光の陰影、直線的・幾何学模様など随所に登場。
 その他、人物を斜めに俯瞰するショット。雪の森の中での殺害シーン(映像の美しさ?に負けて人物の動作、表情が今ひとつ。撮影も大変だったのだろうが)。ラストの洞窟のような場所も、教授の暗示的な発言と呼応している。
 斬新なセットとカメラワークが魅力的。戦前の人間描写や風景描写というよりも、監督の今の(映画製作当時の)心象風景にこだわったつくりでした。映像、衣装、音楽・・・、細部まで計算された演出でした。

 中華料理店でのクアドリ教授夫妻との会食シーン。それぞれ器用に箸を操っていましたが、ジュリアだけは箸を両手で食べ物を切り取っているだけで口に持っていっていないような・・・。
 今や懐かしい歌となった労働歌「インターナショナル」がスミレの花売り親子の歩きとともに流れてきたのには、びっくり。
 
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「風立ちぬ」(宮崎駿)ジブリ

2013-08-24 23:48:12 | 素晴らしき映画
注:ポスターは、より拝借しました。
 実は宮崎駿さんの作品を劇場で観たことはなく、すべて我が家のTV(ビデオ)で。それも途切れ、途切れで。今、映画館で観るアニメは孫にせがまれてみる「ドラえもん」「ポケモン」くらい。

 今回の作品。今のご時世の中、ちょっと気になるテーマでもあったので観に行きました。さまざまな批評、感想が多く語られているので、あえて触れず。一点だけ。「風」。

 「風」。「風立ちぬ。いざ生きめやも」。ここでの「風」は肌に心地よい風のイメージ。風に吹かれる、その中での息づかいがこうした表現につながっていくような印象。
 しかし、今、政治でも経済でも教育でも、あらゆる分野で、風向きがおかしい。ふわっとした風によって(そういうふうにみせかけながら意図的に吹かせる「風」によって)、ふわっとした気分での行いが、静かに静かに進んでいき、いつしか実体化し、その現実の中で、気がつけば、右往左往する・・・。

 しかし、映画で吹く「風」はいつも激しい。さわやかな「風」では、けっしてない。二郎と奈緒子の初めて会う場面でも、再会の場面でも吹く風は激しい。大震災の地鳴りとともに激しい火災によって巻き起こされる旋風。飛行機のエンジンから出る風も激しい。蒸気機関車から吹き出す黒煙も穏やかではない。しかし、そうした「風」が立ってしまった(立ち始めてしまった、巻き込まれてしまった)としても、その中から(その中にあってこそ)生きなければならない。そんなメッセージ性を強く感じました。
 時代の中で、激しい風に対抗する毅然とした姿勢と、そして、静かに心地よさそうに吹く風の本質を見抜くという大事な感性を失わないこと、こんな「生」き様を、今こそ必要としているようです。どんな風にも乗って悠々と、時には風をうまくつかんで、時には逆らって飛ぶ「美しい」機能美の飛行機になぞらえて。
 戦時下の飛行機は、あくまでも機能的な「残酷な兵器」。海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機であったのですが。

・・・
 私達の主人公が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気もはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能において最も抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
 この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は、”風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公”二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を越えた彩りをそえて、完全なフィクションとして1930年の青春を描く、異色の作品である。
 描かねばならないのは個人である。
 リアルに
 幻想的に
 時にマンガに
 全体には美しい映画をつくろうと思う
・・・
(2011.1.10 宮崎駿)

 ラストシーンは、印象的でした。荒涼とした野の、吹きすさぶ風の中に立つ主人公。

堀辰雄「風立ちぬ」。
 余談だが、芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、文学上でお互いに影響を受けたが、3人そろって府立三中(現都立両国高校)の先輩、後輩の関係でもある。
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The Impossible Dream

2013-07-12 00:39:31 | 素晴らしき映画
(党首がゆく)生活・小沢代表 再び政権交代へ果てぬ夢(朝日新聞) - goo ニュース
 ミュージカル「Man of La Mancha」の中で使われた曲。とても素敵な曲です。ラストシーンが圧巻。日本では1969年より松本幸四郎が主役を務める公演が人気が高く、ロングラン・ミュージカルの一つ。
 小沢さん、政界のドンキホーテとして、老いてますます意気軒昂。これもまたよし! 
 おそらくはもう「不可能な夢」と化しても、まだ「見果てぬ夢」を追い続ける、この姿勢。周囲の思いは捨て置いて、悲壮感すら前向き思考に変える稀代の政治家ではある。
 すでに過去の人になりつつあるのにもかかわらずにも、だ。

To dream the impossibe dream, To fight the unbeatable foe,
To bear with unbearable sorrow, To run where the brave dare not go,
To right the unrightable wrong, To be better far than you are,
To try when your arms are too weary, To reach the unreachable star!
This is my quest to follow that star!
No matter how hopeless no matter how far
To be willing to give, when there’s no more to give
To be willing to die so that honor and justice may live

And I know. If I’ll only be true to this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
when I’m laid to my rest
And the world will be better for this
That one man scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable stars!


・・・
なおも最後の勇気を振り絞って挑むのだ
届かぬ星に届けようと!

1972年製作「ラ・マンチャの男」ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン出演。
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風と共に去りぬ。となって欲しいが。民主党も一緒ですか?

2013-06-25 23:03:15 | 素晴らしき映画
橋下氏を公然と批判も…維新、都議選惨敗に動揺(読売新聞) - goo ニュース
 それでも、ハシモト個人商店「維新」の会。ハシモトさん、いつでもどこでもマスコミに追われ脚光を浴び、自分が特別な人間だと、となっていく。
 その一方、あちこちの、どくさまぎれの「維新の会」員。大阪以外では、ハシモトを旗印にしなければ、当選するわけがなかった衆院選。イシハラだけではほとんどダメだったでしょう。やはり今も昔もこれからも、頼りにする(おすがりする)しかない。「公然」と批判したくてもできない悲しい方々。「東」にしても「山田」にしても、まったく存在感無し。
 そして、「腐ってもタイ」。まだまだ賞味期限はありそうと、イシハラさん、それを承知の上で、ハシモトの心の奥底を、ハシモト(足下)をみている。いや、ハシモトさんの方が彼らのハシモトをみている。ハシモトさん、俺がいなけりゃおまんたち当選しなかったぞよ、と。
 こうして「以心伝心」、あうんの呼吸で、まだまだやるおつもりです。オザワのあとは、ハシモトにかき回される政治ですか。
 ついでに、お坊ちゃま・アベ大先生にもこりごり。ホントウに早く賞味期限が切れてほしいのですが、なかなか・・・。
『GONE WITH THE WIND』。名画の誉れ高い。
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「グレンミラー物語」(古きよき映画シリーズ。その35。)

2013-06-13 19:26:25 | 素晴らしき映画
 若いトロンボーン奏者グレン・ミラー(ジェームズ・スチュアート)は、新しい音楽サウンドの創造に情熱を燃やしているが、商売道具のトロンボーンを質屋に出し入れするという苦しい生活を続けている。偶然、グレンの編曲した作品がベン・ポラック(自身の出演。もちろん当時は若かった!)の耳にとまり、ポラックの楽団の編曲助手として採用される。

 演奏旅行中、デンヴァーに来たとき、グレンは大学時代の女友達ヘレン(ジューン・アリソン)に電話をかけ、真夜中に彼女を訪れた。彼はヘレンとは2年間も音信不通であったが、ヘレンの方も実はその気があったことが分かる。

 グレンは、ポラックの許を去ってニューヨークで2年間編曲に苦しんでいるとき、街角でふと聞いた二人にとっての想い出深い曲・「茶色の小瓶」のレコードから長距離電話でヘレンを呼び出して結婚を申込み、家を飛び出し3日かけてやってきたヘレンとニューヨークの小さな教会で結婚式を挙げる。
結婚式の晩、サッチモとの共演。
 ヘレンはグレンにすすめて自分の楽団を組織させ、6ヵ月後ボストンに出演することになったが、途中雪道での車の故障でキャンセル。妊娠中のヘレンも健康を害し入院してしまった。(初期の頃の自動車が次々と登場。)
 ボストンのホールでのリハーサル中、トランペット奏者が唇をいためたため、クラリネットにかえて演奏させたところ、これがきっかけで「グレン・ミラー・サウンド」の誕生となり、評判になる。大当りがつづき、レコードも飛ぶように売れた。各地から招かれ、独自のスイングスタイルを作り上げ、続々とヒット・ソングを生み出す。自ら編曲した曲をトロンボーンを演奏しながら指揮をするスタイルも確立(ビッグバンドの基本?)。
 そんな絶頂期の頃、第2次大戦が勃発。グレンは志願して空軍に入り、自らの楽団を組織して演奏を行う。ロンドンなど激しいヨーロッパ戦線で戦う軍隊の慰問旅行にあちこち出かける。
ありきたりの行進曲から「セントルイスブルース」を行進曲風にアレンジして演奏。行進する兵隊が生き生きと。
慰問の演奏。
空襲警報が鳴り響いても、演奏を中断しない。
 
 44年12月、深い霧の中、グレンを乗せてロンドンからパリに向かった飛行機はパリについに到着することはなかった。クリスマスの夜、遺作となった録音演奏の中で「茶色の小瓶」を演奏し、ヘレンへの深い愛情と励ましを与える。


《挿入歌》グレンミラー楽団
・MOONLIGHT SERENADE
・A STRING OF PERLS
・PENNSYLVANIA 6-5000
・TUXEDO JUNCTION
・ST.LOUIS BLUES MARCH
・IN THE MOOD
・CHATTANOGA CHOO CHOO
・AMERICAN PATROL
・LITTLE BROWN JUG
 この他にもたくさんのジャズ音楽が流れます。
《スタッフ・キャスト》
監督:アンソニー・マン
脚本:ヴァレンタイン・デイヴィス、オスカー・ブロドニー
撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ
音楽:ヘンリー・マンシーニ、ジョセフ・ガーシェンソン
出演:ジェームズ・スチュワート
   ジューン・アリソン
   ルイ・アームストロング
   ベン・ポラック

 ルイ・アームストロング(サッチモ)は、『5つの銅貨』にも出演、ダニーケイと一緒に掛け合いの素晴らしい演奏を披露していました。その映画には、若き日のグレン・ミラーも登場。
 耳慣れた曲が次々と演奏され、懐かしさでいっぱい。実は、グレンミラーの一生を初めて知りました。没後すでに70年を過ぎようとしているのに、殺伐とした今の世の中、大戦中の兵士達と同様、スイングジャズのすばらしさ、それを代表するグレンミラーサウンドの心地よさ、いっときの安心感・充実感があとにつながっていくためにも必要とされているのかも知れません。
 一方で、「アメリカンパトロール」が演奏される中、激しい戦闘シーンの実写映像が流され、パリ解放につなげていく。アメリカ国外で勝利するために戦う多くの兵士を慰め、鼓舞していった、そして、パリに向かう途中行方不明になる、当時のアメリカンヒーローとしての圧倒的な支持を得たグレンミラーという人物像。1953年製作という時代背景も痛切に感じました。
 「真珠の首飾り」が小道具として絶妙な役割、またヘレンが首筋を触るしぐさも時を得て効果的。また、『5つの銅貨』のダニーケイも絶妙なはまり役でしたが、ジェームズ・スチュワートも誠実な雰囲気を醸し出していました。
 『5つの銅貨』と比べると、ストーリー的には物足りなさを感じましたが(それぞれの人物の生涯を描いた違いですからしかたがありませんが)、それでもすてきな映画でした。
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「Sleeping Beauty」(古きよき映画シリーズ。その34。)

2013-06-08 12:35:39 | 素晴らしき映画
 久々に映画。邦題「スリーピング ビューティー~禁断の悦び」。
 扇情的なサブタイトルには違和感がありましたが。内容は、生(性)と「死」にまつわる(生・老・病・死)映画。川端康成『眠れる美女』の翻案のようですが、クレジットタイトルにその名は登場しません。ヒント以上を得ているようです。設定のベースとなるものは、まさに康成的世界です。日本で2度、海外で3度映画化されています。
 谷崎潤一郎「鍵」も日本の他にも、イタリアポルノ映画界の巨匠ティント·ブラスが脚本・監督のもの。音楽は、エンニオ·モリコーネが担当。原作に忠実で、それ故、ほとんどポルノ映画ではありました。

 
 さて、今回。
《あらすじ》
 ルーシー(エミリー・ブラウニング)は、女子大生。学資稼ぎのために医学実験やウェイトレスなどのバイトをやっている。大麻をやったり、赤の他人と寝る一方で、バードマンというひ弱な男の部屋にちょくちょく通う。
 ルーシーはシルバーサービスというアルバイトをすることになる。それは下着姿で、老人たちのパーティの給仕をすること。秘密クラブのようなところで、彼女以外にも、女性たちがより露出の多い格好で働いている。オーナーのクララから、その彼女に新しい仕事のオファーが。
 それは睡眠薬を飲んでベッドに何時間か全裸で眠ること。その間、訪れた老人に何をされているのか(性行為は禁止されているが)、彼女には分からない。そのうち、彼女は寝ている間に自分が何をされているのか知りたいと思うようになり、盗撮用の隠しカメラを部屋の電気スタンドに仕掛ける。・・・


 オーストラリアの女性監督・ジュリア・リーが脚本&監督した作品。生(性)と死。奔放な(にしか見えない)若い女性の人との関わりと生き様を表象する「眠り」と「目覚め」の混沌・はざまを女性の目線で描いた作品。静かな眠りと対照的な現実のどろどろした世界。
 すぐ簡単に男と寝ちゃうようなヒロインだが、睡眠薬を飲んで眠るルーシーの姿は、純粋無垢な乙女がそこに横たわっているよう(映画の中では一カ所もセックスシーンはない)。その時だけは、かえって存在感の希薄なヒロインとして描かれる。
 死んだように眠る若い全裸の美女を、死を間近にした老人がもてあそぶ、そんな二人だけの秘密の時間。他に誰もいない部屋をただひとつ、その秘密と衝撃を如実に現実化する定点の隠しカメラ。・・・

 バードマンが睡眠薬を飲んで自殺する死の間際にルーシーは裸の胸をさらけ出して彼の傍らに横たわるが、もはや心身の死をつなぎとめることはできない。まさに二人の間に危うく存在していたはずの現実を無惨にも切って捨てる「死」。

 そういうエピソードをはさみながら映画は進行していく。
 
 ルーシーは現実逃避としての(一方では金銭的な報酬と引き替えの)手段としてあったアルバイト。一方で、大枚をはたいてルーシーを相手にする老人たち。無抵抗なルーシーとの関わりは彼らにとって甘美なもののはずだった。

 一人目の老人は穏やかな男。ルーシーの若い肉体に優しく触れる。しかし彼女の若さは老人には二度と手に入らない。
 二人目の老人は眠っているルーシーを罵る。しかし彼が求めているはずの被虐的な反応は眠る彼女にはない。
 三人目の老人はルーシーの身体を持ち上げるなどして自らの肉体の力を示そうとする。が、すでにかなわない。

 老人たちは、それぞれ求める、手にするはずだったかつての肉体の若さ、人生の喜び・・・、結局は、打ちのめされるほどの喪失感を味わうことになる。
 一方、目を覚ましたとき、眠っている自分に何が起こっているかを知らなければ取り返しのつかないことになってしまうことへの恐れをいだくルーシー。小型カメラを手に入れて何が起きているか、自分の目で見ようと決意する。
 彼女がそこに見出したのは、「死」と「生」とのあわいであった。

 ラストシーン。薬を飲んで眠りにつく老人(最初に来た男)。クララがやってきて、老人の様子がおかしいのに気付き、ルーシーを必死にたたき起こす。眠りから覚め、自分の横に冷たくなった老人がいるのに気付き、大声で泣き叫ぶルーシー。
 隠しカメラの捉えたルーシーと老人との動かぬ(時の止まったような)映像になる。そして、エンディングテロップ。


 映画のもとになった川端康成『眠れる美女』。 
『眠れる美女』(川端康成)新潮文庫

 幼い体に重ねる、命の哀しみ。「最後の一線」で研ぎ澄まされる、圧倒的な性。川端的エロティシズムの金字塔。
 波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作「眠れる美女」のほか「片腕」「散りぬるを」。(「新潮社」文庫版のHPより)
 
谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』と並び称せられる老人の性(生)と死を描いた究極の作品としての評価が高い。
 
 映像化によって康成の世界は描かれたか? 女性の目から見た世界(これからの生を楽しむはずの若い女性の恐れ)と男性の目から見た世界(衰えの中で死を待つ老人の恐れ)との違いをことさら感じた作品。
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「独裁者」(古きよき映画シリーズ。その33。)その2。

2013-04-11 19:11:58 | 素晴らしき映画
 最後の演説のシーン。英文で紹介します。

I'm sorry but I don't want to be an Emperor. That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible, Jew, gentile, black man, white.

We all want to help one another, human beings are like that.
We all want to live by each other's happiness, not by each other's misery. We don't want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone and the earth is rich and can provide for everyone.

The way of life can be free and beautiful. But we have lost the way.
Greed has poisoned men's souls has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed.
We have developed speed but we have shut ourselves in, machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind.

We think too much and feel too little,
more than machinery we need humanity,
more than cleverness we need kindness and gentleness,
without these qualities, life will be violent and all will be lost.

The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in men, cries out for universal brotherhood for the unity of us all.
Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women and little children,
victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say "Do not despair".

The misery that is now upon us is but the passing of greed,
the bitterness of men who fear the way of human progress,
the hate of men will pass and dictators die,
and the power they took from the people will return to the people,
and so long as men die, liberty will never perish.

Soldiers, Don't give yourselves to brutes,
men who despise you and enslave you - who regiment your lives,
tell you what to do, what to think and what to feel,
who drill you, diet you, treat you as cattle, as cannon fodder.

Don't give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts.
You are not machines. You are not cattle.
You are men.
You have the love of humanity in your hearts.
You don't hate, only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural.
Soldiers! Don't fight for slavery, fight for liberty.

In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written "the kingdom of God is within man" -
not one man, nor a group of men - but in all men - in you, the people.

You the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness.
You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.

Then in the name of democracy let's use that power - let us all unite.
Let us fight for a new world,
a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security.

By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie.
They do not fulfil their promise, they never will.
Dictators free themselves but they enslave the people.

Now let us fight to fulfil that promise.
Let us fight to free the world, to do away with national barriers, do away with greed, with hate and intolerance.
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men's happiness.
Soldiers! In the name of democracy, let us all unite!

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.

The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.

Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.



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「独裁者」(古きよき映画シリーズ。その33)その1。

2013-04-10 23:24:44 | 素晴らしき映画
《あらすじ》 
 第一次世界大戦の戦場。チャップリン(床屋のチャーリー)は、召集されてトメニア国の陸軍重砲部隊に所属する二等兵。前線で味方とはぐれたチャーリーは、負傷した飛行士官のシュルツを救出し、飛行機で飛び立つが、燃料切れにより墜落してしまう。九死に一生を得たチャーリーは病院へ。そこで、トメニアが降伏していたことを知る。
 大砲の弾丸が不発の場面、逆さづりの状態の飛行機の場面が抱腹絶倒。

 チャーリーは墜落のショックで記憶を失い、以後の20年を病院で過ごすことになる。
 この間にトメニアに政変が起こり、アデノイド・ヒンケル(チャップリン:一人二役。たまたま床屋のチャーリーと、うり二つ。)が独裁者として君臨し、内務大臣兼宣伝大臣ガービッチ(ヘンリー・ダニエル)と戦争大臣ヘリング元帥(ビリー・ギルバート)の補佐を受けつつ、自由と民主主義を否定し、国中のユダヤ人を迫害する。

 チャーリーは病院を抜け出し、ゲットーにある集合住宅にある店舗兼自宅に戻ってくる。ほこりが積もった理髪店のありさまに呆然とする。彼は突撃隊が自分の店の窓にペンキで塗った「ユダヤ人のレッテル」を消そうとして、大勢の突撃隊に取り囲まれ、吊るし首にされる。
そこに、かつて戦場で命を助け、今は突撃隊長になっているたシュルツが通りかかり、自分と恋人ハンナたち一緒に住む人々の身の安全を保証される。
恋人ハンナ。 
 ヒンケルはオーストリッチ国への侵略を企て、ユダヤ系の金融資本から金を引き出すため、ユダヤ人への抑圧政策をいったんは緩和するが、資金援助を断られたヒンケルは、ユダヤ人に対して怒りを露わにし、シュルツにゲットーを襲うように命令する。
 これに対し、シュルツはユダヤ人迫害は党の利益にならないと反対したため、ヒンケルは彼をすべての役職から解き、強制収容所にぶち込んでしまう。
 突撃隊は、ゲットーへの襲撃を行い、床屋のチャーリーの店は破壊されてしまう。ハンナは隣国オストリッチへの亡命を提案する。強制収容所から脱出したシュルツはゲットーに逃げ込み、ヒンケル体制の転覆を計画するも発覚、チャーリーとともに捕えられ、強制収容所に送り込まれてしまう。
 ハンナと彼女の両親らはオストリッチへ亡命し、新たな生活を始めた。
 しかし、世界の皇帝として君臨する野望を抱くヒンケルはオストリッチへの侵略を諦めなかった。この侵略計画は、近隣のバクテリア国の独裁者・ベンジノ・ナポロニ(イタリアのムッソリーニをさす)によって反対され、2人の独裁者の間で激しい交渉があり、両者はいったん妥協するが、ヒンケルは妥協を反故にしてオストリッチ侵攻を決行。

 オストリッチに脱出していたハンナたちは再びヒンケルの支配下に置かれ、深い悲しみと絶望に。
 シュルツとチャーリーはトメニアの軍服を着て、強制収容所から逃げ出した。このとき、チャーリーがヒンケルにそっくりだったこととシュルツと一緒だったので、将兵たちはチャーリーを本物のヒンケルと間違えてしまう。
 反対にヒンケルは侵攻に備えて、狩猟旅行を装ってオストリッチ国境付近で偵察中、脱走したチャーリーと間違えられて配下の兵士に逮捕されてしまう。

 チャーリーはヒンケルと間違えられたまま、トメニア軍に占領されたオストリッチの首都へ連れていかれる。

ガービッチが演説を行ったのに続いて、
演台に立ったチャーリーは、人種の壁を越えた融和を訴え、ヒューマニズムに基づく演説を行う。何万という兵士たちの大きな拍手の中、チャーリーはハンナへラジオを通じて語りかける。
冒頭のテロップ。
独裁者ヒンケルが地球のバルーンをもてあそぶ場面。きわめて情緒的な音楽が奏でられる中、突然バルーンが破裂し、音楽が止まる、という見事な手法。
「ハンガリー舞曲第5番」をバックにしたひげ剃り。

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