おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「銃を持つ民主主義―『アメリカという国』のなりたち―」(松尾文夫)小学館文庫

2012-12-31 16:43:28 | 平和
 小学校での銃乱射事件によって大勢の児童・教師が亡くなったことを受けても、今もなお、なかなか銃規制が進まないアメリカ社会。むしろ、全校に武装警官を配置することを主張し、銃規制の動きに真っ向から反対する全米ライフル協会(「NRA」)。日本人からみるとかなりの違和感を持つアメリカ社会における銃規制のあり方。
 この書は、2004年に発刊、その文庫版として2008年に出版された。今回の事態を受けて現在のアメリ民主主義社会の成り立ちを改めて理解する上で格好のテキストに。
 特に銃規制の是非を巡る論議の核心、「憲法修正第二条」。日本国憲法では基本的人権保障条項十箇条の第二条に当たる、という。
 「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」(本書P65)
 この解釈をめぐって、銃規制推進派と反対派は真っ正面から対立しているのがアメリカの現実。前者は当時の民兵、現在の州平の一員となるかぎりにおいて、市民の武器保有が認められると主張、後者は「市民皆武装」こそ、連邦中央政府権力の専制化を防ぎ、市民の自由を守るのに不可欠な個人の権利であり、アメリカ民主主義の生命線だと反論する。
 こうした相反する立場を紹介しながら、後者の規制反対派の優勢なことが、アメリカ民主主義の実態を体現している、と。「銃が増えれば犯罪が減る」との合い言葉が一般化しているアメリカ社会。そうした個人が銃を持つことを容認する「アメリカ民主主義」が、海外派兵などの実例につながっている、と。
 黒人の基本的人権や参政権などについて、合衆国憲法は修正がたびたびなされながらも、この項については210年以上に亘って一度も修正されてこなかったアメリカの歴史。そこに、筆者はアメリカ民主主義の内在する本質的な問題があると捉える。「人民武装の権利」がアメリカの対外的な戦争荷担(海外派兵。多くは、「(アメリカ流)民主主義・自由・平和」を守るという大義名分によるのだが)にも結びついていることへの危惧の念が示されている。最初の出版が「イラク戦争」開戦から一年後という時期であったことにも深く関連する。
 「クワとライフルを持って」とは、アメリカ大陸の東岸から太平洋に面する西側へ開拓していく時のスローガン。この言葉に、その後も引き続く「アメリカという国」が民主主義というオリジナリティを自負し、誇りを持つ根底に、「アメリカ中心主義」があり、個々のアメリカ国民が固有の権利として持つ、銃による武力行使権という「DNA」がある、と。
 そもそも「アメリカという国」の建国は、黒人、先住インディアンに対する徹底した差別と排除のなかで始まった。そこでは、個人・集団による銃という武器を手にした圧倒的する武力行使が主要な役割を果たしたことも、事実(長い間の黒人差別撤廃運動などのうねりの中で、憲法上での人権諸権利は確立されていくが)。
 その後、民兵は「南北戦争」を契機に、アメリカ合衆国軍という強力な常備軍となり、さらに二度の世界大戦を経て、今や世界一の軍隊にまで巨大化してしまった。そのDNAには、抜きがたい「市民皆武装」がある、と。広島、長崎への原爆投下、東京大空襲等の無差別攻撃についても、罪悪感はない(「民主主義」の旗の下で、反ファシズム戦争終結のため、当然)。
 「刀狩り」によって武器を支配階級の「武士」にのみ与えた政策以来、軍隊・警察など以外には銃刀所持を認められない日本人。その日本がアメリカと日米安保体制の下で同盟関係を強固にしていくことの意義を考えるとき、こうした銃を持つ民主主義国・「アメリカという国」の成り立ちと現実を捉え直す必要がありそうだ。
 アベさんが実現を期す「集団的自衛権」の確立とは、日米同盟の質的転換・深化であり、その表向きの第一義は、アメリカ軍が攻撃された場合、日本の「自衛隊(「国防軍」)」は、アメリカ軍とともに武力を行使するということになるのだから。
 
 さて、お正月は読書三昧の予定ですが・・・。
 
 
 
 
 
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「こびと大百科」(なばたとしたか)長崎出版

2012-12-30 12:25:25 | 読書無限
 親たちは掃除やら買い物やらで慌ただしい年末の土曜。預かっていた孫達と久々に近所の公園に。上の男の子。手にしていたのが、この本。 公園までの道のり、しきりに「森か山に行きたいな」「黄色い花がないかな」「ハチミツも」「ざるはないの?」・・・。駆けだしていった。工事中のため狭くなった公園。小さな空間に滑り台やらブランコやら・・・。けっこう賑わっていました。片隅に近所の方々が世話する花壇。「黄色い花は・・・」。残念、なかった。今度はこんもりした(通称)ドングリ山に。とここまで。あとは滑り台と鬼ごっこで近所の子供達と駆け回っていました。もちろん、この本はこちらに預けたまま。
 それにしても奇妙なブーム(一部の子供達だけかもしれないが)ですね。何しろ近所の大型書店では大人の本のコーナーにあるくらいですから。下の女の子、隣にあった「女体の神秘」という本にえらく興味を持っていました・・・。
 登場する「こびと」の一部を紹介。
・クサマダラオオコビト ・ナツノツマミ ・モクモドキオオコビト ・セミグルメ ・ツチノコビト ・ハダカウミテング
・ホトケノアカバネ ・アラシクロバネ ・シノビイエコビト ・ヒメイエコビト 
 実に多彩です。副題が「びっくり観察フィールドガイド」という。冬の寒い中子供達は公園や野山で探し回るのでしょうか? 家にこもっているよりは少しは健康な遊びかな。
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読書「日本語に関する十二章」(工藤力男)和泉書院

2012-12-29 18:03:34 | 読書無限
 こだわりの「日本語」論。といっても堅苦しいものではなくて、巷の特に新聞・TVなどでの表現についてのさまざまな角度からの考察。
 例えば、「ツキギメ」駐車場。「月極」と「月決」との表現上の地域性の有無から「決」めると「極」めるとの用法の推移などに迫る。出発点は、あくまでの著者の見聞から。日本語の表現の上で、疑問・不審に感じると、徹底的に文献はもとより、目や耳を駆使してその解明に当たる。日本語の再生という年来の思いが伝わってくる。
 「方向」ですむところを「方向性」と「性」を付ける。「関係」でいいのに「関係性」と表現する。「的」でもそんな風(「的」はロマンティックなどの「ティック」が「的」という字に置き換えられたと思うのだが)に「厳しい」指摘が続く。
 敬語についても同様。読み進めているうちに、昔、都立高校入試の国語の問題に、「・・・校長先生が言った」を敬語に表現せよ、という問題が出て、その解答例が「校長先生が言われた」。しかし、中学生の答えは千差万別。結局、採点に難儀したという話を聞いたことを思い出したりも・・・。
 俳句の世界での「ありにけり」という「えせ文語」の乱用についても、興味深い話題。何でもかんでも「・・・ありにけり」で収める風潮への警鐘乱打ですね。ついでに古語の過去(完了)の助動詞「つ・ぬ・たり・り」の用いられ方の変遷にも触れる。
 個人的には「時制」表現(「時詞」についてと朦朧体のひろがり、遂行動詞についてでした。過去表現も未来表現も曖昧としている中で、ますます可もなく不可もなく、責任もない文体が蔓延している今時のご時世への、筆者の「憤り」?には同感。
 それにしても「百歳を迎えた母に」という「献辞」にはびっくり。まさか「老老介護」というわけではないでしょうが。
 しかし、この方の博覧強記ぶりには驚きました。こういう方が同僚でいる(いた?)成城大学の先生方もさぞかし大変で(だった)でしょうね、同情します。

 ところで、この表現はどうでしょうか? 筆者がおっしゃる「時制」では現在でも過去でもない表現では。「・・・熟成に時をかけて仕上げます」「仕上げました」でもなく「仕上げています」でもなく、・・・。日常会話では「やります」「します」は未来時制も含まれるし。缶ビールの中で、時をかけて「熟成される」のかな。さすが高級なビールは違います。

 こうして、お正月用にもらった「ビール」をすでに飲み始めています。
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小沢さんは、政界の「おっちゃん」ではあるまいか。

2012-12-28 22:53:32 | つぶやき
未来分裂、小沢系が党名を「生活の党」に 嘉田氏を追い出し(産経新聞) - goo ニュース
 こうして、今度は、弱体・民主党の息の根を止めることに焦点。かつて、「自民党」憎し!で離合集散を繰り返した「壊し屋」小沢さん、今や「野田」憎しに。泣き虫は御しやすしと見くびられていることに気がつかない海江田さん。
 それにしてもこのまま小沢とくっついたら、参院選も危うし。民主、その前に分裂? 次の衆議院選挙までに消えていく運命の道を歩くことになりそう。
 それにしても、小沢さんにくっついてけっして離れない(これからもくっついていこうとする)方々の思想信条は何なのですかね。小沢との「生活」の党。
 昔、話題になった、千石イエスの集団(「イエスの方舟」)「事件」とつい重なってしまう。そして、小沢さんに対するマスコミ報道機関の姿勢すらも。

「イエスの方舟」(「Wikipedia」より抜粋)
 イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 - 2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団。千石は、1951年に兵庫県で自営業である刃物工場の経営に失敗し、レストラン支配人を勤めながら教会に通い始める。夫人と再婚後の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源。 
 1975年頃、家庭には居場所がないと感じていた信者が「千石イエス」の活動に共感し、家庭を捨てて共同生活を始めるようになる。信者の多くは若い独身女性だったが、男性や既婚女性も含まれていた。その後、千石の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、1978年から千石は信者26人と共に全国を転々としはじめる。
 信者の家族は捜索願を出すとともに、マスコミにも千石を告発し、協力を依頼した。まずこれに反応したのが、「婦人公論」。1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで家族の手記を掲載し、千石を邪教の主宰者と糾弾した。次いで、「産経新聞」も反イエスの方舟キャンペーンを張り、そのほか多くのマスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で同調する報道が続いた。
 1980年2月21日の国会で狂信的団体として取り上げられた。「若い女性を誘拐し、集団で消えている。法治国家として恥ずべき問題だ。何とか全国的な捜査体制は取れないものか」これに対して当時の国家公安委員長であった後藤田正晴は「もし法に触れる事実があれば、すぐに刑事事件として追求する」。
 この発言によって警察が本格的に動き始め、「イエスの方舟」はカルト教団として全国的に知られる。イエスの方舟の娘たちからマスコミに手紙が届いているが、ほとんどのマスコミは千石が無理やり書かせたものだとして、無視した。このような世論の中でも「サンデー毎日」誌のみはイエスの方舟を偏りなく評価し、冷静な報道を続け、他のマスコミからは「方舟の宣伝誌」などと批判されたが、姿勢に変化は無かった。
 1980年6月18日、千石は熱海の出版社(製本会社)の社員寮に一時移動し、サンデー毎日記者と対面した。サンデー毎日は千石を匿うとともに、高木一を弁護士として依頼し、「千石イエス独占会見記」を掲載した。他のマスコミは一斉に反発した。事態はマスコミ戦争の事態に発展した。
 7月2日、千石に逮捕状が出、名誉毀損、暴力行為などの容疑で5人に対して全国に指名手配がなされた。このことが新聞報道された7月3日午後、千石は持病の心臓病から狭心症を発症し、緊急入院。娘たちがマスコミの前に姿を現し、会見を行った。このとき乱れたセックスがあったのではないかとの記者の質問に対し、娘らは「夫婦という関係以外では全くありません」と毅然と答えた。
 また、捜索願が出されている娘たちに関しては、親元へ帰された。身柄を拘束されたのは韓国籍の1人で、外国人登録法違反で罰金8000円で釈放された。千石は半月後に出頭した。彼への取調べは、任意調査にとどまり、書類送検されたものの翌年、容疑事実は無いとして不起訴処分の決定が下された。
 千石が出頭し、逮捕もされなかったこともあわせ、会の実態が世間に知られるようになるにつれ、マスコミ報道は沈静化しはじめた。千石は、1980年12月に福岡の中洲に移って「シオンの娘」というクラブを経営する。千石と行動を共にした信者には、一時家庭に戻ったものの、そのほとんどは千石を追って共同生活を再開した。
 彼のクラブに勤めているのは女性会員。酒も提供するが、「教会」のように、来客の悩みや人生相談に乗るなどの活動拠点であった。男性会員は千石と共に大工仕事に勤しんでいた。
 ちなみに共同生活において、千石は会員から「おっちゃん」と呼ばれ慕われていた
 1993年、古賀市に「イエスの方舟会堂」を建設。2001年12月11日、福岡市の病院で死去。享年78。
 千石の死後も信者はクラブ経営の他に、近親者などからの暴力から逃れる女性の『駆け込み寺』的な施設の運用も行っている。
 
 少し古い資料のようですが・・・。
 はたして、その後のようすは? いえ、「生活の党」のことです。


 
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未来はこうして不透明に

2012-12-25 19:31:48 | つぶやき
小沢氏系、「阿部共同代表」拒否 未来、初の両院議員総会(産経新聞) - goo ニュース
 未来は、不透明。ついでに、「卒原発」も、では困ります。未来はたしかに不透明ではありますが、「因果」律でいけば、今日の「因」は、明日の「果」につながる。さすれば、「未来」の未来は、分裂。
 こういうきわどい会議にも欠席し、陰で操る「小沢」流はもうすでに通用しないはずなのに、・・・。
 「維新」も危うし、「未来」はすでに危うし。第三極って、結局「民主党」を潰し、「自民」を利するという「立ち位置」だっただけなのですかね(という「マスコミ操作・情報」に頼っていけません)。
 それにしても、よってたかっての「脱原発」叩きはすさまじい。そこを何とかしなくては。
 こうして、またも「自戒

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「エロス+虐殺」(古きよき映画シリーズその15)

2012-12-24 15:45:43 | 素晴らしき映画
 冒頭。スポットライトの下にある若い女性へのA(永)子のインタビュー。「大正十二年関東大震災のさなかに大杉栄と共に虐殺された伊藤野枝の忘れ形見、魔子さんですね」(すでに観客には映画の内容が明らかにされる)。しかし、若い女(B・・・子)は顔を覆ったままつぶやくのみ。

・桜の花びらの落ちる中を、大杉栄と伊藤野枝が歩く。野枝が見せる積極的な恋愛感情。
・結婚を即日に破棄し、辻潤をたよって上京した野枝は、青鞜社に平賀明子を訪ね、編集部員として採用される。そこで、正岡逸子に会う。
・辻は二人の間の子供の育児も出来ずに足尾鉱毒事件など社会運動に走る野枝に、大きな不満を抱いている。
・大杉は自由恋愛を公然と唱え、妻保子がありながら、正岡逸子とも愛人関係にあり、さらに、野枝とも恋愛関係となる。
・大杉は、正岡逸子に野枝と恋愛関係にあることを告げる。
・野枝は、辻と辻に同情する義妹千代子とが抱き合っているのを見てしまう。
・大杉の元に走る野枝。
・野枝は大杉と葉山海岸に近い「日蔭茶屋」に行く。
・その夜、逸子が日蔭茶屋を訪れた。
 ・・・。
 「一人の男性をめぐる二人の女性」あるいは「一人の女性をめぐる二人の男性」。1923年と1969年。二つの舞台が用意されています。
 個人的にはまさに懐かしい青春そのものの映画です。冒頭の台詞回しから始まって(正直、かなりこそばゆい)・・・。片意地をはっていた全共闘世代(の青春)を思い出させる映画つくりでした。一貫した対話劇。大杉(野枝?)の骨壺をラグビー形式で奪い合う趣向などもかなり臭いが、許容範囲(あり得る演出)。・・・
 DVD版では上映時にはカットされていた場面も挿入されて、3時間30分以上の作品になっています。白黒で色が飛んでいるような箇所があるのは、残念で、桜吹雪もよく分からん。が、かえって幻想的でぼんやりとした雰囲気がいいかもしれません。
 大方がご存じの、関東大震災のどさくさに紛れて、陸軍憲兵隊の甘粕大尉によって、甥っ子とともに虐殺された無政府主義者大杉栄と伊藤野枝の物語。
 話の中心は、「日陰茶屋」事件の真相は何であったのか。くどいほどの描き方を通して、自らの生き方に直線的だった野枝像が浮かび上がってくるしかけ? 大杉を刺すシーンを繰り返しながら、3人の心理劇風に追求していく手法がおもしろい。畳、小部屋、低い天井、ふすまや、障子、雨戸、軒先など薄暗い日本家屋の雰囲気を生かしていました。
 題名の「エロス」描写や「虐殺」(特に、社会運動の現実と挫折、関東大震災などの背景を含め)の描き方が突っ込み不足気味なのは、映画を観る前の興味(先入観)とのずれがかなりありました。野枝と大杉(と甥)の虐殺(背景も含め)は簡略化され、「日陰茶屋」に後半のテーマが置かれています。
 間に織り込まれた現代編の内容。「売春行為」の摘発を含め(未成熟な男と挑発する女という取り合わせなどは、今も変わらないか?)、現代風俗の大変化の中で、現在からさかのぼって40年以上という時の流れを痛切に感じました。むしろ大正時代の方が歴史的な見方ができて、落ち着いて画面に溶け込むように観ることができました。
 画面としては、造成中の新宿副都心、新宿駅西口の風景、それに、竹橋にある毎日新聞社社屋(当時、新鮮な感じがした)、よく昼飯を食べに行ったことがありました。館内の飲食街、直線のストリートが懐かしい。
 今観てもこの映画のいいところは、俳優たち。自己主張の激しい、目元くっきりの岡田茉莉子、台詞回しは一本調子だが、唇が官能的で初々しい原田大二郎(マッチが小道具としてよかった。途中からライターに変わりましたが)。なかでも、フリーラブを主唱する大杉を演じた細川俊之。伊井利子は、背伸びしながも精一杯の演技。楠侑子もよかった。尺八を吹く(辻は尺八を教えて生計をたてていたこともあったらしい)高橋悦史も、目線と口元が独特の味を出していた。
 間近にDVDで観ていると、画面上の口の動きと台詞(音声)とがずれっぱなしなのが気になりましたが、それは演出の狙いか、さもなければ・・・。
 さらに、カメラショット。独特の遠近法。特に、壁やふすま、ガラス障子、西洋風の窓、庭木や桜など自己と他(者)とを隔絶する役割を果たす「もの」を生かしてのアングルは、今観てもすてきな印象。実際の大杉はかなりの吃音で話すのに苦労したらしい、特に「ガ」行。「ゴ」が言えなくて後藤新平のところに出向いたとき「500円」が「300円」になったなど、そういうエピソードをふとした台詞に生かしてあったのはさすが。
 バックに流れる音楽もすばらしい。
 
 家での長編作品の鑑賞が断続的になりがちなのは、監督・俳優、作品に申し訳ない感じ。

《スタッフ・キャスト》
監督 吉田喜重
音楽 一柳慧
出演 岡田茉莉子 伊藤野枝
   細川俊之 大杉栄
   楠侑子 正岡逸子
   高橋悦史 辻潤
   稲野和子 平賀哀鳥
   八木昌子 堀保子
   新橋耐子 代千代子
   松枝錦治 堺利彦
   坂口芳貞 荒谷来村
   高木武彦 奥村博史
   伊井利子 束帯永子
   原田大二郎 和田究
   金内喜久男 日代真実二
   川辺久造 畝間満
観客に向けられた指先の意味するものは?
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結局、自民に食われる、という日本の戦後の政治構造。民主党、哀れ。

2012-12-23 10:25:08 | つぶやき
民主代表に海江田氏有力、輿石氏が支持の意向(読売新聞) - goo ニュース
 財務官僚主導の消費税UPに手を出した民主党。もともと自民党が主張していた政策を取り込んで(自民党をほくそ笑ませ)、自公民三党合意というまやかしの野合。自民に媚びて自民を利する、という結果を招いた。
 菅さん。参院選前に、官僚に煽られて、マニフェストになかった「消費税増税」を唐突に発言し大敗北を喫した。それからのねじれ国会。そのあげく・・。
 自民と野合した政党の末路の惨めな姿。公明党のように、熱狂的な支援団体がある政党は別でしょうが、浮動票(無党派層)の「風」頼みの政党はダメでしょう。
 自民と「歴史的な」大連立をして(命脈を絶たれる寸前だった自民党の息を吹き返し)、首相のポストで満足した「社会党」(社民党)の没落とオーバーラップしてきます。
 おそらく自民党に宗旨替えする民主党議員も出てきそうだし、第三極(「維新」、「未来」、「みんな」・・・)に移る人も出てきそう。
 1強8弱(?)の国会。民主党も弱体化した(させられた)労組頼みではこの議席くらいがせいぜい。次期衆院選までには消滅してしまうかも知れません。
 二大政党制をめざした「小選挙区制」はこれで破綻。でも、自民党は変える気はないでしょう、この方式の方が永遠に有利なのだから。
 「風」の勢いに乗っていたはずの「維新」。思想信条の上で(むしろ議員バッチのため)、自民党に籍替えしたい人も出てきそうです。自民党側(保守体制)に言わせれば、「素人政治家(政治家気取り)」のハシモトさん。来夏の参院選に一世一代の大芝居を打つしかなくなりました。それまでに、老獪な右翼政治家・イシハラさんとの関係をどうするか?

 二日連続で、つまらぬ投稿。所詮、「ごまめの歯ぎしり」でした。
ごまめの歯ぎしり=力のない者が、いたずらにいきりたつこと。(「広辞苑」) 。

自戒。



 
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滅びの美学すら持ち得ない哀しさ。

2012-12-22 20:00:36 | つぶやき
社民党、福島党首の交代検討(産経新聞) - goo ニュース
 党本部のあった「社文」(三宅坂)は更地になる。昔、何回か組合の集会などで、でかけたことがありました。国会、最高裁、国会図書館、国立劇場、と屈指の立地条件。今や改築も出来ず・・・。
 党員・議員もあっという間に没落。それでいて、代表を巡ってまたもめそう。福島さんは副業(今やそっちが本業)でけっこう稼いでいるお方。後顧の憂いもなさそう。だからといって、代表への執着ぶりは・・・。
 自民党と歴史的な野合をして以来、没落の一途をたどった「社会党」。機に敏なる議員は「民主党」に去り(そこでも今、悲哀を味わっていますが)、今や衆参合わせて6人。
 簡単には死なない自民党の栄耀栄華を横目に見て、滅び去っていく運命か。それにしても、最後の最後まで醜態をさらすのだけはゴメン被りたいですね。せめて時世に後れを取った老舗の「意地」を見せて下さい。でも見せようがないって、う~ん、その通りですが。
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「プラトーン」(古きよき映画シリーズその14)

2012-12-21 21:35:37 | 素晴らしき映画
 ベトナム戦争がらみで。

<あらすじ>

 1967年、激戦のベトナムに若き志願兵クリスがやってきた。彼は名門大学を中退してベトナム行きを志願したのだ。だが、いきなり最前線小隊『プラトーン』に配属された彼を待ちうけていたのは、想像を遥かに超えた過酷な戦争の現実。死と隣り合わせの最前線の中で、やがてベトナム人への虐殺・略奪・強姦などの実態、仲間同士の疑惑、裏切り、果ての殺人・・・。こうした戦争の狂気とその現実を体験していく。悪と善、正と邪、やむをえない二項対立の中で、まさに泥沼化していくとともに人間性の葛藤、ありどころが、自らのあり方にも反映していることに気づかされる。

<スタッフ&キャスト>
監督・脚本:オリバー・ストーン
製作:アーノルド・コペルソン
製作総指揮:ジョン・デイリー/デレク・ギブソン
撮影:ロバート・リチャードソン

バーンズ軍曹:トム・ベレンジャー
エリアス軍曹:ウィレム・デフォー
クリス・テイラー:チャーリー・シーン
バニー:ケビン・ディロン
ビッグ・ハロルド:フォレスト・ウィテカー
オニール軍曹:ジョン・C・マッギンリー
ラー:フランチェスコ・クイン
ハリス大尉:デイル・ダイ
ラーナー:ジョニー・デップ



 エイリアスは善の象徴、バーンズは悪の象徴として登場する。また、バーンズ(の行為)はベトナム戦争の暗部をも示している(告発している)。ベトナム村民に対する無用な虐殺行為。老若男女を無差別に殺し、村落を破壊する・・・。自己正当化しながら。
 一方、エイリアス。レイプしようとする仲間の小隊兵士を止め、バーンズの村民虐殺などの卑劣な行為を軍法会議に告発する、と・・・。常に二人は対立していく。その間に挟まりながら、泥沼化した戦闘を遂行していく小隊。
 エイリアスは戦闘の混乱の中で、バーンズによって射たれる。しかし、殺された(殺した)はずのエイリアスが、味方のヘリコプターを追いかけてジャングルから走り出してくる。
 力尽き、地面に膝をつく。そして、絶叫しつつ、両手を高く突き上げたまま崩れ落ちていく。・・・。


 今日死ぬか、明日死ぬか。そうした究極状況の下では、他者の命というものの軽さにおいて、人間はエイリアス的な側面よりも、もしかしたらバーンズの行為を正当化する人間になっていくのではないか。テイラーの心の葛藤も極限に達する。
 いきなりおびただしい戦死者たちの姿に直面したテイラーは、森林の中の遡行、仏跡での夜通しの監視など否応なしにベトナム戦争のまっただ中に引きずり込まれる。戦場で何を感じ、何を思うか(何を得たか)・・・。監督自らが経験しなければ映像化(自己完結化)できなかったに違いない。
 ほこりにまみれ、淀んだ空気、じめじめしたベトナムの風土、激しい戦闘場面、そこに敵味方として存在する人間たち・・・。そんな場面が続く中でも、瞬間瞬間の映像は美しく、一貫してバックに流れる音楽があまりにも心に染み渡る。
 それらがかえって奥深い人間の「性(さが)」というものを切ないほどひしひしと観客に伝えている。

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「地獄の黙示録」(古きよき映画シリーズ13)

2012-12-20 21:45:07 | 素晴らしき映画
 《あらすじ》
 ベトナム戦争中期。陸軍空挺士官のウィラード大尉は、軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長で、軍の命令を無視してカンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていたカーツ大佐の暗殺指令を受ける。
 ウィラードは若い乗組員と海軍の河川哨戒艇で大河をさかのぼっていく。その途中、彼は戦争がもたらす(狂気の)実態を目撃する。

 ・一行の中に花形のサーファーがいると知って、サーフィンをするためにベトコンの前線基地を襲撃する陸軍ヘリ部隊の司令官。
 ・ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。
 ・取り残されても土地と生活に執着するフランス人家族。
 ・指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。
 ・麻薬によって正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。・・・

 兵士を失いながら何とか王国にたどり着いたウィラード。ついに、彼は王国の支配者カーツと対峙する時が来た。

《スタッフ・キャスト》
(監督)フランシス・フォード・コッポラ 
(製作)F.F.コッポラ、フレッド・ルース 
(脚本)F.F.コッポラ、ジョン・ミリアス 
(撮影)ヴィットリオ・ストラーロ 
(音楽)カーミン・コッポラ、F.F.コッポラ
(出演)マーロン・ブランド
    マーティン・シーン
    デニス・ホッパー 
    ロバート・デュバル
    フレデリック・フォレスト
    ラリー・フィッシュバーン 
    ハリソン・フォード 

 この映画。特にDVD特別完全版は長い、長い。かつて劇場で観たときと比べ、カットされたエピソードも加わっている。次々と壮大なスケールで舞台・場面が転換し、ありえない(ともいえないようなところが恐ろしいほど)戦争の心理、狂気が矢継ぎ早に展開される。
 それでも再び観ていて、キルゴア大佐が率いるヘリコプター部隊の爆撃行のバックに流れる(それを隊長がかけるように命じる)リヒャルト・ワグナーの「ワルキューレの騎行」。勇壮な楽曲の奏でられる中で、逃げ惑うベトナム人を虫けらを踏みつぶすように攻撃するシーンには圧倒される。
 ただ、ヒトラーは、「ワルキューレの騎行」の作曲者・リヒャルト・ワグナーの曲を愛好した。そう考えると、この楽曲が映画で用いられたのは、たんに勇ましくかっこいい曲だからというだけではない、と。ナチスだけなく、その後の戦争では、その現実的で具体的な姿が抽象化され、人間的感性を奪い(そういえばかつて、まったく別の意味で、地上で爆弾が爆発するようすをそれを投下する飛行機上で見ながら「美しい薔薇の花が咲いている」と表現した、とか)、非人間的な所行であることを改めて思う。



 戦場に突然出現する豪華絢爛なステージ。異国の地における領主・フランス人家族。遡行中の戦闘シーン。いろいろなシーンがごった煮状態で登場するので、ついていくのがやっと。飽きないと言えば、その通り。最後にたどり着いた「王国」の原始的な佇まいと住民たちのうつろな姿・・・。そこに行くまでの出来事が多すぎて(長すぎて)、最後は少々息切れ気味。あっけなく首尾を達成する。
 民話の「桃太郎」みたいなもので、「鬼ヶ島」に行くまでの冒険、出会いが中心で、「鬼退治」のシーンは簡潔(そういえば、「剣岳・点の記」もそんな印象だった)。と言っては、「壮大」なアメリカ映画に対して大変失礼か(ゴメン)。
 とはいうものの、戦争映画としてはできばえは最高。批判的で絶望的精神もこめられてあるので。



 しかし、ベトナム戦争以後の戦争において、その映画的(芸術的・思想的)戦争の再現は、敵味方(非戦闘員の民衆を含め)を問わず、当事者同士の生きた眼差しでの「戦争」ではないような気がする。いい意味でも悪い意味でも、人間ドラマとしての戦争物はイラクにしてもアフガンにしても描かれることがなく、目にすることが少なくなっている感じ。そしてその分、ますます戦争への恐怖・忌避・告発・反戦・・・へのアプローチが薄くなっているのではないか。

「黙示録」=新約聖書巻末の一書。小アジアで迫害されているキリスト教徒を慰謝、激励し、キリストの再来、神の国の到来と地上の王国の滅亡とを叙述。ヨハネ黙示録。・・・(「広辞苑」)
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そりゃないでしょう。

2012-12-19 22:25:23 | つぶやき
民主、22日の代表選延期=異論噴出、選挙総括を優先(時事通信) - goo ニュース
 せっかくの再生のチャンスを生かせない民主党。相変わらずの醜態。
 「26日の首相指名選挙の前に次期代表を選出するかどうかを含めて協議する」」って。首班指名選挙に臨むに投票先(党首)が決定しなくて自主投票、もしくは野田さんに。あり得ない! まったく世間の評価(選挙結果)を分かっていない連中。自民党以上に永田町の魔窟に棲みついた魑魅魍魎のばらばら集団。ちょっとどうにかして下さい。ホント愛想が尽きましたって、感じ。
 何としてでも代表を決めるべきでしょう。誰か逆境を乗り越えていこうとする御仁はいないのか。
 さもなくば、「国民新党」のように解党し(現時点では結論は先延ばしのようだが)、自民党に集団移籍しようという魂胆? 野田さん、前原さんたちはさっさと自民党入りですか。世間では、吸収合併された側の「平」社員はいいように恩着せがましくこき使われたあげく、真っ先にリストラされるのが、相場のようです。・・・。
 
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投機市場「民主主義」。

2012-12-18 15:46:47 | 世間世界
関電株などストップ高 原発再稼働期待(産経新聞) - goo ニュース
 あまりにも露骨な(当然の)反応を示しました。まさに(大衆)株主(市場)民主主義。といっても、持たざる者は、参加・発言権無し。
 かつてバブルの頃、電車の中では老いも若きも、男女を問わず多く目にしたのは「日経」を読む人々。持たざる者のひがみでは、何だか血走ってさもしいようすを感じましたが・・・。そんなときでも「産経」を読んでいる人が少なかった(都庁以外では)。が、右傾化の中で、今回は、ちょっと様相が違くなりそう・・・。
 こうして、またまた踊らされるのか。「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ、ソンソン」と。その(悪)夢を再び・・・。日・産を中心に、自民党御用達のマスコミもきっと煽ることでしょう。すでにその徴候がTV(自称「経済通」)コメンテーター発言で露骨に出ています。
 しかし、「働かざる者、食うべからず」、ならぬ「お金を持たざる者は、生き難い」的社会ってどういう社会でしょうか。
 
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改憲・軍事大国・原発推進への大政翼賛会。

2012-12-17 16:42:21 | 平和
自公圧勝、325議席=全議席が確定【12衆院選】(時事通信) - goo ニュース
 来年の参院選を待って、いよいよ改憲へ。自公320議席どころか維新を合わせたら400議席近く。勢いは来年夏まで続くだろうから参院でも3分の2。「国民」の平和な生活が「第一」よりも、「国」の安全・平和が「第一」と、アジアにおける名実ともに軍事大国を目指す。尖閣・竹島、そして、北朝鮮の長距離ミサイル発射が民主への最大風速の逆風になった。けっして自民への追い風ではなさそう。
 特に、今回の選挙の争点としてあった「原発問題」。
 「脱原発」で虎の尾を踏んでしまった菅時代の民主党政権運営。あれ以来、流れは「脱原発」に危機感を抱く自民党を主とする政治既存体制、官僚、マスコミによって「反民主」の流れはいっそう固まった、と読む。本音ではやりたくない消費増税を民主政権にやらせて(国民生活を直撃)も、「脱原発路線」には絶対させない、と。
 福島の「悲劇」は想定外、地域一過性のものにすぎない、今後は原発再稼働、新たな建設工事が進んでいくに違いない。さらには核開発への布石を打つことに。
 「景気回復、雇用、社会保障・・・、切実な国民の願いをないがしろにして、民主の失政と政争に明け暮れている国会」、とのマスコミ報道に終始したあげくの今回の結果。民主を壊滅させ、ついでに、急ごしらえの「未来」も、反小沢の風で吹っ飛んだ。「維新」は選挙直前、原発に対する流れを読むのに敏であった。
 さっそく維新のハシモトさんは、首相指名選挙でのアベさんへの投票を表明。民主の中にもすぐにも離党する者がいそう。「みんな」は様子見。
 結局は、未来(の一部)と共産と社民の、ごくごく少数が残るだけ(存在感のまるでない連中くらいにしか思われていないはず)の戦後版「大政翼賛会」の成立。これが、いつか「戦前の」にならない保証はない。そうなる前に、マスコミは「反自公維」を貫けるだろうか。
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「天城越え」(古きよき映画シリーズ12)

2012-12-16 13:24:50 | 素晴らしき映画
 田中裕子つながりで。
 天城峠で起き、すでに時効となって迷宮入りした「土工」殺人事件の刑事調書をもって、老刑事が印刷屋のもとを訪れるところから、映画は始まります。
原作 松本清張
監督 三村晴彦
出演 渡瀬恒彦
    田中裕子
    平幹二朗

《あらすじ》
 静岡で印刷屋を営む小野寺のもとに、田島と名乗る老人が、「天城山殺人事件」という刑事調書の印刷を依頼しに来る。小野寺は原稿を見て激しく衝撃を受ける。
 当時、14歳だった頃を思い浮かべる。母の情事を目撃し、亡き父を裏切った母が許せず、静岡にいる兄を訪ねて1人、天城峠越えの道をたどる小野寺。しかし、「他国」への憧れは恐れに変わり、来た道を戻ることになった。その途中、素足で歩く若い娼婦・ハナと出会い、一緒に下田に向かう。道中でハナは1人の土工に出会うと、連れだって草むらへ入って行く。後を追った少年は、草むらの中で情交をする2人を目撃する。
 その後、身元不明の土工の死体が発見され、苦心の捜査の結果、ハナが殺人の容疑者として逮捕される。・・・。
 
 天城峠のトンネル。何回か歩いたことがありますが、今も昔も(この映画の舞台となったのは、はるか古い昔)トンネルの内外との明暗など、独特の雰囲気を持ったところ。つづら折りの道につながって、行くも帰るも異界の地への思いがかきたてられるかのような不思議な空間だった。この峠道は雨に煙る風情が一番似合う感じ。それをうまく生かした映画になっています。

 娼婦・ハナ役の田中裕子。存在感のある演技で美しく妖艶な魅力を漂わせていますが、中でも、(少年の犯行だと知りつつも)警察署から護送されるとき、雨の中でびしょ濡れになりながら、少年を見つめるシーン。
 その他にも、ずぶ濡れの中での捜索活動、壮絶な犯行の再現など雨中での画面作りがとても印象的。
 内容そのものはすでに冒頭から犯人は誰だったかは観る者には分かっています。少年からみた大人の世界の醜さ、一方で異性への憧れ、他者に抱く殺意のありよう、悔恨、・・・。すでに時効になった殺人事件。心のうちでは時効にはならない、と。
 
 松本清張の原作は短編。サスペンス・ドラマにはとどまらない人間ドラマとして、観客を飽きさせない映画に仕立て上げたことは、すばらしい。

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「してない・やってない」という証明の難しさ。それをいいことに・・・。

2012-12-15 21:24:44 | つぶやき
遠隔操作「否認したら少年院に」など不適切調べ(読売新聞) - goo ニュース
 警察・検察は「(容疑者が)やった」という証拠をあらゆる手段をとってでも(不法性の疑いもある捜査手段、自白強要・誘導・・・)揃え、起訴に追い込む。軽微な犯罪から重大犯罪まで未だに自白偏重の捜査方法。まったく警察・検察は反省の色がなさそう。
 「捜査は適切だった」・・・。今回、真犯人が名乗り出たことで警察の不始末が明らかになった。そうでなければ犯人扱いのまま裁判になった(現実には、少年院送致になって、大学も中退せざるをえなくなった)だろう。もちろん、裁判では無罪の可能性は高かった。
 それでも、警察発表では「不適切」な取り調べ程度の反省に終わっている。捜査方法に誤りはなかったということか。
 それにしても、「否認したら少年院に入る」という説明などはあり得ないでしょう。少年が否認した段階で、犯人ではないかもしれないという視点が全く欠けている言動。「不安を助長するような説明」程度ではすまされない。
 また「少年に無罪の証明を求めたりした」。取調室、という通常では置かれることがない特異な密室でのやりとり。ハナから犯人扱いしている連中を相手にして、「していない」「やっていない」という証明を論理だって説明することの困難さ。
 「無罪」の証明などすぐには出せるはずもない。「アリバイ」証明なども同様。犯罪行為を「した・やった」という証拠は厳然として残っている。その証拠を元にして(それを被疑者には開示しない場合もあり)、相手に「自分はしていない・やっていない」という証明を求めるなどという取り調べ方法は、ありえない。痴漢などでも犯人扱い、その後の裁判で無罪になるケースがあるが、そこに至るまでの警察発表鵜呑みの御用機関・マスコミ報道も含め、その後の人生を大きく狂わせるえん罪事件(死刑・無期判決が無罪になるケースも。ほとんどが自白偏重の結果)が目立つ。
 犯罪者扱いされたときに(ずいぶんと以前の事柄については、なおさら)、すぐさま「自分はしていない・やっていない」と即座に自らの身辺行動をつぶさに語れるほどの人間はそうはいない。それをいいことに、相変わらずの自白強要・誘導による犯罪者扱いは厳に慎むべきだ。そのためにも、取り調べ段階からの可視化を早急に導入が必要だ、と思う。さらに、こうした「お手盛り」内部検証ではなく、有識者などの外部による検証によって反省評価を行うべきだ。
 
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