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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

110 汽笛一声新橋を・・・

2009-07-07 21:11:39 | 鉄道遺跡
 それにしても、新橋は大きく変貌していました。以前、新橋には縁があるのは、メーデーの時くらい。かれこれ、30年以上昔の話。あの頃は、会場の代々木公園から延々メーデー行進。青山通りをひたすら歩いたものです。
 解散は、新橋の土橋(高速道路の下あたり)。歩いて、声を上げて、おしゃべりをして・・・。天下の幹線道路上を歩いたわけですね。そして、その近辺で打ち上げをしたり、上野まで出てご苦労さん会。けっこうたくさんの参加者で、行進も昼前から夕方近くまで続いていたような気がしました。「リクルート」なんて会社もずっと後に出来た感じ。そのころは、ダンスホールがあったような気が(それは、もっと昔なのかな)。都庁もまだ有楽町にあった時分。日劇もあった・・。朝日の本社も・・・。
 新橋駅の西側は飲み屋街があった。(今でもそうでしょうが)たしか、「機関車」もあって、ちょうどいい待ち合わせ場所。これは、今でも変わらないはず。当時の東側は、銀座からの道が続いているのに、高速道路辺りからどうも寂れた感じがしてくる印象だった。都営浅草線の乗り場も何だかビルの中を右に左に行った所にあって、ゴミゴミしている割には、飲み屋街も印象が薄かった。
 ところが、この間、もう何十年ぶりに行って驚きました。実にしゃれた街並みになっている!ぶらつく暇もなく、高速道路下の屋台の店に直行、もとは、運河の跡だった場所に店が何軒か軒を構えている。周りは、ずいぶんとしゃれたビル街になっていた。勿論、ダンスホールも、キャバレーもない!
 「ゆりかもめ」を降りて、JRの新橋駅に向かう、その途中にあったモニュメントが、この写真。機関車の車輪と鉄道唱歌が刻まれた記念碑がありました。(最近つくられたもののようで、西側にあるどでかい「本物の蒸気機関車」に比べれば、今ひとつ、というかかなりインパクトに欠ける感じ。あまり気にしている人もいなくて、通り過ぎるだけ・・・。残念!)
 さて、もっと南に行けば、汐留にかけての再開発の地域。すてきな場所もあるのだろうが、俺たちは、やはり屋台でくだを巻くのがお似合いでした。
コメント
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